波音
その波音を奏でているのは、月だと言う。
海に満ち・引きを与え、生命を育んだ。
その距離に負けない強い力で、どんなに離れていても届くと、強い想いは必ず届く。
結果は関係ないのだと、どれだけ強く想っていたのかと問う。
波をおこしたのかと・・・。
穏やかな太平洋の波音だけの世界に、すすり泣く声が届いていた。
蘭が私に問いかけた、その質問は、私には極簡単な問題だった。
しかし蘭が背負っていた物は簡単で無い、私は詳しい話は後日聞くのである。
私の胸の中にいる華奢な女性は、雛鳥のように泣いている。
幾程の後悔があるのだろうか、私には分からない。
あの叫びはその中の、ほんの僅かなのかもしれないと思っていた。
気がつくと蘭が静かになっていた、震えも無く目を閉じていた。
私は考えるのをやめた、どうでもいいことだと思ったのだ。
私は今ここにいる蘭が好きなのだから、それをどれだけ愛せるかなのだからと。
蘭が過去で悲しいなら、こうしてればいいんだから。
「上半身裸で、蘭様を抱き続けるとはいい度胸だね」私は蘭を見た、瞳に輝きが戻っていた。
『この後、どうすればいいのか分からなくて』私は目だけで照れた、抱きしめたままで。
蘭は私をみて微笑んで。
「どんな大人になるんだろうね?」と満開の笑顔で言った。
『見ててくれる?』と私も笑顔で返した。
「観察日記を書くね」そう言ってまた胸に顔を付けて、私の鼓動を聞きながら。
「ただ優しくキスをするんだよ、それだけで女は安心するから」蘭の腕に力が入り。
「お願い、あと5分だけこのままでいさせて」そう言って目を閉じた。
《1分が3分になり、今5分になった、それでいい、いつか永遠にと言わせれば》私はそう思っていた、波音に包まれて。
帰りの日南海岸線に入って。
「渋滞を避けたいから飛ばすよ~」と言った、蘭が復活したと思って嬉しかった。
『捕まるなよ』私が笑顔で言うと。
「大丈夫、私は運がいいから」と蘭が左手で、Vサインを出した。
『俺もだよ、蘭に会えたから』私は前を見て、心のままを言った。
「泣かすなよ、これ以上」蘭がそう言って、アクセルを踏んだ。
蘭の横顔越しに海が見えた。沖の深い青も、波打ち際の浅い青も輝いていた。
「帰りたい?」突然、蘭が聞いた。
『まだ帰れない、親父に素直に謝る自信がない』と言った、蘭は前を見ている。
「ユリさんもマダムも、チャッピーが何かを持って帰れると、いいと思ってるよ」と静かに言った。
「探してないかな?」と蘭が聞いた。
『それはないよ、来るのなら伝えに来る、その人が来たら逃げてる言い訳は通じない』私は思っていた、来るなら豊兄さんが来ると。
その時何を伝えるのかを、心のどこかで楽しみにしていた。
「きっと素敵な人ね」蘭は微笑んだ。
アパートに帰り、汗と潮を落として、5時位にタクシーで街に出た。
若草通りのブティックに蘭が寄った。
「とーーーう」と言ってミサが飛びついて来た、私はミサを抱き上げた。
「チャッピーは、ネェネとマリアしか抱っこしないもん」と頬を膨らまして怒った。
『起きてたね~』とくすぐって機嫌をとった。
「甘えん坊」エミがミサを見て言った。
蘭は忙しいサクラさんの為に早めに出て、二人を迎えにきたのだ。
私がミサを抱き、蘭がエミの手を繋いで歩いた。
「ねぇ、ダーリン早く3人目が欲しいわね」と蘭が茶化すから。
『後でコウノトリに電話しとこう』とエミの感性を考えて言った、下ネタを言えなかった。
PG着くとTVルームに松さんが来ていて、マリアの相手をしていた。
ケイが来て蘭を見て。
「蘭姉さん!早いですね」と驚いて言うと。
「昼が休みだったから、日南で泳いできたよ」と蘭が笑顔で返すと。
「変わってませんか?」とケイが聞いた、そういえばケイも県南出身だったなと思い出した。
「な~んも、ただの田舎だね」と蘭が微笑んだ。
「あっ!」ケイが私を見て「蘭姉さん、口だけロボット借りていいですか?」と笑顔で言った。
「どうぞどうぞ、でも口だけで役に立たんよ」と蘭が笑った。
ケイは楽しそうに、私の前に来てお腹を押して。
「行くわよ」と笑った、私はわざと。
『ギーガシャン、ギーガシャン』とオンボロロボットをしてると。
「分かったから、私が悪かったから急いで」とケイが笑顔のままで言った。
『どうしたの?』と私はケイに追いついて聞いた。
「ボーイさん達が忙しいから頼み難くて」とアプローチまで小走りに行くと。
「ここの上の電球がもう弱いのよ、交換お願い」と電球が入ってるダンボールを渡された。
「背だけは高いでしょ」とケイがニヤで言うから。
『ギーガシャン、ギーガシャン』と私がやると、笑いながら。
「分かったから、頼りにしてるわ素敵なあなた」と言って、受付に消えた。
私は電球の交換が終わり、受付に行くと電話が鳴った。
受付の女性がまだなのでケイが出た。
「はい、いつもお世話になります・・・はいありがとうございます・・・確認して折り返しご連絡いたします・・・ありがとうございました」そつなくこなし受話器を置くと。
「忙しくなるよ~」と私に笑顔で言った。
奥にいるマダムの所へ2人で行って。
「マダム、今○電の飯塚様から電話があって、7時半に14人の予約を、受けてくれないかとの事です」とケイが言った、マダムは時計を見て。
「誰が出れる?」とケイに聞いた。
「今日は四季が揃ってます、それと蘭姉さんが来てます」ケイは即答した。
「それにユリを足せば・・大丈夫だね、受けな」とマダムが言った。
ケイと小走りに女性控え室に行って、連絡した。
6人で談笑していた、女性の空気が変わった。
「大丈夫、準備するから」と蘭が言い「急ぎましょう」とユリさんが促した。
それから又走り、受付に行きケイは受話器を取って、その旨伝えた。
受話器を置いて、「ふ~」と一息ついた。
『ケイ姉さん、陸上部で長距離やってました?』と笑顔で聞くと。
「早いでしょ」と笑顔で言うから。
『いや、下半身が充実してると思って』とニヤで返した。
「この~」とケイは言って、「この~じゃ駄目ね」と自分で反省した、愛らしかった。
その時受付の女性が来た。
「受付のリンです、よろしくね」と笑顔で言った。
『よろしくお願いします』私も挨拶した。
ケイが状況説明を始めた。
ケイの説明は的確で無駄が無い、リンさんもケイを信頼してると思って見ていた。
説明が終わると、私の所にケイが来た。
「今夜から、あなたの席はあそこ」と花道横の窪んだ所にある椅子を指差した。
『了解、でなにするの?』と聞くと。
「女性が来て、色々リクエストするから、それを私かリンさんに伝えて」とケイが真顔で言った。
仕事の話は違うな~と関心していた。
「他に質問はある?」とケイが聞くから。
『シキって何?』と聞いた。
「そうだよね~」と言って、指名実績表を見せながら説明してくれた。
指名1位は当然ユリさんで、2位のアイさんの2倍以上である。
アイさんは中堅の柔らかい感じの、日本的美人で癒し系、3位が蘭だった。
「蘭姉さんは、週3の実績だから。次からは2位確定よ、ライバルが多いわね」と微笑んだ。
『がんばります』と力こぶを作って見せた。
4位がサクラさん、旦那さんの入院で復活した。
エミとミサを守るために、彫りの深い美人でスタイルが抜群で頭の回転が速く、お笑い系を演じていた。
四季はね、四季とは千春さん、千夏さん、千秋さん、美冬さんの4人を合わせた称号で、20代前半の若手。
4人で協力して仕事をする、そのコンビネーションが巧みだった。
蘭も23歳と若かったが、指名3位で、ユリさんが自分のヘルプに指名した事もあり、一目置かれていた。
「まぁ、こんな感じ後は、おいおい自分で覚えてね」と言って閉じようとして。
「あっ!」と何かに気付き、私の顔を見てニヤを出し。
「この人が次のエース候補の、カスミさん入店3ヶ月で二十歳だけど・・見たらわかるよ」と意味深に言った。
『その次に、本当のエース候補が出るのか、ケイという』と笑顔で言って、ケイを見ると、少し俯いて。
「私に魅力あるかな~?」と真顔で聞くので。
『ユリはユリ、蘭は蘭、ケイはケイだよ』とマダムを真似た。
ケイは脇腹を押さえて、必死で笑いをこらえ。
「お願い、それだけはやめて」と懇願した。
予約のお客が7時20分に来店して、静かに始まった。
私は客からは見えない、特等席で見ていた、幻想の宴の開幕を。
「控え室に誰かいないか見てきて、いたら状況説明してきて」とケイに指示され。
『了解、行ってくる』と言って、控え室に向かった。
『失礼します』と言って入った私はその光景に我を忘れた、中1の私にはそれほど衝撃的だった。
その人は背中を見せて下着姿で、ハイヒールを履いて、今ドレスを着ようとしていた。
私の侵入にまったく動じる事無く、肩までのストレートヘアーを靡かせて、上半身だけ回転させて私を見て。
『おはよう』と美しく笑った。
足が細く恐ろしく長く、全く無駄の無いウエストに、少し割れた腹筋が微かに隆起していた。
上半身は、その細身の体系からは想像できないほどの、豊満な胸が主張していた。
笑った顔は小さく、綺麗な配置でバランスしていて。
薄い唇が綺麗に閉じて、その大きな切れ長の目と共に芯の強さを表現していた。
《完璧》そう思っていた。
「で、家出少年、堪能した?ドレス着てもいいかな?」と笑顔で言われて、我に返った。
『失礼しました、完璧なのを始めて見たから』と真顔で言うと。
「へー、噂以上だね。私が悪いの奥で着替えないから」とドレスを着て微笑み。
「で、チャッピー何を伝えに来たのかな」と微笑んだ、言い表せぬ何かが輝いた。
『あっ、今・・・・・』私は慌てて説明した。
「OKすぐにでると、ケイに伝えて」とウィンクをした。
そのウィンクで、私は背中に一筋の汗が流れるのを感じた、そして行こうとして気づいた。
『すいません、お名前は?』と笑顔で聞いた。
「カスミちゃんです、覚えてね」と笑っていた、輝きを発散して。
会えばわかる、ケイの言葉に嘘はなかった。
私は初めて芸能人に会ったような、そんな高揚した気分だった。
だが、アイドルの雰囲気とは違う。
その直接心を鷲掴みにするような、迫力のある容姿だった。
カスミとの、不思議な関係の始まりだった、恋心でも親近感でもない感情だった。
そして、カスミに教えられる・・・闘うという本質を、勇気とは何かを・・・。