ケイ
灼熱の、南国の夏の日差しを浴びて、私は歩いた。
背中を伝う汗を、不快に感じる事もなく、気分は爽快だった。
県立病院の横を抜け、高松通りに出ると、その先に目指す、一番街の西入口が見えた。
私は足早になり、蘭のいる靴屋の前までやってきた。
蘭は私を見つけると、満開の笑顔で店の前まで出てきた。
「あんたもやるわね~、ユリさんの家に泊まるなんて、遊び人の憧れよ」と言って、私のわき腹を親指で突いた。
『これからは、夜の帝王と呼びなさい』私は両手を腰に当て、コントの芝居の様に、大袈裟に威張ってみせた。
「生意気なんだから~」蘭が今度は私の脇腹を、力を込めてつねった。
蘭とは緊張も格好も付けずに話せた、まるでずっと昔からの知り合いのように。
『婆さんが話があるみたいだから、行ってくるよ』私がそう言うと。
「絶対に婆さんなんて言ったらだめよ、マダムって呼びなよ」と笑顔で言った。
『マダムか~、頑張ります』と言って蘭と別れた。
昼間はゴーストタウンのような夜街を歩き、昨夜同様ビルの裏階段から店に入った。
裏口の鍵は開いていた。
TVルームに行くと、ケイが葉書の宛名書きをしていた。
「おはよう、昨夜はありがとう」と私を見て、少女らしい笑顔で言った。
『もう昼過ぎてますよ』と私は笑顔で言った。
「夜の世界は会った時がおはようなのよ」とケイが笑顔で、教えてくれた。
『おはようございます、ケイ姉さん』と姉さんを強調して言った。
「やっぱり姉さんの響きはいいな~」とケイは笑顔で、その響きを噛みしめていた。
『婆さんに呼ばれたんだけど?』と笑顔で言った。
「絶対に婆さんなんて呼ばないのよ、フロアーに居るはずよ」と言ったので、行こうとしたその背中に。
「婆さんは絶対駄目だからね!」と念押しされた。
フロアーに行くと、マダムは昨夜の売上げ計算を、算盤でしていた。
『おはようございます、マダム』私はマダムを強調して言った。
「おっ来たねチャッピー、ユリの所に泊まったなんて誰にも言うなよ、刺されるかい」と顔を上げずに言った、私にはあまり冗談に聞こえなかった。
「ちょとそこに座って待ってくり、これが終わるまで」私はマダムの向かいに座り、店内を見回した。
それはマジックミラー越しに見たイメージより、かなり広かった。
計算の終わったマダムは顔を上げ。
「すまんな、で・・いつまで帰らんつもりや?」と聞いた
『わからないけど、夏休み中は帰らんつもり』と真顔で返した。
マダムは私の表情を注意深く見てから。
「親が捜しにこんかのー?」と質問を変えた。
『それは無いよ、警察のご厄介にならない限りは』私は確信していた、育った環境からして放置されると。
「手伝うかい?」とマダムから意外な言葉が出た、私は家に帰るように説得されると思っていたのだ。
『バイトならいいよ』と笑顔で答えた。
「よし、決まりやな。明日徳と話して内容を決めとくかい・・ケイにもフロアーの勉強を少しづつさせないかんし」と呟いた。
『今からは?』私のその言葉に、少し笑顔になって。
「そのやる気いいねー、ケイを手伝ってやり」その言葉に頷いて、TVルームに戻った。
「マダムって言えたみたいね」とケイが微笑んだ。
『覗いてましたね~』とニヤ顔で言うと。
「心配でね、唯一姉さんって呼んでくれる人がね」と言って笑った。
『ケイを手伝えって言われたんだけど』とケイの隣に座りながら言うと。
「マダムが!・・珍しい」と驚いていて私を見た。
『ケイ姉さんにもフロアーの勉強させないとって言ってたよ』と言った私を、ケイが本気で驚いた表情で見て。
「本当にっ!」私はそのケイの驚きに驚いて『うん』と言った。
「何か飲むチャッピー君」とご機嫌で言って、冷蔵庫の方に歩いて行った。
ケイに与えられた、切手張りの手を休めずに。
『フロアーの仕事できるの嬉しいんだね』と聞いてみた。
「そりゃね、ここに居るのならね~」ケイは真顔で呟いた。
私は、ケイは高校に行っていないだろうと思っていた。
ケイはPGで働いているが、少女の香りを残し、その時期の特有の輝きを、惜しげもなく振り撒いていた。
「私ね、あなたと同じなの・・・」ケイが教えてくれた、そのケイの歴史を。
ケイは県南の漁師町で産まれた、父親はケイが3歳の頃病死した。
ケイの母親は、ケイと4歳上の姉を、女手一つで育てた。
「姉がね、福岡の美容学校に行くことになった時・・・」
ケイが中3に上がるその時、母親は再婚したいと言った。
ケイも姉も、母親に幸せになってほしくて大賛成した。
しかしケイは1年で、新しい父親との生活には限界が来ていた。
《原因はこの時話していないので後記します》
中学の卒業式の翌日、こっそり用意したバックを持って、ケイは始発の列車に飛び乗った。
「宮崎に出て自立しようと思ってたの、最悪風俗でも行ってね・・・」
風俗という言葉が全く似合わないほど、ケイは純真な可愛さがあった。
しかしケイは、風俗の扉を叩く勇気もなく行き詰まり、一番街の角でしゃがみこんでいた。
夕方、突然顎を掴まれ顔を上げさせられた、目の前にはマダムの深い皺の刻まれた顔があった。
「歳は」・・・「16です」・「行くとこがないんやな」ケイは恐ろしくて「はい」と答えるのがやっとだった。
「がんばるかい?」《売られる》ケイはそう思ったらしい。
「どうだい?」マダムは後ろにいたユリさんに聞いた。
「素質は充分ですね」ケイはその言葉の方を見た、出勤前のユリさんが立っていた。
見惚れていたその美しさと優しい笑顔に、そしてマダムにすがり付き。
「何でもします、頑張ります」と泣きながら懇願した。
泣いているケイを、ユリさんが抱きしめて、ハンカチを渡した。
「沢山の人が歩いていたのに・・何の躊躇もなく抱きしめられて、本当に嬉しかった」ケイは天井を見つめて呟いた、心から感謝していたのだろう。
それからマダムが食事に連れて行き、ケイの家に電話をして、母親に強引に了承させた。
マダムとケイの契約は、18~22までは店で働く事で高校に出すという内容だった。
ケイが高校には行かずに、店を手伝わせてほしいと言って譲らなかった。
「私は高校なんか行きたくなかったの・・・」ケイは父の記憶が無い、母は常に必死で働いていたのだろう。
ケイは幼い時から、自立を目指していた、母を助けたくて。
その時点では、母は新しい愛をみつけ、ケイの援助を必要としていない。
しかしケイの心は変わらない、ひたむきに自立を目指していた。
ケイはその後、自他共に認めるPGのエースになり伝説を残す、だがその時もひたむきさは変わらなかった。
私が高2の年末ケイに食事に誘われた、高級ステーキ店でシャンパンで乾杯して。
『何のお祝い?』と聞くと、窓の外の大淀川を見ながら。
「今月初めて指名で2番になれたの、マダムやユリさん・・・皆にやっと、少しお返しができたよ」と目を潤ませていた。
その目の輝きは、出会ったこの時のままに澄み切っていた。
夕方TVルームのドアが開き、蘭が顔を見せて。
「若人諸君、労働に励んでいるね」と笑顔で言った、ケイが蘭に近寄り。
「蘭姉さん、私フロアーの勉強をさせてもらえるの」と嬉しそうに言うと。
「よかったね、今からが大変だよ頑張るんだよ」と蘭も本当に嬉しそうに言った。
その言葉はやはり優しかった。
「そうだよ、今からが本当の勝負だよ」気付くと、蘭の後ろにマダムが立っていた。
「お前はユリに認められたんや、お前の今後はユリの今後と同じ意味じゃかいな」ケイはその言葉を噛みしめて「頑張ります」と頭を下げた。
マダムも蘭も優しい瞳でケイを見ていた。
マダムが夕食をご馳走すると言うので、4人でマダムの行きつけの居酒屋に出掛けた。
PGは日曜で定休日、夜街の人通りも少なかった。
居酒屋に着くと、蘭が食べ物をこれでもかって言うほど、遠慮無しに頼んで。
「マダムと私はビールだけどケイは?」と聞いた、迷っているケイに。
「ビールにしな、練習さ」とマダムが言った。蘭が私の方を見たので。
『俺も練習してみます』と言うと「こん男だけは、まったく」とマダムが笑った。
これからの始まる、この食事会の大切さを気付くはずも無く、ただ楽しんでいた。
ケイの真直ぐな生き方と、純な笑顔を隣に感じながら。