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嗚咽

薄暗い事務所と呼ぶには、あまりにも狭い空間で。

私は本名さえ知らぬ、美しく強い女性の後姿を、飽きる事無く見ていた。

私達の関係は、本名を知らぬままに続いていく、名前などに興味が持てぬほど、濃密な時間だった。

私はこの時には蘭を愛していた、それは恋愛感情では無い、不思議な感情だった。

この時の私は蘭の傍にいたい、その感情だけはしっかりと認識していた。

餓鬼の心で、愛する者を守る事さえ、わからないまま。


蘭が徳野さんとの話を終え、二人で事務所を後にした、TVルームに行きながら。

「お店では、私の事は蘭ねえさんと呼んでね、そして他のホステスさんにも、姉さんを付けてね」と注意事項を説明した。

『はい、蘭ねえさん』私の言葉に「合格」と言って蘭が笑った。


パラダイスガーデンを皆PGと呼んでいた、TVルームのドアにはPG関係者専用と張ってあった。

TVルームにはその当時では、電気屋の陳列でしか見たことの無いような、大きなTVがあった。

冷蔵庫のジュース飲み放題、お菓子食べ放題という、子供に取っては夢のような空間が演出されていた。

ただ唯一、防犯用として据え付けられている、店を全部見渡せるマジックミラーが異彩を放っていた。

TVルームの子守担当は、松さんという50代の女性で、蘭は松さんに私を紹介した。


「何でも言って、こき使って下さい」と蘭が満開の笑顔で言った。

「蘭が拾ってくるなら訳ありやね、まぁ私は助かるからいいけどね」と言って私を見ていた。

蘭が仕事の準備に行き、私はTVの前でコーラを飲みながら、松さんの興味本位の事情聴取を受けていた。

そんな時助け舟、幼稚園年中のミサが、私に《みにくいアヒルの子》の絵本を持ってきた。

私は受け取り『読むの?』と聞いた、ミサは私をじっと見つめて。

「よんで」と言ったので、事情聴取に疲れていた私は『いいよ』と言ってミサを膝の上に座らせた。

ミサの姉の小1のエミを呼んで、【グヮ】とか擬音を駆使して面白おかしく読んであげた。

ミサもエミも子供らしくケラケラと笑い、松さんは2歳のマリアの寝顔を見ながら笑っていた。


TVルームの3人娘は、9時過ぎには寝る、まぁマリアは好きな時に寝るのだが。

TVは声を小さくするだけでOKで、部屋の照明を暗くする。

全員が寝ると、松さんがマジックミラーにかかっていたカーテンを開けた。

そこには私の知らない世界があり、それはどんなTV番組よりも、私を惹きつけた。


「まずいのがきたねー」興味津々で見ていた私の後ろで、TVドラマを見ていたと思っていた松さんが呟いた。

『誰のこと?』私は生まれながらの、旺盛な好奇心が起きだして、松さんに尋ねた。

「ここでの私の話は、ここだけの話だよ」そう松さんが釘をさした。

『了解しました』私は真剣な表情を、意識して作った。

元来話好きの松さんは、中坊のガキとわいえ、話し相手が出来たのを喜んでいたのだろう。

事あるごとに、そのバックグラウンドまで、丁寧に話してくれた。


「あの右から3番目の席に一人で来てる男、マリアの父親だよ、母親に会いにきたのさ」松さんのその言葉に、私は振り返り。

『なんでマリアの父親が、母親に会いに店に来るの?』その私の問いには答えず。

「絶対に覚えておき、今ピアノの前を歩く、白いでドレスの女がNo1の百合だよ、マリアの母親さ」

私は振り返り、白いグランドピアノの方を探した。


その時の衝撃を忘れることは出来ない、グランドピアノの横を歩く姿に、私は息を呑み見入っていた。

その人は、背中の大きく開いたドレスを纏い、笑顔を振りまきながら歩いていた。

その姿はそれまで私が見た中で、比べるのも失礼なほど妖艶で美しかった。

いやこの歳になっても、絶対的な1番である。

私は18で上京し、バブルの時代にTV局でバイトをしたことがある。

その時に、多くの第一線の女優を間近で見た、確かにその人たちには表現しにくい強いオーラが有った。

しかし、百合と呼ばれるその女性の放つ物は、何よりも強く美しかった。


百合さんは、そのマリアの父親という男の席に行き、その美しく妖艶な笑顔で挨拶し横に座った。

『仲いいんだ』私の呟きに。

「子供やねー、あれがプロの仕事だよ」そう松さんが言って「あの男はいけすかない奴さ、マリアに会いたいと言いながら、百合を忘れられないだけさ。」

「自分の娘に興味さえ示さない、冷たい男だよ」最後は吐き捨てるように言った。


私は時を忘れて、その妖艶なプロの仕事を見ていた、本当に夢中になって。

しばらくすると、百合さんは別の席に呼ばれ、ユリさんが付かなくなると、男はすぐに帰って行った。

男が帰って数分後、バタバタと派手な婆さんがTVルームに入ってきた。

「松、マリアの帰る準備をしてくりー」その婆さんは、宮崎アニメに出てくるような(ゆばーば)感じで迫力があった。

婆さんは私を見つけて「坊や誰ね?」と言った。

松さんが慌てて、私を蘭が連れて来たことそして、徳野さんが許可した事を説明した。

「ふーん」婆さんは興味無さげに私を見て我に返り。

「それどころじゃないよ、西野が下で待ってる、マリアに会わせろと言ってるらしい」と早口の年寄り言葉で言った。

「あの男は」松さんも怒っているようで、私は呆気に取られてただ眺めていた。

「西野には、マリアに指一本触れさせん、百合の覚悟やかい」・・「たとえワシがこの商売でけんなってもな!」と言った、松さんも頷いた。

「松、マリアを先に帰す、店のもんは使えんかい、ケイが連れて行くかい準備してくり」そう言うと足早に去っていった。


松さんは急いでマリアの用意を整えて待った。

その時話してくれた、西野という男は公務員で、警察関係にも顔が利き、商売上睨まれるとやっかいな奴だと。


数分後、婆さんがまだ幼さの残る、私より少し上であろう少女を伴いやってきた。

「おい、小僧」婆さんは私を呼んだ「バイトせんかい?蘭の許可はもらったかい、給料ははずむでー」と私に言った。

私は立ち上がり、婆さんの所まで歩いて。

『どんな?』と聞いた「ケイのボディーガードや」と婆さんは微笑んだ。

松さんの抱いているマリアを抱いて、婆さんに向かって。

『俺には公務員より、不良高校生の方が怖いよ』と言うと、婆さんはニヤリと笑った。

「ここに入れとくで」と私のジーンズのポケットに、手が切れそうな一万円札をねじ込んだ。

「ほなはよいこ、堂々とエレベーターでいくんやぞ」そう言いながら皆で部屋を出た。


部屋を出てエレベーターに向かっていると、百合さんと蘭が走ってきた。

私は間近で見る百合さんに、圧倒されていた。

「ごめんね、よろしくお願いね」と言われ『大丈夫です』と根拠のない言葉を吐いた。

「ケイ頼むね」と百合さんは心配気に言うと。

「はい、任せて下さい」とケイはしっかりした口調で答えた。

『いつでも帰っておいで、待ってるからね』蘭は笑顔で言いながら、私のポケットに合鍵を入れた。

「さぁ懇情の別れでもないんやから、はよういきな」と婆さんに促され、松さんが止めていた、エレベーターに乗った。

1階に着くと、西橘の出口に西野が見えた。

「私が抱こうか?」とケイが前を見たまま、静かに言った

『大丈夫、先に行ってタクシーを止めて』と私も目を見て言って、意識してゆっくりと西野の方に歩いて行った。


西野は私をじっと見ていた、私は西野の横に並ぶと、マリアの顔が見えないように注意して。

『おっさん、なんガンつけちょるん』と静かに言った、俺は豊兄さんだと心に念じながら。

「その子は?」西野の問いに。

『俺ん妹や、触るなよ』意識して静かに、西野から目を逸らさずに言えた。

《引いてくれ》と心の中で祈った。

確かに殴り合えば勝つ自信はあった、中坊なりに修羅場も積んでいた。

だがやはり、どこかで守られていた。

今は誰もいない、そして私に、本意じゃないだろうが全てを預けているマリアがいた。

その絶対の存在の重さを感じ、私の心は震えていた。

西野はそれ以上何も言わなかった。

「こっちよ~」ケイの声に促され、私は慎重に意識して、ゆっくりとタクシーの方に歩いた。


タクシーに乗り橘通りに出た所で、私は緊張の糸が切れ目を閉じて俯いた、その時小さな手が私の頬に触れた。

目を開けて見ると、マリアが手を伸ばし、私の頬を触りながら笑っていた。

私も自然と笑顔になり、良かった~と心の中で呟いた。

タクシーは国道10号線から、平和台の方向に進路を変え、すぐに止まった。

ユリさんのマンションは、その時代宮崎では珍しい、10階建ての瀟洒な高級マンションの、最上階だった。

ケイが鍵を開け入り、私は明かりが点くのを待って入った、腕の中のマリアは可愛い寝顔で、いつの間にか眠りに落ちていた。

ケイに案内され、大きなダブルベッドと可愛いベビーベットのある部屋に入った。

ベビーベッドに、静かにマリアを寝かせた。

「電話してくるね」とケイが言い部屋を出た、私はマリアの寝顔を見ていた。


「ちょっといい?」ケイの呼びかけで部屋を出た、「マリア頼んでいいかな?」と聞かれた。

『大丈夫、マリアは良い子だから』それを聞きケイは又受話器を取った。

私は広いリビングのカーテンを開けた、眼下には夜街の夜景が広がった。

《すげーや》私はその光景を、驚きながら見ていた。


「じゃあ私行くね、百合さんが冷蔵庫もシャワーも、自由に使っていいって」そう言いながらケイは玄関に向かい、私はその後を追った。

靴を履きながら「土曜は雑用が多いのよ」と微笑んだ。

「あなた歳いくつ?」ケイに聞かれ『13』と答えると「13!」ケイは大袈裟に驚き。

「私17よ、よろしくね」と少女らしい笑顔を見せた。

『よろしくお願いします、ケイねえさん』それを聞くと「初めてねえさんって呼ばれたよ」そう言って嬉しそうに帰って行った。

私は鍵を閉め、ソファーにあったクッションを持って、マリアの寝るベビーベッド横で寝た。


私は微かな物音で目を覚ました、暗い部屋のマリアの横で百合さんが泣いていた。

声を殺し嗚咽をもらし、泣いていたのだ。

ガキの私にはかける言葉も見つからず、抱きしめる事も出来ずに、寝てるふりをする事しか出来なかった。

私は目を閉じて、ただ考えていた。

容姿にも、経済的にも恵まれていると感じた、百合さんの涙の訳を。

答えなど見つかる訳も無く、ただ時だけが過ぎた。


暗い部屋の中、百合さん嗚咽だけが心に響いてきて。

私は想っていた・・・母の事を。


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