【冬物語第五章・・間逆の空⑪】
名作とは何なのだろうか、多くの人々に受け入れられた物なのだろうか。
自分での評価で良いのだろう、嗜好は個性が決めるのだから。
10年後の居住区で、琴美はルーベンスの絵をモニターで見ていた。
「本物だよ・・迫力が違うね」と琴美が呟いた。
『俺も最初に見た時に、感動したよ・・TVじゃ表現できないよね』と笑顔で返した。
「今の技術じゃ無理だね・・永遠に無理な気がするよ」と琴美はモニターを見ながら返してきた。
モニターにはマキの後姿が映っていた、マキの震える背中が。
マキはルーベンスの【キリストの昇架】を見て、外に向かって駆け出した。
雪の勢いは増していて、マキは走りながら夜空を見上げた。
女性達はモニターに釘付けになっていた、モニターを見る沙紀の背中がビクッと震えた。
沙紀はハッとしてマサル君を見た、マサル君は沙紀の表情に驚いていた。
「マサルさん・・電車はまだ走れませんよね?」と沙紀が真顔で聞いた。
「うん・・まだ無理だよ、どうしたの?」とマサル君が返した。
「由美子ちゃんが入ったから、私も行けるんだけど・・ヒノキオの手伝いをしてやりたいの」と沙紀が言って私を見た。
『沙紀は、何人連れて行けるの?』と私は落ち着かせる為に笑顔で聞いた。
「1人だけ・・あの天文台のドアから出れる車なら、一緒に入れるよ」と沙紀が私に駆け寄り言った。
『バイクじゃ雪道は無理だから・・ここは出番だぞ、美由紀』と私は美由紀に無線で言った。
「了解しました~・・沙紀、行くよ~」と美由紀が叫び声のような返事を返してきた。
「YUTAKA MAXか!」とシズカが二ヤで言って、私は二ヤで頷いて沙紀を抱いてジープを出た。
私は沙紀を抱いてフーを連れて、天文台に走った。
美由紀は装備を確認して、私達の後を追って飛んできた。
私は螺旋階段を駆け上がり、フーが青い扉を開けた。
美由紀が一気に螺旋階段の空間から飛び出して、扉の前まで飛んできた。
『美由紀・・吹雪だぞ、沙紀を落とすなよ』と美由紀に二ヤで言った、美由紀の瞳は潤んでいた。
「任せなさい・・絶対に大聖堂の前に辿り着くから」と美由紀は二ヤで返してきた。
私は美由紀の膝の上に沙紀を乗せて、ベルトを伸ばして美由紀と沙紀を固定した。
『よし・・美由紀、分かってるな・・美由紀は宇宙人だぞ・・行って来い』と私は二ヤで言って、美由紀の背中を押した。
「了解・・見てろよ、YUTAKA MAXの凄さを」と美由紀が二ヤで返してきて、フーにも二ヤを出して飛び去った。
私とフーは笑顔で見送り、私は持って来た板状のモニターを3台出してフーと見ていた。
マキは大聖堂を走り抜け、宿屋の方に走っていた。
美由紀は一気に丸太小屋の前を飛んで、雪の降る虹の池の上を飛んでいた。
大聖堂の前は大雪で、行き交う人もまばらの状態だった。
沙紀が美由紀の膝の上で、赤く発光する絵筆を出して瞳を閉じた。
大聖堂の前の広場に、大きなテントが現れて大きな看板がかかった。
【ヒノキオの人形劇・・入場無料・午後8時開演】と看板に書かれていた。
テントの中に椅子が並び、ライトでテントの中を照らした。
テントの中の雪は綺麗に解かされて、何人かの町の人が物珍しそうに入ってきた。
沙紀は美由紀と自分にコートを着せて、防寒対策をした。
美由紀は町の上を飛んで、大聖堂の裏の駅の中に車椅子を止めた。
美由紀が沙紀を降ろすと、沙紀は町の少女と同じような衣装に変えた。
「私は客席で由美子ちゃんを探すね、美由紀ちゃんは・・竜の役だよ」と沙紀が笑顔で言った。
「了解・・変身道具をよろしく」と美由紀が二ヤで言って、周りを確認して車椅子に乗った。
そして低空飛行で、テントのステージ裏の小部屋に入った。
沙紀はゆっくりと歩きながら、テントを目指していた。
その時、沙紀の背中に何かが飛び乗った。
「ラシカル!・・お久しぶりです、元気そうですね」と沙紀は肩から顔を出すラシカルに笑顔で言った。
ラシカルは嬉しそうに、沙紀にスリスリを発動していた。
「竜って・・これなんだね」と美由紀はウルで言って、大きな竜の着ぐるみを着ていた。
可愛い感じのデザインで、美由紀のウルの目が龍の口から見えていた。
少し太めの可愛い美由紀竜の姿を見て、女性達は大爆笑をしていた。
マキはヒノキオを抱いて、宿屋を出てテントを目にした。
「素敵じゃない・・オババだね、ありがとう」とマキは笑顔で呟いて、裏に回り楽屋に入った。
そこでマキとヒノキオは目にする、少し太めの竜が姿見で全身をチェックしていた。
「誰なの?・・名乗りなさい」とマキは二ヤで言った、美由紀竜は車椅子を指差した。
「似合うよ、美由紀・・テントの天井は高いから、空に浮いてね」とマキは美由紀に近づいて二ヤで言った。
ヒノキオは2人を見ていたが、緊張した表情だった。
「わざわざ沙紀姫様と私が来たんだ・・しっかりしろよ、ヒノキオ」と美由紀が竜のまま近づいて言った。
「沙紀姫様が来てくれたの!・・頑張るよ」とヒノキオが笑顔になって返した。
「こんな大きな物、沙紀姫にしか出せないよ」とマキが笑顔で言って、ヒノキオに衣装を渡した。
ヒノキオは古い時代を感じさせる、質素な服に着替えた。
マキが客席を見ると、大勢のアントワープの住人達が座って開演を待っていた。
「ナレーションは私がするけど、自分のセリフは自分で言ってね・・美由紀、アドリブを入れるなよ」とマキが二ヤで言った。
「アドリブこそが、大女優の証です」と美由紀竜が返して、ヒノキオがウルで美由紀を見た。
沙紀はラシカルを肩に乗せて、客席を後ろから見ていた。
客席の中を探したが、由美子もミロもアルコの姿も無かった。
沙紀が表を探そうと振り向いた時に、アルコがミロと手を繋いで入ってきた。
アルコは笑顔で話していたが、ミロには笑顔が無かった。
沙紀は2人が座る場所を確認して、テントを出た場所で出会った。
ミロとアルコを見守る、由美子を見つけた。
「沙紀ちゃん!」と由美子は笑顔で言った、沙紀は由美子に駆け寄った。
「由美子ちゃん・・大丈夫、寒くない?」と沙紀は駆け寄り笑顔で言った。
「大丈夫だよ・・ミホちゃんが、暖かい服で行きなさいって言ってくれたから」と由美子が笑顔で返した。
ラシカルは由美子の肩に移って、由美子の首筋を暖めるように寄り添った。
由美子は笑顔でラシカルを見て、沙紀も笑顔で由美子を見ていた。
「そっか・・ミホちゃんが、行きなさいって言ったんだね」と沙紀が嬉しそうな笑顔で返した。
「うん・・昨日の夜、ミホちゃんが来て言ってくれたよ」と由美子が笑顔で返した、沙紀も笑顔で頷いた。
女性達はミサを抱くミホを見ていた、ミホは由美子の顔を見ていた。
「ミホはなぜ、そこまで分かるの?・・ずっと隠してるよね、ミホの事は」とユリカが無線で言った。
モニターには、由美子と手を繋ぎテントに入る沙紀が映っていた。
沙紀はミロとアルコの2列後ろの席に、由美子と2人で笑顔で座った。
「小僧・・ミホにも聞こえるように、全員に説明して。
ミホはもうその段階に来てるよ、ミホは大丈夫・・強い子だからね。
小僧・・ミホはなぜ入院してるの?・・それを説明して」
律子が真顔で強く私に言った、私はモニターで律子の顔を見ていた。
女性達の沈黙が、話して欲しいと主張していた。
『ミホは当然、退院は出来るんだよ・・でも今は不安がある。
だから関口先生も院長も、入院させてるんだよ。
ミホは1人になると不安が出てしまう、深層の記憶が蘇るんだ。
あの忌まわしい事件が蘇るんだよ、祖父母が引き取っても不可能なんだ。
絶対にミホを1人にしないなんて、そんな状況は作れないよね。
病院でしか作れない、病院は常に誰かがいるからね。
だからミホを入院させてる、それを依頼してるのは警察なんだよ。
ミホの事件は解決していない、犯人が捕まってないんだよ。
ミホは関東のある都市で暮らしていた、そこで事件に遭遇したんだ。
ミホは唯一の生存者で、目撃者なんだよ・・犯人を見てるんだ。
だから警察は徹底的にミホの消息を隠した、ミホが宮崎に来た事も。
俺は刑事に何度か会って、ミホの状況を聞かれた・・その時に読んだんだ。
刑事の抱えてる不安も、事件に隠されてる内容も瞳で読んだ。
実はミホは・・ミホという名前じゃないんだ、本名は違うんだよ。
ミホって命名したのは、俺なんだよ・・4年前の成人の日にね。
婦長がミホの病室に連れて行って、ミホに会わせてくれた時。
名前は何が良いと思う?・・そう婦長が聞いたんだよ、俺は驚いたんだ。
7歳のミホに名前が無いと聞いて・・そして記憶障害だと勝手に思った。
ミホは記憶喪失で入院したんだな・・そう自分で想定したんだよ。
だから俺の紙芝居で、1番のお気に入りの名前・・月影の星のヒロイン。
盲目の少女の名前を贈った、美しい帆船の帆と書いて・・美帆をね。
ミホがなぜ閉ざしているのか、俺はその気持ちも感じてる。
ミホは犯人の顔が思い出せない、多分記憶の安全装置が働いてる。
俺は映像で何度も見たんだ、でもどうしても寸前で切れる。
それはなぜか・・まだミホがその状況に成ってないからだと思う。
ミホが受け入れる強さを得たら、必ず記憶の安全装置を解除する。
でも俺はそれをミホにさせない、俺が見て警察に報告する。
この俺の気持ちを・・分かってくれた、そして言ってくれた。
本人に聞こえないから言うけど、沙紀が俺に言ってくれたんだ。
退院する日に・・俺に強くこう伝えてくれた。
ミホちゃんの怖い場所には、必ず沙紀も連れて行ってね。
そして沙紀が絵を描くよ、ミホちゃんの怖い人の絵を描くから。
それまでに沙紀は強くなるよ、ミホちゃんみたいに強くなる。
マリちゃんもそうなんでしょ、だから強くなろうとしてるんだよね。
最後はミホちゃんの記憶を引き出すんだよね、それがマリちゃんの目標だよね。
ミホちゃんに見せずに、マリちゃんとエースで見るんでしょ。
私はそれは分かってるよ・・だから私も付いて行くよ。
私が見て・・怖い人の絵を描くよ、絶対に描いてみせるから。
私は絶対に付いて行く・・そこにどんな怖いがあっても。
ミホちゃんの世界なら大丈夫、沙紀はミホちゃんが好きだから。
沙紀はそう言ってくれたんだ、俺は本当に嬉しかったよ。
そしてその言葉をミホは感じていた、だからミホは変化したんだよ。
ミホは暇があると見てる、沙紀の描いた優しく強いミホの絵をね。
ミホは自分で遮断をした、それにより他の何かが目覚めた。
ミホの感性は表現できない・・ミホは感じてるよ、由美子と理沙の状況は。
そしてどんなに離れても、沙紀の状況は感じてると思うよ。
常識では考えられない、強い絆でミホは繋げてる・・ミホは全て分かってる。
そしてその力の1つを強力に押し上げた・・ルミ、押し上げただろ。
ミホは年末に変化した・・今のミホには見えてるよね。
由美子の【言葉の羅針盤】が、ミホには見えてると思うよ』
私は強く言葉にした、沈黙が確かな返事だった。
「ミホの力は得たものだから、その成長の加速は止められない。
ミホはずっと戦ってる、自分が経験した悪意のシナリオと。
許す訳がない・・ミホは絶対に許さない、由美子のシナリオだけは。
ミホは理沙とは向き合っている、理沙の心を感じようとしている。
最強だろう・・ミホの心こそが、最強の存在だと思うよ。
その本質が見れる時が迫ってる、私もマリも実はワクワクなんだよ。
それがどんな事か分からないけど、ミホは必ず飛び越えるよ。
戦い続け、向き合い続ける・・最強と呼ばれる、ミホだからね」
ルミは笑顔で言った、ミホは振り向いてルミを見ていた。
モニターから聞こえる大きな拍手で、全員の視線がモニターに戻った。
映像には舞台に上がる、ヒノキオがスポットライトに照らされていた。
ヒノキオは人形のように、ぎこちない足取りでステージの真中まで歩いた。
客席にどよめきが起こった、ヒノキオをどうやって動かしているのかが、観客には分からなかった。
大人達は自分の想定を出し合い、子供達は笑顔で想像して話していた。
「これは昔、ずっと昔のお話です」とマキの声がテントのスピーカーから流れた。
「ある寒い国の片田舎に、ロースという少年が住んでいました」
ヒノキオは立ち上がり、畑を耕す演技を始めた。
「ロースは父も母も亡くして、お婆さんと暮らしていました・・ロースはお婆さんを助ける、とても優しい少年でした」
ヒノキオは畑仕事を終えて、ステージを右に動いて家に帰ったようだった。
そこに現れた、マキが老婆のメイクでステージ右から登場した。
マキは西洋人の老婆のイメージは、それしか浮かばなかったのだろう、そのメイクはオババのようだった。
「マキオババ!・・似合うね~」とヨーコが二ヤで言って、女性達が二ヤを出した。
私の横に座っているフーは、お腹を抱えて笑っていた。
「ロース・・12歳の誕生日だね、おめでとう」とマキは声を作って、ゆっくりと言った。
「ありがとう、お婆ちゃん」とヒノキオは笑顔で返した。
「ロース・・ここにおいで、大切な話があるから」とマキが手招きした、ヒノキオは笑顔で歩み寄った。
「ロース・・この町では、12歳になる男の子には大切な儀式がある。
それは竜の池に行かねばならぬ、そこで竜に会うんじゃよ。
大人になる為の、大切な準備じゃから・・絶対にやらねばならんよ」
マキは強い言葉で言った、ヒノキオは驚いた表情を出した。
客席は静寂に包まれて、不思議な人形劇に観客の心は入っていた。
「竜の池!・・あそこは危険な場所なんでしょ、怖い竜なんでしょ?」とヒノキオが強く返した。
「ロース・・怖いと思うのはなぜか、それを探して来い・・それが大人になる為の、大切な準備だよ」とマキは言って、ヒノキオの肩に手をかけた。
マキは少し腰を曲げて、ヒノキオの背中を押して、床の包みをヒノキオに渡した。
「行っておいで、ロース・・自分の心で判断するんだよ、心に従うんじゃよ」とマキは静かに言った。
「分かった・・行ってくるよ」とヒノキオは決意を表現して強く返した。
マキはヒノキオがステージ左手から、見えなくなるまで見送った。
そこで照明が消えて、客席だけが明るく照らされた。
そしてまた暗くなり、ステージがライトで照らされた。
「ロースは山を越え、谷を渡り何日も歩きました・・雪の積もる道を」とマキの声がスピーカーから響くと、ヒノキオがステージ右から現れた。
「着いた・・あれが竜の池だな」とヒノキオは笑顔で駆け出した。
ヒノキオはステージの真中で止まり、ブルーシートが敷いてある場所を見ていた。
「その時です・・ロースの目の前の池の中から、竜が現れたのです」とマキが緊迫感を演出しながら言った。
ステージの左側から、車椅子に乗った美由紀竜が飛びながら出た。
「おお~!」という観客のどよめきで、美由紀は完全に調子に乗った。
「ばば~ん・・私が竜だよ」と美由紀は不必要な効果音と自己紹介をして。
「少年・・名は何と言うのかね?」と美由紀のイメージする竜の声で言った。
「ロースです・・12歳になりました」とヒノキオは恐怖を演出しながら返した。
「ロースかね・・カルビーでもホルモンでもないんだね~」と言った美由紀は完全に笑いを狙った。
しかしアントワープの住人には、その意味は理解できなかった。
ヒノキオも理解できないで、美由紀竜にウルを出した。
「滑ったね~・・外したね~・・美由紀竜」とリリーが言って、女性達は大爆笑した。
「そんな事はどうでもいい・・ロース、今から3つの箱を出す、その中から自分の将来を選べ」と美由紀竜は慌てて本題に入った。
ここで沙紀は絵筆をステージに向けて、3つの箱を出した。
「おお~!」と客席から大きなどよめきが起こった。
「開けて良いの?」とヒノキオが美由紀竜に言った。
「良いよ・・その中に絵がある、その中から選ぶんだ」と美由紀は強く言った、美由紀はアドリブが怖くなっていた。
ヒノキオは緊張した演技で、左の箱を開けて絵を取り出した。
沙紀は絵筆をステージに翳して、ステージの後ろに大きな絵を出した。
その絵には見事な描写で、王様になったヒノキオが描かれていた。
そしてその周りを囲む沢山の人々は、全員が泣いていて悲しそうだった。
ヒノキオはそれを真顔で見て、絵を箱に戻して次の箱を開けた。
ステージの後ろの絵が変わった、そこには大金持ちになったヒノキオが描かれていた。
ヒノキオを囲む周りの人は全員が怒りの表情で、殴り合ってる人も描かれていた。
ヒノキオは少しの淋しさを瞳で表現して、絵を戻して最後の箱を開けた。
ステージの後ろの絵が変わり、両親と楽しそうに笑うヒノキオが描かれていた。
ヒノキオを囲む人々は、全員が淋しそうに俯いていた。
「決まったかな、ロース・・どれにするんだ?」と美由紀竜は強く言った。
「嫌だ!・・3つとも嫌だ」とヒノキオは美由紀竜を睨み強く返した。
「なぜだ・・王様にも大金持ちにも、両親と楽しく暮らすのも選べるんだぞ・・なぜ嫌なんだ?」と美由紀も強く返した。
「笑ってないから・・周りの人たちが、笑ってないから・・俺は嫌だ!」とヒノキオは両手の拳を握り美由紀竜を睨んで叫んだ。
客席は静寂に包まれていた、子供達も集中して見ていた。
「ロース・・お前は3つの箱から選ばないんだな?・・そうなると、お前は老人になるぞ」と美由紀竜は静かに言った。
「それでも良い・・誰も泣かないで・・怒らないで・・淋しくないなら・・それで良い」とヒノキオは少し笑顔を出して強く言った。
「良かろう、ロース・・お前は3つの箱を、初めて拒否した人間じゃ。
老人にはなるが、私から特別な力を与えよう。
お前は老人になるが、年に1度だけ空を駆け巡る事が出来る。
世界中のどんな場所にでも、一瞬で飛べる力を与えよう。
3つの箱を拒絶したロースに、私から力の有る名前を贈ろう。
3つから何かを選ぶ事を、三択と言うんだよ・・それを名前に持て。
それを拒絶した事実を背負って、人々の笑顔を作って見せろよ。
お前は今日から三択ロース・・3つの未来を拒絶した、優しい男。
サンタクロースと名乗るんじゃ・・期待してるよ、サンタクロース」
美由紀竜はそう強く言って、客の上を低空で飛んで、テントの外に出て大空に舞い上がった。
客の視線が美由紀竜を追った時に、沙紀はヒノキオに絵筆を向けた。
ヒノキオは白髪になり、白い髭が顎を覆った。
そして赤い衣装に変わっていた、誰もが知る赤い衣装を着ていた。
客席から大きなどよめきが起こり、客の視線がステージに戻った。
子供達は全員が笑顔になった、沙紀も由美子も笑顔で見ていた。
ヒノキオは美由紀を見送り、視線を戻しってハッとした演技をして、ブルーシートの湖面に近づいた。
そして自分の顔を見て、髭を触っていた。
「これで良いんだよね、お婆ちゃん・・これで良かったよ・・父さん、母さん」とヒノキオは笑顔で言った。
「ロースは今も生きています、少年の心のままで。
そして年に1度だけ、世界中の大空を駆け巡ります。
世界中の子供達の笑顔が見たいから、ロースは笑顔を届けています。
三択を拒否した、偽りの幸せを拒絶した・・サンタクロースとして」
マキは静かに最後の台詞を伝えた、その時ジングルベルの鈴の音が鳴り響いた。
沙紀は目を閉じて、絵筆を強く握って集中していた。
テントの外から客の上を飛びながら入ってきた、4頭のトナカイが赤いソリを引いてきた。
そしてステージに着陸して、ヒノキオは笑顔で乗り込んだ。
「メリークリスマス」とヒノキオが叫ぶと、トナカイが宙に走り出し。
客席の上空を周った、子供達は立ち上がり《メリークリスマス》と叫んで笑顔で手を振った。
大人達も笑顔で手を振っていた、沙紀だけが座って瞳を閉じていた。
トナカイは客席の上を3周して、テントから出て夜空に舞い上がった。
子供達がテントから駆け出して、いつまでもサンタクロースを笑顔で見送った。
由美子は沙紀の横で、子供達の笑顔を見ていて気づいた。
アルコがミロを探していた、由美子は慌てて沙紀の肩を揺すった。
「沙紀ちゃん・・アルコがミロを見失ったみたい」と由美子が叫んだ。
「そうなの!・・マキ姉さんの場所まで行こう」と沙紀が言って、由美子の手を引いた。
沙紀と由美子がステージ裏を覗くと、マキと美由紀とヒノキオがハイタッチしていた。
由美子を見て、3人の笑顔が爆発した。
「マキ姉さん・・アルコがミロを見失ったみたい」と由美子が叫んだ。
「大丈夫だよ、由美子・・沙紀、由美子と聖母大聖堂で待ってて・・【キリストの昇架】の絵の置いてある部屋だよ」と言って、マキは金貨を2枚渡した。
「はい・・待ってますね」と沙紀が笑顔で返した。
沙紀は吹雪の中を、ラシカルが肩に乗った由美子と手を繋いで、大聖堂に向かって歩いた。
「美由紀・・上空から探してくれ、もう金貨は無いから・・美由紀は空から入れよ」とマキは二ヤで言った。
「了解です・・探して連れて来る」と美由紀が強く返して飛び上がった。
マキはヒノキオを抱いて、ステージ裏から出て丘の方に走った。
大聖堂の横を進むと、吹雪の中を大きな2頭の犬が歩いてきた。
マキは石壁に隠れて、その光景を見ていた。
パトリッシュに寄り添うように、ヨーセフが強い足取りで歩いていた。
その前をロッキーとホリーが笑顔で歩いていて、パトリッシュの足取りにも力があった。
マキはそれを確認して、大聖堂に向かった。
大聖堂の入口の真上を、美由紀がライトを回転させて、目立つように飛行していた。
門番が美由紀に気付き、通りまで出てきた。
その隙に、ミロの肩を抱いたアルコが大聖堂の敷地内に入った。
美由紀は門番の注意を逸らすように、門番に笑顔向けて低空を飛んでいた。
ヨーセフがパトリッシュを促して、静かに走って大聖堂の敷地に入った。
マキも走って門番の後ろを通り、大聖堂の敷地に入って2人を追いかけた。
美由紀はそれを確認して、門番に手を振って大聖堂の反対方向に飛び去った。
マキはヒノキオを抱いてパトリッシュを追い越して、2人が歩く後ろを歩いていた。
アルコがミロを元気付けているようで、マキは優しい笑顔で2人を見ていた。
沙紀はルーベンスの絵を間近で見て、完全に凍結していた。
その顔は喜びに溢れて、由美子も笑顔で絵を見ていた。
沙紀と由美子は部屋の奥の長椅子に座り、絵を見ながら待っていた。
マキの横に美由紀が降りて、車椅子を降りてマキの横を歩いた。
アルコとミロが【キリストの昇架】の部屋に入り、アルコはミロと少し離れて絵を見ていた。
ミロは絵の前で座り、ルーベンスの絵を見ていた。
喜びに溢れた、強いミロの瞳だった。
マキはヒノキオを抱いて、美由紀と由美子の横に座った。
ミロは段々と力を失うように、前のめりに倒れていった。
部屋の後ろの扉が開き、パトリッシュとヨーセフが入って来た。
ヨーセフはマキの横で止まり、パトリッシュを見送っていた。
ヨーセフの横には、ロッキーとホリーの笑顔があった。
パトリッシュがミロの横に寝そべった、アルコは笑顔でそれを見ていた。
マキも美由紀もシナリオの変更を確信していた、ミロの体には生きる力があると感じていた。
その時だった、ミロとパトリッシュ以外の全てが止まった。
《何!・・動けない》とマキが心に叫んだ。
映像に映る美由紀も沙紀も由美子も、凍結したように動かなかった。
アルコもヨーセフも、ロッキーもホリーも停止していた。
ミロとパトリッシュは動けるようで、ミロがパトリッシュの背中に手を置いた。
ミロの上空に光が射して、2つの物体がゆっくりと降りてきた。
《卑怯だぞ!・・こんな状況で、それを出すのかーー》と美由紀が心で強烈に叫んだ。
《出しやがった・・奴がいるのか》とマキも悔しそうに叫んだ。
2つの物体は、大きな砂時計だった。
2つとも上部の落ちる砂は、残り少なかった。
ミロとパトリッシュは、降りてくる砂時計を見ていた。
「悪意の砂時計!」と北斗が叫んだ。
「由美子の場合は進入通路にさえ、これ程の妨害があるの!」とユリカが叫んで。
「何とかしろ!・・マキ、美由紀」とリアンが叫んだ。
女性達は両手の拳を強く握り、映像の悪意を睨んでいた。
マリもルミも想定外の悪意に触れて、悔しそうな顔を出した。
シナリオを変えさせない、最後の一手は完璧な誘導だった。
沙紀と由美子が揃うのを待っていた、挑戦の前に諦めさせる。
諦めを提示する砂時計・・ミロはそれを見ていた。
残り時間を暗示する砂時計を、由美子は動けない状況で見ていた。
私は対策は無いと感じながら、打開策を考えていた。
なぜか【敗北】という文字が、無意識に私の中に現れていた・・。