出会い
その時の日本は増殖を続けていた、後にバブルと言われる時代に突入する。
その前である時代も熱かった、多くの大人達はその得体の知れない熱に、焼かれながら踊っていた。
豊になろうと働き続けてはいたが、その豊かさのボタンは掛け違えたまま、疾走していたのではないだろうか。
昼間の暑さを、夜風が少しづつ和らげはじめていた、私はチャリを使わなかった。
繁華街まではチャリならば10分程で着くのだが、夜中にチャリに乗っていると、職質される事を知っていた。
だけら歩く事に決めたのだ、それほど本気だった。
最短距離を歩こうと、未舗装の細い砂利道を、月明かりを頼りに歩いた。
空には無数の星が瞬き、古寺の竹林から爽やかな風が流れ込み、そっと背中を押してくれた。
今よりも圧倒的に街灯は少なく暗かった、24時間営業の店も、繁華街に数件あるだけで、コンビニなど存在すらしていなかった。
今では全国的に有名になった、宮崎県庁の横を通るときに空腹を覚えた。
今夜は、親父が珍しく早く帰宅したので、母は張りきっていて。
《我家では珍しい御馳走が、茶の間を賑わしていたなー》と思った。
その楽しいはずの夕食を、私の暴挙が破壊して、その罰として空腹が襲ってきたのだ。
私は、メイン通りの橘通りを意識的に避け、裏通りを歩いた。
その当時出来たばかりの、【若草通り】というアーケード街に向かった。
繁華街が近づくにつれ、人工的な明かりが月明かりを支配した。
人工的な明かりが、こっちにおいでと、道を照らし誘っている。
若草通りには、まだ沢山の人が行き来していた。
酒を飲みに行くのであろう、スーツ組のサラリーマンや、雑貨屋で小物を選ぶ、若いOL・外食を楽しんだのであろう家族連れ。
幾多の人々が、同じ時の中すれ違い、個々の巣に帰る準備をしていた。
若草通りまでが、私の中学の校区内だった。
仲間の外山君の家である、大きな模型屋が見えていたが、立ち寄ることはしなかった。
私は大好きな【四海楼】という中華屋で、激安あんかけ焼きそば、(80円だったと思う)を食べ若草通りを抜け橘通りに出た。
交差点で信号待ちをしているとき、向かいの夜街の明かりが、空をも照らす勢いで見えた。
信号が変わったが、私は動けなかった。
《帰れなくなる》漠然とした気持ちが心に充満し、渡れなかったのだ。
向かいの一番街という、大きな看板が税関のようで、未熟な私はパスポートを持っていなかった。
諦めて引き返し、若草公園まで歩いた、どこで寝ようかとベンチを物色して。
裏通り沿いの、建物の明かりが微かに届く、ベンチに決めて座った。
建物は教会で、木枠の掲示板を白熱灯が照らしていた。
掲示板にはマリアが描かれたポスターが張ってあり、私の目はなぜか、そのマリアに支配されていた。
「家出少年みーーーっけ」大きな明るい女性の声で、私は支配から解け振り返ると。
20代であろう、ミニスカートに派手目の化粧の女性が、両手を胸の前で合わせ、人差し指を突き出し。
【銃】を突きつけるようなしぐさで、仁王立ちで立っていた。
「動くな!動いたら撃つ」と笑顔で叫んだ。
私は、酔っ払いだなーと思い、その場でベンチに座ったまま、ゆっくりと両手を上げた。
「腕を下げるなよ」と言いながら、体勢はそのままに、前日までの雨が製作した、オブジェのような水溜りを。
「ほい!」という間の抜けた掛け声で飛び越え、私の座るベンチまでやってきた。
近づくと顔の表情までがはっきりと見え、その美しさに見とれていた。
私の周りにはいない、別の輝きをまとっていた。
彼女は美しい笑顔で、私の横に座り、ニヤニヤと笑いながら切りだした。
「名前は?」刑事口調継続中だ、『沢田です』私は退屈だったし、やはり寂しかったのだろう。
酔っ払いであるが、女性なので安心していたのであろうか。
いや彼女だったからなのだと、今は思っている。
「下は?」職質継続『研二です』少しの沈黙があり、彼女は美しく微笑んだ。
「あだな名は?」私は得意げに彼女の目を見て。
『ジュリーです』と笑顔で答えた。
美しい花が満開を迎えた時のような、華やかな笑顔で彼女が笑った。
そしていきなり立ち上がると。
「ジュリーーーーー!」と大声で、TVドラマの、寺内貫太郎の婆さんをまねて、大きな動作で腰を細かく振った。
私は爆笑して、なぜだか笑いが止まらなくなり、しばらく笑っていた。
彼女は笑う私を優しい目で見ていた。しばらくして落ち着いた成長期の私は、また空腹を覚えた。
「どうした家出少年?」彼女の笑顔の問いに。
『笑ったら腹減った』と照れて見せると。
「何食べた?」彼女は少し真剣な視線で聞いた。
『四海楼のやきそば』私のその答えが、終わるか終わらないかの時には、私の膝に彼女のバックが投げられた。
「肉、食べに行くよ」と笑顔で言いながら、彼女は歩き出した。
私は慌ててバックを持ち、彼女に追いついて並んで歩いた。
「ご馳走するんや我慢しな」と彼女が笑顔で言って、腕を組んで来た。
彼女のかなり弾力のある胸が、私の五感を刺激していた。
あれほど渡るのに躊躇した、橘通りを簡単に渡って、大人達が焼かれている魔界に、足を踏み入れて行った。
ワシントニアパームというやし科の木が、海まで連なる中央分離帯を越え、橘通りの対岸に到着した。
彼女は何の躊躇も無く、赤玉駐車場を横切り、すぐ横の【つぼや】というホルモン屋に入った。
私は彼女の後に続き、少し緊張しながら入って行った。
つぼやはお世辞にも綺麗な店でなく、木造の【バラック】という表現が、ぴったりとマッチするような店で。
カウンター席だけがが12席あり、2席に一つ七輪が置いてあり、その上で肉を焼いてくれるというシステムだ。
店の外観と反比例して、肉は上手いし、価格もリーズナブルで、客足は絶えない。
店に入ったとき手前の席には、若いサラリーマン風の男が、3人飲んでいた。
彼女が中央に座ろうとしたのを、私が制して奥まで進んで、1番奥の席に彼女を押し込んだ。
中坊の出歩く時間は過ぎていたし、何より入った時のサラリーマンの、彼女への視線が気にいらなかった。
「おやじ、レバーとカルビと・・・んーお肉いーっぱい」酔った思考回路を立ち上げるのが、面倒くさくなったのか、アバウトな注文に切り換えた。
知り合いなんだと私は気づき、安心して彼女を見ていた。
「私、生ビール飲むけど何にする?」と聞いたので駄目もとで、『俺も生ビール』と笑顔で言ってみた。彼女の視線と私の視線が交わり、少しの沈黙のあと。
あの満開の笑顔になった。
「そうこなくちゃなー」と満開で言って、私の肩を遠慮なしに、バシバシと叩いた。
生ビールが大ジョッキで運ばれて、私はその量の多さに驚き、不安になった。
悪ガキの私は、ビールを飲んだ事はあったが、それは僅かな量だったのだ。
彼女と元気よく乾杯して飲んだ、彼女にせかされるように、肉をかなり食べた。
肉も美味かったが、ご飯に醤油ベースで味付けした鰹節をまぶした、《けずりかけ》通称《猫まんま》がとにかく美味かった。
「なんで家出したん?」彼女は2杯目のビールを飲みながら聞いた。
『親父と喧嘩した』私は半分ほど減った、自分のジョッキを見ながら答えた。
「理由は?」彼女も手に持ったジョッキに、顔を近づけて前を見ていた。
『俺がバカだから』少し酔った私は、素直にそう答えた。
「バカと思ったんなら、もうバカじゃないよ」彼女はそう言いながら、優しい瞳で私を見ていた。
「靴汚いな~」急に彼女が話題を変えた、優しさだったのだろう。
「私ね、昼間は一番街のテ〇カ靴店にいるから、明日おいで」そう言って微笑んだ。
店を出て彼女にお礼を言った。
「今日が家出初日やろ?」彼女は真剣な顔で聞いた、『うん』私が素直に返事すると。
「なら今夜は公園で寝な、それも良いことやかい、明日必ずお店においで」最後はあの美しい笑顔に戻っていた。
彼女はタクシーに乗り「必ずおいでよ、約束やかいね」と窓を開け手を振りながら叫んだ。
私は走り去るタクシーに向かい頭を下げて、『ありがとう』と呟いた。
産まれて初めて心から。
どんな偶然が出会わせたのか、もし運命というものが、何かの意思により存在するのなら、私はその何かに感謝したい。
タクシーを見送る私の中には、確かにあの白熱灯に照らされたマリアの笑顔と、満開の花のような彼女の笑顔が存在した。
その時の自分が気付かぬままに。
マリアの傍で寝よう、私はゆっくりと歩き出した。
急激に衰えていく、不満という若さと、新たに芽生えた感性に促されるように。
南国の夏はその熱を発散しており、時代に翻弄されている人々が、癒される場所を求めて放浪していた。
私は、何か楽しい事の始まりを、感じて歩いていた。
もう寂しくも辛くもなかった・・・。