波乱
真夏の夜に役者を集めた、演目は演者には知らされない。
その時の判断は、瞬時に要求される、迷ってる暇は与えられない。
頭が下すのではない、心が下すのだ。
電話にはリンさんが出た、私は定位置にケイといた。
徳野さんが電話を代わり、その表情が変わるのを、ケイがその広い感性で感じた。
私はケイの変化で徳野さんを見た、怒りに燃える目を。
その男は地元では、大きな建設会社に勤めていた。
家庭もあり、2人の子供の父親でもあった。
彼の転落は、同僚に誘われた新興宗教に、入信してからである。
入信後人が変わったようになり、妻もなんとか脱会させようとしたが。
聞く耳を持つことはなかった。
誘った同僚の保証人になった時に、妻は彼の元を、子供を連れて去った。
彼はそれでも、新興宗教に助けを求め、気がつくと莫大な借金をかかえていた。
同僚は姿をくらまし、その同僚の元交際相手が、PGの上にある【スナック ディープラブ】という店に勤めていた。
しかしその彼女は、かなり前に別れていて、行き先など知る由も無かった。
その言葉を信じることさえ出来ぬほど、その男は狂っていたのである。
ただその同僚に、復讐するためだけに生きていたのだ。
徳野さんが受話器を下ろした時、マダムが来た。
「徳なんじゃい?」と激しく言った。
「アイが捕らわれました」と怒りに燃えた目で言った。
その男の要求は、30分後に徳野さんがディープの女性から聞きだして、下に来いという内容だった。
その情報と、アイさんを交換するとの内容だった。
「マダム俺を首にして下さい」と徳野さんは言った。
「お前がやるんかい?」とマダムが聞いた。
徳野さんは頷いた、ケイの瞳から涙が溢れてきた。
「サツにパクられたらそうする」とマダムは言った。
「30分後にサツに連絡するかい、時間は少ないと思っとき」そう体を震わせながら、マダムは出て行った。
「後を頼む」と徳野さんがリンさんに言って、ボーイ頭のヒデさんを呼んで、二人で出て行った。
ケイが震えて泣いていた、私はケイを引き寄せて抱きしめた。
ケイは私の胸に、顔を埋めて泣いていた。
20分後ヒデさんだけ帰ってきた、それをユリさんが呼び止めた。
「何があったの?徳野さんは?」と迫った。
「言えません」とヒデさんも固く口を閉ざした。
ユリさんが振り返りケイを見た、泣いているケイを見て、知ってると気付いたのだ。
「ケイ何があったの?」と強く聞いた、ケイは俯いて答えない。
「ケイ!」その声の強さで、ケイは泣きながら全てを話した。
「何分たったの?」の問いに。
『もうすぐ30分経ちます』と私が答えた。
ユリさんはそれを聞き、振向くと出口に向かった。
『ケイこれ持っててよ』そう言って、私は大切な銀のバッジを渡した。
ケイが私を見た、私は自然に笑顔が出た。
私は走ってエレベーター前で、ユリさんに追いついた、ユリさんは両手で私の胸を押して。
「絶対に駄目」と叫んだ、私はユリさんの腕を握り。
『マリアの為に行く』と静かに言った。
その言葉で、ユリさんの力が抜け、二人でエレベーターに乗った。
ユリさんは白いドレスに、白いハイヒール、私は大切なコンバースを履いていた。
徳野さんが通りに出た時、一台のセダンが止まっていた。
助手席にアイさんを確認して、男が後部座席を指差したので、それに従った。
「アイ、怪我はないか」優しく言った。
「大丈夫です」とアイさんが答えた。
運転席と助手席の間に、鈍く光るナイフが見え、その先端はアイさんの脇腹に触れていた。
「さぁ話を聞こうか」と運転席の男が言った。
「女を先に放せ」と徳野さんが言うと。
「お前何も分かってないな、俺は復讐を済ませたら死ぬ」冷たく「交渉の余地は無い」そう言った。
徳野さんは考えていた、次の行動を。
しかしナイフとアイさんが、余りに近いため手が出せない。
車のドアは4枚ともロックされ、暑さの為か、3cmほど開いてるだけだった。
「おい!」と運転席の男も興奮してきた。
前を見て考えてると、居酒屋の角から、大きな男が歩いてくるのが見えた。
あの男・・豊。
徳野さんは豊兄さんを見ていた、豊兄さんは視線に気付いた。
自分の入店を許可してくれた男の、緊張した顔を見た。
豊兄さんはスピードを変えず、車の横まで来て、アイさんに突きつけられてるナイフを確認した。
運転席の男も警戒はしていたが、私服の若い豊兄さんを、気にとめなかった。
豊兄さんは、徳野さんを見て微笑んだ。
それで徳野さんは理解し、素手の両手でナイフの刃を掴んだ。
その時、私とユリさんを乗せたエレベーターが着き、西橘通りに出る所だった。
豊兄さんが車の横で、野球のピッチャーのように振りかぶり、肘を後部座席の窓に、叩きつける所だった。
車の窓はその特徴である、四角い断面で粉々に砕けた。
豊兄さんはそこから手を入れ、助手席のロックを開けた。
助手席のドアを開け、「早く出て」とアイさんに言った。
アイさんは車外に飛び出し、ユリさんを見つけて駆け寄った。
運転席の男は一瞬の事に動転したが、ナイフを強引に引き抜き飛び出した。
ユリさんがアイさんを、通りに出て抱きしめた、男が近づいた時に、私がユリさんの前に出た。
「また会ったなガキ、お前からやってやるよ」と男が言ったが、私には恐怖感すらなかった。
何故ならば男の真後ろに、憧れのエースが、微笑みながら立っていたのだ。
「悪ガキ、俺の相手をとるなよな」と豊兄さんが言って、男がナイフを握ってる手首を掴んだ。
その時に遠くから、パトカーのサイレンが近づいてきた。
ナイフを持つ手を掴まれた時、その男は恐怖に震える表情をした。
掴まれた力の強さと、余裕で微笑む豊兄さんを見たからである。
豊兄さんが男の腕を背中にひねり上げると、金属音が路上に響いた。
その落ちたナイフを、豊兄さんが私の方に蹴った、私はそれを拾い上げた。
パトカーのサイレンがかなり近づいてきた。
「お迎えがきたね~」と男に囁き、ユリさんに抱かれる、アイさんの震える背中を見た。
豊兄さんの目が静けさを増した。
《きた!》私はそう思った。
この人は怒りを感じるほど、静けさを増す、それを知っていたからだ。
豊兄さんは男の手首を離し、両肩を持って自分の方に向けた。
「いい歳して女を泣かすなよ」と微笑み、渾身の右ストレートを、男の腹に埋め込んだ。
男はガクッと崩れ、手と膝をつき嘔吐した。
その時に2台のパトカーが現場に到着した。
中年の刑事と若い刑事が走りより、男を確保した。
「ユリ怪我人は?」と中年の刑事が聞いた、その時振向いた私は驚いた。
アイさんを抱くユリさんの周りに、カズ君他ボーイさん、キャバレーの呼び込みさん、酒屋の配達員、などの沢山の男が囲んでいたのだ。
「徳野さんが」ユリさんがそう言った時に。
「大丈夫や!」と徳野さんが右手を上げた、その右手は血に染まっていた。
「徳はナイフなんぞじゃやれん」刑事は笑ってユリさんを見て、豊兄さんに歩み寄った。
「その人は」と慌てて言ったユリさんに。
「心配するなユリ、未成年は担当外や」と刑事が笑った。
「○○の○○豊やな?」と聞いた。
「はい」豊兄さんは刑事の目を見て、返事をした。
「噂以上やな、ヤクザにはなるなよ」と肩を叩いて、若い刑事に指示を始めた。
「ユリ、明日の10時に被害者と、徳を出頭させてくり」とユリさんに言った。
「わかりました」とやっとユリさんに微笑が戻った。
私は若い刑事にナイフを渡した、簡単な現場検証があり、私も待っていた。
「終わったら、必ず豊君を連れてきてね」と私はユリさんに言われ。
『了解』と微笑んだ。
ユリさんはアイさんを抱いて、カズ君とエレベーターに消えた。
私は徳野さんと、豊兄さんの現場検証を見ていた。
あんな風に生きてみたいと思いながら。
中年刑事の計らいであろう、豊兄さんは救出の為に、車の窓ガラスを割っただけとなっていた。
先に豊兄さんが終わり、私のところに来た。
「ビビッてたな」と微笑んだ。
『ただ、夢中で』と照れて言うと。
「それがお前の良いとこやな」と笑った。
「ほれ、好きやろ皆で食べろ」と甘栗を3袋渡されて、「じゃぁな」と言ったので慌てて。
『豊兄さん、店に来てくれって』と声をかけた。
「頼まれたんか?」と振返り言ったとき。
「この世界は礼を尽くすもんや、帰されんで」と徳野さんが笑顔で言った。
「まいったな~、そんなんじゃないのに」と困った顔をしていた。
3人で店に帰った。
徳野さんにマダムが駆け寄った。
「怪我は?」と言うマダムに。
「かすり傷です」と徳野さんは微笑んだ。
そしてマダムは豊兄さんの両手を握り。
「ありがとう、本当にありがとう」と泣いていた。
「お礼を言うのは俺のほうです、悪ガキを拾ってもらって」とマダムの両肩に手を置いて微笑んだ。
「なんか、礼をしたいんじゃが」とマダムは懇願した、豊兄さんは困った顔で考えた。
「それじゃぁ」と豊兄さんが言うと。
「うん、なんね?」とマダムが言った。
「俺、柄にもないんですが、来年世話になった人呼んで、披露宴しようと思ってるんです」と言うと。
「うんうん」とマダムが相槌を打った。
「その2次会をここでさせて下さい、周りのおやじ達、こういう所が好きみたいなんだけど」
「中々来れないみたいで、ここなら大喜びすると思うんです」と微笑んだ、マダムは明るい顔になり。
「全員だして、最高の宴にするかい」と又泣いていた。
「徳野さん、病院に行きましょう」とカズ君が来た。
「ありがとう、本当に助かった」と徳野さんが豊兄さんの、目を見て言った。
「お大事に」と豊兄さんも目を見ていた。
徳野さんが行くと。
「感謝されるのは、俺も苦手なので帰ります」そう言う豊兄さんを、マダムとエレベーターまで送った。
「ありがとう、ありがとう」とアイさんが駆け寄り、泣いていた。
「お世話になりました」とエレベーターに乗り、豊兄さんは頭を下げた。
愛妻へのお土産の、甘栗を1つ持って、不良少年の笑顔のままで。
波乱に愛された男を見送っていた、憧れを抱きながら・・・。