【春物語第二章・・封印の鍵⑩】
久々に帰国した私の心を、様々な感情が迎えてくれました。
最も喜びを感じたのが、この物語を読んで下さった人々の数なのです。
最後の更新から、2年数ヶ月の月日が経過したという、失礼な現実。
それでも継続的に読んで頂けた事の嬉しさが、モニターを通して伝わってきた事でした。
掲載できなかった時期の事は、追々この物語の中に登場させます。
それで不義理をする私をお許し頂きたいと、身勝手なお願いで物語を進行させます。
あの自分自身の未熟な時に、フロアーに全員が集合し、立体映像を見ている場所に。
敗戦=終戦という大きな節目を何とか乗り越え、次の時代を模索した時期の映像に。
2年数ヶ月の空白の時間を埋める為に、記憶に映像を呼び出すように・・・。
円形劇場の扇型客席に、女性達の笑顔に囲まれた深海の瞳が、律子を見つめ深みを増していた。
それに対抗する律子の瞳は、唇の笑みの表情とは裏腹の、強い想いを返しているようだった。
私はその時に気付いた、自分がなぜ律子の瞳を読めないのか。
自分でも記憶にない、これまでの美鈴の映像と、今までの母との記憶で自然に気付いたのだ。
《幼い俺の監督でありコーチであったのは、やはり律子なんだ。
だから律子の感情は今でも全く読めない、勝也でもシズカでも強い感情は読める。
だが律子の感情は温度でも読めない、俺はまだまだなんだ。
監督の要求レベルに到達していない、そこに到達しないと無理なんだ。
由美子の塔には届かない・・・そのレベルに到達しない限り》
私は律子の強い意志を示す横顔を見ながら、無意識に心に呟いた。
《そうみたいだね~・・そしてユリカも何かに気付いたね》とユリアが嬉しそうな波動で返してきた。
その波動を受けて、律子はマリを見た。
「OK、マリ・・再開しよう、龍谷の物語を・・SFの超大作を」と律子はニヤでマリに言った。
マリもユリカを見ながら、ニヤで頷いた。
立体映像には、龍谷の谷を見下ろす映像が浮かび上がった。
夜空を見ながら話す律子の横に、律子にもたれ眠ってるような幼い私がいた。
しかし映像は私に迫り続け、一度私の顔にぶつかり暗闇になった。
そしてその暗闇のトンネルを抜けるように、薄闇の世界の空に再び舞い降りた。
その映像も先程と同じ、龍谷の谷を見下ろす映像だった。
しかしその映像の律子と私の間には、微かな発光をする不鮮明な美鈴の姿が存在した。
私は不思議な感覚でその映像を見ていた、女性達も映像に見入っていた。
「そっか!・・・そうゆう解釈なんだ・・・美鈴ちゃん、サンキュ~」と嬉しそうな笑顔でミチコが言った。
その隣の哲夫はミチコの表情を見て、ルミに視線を移した。
ルミはニヤニヤを哲夫に送り、唇の前に人差し指を立てて。
《何も言うな、黙ってろ》と示した。
哲夫もニヤで返して、映像に視線を戻した。
女性達の強い視線は、ミチコの嬉しそうな笑顔に集まっていた。
「小僧・・何がそんなに悔しいの?」と美鈴がスクリーンの映像を見る、幼い私にニヤで言った。
この言葉で、女性達の視線も映像に戻された。
『シズカの名前、真希さんが付けたんだね・・良いな~』と幼い私は笑顔で返した。
「そうだよね・・素敵な名前だね」と美鈴も笑顔で呟いた。
『美鈴・・せいじゃくって・・何?』と私は照れながら聞いた。
「静かな事よ・・今この谷には、風が吹いてるでしょ。
だから風の音と、風が揺らす木の枝の音とかが聞こえるよね。
もし風が無かったら・・虫の音もしなかったら。
何の音も無い、凄く静かな世界でしょ・・そんな音の無い世界なの。
静寂って・・外側の音が無くなる世界なんだよ」
美鈴は嬉しそうな笑顔で、分かり易い表現で話した。
『そっか・・外側の音が無くなれば、鼓動だけが聞こえるんだね』と私は笑顔で返した。
美鈴は私を真顔で見ていた、私は再び訪れた美鈴の沈黙で緊張した。
「静寂は分からないのに・・鼓動は分かるの?」と美鈴は真顔で言った。
『心臓の音でしょ・・それなら分かるよ、チサが最初に教えてくれたから・・鼓動って言葉は、シズカが教えてくれた』と私は笑顔で返した。
「チサちゃん、そこまで教えてるの?」と美鈴は少し驚きながら返してきた。
『うん・・俺、最初に・・3歳でチサと遊ぶ時、何も分からなくて。
チサも上手に動けなくて、チサの家で遊んでたんだ。
チサはいつも、俺に抱っこしてって・・手を伸ばすんだよ。
だから俺はチサを抱っこして、俺の膝に座らせてたんだ。
その時・・俺の胸とチサの背中がくっつくから、心臓の動きが分かった。
チサが元気な時は強くて、疲れてると弱いんだよね。
それは分かってたよ・・そして沙織が教えてくれたんだ。
俺は沙織も同じかと思って、沙織を抱っこしてみたんだ。
そしたら沙織の心臓が、凄く早かったから・・びっくりした。
そして沙織に怒られたんだ・・エッチって言われて、怒られた。
俺・・なんで怒られたのか分からなくて、恭子に聞いたの。
沙織はオマセだから、ドキドキしたんだって・・恭子が言った。
それで分かったよ・・鼓動も何かを伝えてるんでしょ?
でも・・美鈴には鼓動が無いから、少し寂しかったよ』
幼い私は素直にそう言った、不鮮明な発光する美鈴の瞳から涙が溢れた。
私はそれで驚き、俯いた美鈴の顔を覗き込んだ。
「嬉しいんだよ、小僧・・これは嬉しいの涙なの」と美鈴が優しい笑顔で言った。
『そっか・・嬉しいでも涙が出るよね』と私は安心して笑顔で返した。
「小僧・・大切な事だから、絶対に忘れないでね。
嬉しいでも涙が出るって、とても大切な事だからね。
閉ざされた純な心は、涙は悲しい事だと感じてしまう。
それが封印させてしまうの、嬉しい涙だと分からないから。
大切な人を、悲しませたくない・・そう思ってしまうの。
閉ざされた純な心は・・そこからだからね、扉を開くのは」
美鈴は優しい笑顔で強く言った、私は美鈴の瞳を見ていた。
『閉ざされた心って・・どんなの?』と私は照れながら返した。
「外側に向かって、何も表現できない事よ。
内側では色んな事を考えたり、感じたりしてるのに。
言葉にも、お顔の表情にも出せないの。
出させないように、内側の悪い人が意地悪してるのよ。
そんな子供もいるの・・小僧なら伝えれるよね?
悪い人の意地悪をやめさせて、嬉しい涙を教えられるよね?」
美鈴はそう言って立ち上がり、私の周りを円を描くように歩いた。
美鈴が歩いた場所に、発光する緑の線が浮き出ていた。
幼い私は目を輝かせて、その蛍光色の緑の線を見ていた。
美鈴は私を中心に大きな円を描き、笑顔で私の前に立った。
「この円は・・審判の魔女の舞台を呼び出す円よ。
魔女を呼び出す、詐欺師との決戦の舞台。
意地悪な約束で閉ざされた扉を開く、その為の舞台だからね。
小僧・・意地悪な封印を必ず解きなさい、小僧なら解けると信じます。
そして戦いなさい・・偽りの者、意地悪透明人間と勝負しなさい。
小僧、無の心で・・意地悪透明人間と戦って、勝利しなさい。
これは命令です・・隊長がサークルに残す命令書です。
隊長より、大切な任務を託す・・地球防衛軍、小僧隊員」
美鈴は真顔で強く言って、私に向けて敬礼をした。
『了解です、隊長・・必ず勝ちます』と私は嬉しそうな笑顔で、敬礼で返した。
美鈴はそれで笑顔になり、円の外周を歩きながら四方の対角に小さな円を6つ描いた。
そして最初の円の前に立ち円を見ていた、円の中に発行する文字で【チサ】と現れた。
美鈴は私に笑顔を見せて、次の円まで歩いた。
美鈴は小さな円を見ていた、その瞳には喜びが出ていた。
その円には【シズカ】と現れた、そして残りの円に【キョウコ】【マキ】【ユタカ】【サオリ】と現われた、幼い私はただ笑顔でその文字を見ていた。
「ねぇ、小僧・・太陽系って知ってる?」と美鈴は笑顔で聞いた。
『太陽の周りを地球や星が周ってるんでしょ?・・シズカに聞いた』と私も笑顔で返した。
「そうだよ・・太陽の周りを円を描いて回ってるの。
なぜかな?・・どうして太陽から離れないのかな~?」
美鈴は可愛いニヤで言った、私は美鈴の顔を見ていた。
『太陽が・・・好きだから』と私は自信無さげに正直に答えた。
「うん・・素敵じゃない」と美鈴は笑顔で言って、【チサ】の円まで戻った。
「チサちゃんと小僧はお友達だから、チサちゃんの円と小僧の円が重なるの」と美鈴が言うと。
私の足元に発行する青い線が走り、【チサ】の円を取り囲むように大きな円が描かれた。
私は自分の周りの緑の線と、【チサ】を中心に描かれた青い円を交互に見ていた。
「小僧・・この円を増やすのよ、仲間を増やすの。
小僧が自分から近づけば、相手の円も近づくのよ・・そして重なるの。
それが【仲間】って事なの・・今の小僧には少し難しいよね。
でもね、小僧・・漢字で書くと解るのよ、漢字表記には大切な意味が有るの。
だからね・・小僧・・漢字表記を、言葉と同じくらい大切にしてね。
そして、いつか・・【仲間】って漢字を覚えた時に、その漢字で感じてね。
仲間の間って・・あいだって事なの、その人の円と小僧の円の離れてる所よ。
でもそれは、長さじゃないの・・距離じゃないのよ。
私もあえて難しい表現で、小僧の中の透明人間に伝えるね。
シズカちゃんの教えの、そのやり方を・・私も使うね。
小僧もいつか辿り着くように・・静寂の精神世界への道標の1本を。
私も立てます・・封印する、小僧の中の・・姿無きあなたに」
美鈴は強く言葉にした、幼い私は美鈴の不鮮明な強い瞳を見ていた。
『姿無き人って・・・透明人間なの?』と私は自信なさげに問いかけた。
「まぁ・・今の小僧になら・・そうだと答えましょうかね~」と美鈴はニヤニヤで返してきた。
『そっか・・・コーリーじゃないんだ』と私は笑顔で呟いた。
扇型の客席に動揺の声が広がり、マリと律子が私を見た。
私は多くの視線と、強烈なユリアの波動を感じながら、ウルウルで対抗するしかなかった。
当然、13歳の私には、幼い私がコーリーを知っているなどと思ってもいなかったのだ。
映像の美鈴も完全凍結で私を見ていた、幼い私は美鈴の表情を見ていた。
「小僧・・・コーリーって、誰なの?」と美鈴は真顔で訊いた。
『魔女なんだって・・嘘かもしれないけど・・フジツの魔女って言ってたよ』と私は笑顔で返した。
「ちょ・・ちょっと待って、小僧・・チサちゃんの世界で会ったのは、オババでしょ?」と美鈴が動揺しながら強く言った。
『うん、オババにも会ったよ・・オババに【さん】を付けるなって言われたよ』と私は笑顔で返した。
美鈴は私を見ながら可愛い笑顔を咲かせた、幼い私もそれで笑顔に戻った。
月光と星の光だけの世界に、強い風が吹き抜けた。
私はそれで空を見上げた、立体映像には無数の星が瞬いていた。
幼い私は視線を移し、美鈴の瞳を見ていた、そして未熟なニヤみたいな表情を出した。
《まさか!・・出来るのか?》
13歳の私は幼い自分の瞳を読み取り、幼い自分がしようとしている事に驚いて、強く心に叫んでしまった。
《何をするの!?》とユリアは私の驚きに反応して、強烈な波動を出した。
多くの女性達が一斉に私を見た、私は映像に集中していた。
《ユリア!・・どうしたの?》とミチコが叫んだ。
女性達の強い視線は、ミチコに移された。
ミチコはキョロキョロとユリアを探していた、そのミチコを見るルミと哲夫はニヤニヤだった。
その時、映像の私達のいる円の外側に、真っ赤な円が浮き出てきた。
美鈴は驚いて私に抱きついた、私は嬉しそうな笑顔でその真っ赤な円を見ていた。
真っ赤な円が鮮明になって、その内側が白く発光した。
そしてゆっくりと浮かんできた、不鮮明な輪郭が現われた。
その不鮮明な輪郭の内側に存在する唇は、強烈なニヤニヤだった。
女性達は何度目の凍結だっただろう、ただ映像を食い入るように見ていた。
「お呼びかな、小僧・・その嬉しそうな顔は、私に会えたからか、それともかわいい子に抱きつかれたからかな?」とコーリーが笑顔で言った。
その時に映像が止まった、マリが私を睨んでいた、私はウルウルで返した。
「こないだのマリは、限界が来たんじゃなかったのね~・・コーリーが出てたんだね~、だから再生が許されなかったね」と律子がニヤで私を見た。
『そうみたいだね・・もちろん、俺には記憶が無かった・・多分コーリーにも』私もニヤで返した。
「ちょっと待てよ、小僧・・今の映像のどこが、コーリーの呼び出しなんだ?」とマリが強く言った。
『多分・・あの赤い円は、幼い俺が出したんだよ。
美鈴がコーリーを見たいだろうと思ったんだろうね、俺は昔から優しいから。
コーリーの呼び出しは、扉を描く・・そして呼ぶんだ、その名前を』
私はニヤで返した、マリは私を何かで読もうとしていた。
「まぁ、嘘じゃないか・・追及は、今はここまでか」とマリもニヤで返してくれた。
マリが映像に視線を移すと、女性達も視線を映像に戻した。
『美鈴、コーリーが来てくれたよ』と幼い私は凍結する美鈴を見ながら、笑顔で言った。
「美鈴!・・龍谷の美鈴か?」とコーリーは驚いて言った。
『やっぱりね、コーリーは魔女だね・・美鈴を知ってるんだから』と私は笑顔で返した。
コーリーは幼い私を見ながら、かすかな声で何かを呟いていた。
その時、映像の私が笑顔のまま停止した、美鈴はそれを感じてコーリーを見た。
「美鈴・・お前・・どうやって小僧と同調してるんだ?」とコーリーは真顔で言った。
「やっと・・やっと会えたよ、コーリー・・美鈴です。
凄いね、小僧・・あなたは凄いよ。
同調は、律子姉さんのヒントでね。
現世では出来なかったけど、それから色々経験したからね。
小僧は律子姉さんの息子だから、同調するのは簡単だったよ」
美鈴は笑顔で返した、コーリーも笑顔で頷いた。
「ねぇ、コーリー・・私の感じてる事は、何かの罠だと思う?」と美鈴は真顔で問いかけた。
「どうだろうね~・・ただ・・小僧はチサに同調して、私に会った。
私はその時、私の呼び出し方法を伝授した。
小僧が幼く未熟だったから、伝授する事ができた。
だが小僧はそれを何かで覚えていて、今実行しやがった。
小僧は感覚的に理解してたね、これが美鈴の同調の映像だって。
美鈴、小僧なら・・今からやる、お前の伝授も出来るかもね。
私は小僧にそれが出来たら、お前の想いを後押しするよ。
それは約束してやるよ・・私の記憶が約束するよ」
コーリーは笑顔で返した、美鈴も笑顔で頷いた。
「記憶が約束するか~・・難しい表現だね、コーリー」と美鈴はニヤで言った。
「もちろん今のこの出会いは、私の記憶からも隠されるだろう・・だがね美鈴、私は不実の魔女だよ・・奴なんぞに好き勝手はさせないよ」とコーリーもニヤで返した。
「コーリー、ありがとう・・嬉しかった。
私の想いは託します・・小僧とその仲間達に。
そしてカリーとヒトミに・・そして伝えてくれる、清美に。
そして・・そしてね・・大切な龍の血を分ける妹に。
もうすぐ生を受ける、羊水の中の妹に・・未来を描ける妹に。
沙紀という・・大切な龍谷の娘に、私のバトンは託します。」
美鈴は強く言葉にした、コーリーは嬉しそうな笑顔で頷いた。
「OK、美鈴・・次にお前に会うのを、楽しみにしてる・・そして小僧の春雨も」とコーリーは笑顔で言った。
そして不鮮明な全身が、足の方からゆっくりと沈み始めた。
「大切な伝達者の清美は・・小僧とその仲間が、守り抜いてくれる・・私はそう信じてる・・その時までの、さようなら・・ありがとう、コーリー」と美鈴は笑顔で言って、コーリーに手を振った。
コーリーは首まで沈んでいた、そしてニヤニヤの唇で発光する光の中に消えた。
その時、赤い円も消え、私も動きが戻った。
『あれ?・・できたと思ったのに・・やっぱ無理か~』と私は周りを見回しながら呟いた。
「寝てたね、小僧・・悪い子です」と美鈴は怒った顔を作って言った。
『えっ!・・寝てたのか、ごめんなさい』と私は素直に謝った。
私の背中から、強い風が吹きつけた。
私は木々を揺らす谷を見ていた、何かを追いかけるように。
『美鈴・・・龍って優しいんだね・・・そして強いんだね』と空に向かって呟いた。
「うん、そうだよ・・・今からその優しさが、映像で見れるよ・・地球防衛軍、律子物語でね」と美鈴も空に向かって呟いた。
美しく可愛い美鈴の横顔越しに、幼い私の笑顔があった。
13歳の私は、その映像を見ながら嬉しさが溢れていた。
『美鈴・・見せてよ・・お袋が地球防衛軍だった頃の映画を、俺もそれになりたいから』と私は美鈴に笑顔で言った。
「うん・・続きを見ようね」と美鈴も笑顔で返して、私を座るように促した。
私は美鈴に密着して座り、スクリーンに視線を移した。
映像は夜が明ける場面だった、夜街を朝陽が照らしていた。
青空市場に多くの人が集まりだして、活気が出てきた。
映像は青空市場に向かう、1人の女性を追いかけた。
若い律子が笑顔で、1台の軽トラの前で止まった。
「律ちゃん・・久しいね、勝也は元気か?」と中年の男が笑顔で言った。
「お久しぶり・・元気ですよ」と律子も笑顔で返した。
「俺に用なのか?・・珍しいね~」と中年男はニヤで言った。
「うん・・山下さんは、今から帰るんでしょ?・・綾まで乗せて」と律子は笑顔で言った。
「なんだ、そんな事か・・少し待ってな」と中年の男が返して、荷台の野菜を下ろしていた。
律子は何人かの男と挨拶を交わし、軽トラの助手席に乗り込んだ。
山下と呼ばれる中年の男が運転席に乗って、軽トラはゆっくりと出発した。
ゴトゴトと揺れる軽トラの中で、律子は笑顔で窓の外の風景を見ていた。
「綾のどこかな?・・何の用事?」と山下は笑顔で聞いた。
「和尚に呼ばれたの・・綾の○○って集落の、○○って家・・本家らしいんだけど」と律子は笑顔で返した。
「なるほど~・・依頼内容は、龍谷の美鈴だね」と山下は前を見て真顔で言った。
「知ってるんだ~・・有名なの?」と律子はニヤで聞いた。
「地元民には有名さ・・龍谷は特別な場所だからね。
そこに美鈴という少女が産まれて、その子が動けない。
地元の人間にとっては、啓示のような感じなんだよ。
神や仏じゃないが・・何かの怒りを感じるんだ。
祈禱師が祟りだと言ってるのは知ってる、馬鹿な奴等さ。
祟りがあるなら・・罰ならば、俺達が受けるよな。
作物を作るのに、他の生命を殺す・・俺達が受けるんだ。
害虫だと言って生命を殺す、生きる為の行為じゃないよな。
便利を・・欲と楽を選んだ、俺達が受けるべきなんだ」
山下は前を見ながら、強く言葉にした。
「農薬って、今からどんどん使われるよね・・薬も進化するだろうから」と律子も前を見て呟いた。
「進化するだろうな、薬も医学も・・戦争により進化する、悲しい事だがな」と山下も静かに返した。
ビルの少ない街を抜けて、軽トラは国道10号線を西に進んだ。
その風景だけで、敗戦後の日本の急激な発展と、それにより失った物の大切さが、映像を見る全ての人に伝わっていた。
13歳の私はその圧倒的な自然の緑と空の青さを、少しの悔しさを持って見ていた。
《西橘のあの広い空・・ビルの高さの影響じゃなかった・・・失った開放感だったね》と私はユリアに囁いた。
《うん・・・もったいないね、空だけでも残したかったね》とユリアは優しい波動で返してくれた。
映像の軽トラのフロントガラス越しの国道10号線は、戦場坂の上りに入った。
そして戦場坂の頂上から眼下に見えたのは、緑の巨大な絨毯のような水田地帯だった。
その圧倒的な緑が光に包まれて、映像は上空に上がった、美鈴が軽トラから飛び出したように。
軽トラはトコトコと緑の絨毯を縫うように走っていた、映像はそれを追いかけるように後ろから見ていた。
《律子の21歳ならば、戦後10年程度だぞ・・そんなに昔じゃない、それでこの違いなのか》13歳の私はただ悔しくて呟いた。
この映像を見ている時代には、今の映像技術のようなハイビジョンも無ければ、4Kも無かった。
大きな箱型TVの画面も、今の解像度とは比べようもないほど粗かった。
美鈴が見せているこの映像の時代には、記録フィルムは白黒しか存在しなかった。
だから全員が、映像とは粗雑なものだとの認識でいた、視覚とは程遠いものだと。
だが美鈴が再生した記憶の映像は、視覚と同じ鮮明さで映された。
4Kよりも鮮明に、それを立体映像装置が見事に反映させていた。
だから全員が伝説の真希のオーラの変化に気付いたし、歩く時に溢れ出す、得体の知れない輝きまで感じ取れたのだ。
映像はかなり高い位置まで上がった、眼下には緑の大地が広がっていた。
美鈴が気持ち良く飛ぶように、大切な映像を残すように、大切な場所に案内するように。
「龍谷か~・・なんだか楽しみ」と言った律子の呟きが、晴れ渡る真っ青な空に滲んでいた。
全員がその晴れ渡る空を見ていた・・ある者は懐かしく感じながら・・。
ある者は、幼い記憶を呼び戻し・・。
そして・・ある者は、記憶にも無い・・失った大切な物を感じ・・。
その大切な青と緑を見ていた、悔しさを道連れにして・・。
私には偉大な精神の師の声が響いていた、あの大切な言葉が。
【空の青、海の青にも・・染まず漂う】
『拝啓・・牧水様
あなたが見ていた空と海は、どんな青でしたか?
俺は最後までこの詩を理解できそうにないです。
あなたの見ている青が・・俺の想像の・・。
想定の・・・遥か先だと思うから・・。
全く違う青だと思うから・・それを見る事が、俺には出来ないから』
私はそう心に呟いた、私だけにユリアの強烈な波動が響いた。
《日本なら無理だね・・でも世界の何処かなら。
その青を見る、可能性は有るかもね。
そう言ってるよ・・生き方の師が、そう言ってる。
リンダが強く叫んでる・・楽園の青で・・永遠のブルーで》
ユリアの波動が響いていた・・真っ青な青い空に・・。