回想録 ⅩⅣ 【冬物語第三章・・深海の誓い①】
イメージなどは確実に超えてくる、本物の存在は凌駕する。
海に棲む彼らには、イメージなど無意味だと知らされる。
ただ感じるしかない、遠い過去を感じながら。
深さや広さを意識せずに、全てを空にして感じるしかない。
拙いミホの演奏が、大喝采を浴びていた。
音楽を愛する人々の胸にも、その直向さが響いていた。
久美子がミホを連れて来たので、私はミホを椅子に座らせた。
ミホは久美子の背中を見ていた、美しい16歳の集中した背中だった。
オヤジ達もチューニングが終わり、開演の合図を待っていた。
久美子はピアノの椅子に座り、一度天空を見つめるように高い天井を見ていた。
その顔がスポットライトに照らされると、沢山の《久美子~》と叫ぶ声が会場から響いた。
久美子は視線を戻し鍵盤を睨んだ、ミホは両手の拳を握った。
久美子は静かな調べで始めた、音が響いてるのに会場は静寂が支配した。
久美子は完全に次の段階に上がっていた、やはりミホに為に【猫ふんじゃった】を奏でたのが影響を与えたのだろう。
原点に帰るという行為の大切さを、久美子自身の音で表現していた。
久美子の音は私に完璧に映像を連れてきた、イメージする必要が無かった。
後で聞くとこの現象は、蘭もユリカもそうであった。
限界カルテットにも中1トリオにも5人娘にも、そして多分ミホもそうであったのだろう。
そして画像に対して最も敏感な、沙紀には大きな変化となって現れる。
その大きな変化は、圧倒的な色彩を連れて訪れるのだ。
久美子はまるで小川のせせらぎのような、流れるような静けさで弾いた。
その瞳も静けさを称えていた、ユリカのような静けさだった。
小川の流れが段々と大きな川幅になり、雄大な流れになった場所でドラムが入った。
ドラムが入る事で、小さな生命の集団が表現された。
そして河口に近づいた時に、ギターの音色が加わった。
稚魚が大海を目指すように、その途中で沢山の生命に出会うような流れだった。
ミホは拳を握ったまま待っていた、稚魚が大海に辿り着くのを。
その爆発的な生命の場所を、それを久美子が表現するのを待ち侘びていた。
久美子は波を超えるように、ゆっくりと確かな歩みを表現した。
何度も押し寄せる波を乗り越えて、淡水が海水に変った。
そこでサックスとベースが入り、流れでない速さが出てきた。
泳いでいるのだ、自らの意思で生命が泳ぎ始めた。
沖を目指し希望に満ち溢れた生命が、故郷に向けて泳ぎ始めた。
その数は単位で示せないほどの、圧倒的な数だった。
久美子は笑顔を出していた、ミホは久美子を見ていた。
久美子は一度止まった、全員が息を合わせてピタッと止まった。
客席の息を呑む音が聞こえるようだった、それを感じて久美子は叩いた。
鍵盤を懇親の力で叩いたのだ、その音は全体に響き渡った。
潜ったのだ、遥かなる深海に向けて力強く潜った。
久美子は淀み無く強く泳いでいた、深海の輝ける場所を目指した。
演奏は一気に熱を帯びた、オヤジ達も楽しそうだった。
客席も一気に熱が上がり、その熱をステージに向けて放出していた。
私はその時に気付いた、私の後ろにナナミが笑顔で立っていた。
私がナナミに手招きすると、ナナミは笑顔でミホの前に立った。
ミホはナナミを見て、躊躇無く抱き上げて膝に乗せて久美子に視線を戻した。
両腕をナナミのお腹も前で繋ぎ、しっかりとナナミを支えながら聴いていた。
ナナミは楽しそうにミホに抱かれていた、私はナナミを笑顔で見ていた。
1曲目の終着点は深海の中だった、私はそれだけははっきりと分かった。
沢山の拍手を浴びながら、J・塚本がセンターマイクの前に立った。
「今夜も来てくれてありがとう、又このステージに立てました。
私達のようなアマチュアバンドは・・勘違いしてしまう。
音楽の本質を誤解する、音楽は自由なのに理由を求めたりする。
自分が音楽をやってる意味まで探そうとする・・だからアマチュアなんだ。
プロの前座をやる時に常に食ってやろうと思ってる・・愚かな事ですね。
テクニックでは勝てないけど、客席の盛り上がりで食おうとするなんて。
私達は今夜食われました、一人の少女に・・【猫ふんじゃった】に。
直向に音楽と向き合う少女に、私達は完敗しました。
だから次が目指せるんだね、久美子はそれを伝えたかったんだね。
ご来場の皆さん・・用意は良いかな~・・一気に行くぞ~」
J・塚本がそう叫ぶと、客席から炎のような返事が返ってきた。
その瞬間に久美子が鍵盤を叩いた、それはなんと【猫踏んじゃった】だった。
オヤジ達も驚きを隠さずに、一瞬で久美子に乗った。
「猫ふんじゃった・・猫ふんじゃった・・」とナナミが笑顔で歌っていた。
《ナナミ!・・もう歌が歌えるのか》と私は驚いて心に叫んだ。
強烈な波動が客席から来た、私はユリアの存在を近くに感じていた。
コミカルで楽しげな、バンドで演奏する【猫ふんじゃった】が響いていた。
客席は全員笑顔の手拍子で応えていた、ミホも楽しそうだと思っていた。
久美子は2番に入る所で、ゆっくりとチェンジした。
オヤジ達は必死さが出ていた、久美子に付いて行くのに必死だった。
久美子は一気にスピードを上げて、熱を発散していた。
オヤジ達にも笑顔が戻り、リズムを刻みながら強く音を出していた。
ミホは初めて聴くエレキギターの生の音で、固まっていた。
その大迫力に圧倒されながら、徐々に心を合わせていった。
ミホの場合はこの表現になる、気持ちを合わせるのでなく、心を合わせていく感じなのだ。
2曲目がシャウトして終わり、拍手の鳴り止むのを待った。
そしてミノルがムーディーなサックスの音で誘った、ミノルの額に汗が光っていた。
バンドの全員が耳だけで、ミノルの音を追いかけていた。
ミノルは感情を込めて、淋しげな曲を吹いていた。
そして久美子が静かに追いかけた、ゆっくりと成長する細胞のように。
サックスとピアノの、アコースティックな音だけが響いていた。
電気を介さない自然に近い音だった、地球の息吹のような響きが木霊していた。
その曲は2人だけで奏でた、人工的な音を介入させなかった。
静寂の後に大喝采が起きて、いきなりギターの音が響いた。
じっと我慢していたんだと言うように、激しいリズムを大音響で伝えた。
私は少し不安になって、客席を覗き込んで沙紀を見た。
沙紀は楽しそうに、隣のエミと体を左右に揺らしてリズムを取っていた。
マリアは豊に抱かれて、天使の笑顔でステージを見ていた。
一番楽しそうなのは哲夫だった、初めて生の音楽に触れたのだろう。
哲夫は凍結したり笑顔を出したりと、忙しそうに表情を変えていた。
哲夫は翌年の2月に、貯めていたバイトの給料でエレキギターを購入する。
久美子が哲夫を連れて相談に行き、J・塚本が使わなくなったギターを格安で譲った。
北斗の祖父母が哲夫に感謝を込めて、小さなアンプをプレゼントした。
哲夫は北斗の祖父母に愛されていた、いや夜街の関係者全員に愛された。
哲夫の練習する場所に、キヌがリッチを提供した。
そしてキヌと沢山の音楽を目指す若者達が、哲夫に弾き方を伝授した。
その中には後にあるバンドの一員として大成功を収める、川○君もいた。
哲夫は6年後、リッチのステージに立つ。
自分で出会いそれを繋いで、高校3年でそのステージに立った。
そのステージが終わった時に、大喝采の中、最後の挨拶を哲夫にさせた。
「俺はここまで来たよ、久美子・・俺は約束を守ったよ、由美子。
俺は淋しくないよ、ヨーコ・・俺は満足はしないよ、美由紀。
俺は忘れてないよ、モモカ・・俺は正直に生きてるよ、マリア。
俺は感謝してるよ、律子・・俺は強くなってみせるよ、ミホ。
俺は自分の色を探したよ、沙紀・・俺は今・・幸せだよ、ヒトミ。
だから必ずもう一度抱きしめて・・その揺り篭に乗せてね・・ユリカ。
ありがとう・・俺は今、幸せでした・・久美子の響きが木霊したから」
哲夫は一気に笑顔で言って、客席に向かい深々と頭を下げた。
私は成長した哲夫を見て嬉しかった、哲夫のバックにはピアノに座るミホの笑顔があった。
哲夫の右横には充実感を漂わす、ベースのキヌが美しい笑顔で立っていて。
左横には哲夫の肩を抱く、ボーカルのサチコが私の横のマリを見ていた。
歳の離れた不思議なバンドが、大喝采を浴びて立っていた。
客席からはなぜか《久美子!・久美子!》と、久美子を切望するコールが聞こえていた。
それを受けて、バンドのメンバー全員に笑顔が咲いた。
「あの日だったね・・あのライブの日に、お前は3つ繋いだんだよ。
沙紀をメイクという行為と出会わせ、哲夫に音楽を出会わせて。
ナナミにマリアを出会わせた・・だからサチコ姉さんはあそこにいる。
足りない者は何も無い、何も不足してない・・やろうかね、そろそろ。
由美子の最終段階を・・全てを賭けて、約束を果たそうよ。
荒れ果てた荒野を目指そう、水源を探しに行こう・・必ず辿り着けるよ。
由美子で答えを出そうよ、いつの日か笑顔で再開する為に。
大切なあの3人に、次に再会する時に・・笑顔が出せるように。
ユリカ姉さんとの大切な約束を・・リンダとマチルダに誓った約束を。
深海の誓いを、果たす時が来たね・・哲夫の覚醒で準備は完了した。
大丈夫だよ・・今はサチコ姉さんがいる、だから私は全てを賭けられる」
マリは私にそう言った、私もサチコを見ながら頷いた。
6年後の年末のライブだった、ユリカが消えて1年が経っていた。
話を戻そう、熱狂するライブハウスに。
客席の熱はヒートアップに拍車がかかり、激しいリズムが包んでいた。
私は初めて久美子がキーボードを弾くのを見ていた、電子音が響いていた。
久美子は少し余裕を見せて、ミホとナナミに笑顔を向けた。
そして会場に目を移し、5人娘と沙紀を見ていた。
演奏が終了した時は、会場の熱はピークを迎えていた。
鳴り止まない拍手を浴びて、オヤジバンドのメンバーにも笑顔が出ていた。
塚本は久美子に笑顔のサインを送り、久美子も笑顔で頷いてピアノに座った。
オヤジ達は楽器を置いて、その場に座った。
会場に静寂が訪れて始まる、久美子のテーマソングが。
サマータイム・リンダスペシャルが鳴り響いた。
圧倒的な迫力が、ニューヨークに誘った。
大都会の雑踏と喧騒が木霊して、高層ビル群の上を飛んだ。
そしてセントラルパークの芝生の上に降りた、私には映像として見えていた。
芝生の上で寝ようと誘われた、春の到来が夏の予感を連れて来た。
私は芝生の上で寝転んで、少し影のある青空を見ていた。
その時に花びらが降ってきた、ピンクの花びらが雪のように降ってきた。
『ごめんね、怒ってるの・・モモカ』とウルで空に言った。
「モモカは怒ってるのです、テツだけを誘うから」と言って可愛いモモカが私の視界に入ってきた。
『ごめん、ごめん・・今度は連れてくるからね』と私は体を起こしてモモカを抱き上げた。
満開の姉桜が、私の後ろに立っていた。
「仕方ないですね~、今回は許します・・コジョ」とルンルン笑顔で返してくれた。
『良かった~・・モモカ、ありがとね』と私も笑顔でモモカを見ながら言った。
「コジョ・・沙紀ちゃん、知ってるんだよ・・分かってるんだよ。
コジョも分かってるよね?・・マリちゃんも分かってるから。
同じじゃないと駄目だよ・・コジョとマ~リが。
モモカも楽しみにしてるね、コジョの側で見てるね」
モモカはそう言って私の頬にキスしてくれた、私はニコちゃんで頷いた。
ルンルン笑顔のモモカを桜吹雪が包んで、桜の花びらと共にモモカの姿も消えていた。
《大丈夫だよ、モモカ・・俺はマリと心で同調してるから》と私は心に囁いた。
強烈な波動が何度も押し寄せた、私の思考を大喝采が戻した。
私が目を開けると、久美子は右手の拳を客席に突き出していた。
その方向は憧れの豊に向けていた、豊はマリアを左手で抱いて右手の拳を突き出して応えた。
久美子の16歳の輝く笑顔が溢れていた、沙紀が描いたメイクが久美子の輝きに華を添えた。
オヤジバンドの面々は、ステージ前で手を繋いで、客席に何度も頭を下げた。
客席は全員立って、笑顔の拍手で感謝を伝えた。
エミが沙紀に花束を持たせて、沙紀が久美子に花束を渡した。
久美子は嬉しそうな笑顔で受け取って、沙紀の頬にキスを返した。
ミホはその光景を見ていた、しっかりとナナミを支えながら。
オヤジバンドが私達の方に、ステージを降りてきた。
ミホはナナミを降ろした、ナナミはミホに笑顔で手を振り谷田を待っていた。
谷田はナナミを見つけて走りより、ナナミを笑顔で抱き上げた。
「猫ふんじゃった・・猫ふんじゃった・・」とナナミは谷田に歌って聞かせた。
谷田は驚きながら目を潤ませていた、ミホは2人を見て私を見た。
私はミホに笑顔で頷いて、ミホの手を引いて通路に出た。
ミホは久美子に駆け寄った、久美子は笑顔でミホを抱きしめた。
私は久美子から花束を受け取り、抱き合う2人を見ていた。
久美子がミホの耳元に何かを伝えて、ミホは久美子から体を離した。
久美子が笑顔でミホを私に所に連れて来た、私は笑顔でミホの手を握った。
「マネージャー・・今夜の感想は?」と久美子が笑顔で言った。
『上がったね・・音が映像を連れて来るようになったよ。
確かな映像が音で表現されてた、イメージを共有できる。
マリの同調に近い音になってきたのかな、そんな感じだよね。
久美子の音はこれだって、自己主張し始めた感じだよ。
自由を目指してる・・開放の場所を目指してる感じだね。
もう少しだね・・久美子は辿り着くよ、その解放の場所に。
明日・・俺が1番期待するのは、やっぱり久美子だよ。
よろしくね・・心を撃ち抜くスナイパー、ゴルゴ・久美子』
私は久美子の笑顔を見ながら、笑顔で伝えた。
「エースのあの詩だよ、上げてくれたのは・・あの流れだよ。
脳を介入させない流れで感じたよ、驚愕の世界を見せてくれた。
次は私が辿り着くから、限界ファイブで先頭を走るよ。
ありがとう、エース・・来年もよろしくね、明日は任せてね」
久美子は笑顔でそう言って、私の頬にキスしてくれた。
私は又もやニコちゃんになって、久美子の背中を見送った。
「ミホちゃん、ありがとう・・ナナミに歌を教えてくれて、嬉しかったよ」と谷田がナナミを抱きながら笑顔で言った。
ミホはナナミの笑顔を見ながら、ナナミが出した右手を握った。
無表情で優しい空間が出来ていた、私はオヤジ達と挨拶をして客席に戻った。
客席は興奮冷めやらぬ状態で、女性達は笑顔で酒を飲んでいた。
私はミホを蘭に預けて、花束をレンに渡した。
女性達の視線が私に集まったので、私はニヤを出した。
『明日・・9時にPGに集合です、朝御飯をキチンと食べてね。
そして体調を万全にして、全員に期待してるから。
楽しみにしてるよ、今夜は飲み過ぎないように・・以上』
私は二ヤで言った、女性達は笑顔で頷いた。
勝也がキングが立ち、律子が興奮状態の哲夫と手を繋いだ。
沙織と秀美が女性達に挨拶して、6人でリッチを後にした。
豊が恭子と、シズカがマキと挨拶して、寒空の下をバイクで帰って行った。
私は豊から預かったマリアをユリさんに渡し、大御所に挨拶をした。
シオンが美由紀を押して、カレンがマリと手を繋いだ。
ユリカが沙紀の手を握り、蘭がミホと手を繋いで来た。
私達は笑顔で一礼して、リッチの通路に出た。
すぐ側の赤玉駐車場に行って、美由紀の車椅子をケンメリに積んだ。
美由紀を後部座席に乗せて、沙紀を乗せユリカが乗り込んだ。
私は助手席にミホを乗せて、カレンとマリとシオンの車に乗り込んだ。
ケンメリの後を追って、シオンの車が橘通りに出た。
「やばい・・ワクワクが止まらない、ライブの興奮も冷めない・・シオンは2度目だよね」とカレンが隣のシオンに笑顔で言った。
「はい・・でもワクワクです~、何度行ってもワクワクしますよ~」とシオンがニコちゃんで返した。
「そうよね~・・楽しみだな~、ここでも凄い星空だしね~」とカレンは前を見て楽しそうに言った。
私とマリはカレンの言葉で、夜空を見ていた。
冬の夜空には満天の星が輝いて、半月が暗い宇宙に浮いていた。
南国の冬の夜空に、暗い影は存在しなかった。
マス爺の店に着いて、私がマス爺と話してると、女性達はワクワク笑顔でストーブの前で話していた。
『マス爺・・新情報は?』と私は鍵を受け取りながら笑顔で聞いた。
「オキゴンドウだろう、でかいよ・・6m級じゃって」とマス爺が二ヤで返してきた。
『6m!・・ゴンドウならでかいよね、オキゴンドウならジャンプするね?』と驚いて笑顔で返した。
「あぁ、やるよ・・それに今はイルカ達と遊んでるかいの、会えるじゃろう・・あの2人を待ってるんじゃろうから」とマス爺は笑顔で言った。
私は二ヤで頷いて、美由紀を押して桟橋に向かった。
美由紀を抱いて船首に乗せて、沙紀を受け取りミホとマリの手を引いて乗せた。
ミホも沙紀にも怖い様子は無かったので、私は一安心して女性達の手を引いた。
マス爺の店では中型船になる、船のスクリュウを沈めて準備した。
美由紀の横にマリが座り、シオンと蘭でミホを挟み、ユリカとカレンで沙紀を挟んだ。
『寒いから、体を寄せ合ってね・・いつもより2km位沖に出るから』と私は笑顔で言った。
「は~い」と女性達が元気に返事を返してくれた。
私はゆっくりと川の真中まで出て、河口を目指した。
いつもより船が大きいので、安定感がありスピードも速かった。
沙紀もミホも星空を見ていた、マリも美由紀と海の方の星空を見ていた。
小戸橋を越えると、人工的な明かりが遠ざかった。
前方には川と海の境界線である、白波が見えていた。
その段階で夜空には圧倒的な迫力があった、私は慎重に波を超えていた。
誰も何も言わなかった、ただ幻想的な空間を楽しんでいた。
私は波の立たない場所まで進み、スピードを上げた。
多分初めて小船に乗った、沙紀とミホの船酔いが怖かったのだ。
スピードを上げると、スリルと緊張感で酔わないものなのだ。
車酔いしない人でも、小船はすぐに船酔いしてしまう。
私は今までの誰もが船酔いしなかった事に、感心していた。
停泊した時が危険であるが、その時にはイルカ達が酔わせる暇さえ与えなかった。
私はそれを感じて、イルカ達の凄さを感じながら沖を目指していた。
素晴らしい海だった、星の明かりが強く届いていて。
夜の海を幻想的な青白い明かりで照らして、半月が一筋の光の道を作っていた。
誰もが息を呑んで沖を見ていた、遥かなる大海原の先に、まだ見ぬ国を感じながら。
地球という貴重な星を感じながら、星空を見ていた。
私は目的地に着いて、碇をゆっくりと沈めていた。
その時、静寂の空間に響いたのだ、《プシュ~》と空気を放出する音が響いた。
全員がその方向を見た、月が作る光の道の彼方に黒い物体が見えた。
その方向から10頭以上の物体が、猛スピードで泳いで近づいて来た。
「きた~」と美由紀が叫んで、沙紀が立ち上がった。
あまりにも勢い良く沙紀が立ったので、ユリカとカレンは慌てて沙紀の背中を掴んだ。
ミホも集中して、近づいてくる生命を見ていた。
イルカ達は船が見えたのか、ジャンプしながら迫ってきた。
赤ちゃんイルカも3頭確認できた、全部で14頭が確認できた。
私はイルカから目を離し、沖の黒い大きな影を見ていた。
それはゆっくりと近づいていた、大型のイルカのような姿で。
沙紀はイルカ達を見ながら、小刻みに震えていた。
その震えが寒さからきてるのでない事は、全員が分かっていた。
《どこまでジャンプするんだ》と私は20m程に迫った先頭集団を見ていた。
青年であろう3頭のイルカは、その距離でもまだジャンプしながら近づいていた。
私達にその躍動する体を見せるように、マリと沙紀とミホに見てと言うように。
先頭の3頭は、船の手前5mで大きくジャンプをして潜った。
船の下を潜る時、ギリギリの浅瀬を回転しながら通り過ぎた。
女性達が全員下を覗き込んだので、船が少し右に傾いた。
私はイルカがあまりのも浅い場場所を潜ったので、慌ててスクリューを上げた。
その時、チビ達の第2集団が船の横まで来た、可愛い姿を見せるように浅く船を潜った。
乳児と幼児の5頭の可愛い集団が通り過ぎて、大人の集団が迫っていた。
女性達は忙しそうに、下を覗き込んだり前を見たりしていた。
成人の5頭の集団が、綺麗な扇方を作り舟の手前までジャンプした。
水しぶきがかかりそうな距離で潜って、その美しい姿を間近で見せてくれた。
「最後があの子だ~」とユリカが叫んだ、その声で全員が前を見た。
私も気付いていた、最後の1頭があの右目に傷のあるイルカだった。
スピードを上げながら近づいて来て、私の方向にジャンプしながら来た。
そして脅威の行動を見せてくれる、なんと私の真上を大きなジャンプで飛んだのだ。
私はかなりの海水の洗礼を浴びた、女性達は口を開けたまま呆然と見ていた。
イルカは綺麗に船を飛び越えて、反対側に着水した。
『にゃろ~・・俺なら濡れても良いと思ったな』と私は二ヤで言った。
私はその時に凍結していた、沙紀の目から大粒の涙が溢れていた。
そしてミホが船の反対側に、イルカを追って動いたのだ。
蘭もシオンも泣きながら、ミホを追った。
美由紀もマリもイルカの去った方向を、泣きながら見ていた。
ユリカは沙紀を抱きしめて泣いていた、初めての経験のカレンは凍結して泣いていた。
「来る!・・戻って来るよ」と蘭がミホを見て指差した。
ミホはその方向をじっと見ていた、私はミホの震える背中を見ていた。
《決定だね・・ミホの最終段階は、イルカ達に任せよう》と心に囁いた。
強烈なユリアの波動が、私の真横から来た。
私はユリアの感動を感じて、ユリカの爽やか笑顔を見ていた。
イルカ達は大集団で、船の真下を潜って行った。
ある者はお腹を見せて、ある物は横になって。
あらゆる角度で、その美しい姿を見せてくれた。
全てが船の下を潜って、全員が反対側を見た瞬間だった。
《ブシュ~》と大きな音が響いた、オキゴンドウが15m程に迫っていた。
私はその大きさに驚いていた、それまでに見た最大の大きさだった。
船の倍以上ある全長と、大型のイルカに似た体系までリアルに見えた。
女性達は右の側面に集まって、私は美由紀を抱き上げた。
「でかい・・大きいよね、大きくて優しいね」と美由紀が近づいてくるオキゴンドウを見て言った。
「何かが違うね、鯨では小さいんだろうけど・・圧倒的に何かが違うね」とユリカが泣きながら呟いて。
「何も言えない・・最高の時が来てる」とカレンが涙を流しながら呟いた。
オキゴンドウは小船を気にする事も無く、まっすぐに近づいている。
その大きな体をはっきりと確認できた、イルカよりも少し黒い体の色も。
オキゴンドウの両横に、イルカ達がスピードを合わせて泳いでいた。
そして青年のイルカが、ジャンプして船の下に潜った。
次の瞬間だった、オキゴンドウがジャンプして潜ったのだ。
船の手前5mあっただろうか、水しぶきがかかりそうな程近かった。
オキゴンドウの大きな体が、一瞬全て海上に現れて輝いた。
美しい泳ぐ為の表皮が、月光を受けて輝きを放った。
女性達は完全凍結状態だった、美由紀が私の首に回す腕の力を強めた。
オキゴンドウは静かに、船の真下の浅瀬を潜った。
中型船でもかなり揺れた、それ程に大きかったのだ。
オキゴンドウの目は、確かに覗き込む女性達を見ていた。
沙紀の瞳にもミホの瞳にも、オキゴンドウの瞳が映っていた。
マリが背中を大きく震わせて泣いていた、マリは完全なる覚醒に到達した。
その大きな存在が最後の背中を押した、マリは可能性は無限だと感じたのだろう。
そして自分の感じてる無限を、又も訂正していた。
そんな物は無限じゃないと、心が訂正をさせた・・感じさせてる部分に。
オキゴンドウの後を、イルカ達が潜って。
赤ん坊の3頭のイルカが、ジャンプの競争をしながら。
オキゴンドウの周りを泳ぎ、星の光を浴びながら、棲家の沖を目指して泳いで行った。
静寂の中、シオンが手を振って、全員で手を振って見送った。
輝く表皮はいつまでも光を届けてくれて、誰も寒さを感じる事はなかった。
年末の澄んだ空気と、星屑と月光だけの世界にいた。
誰もが幸せを感じながら、静かに泣いていた。
故郷の優しさに触れて、ミホの瞳も潤んでいるようだった。
強引に引きずり出した、オキゴンドウがその瞳で引き出した。
ミホが忘れた振りをしていた、その偽りの心を海に持って行った。
ミホは自ら挑戦の第1ステージに上がった、自分の為に有り余る勇気を使う決心をして。
ミホは沙紀を抱きしめた、沙紀も嬉しそうにミホに抱かれていた。
ミホは自分に誓いながら、沙紀に怖くないよと伝えていた。
私も覚悟が出来ていた、【戦闘機 美帆】を空母に搭載する覚悟が。
0に戻るだけ、敗北は0に戻るだけだと・・自分に言い聞かせていた。
蘭の満開と、ユリカの爽やか笑顔を見ながら。
強い美由紀の集中した温度を感じながら、マリの黒い瞳を見ていた・・。