心叫
全ての生命は海から産まれた、その時その場所にいると、確かに感じる。
海から沢山の何かが上がってくるのが、恐怖などは無い。
遠い彼方にある、記憶の深層に眠るもの。
船人は知っている、だから敬い祭る。
上がってきた何かは伝える、感じた人は口を揃えて言う、自分の幹の部分に響いたと。
生きることを恐れる必要はないと、そう響いてきたと・・・。
ユリさんと蘭が片づけをして、寝室に消えた。
私はソファーで寝た。
10時位にマリアを連れて、2人が出てきた。
ユリさんの作ってくれた、豪華な昼食に近い朝食を食べた。
蘭が準備して、出掛ける前にトイレに行った。
私は突然ユリさんに抱きしめられた、私は初めてユリさんに抱かれて、動けないでいた。
「私の言ったこと覚えてる?」私の耳元でユリさんが囁いた。
『俺は自分の感じたままを伝えるよ、それがどんなに辛い事でも』と囁いた、ユリさんに抱かれたまま。
「あなたは自分の才能を信じていい頃よ、私は信じている、あなたにしか出来ないと」そう言って体を離した。
ユリさんはマリアを抱いて、私に抱かせた、その時に蘭が戻ってきた。
『マリア、行ってくるよ』私はマリアだけに聞こえるように囁いて、ユリさんにマリアを渡した。
玄関で2人で、ユリさんにお礼を言って出ようとした時。
「りゃん」とマリアが言った、蘭はマリアを見つめていた。
『マリア・・ありがとう』蘭が満開で言って、出かけた。
灼熱の熱が全てを燃やす、真夏の場所へ。
タクシーで蘭のアパートに帰り、部屋に入らずに車に乗った。
「どこか、行きたい所ある?」蘭がエンジンをかけながら聞いた。
『海、少し泳ぎたい』私がそう言うと。
「それは、好都合」と笑顔で言って、走り出した。
橘通りをひたすら南下して、できたばかりの青島バイパスを通り、子供の国・青島と過ぎた。
「なんか緊張してますね、旦那」と蘭がおどけた。
『全然、楽しくて遠足みたいで』と私も笑顔で返した。
車は堀切峠に入った。
「おやつは300円までですよ、守りましたか検査しま~す」と蘭が微笑んだ。
『先生、バナナはおやつですか?』とニヤ聞いた。
「バナナはおやつじゃありません、果物です」と満開で笑った。
堀切峠の、何人もの若者の命を奪ったカーブをクリアしていた。
最終右コーナーを右に曲がると、目の前には海しか見えない。
宮崎の若者なら、何かしらの思い出のある場所だ。
「おーーーーーし!」蘭は叫んでカーブを切った。
ケンメリの、L型エンジンの響きが、蘭の背中を押しているように、唸っていた。
日南海岸を快調に飛ばし、助手席の真横に広がる、遥かなる太平洋の深い青に包まれていた。
心が開放されていた、その限りない大きさと深さを感じていた。
日南市に入り、すぐに右折して、小さなスーパーで、蘭は花とジュースを買った。
その姿は落ち着いていたが、緊張してるように見えた。
ケンメリは日南の城下町【飫肥】に入った。
飫肥城跡を過ぎ、小さな山の山道を登り、広い路肩に車を止めた。
「こっからは歩きなのです」蘭は無理やり笑顔を作った。
小さな獣道ほどの広さの道を登った、蘭が繋いだ手の、微かな震えを感じながら。
真夏の太陽の攻撃を、大きな杉の木が防いでくれる光道を。
辿り着いた場所は、【墓地】だった。
蘭は奥に進んで、大きな墓の前で止まった。
立ち尽くしていた。
数分して、蘭は気を取り直して花を変え、ジュースを供えた。
私は横の石版を見て硬直した。
【・・・誠二 享年 十六歳】その文字が飛び込んできたからだ。
蘭を見ると背中を震わせていた、必死に語りかけているようだった。
闘っていた、目を逸らすまいと。
私はその姿をただ、愛おしいと思っていた。
そして心で《がんば!》と言った、マリアのように。
どれだけの時が、刻まれたのかわからない、遠く霧島の峰から爽やかな風が吹いてきて。
「うん」そう呟いて蘭は立ち上がり、私を見て。
「ありがとう、一人で来れなかったの、今はまだ」そう言って手を出した。
私は手を握り何も言わなかった、ただその握った手の強さで《蘭が大切だ》と伝えた。
来た道を帰り、車の停めてある路肩まで来ると、飫肥の街が一望に見えた。
「あの赤い屋根の隣、軽トラが止まってる家が私の実家」私が教えられた方を見ると。
大きな家が見えた、その家は大きな母屋と、小さな離れがあり。
車庫と牛小屋みたいな物まであった。
そこから見ても、綺麗な日本庭園風の庭である事が分かった。
「まだ、帰れないけど」蘭はそう呟いた。
「さっ、海に行こう。特別な場所に連れてってあげる」そう笑顔で言って、車に乗った。
防潮林であろう松林の間の道を抜けると、海が広がった。
「いいでしょ遊泳禁止だけど」そう言うと突然、蘭が着ていたタンクトップを脱いだ。
私が呆気にとられていると、白いホットパンツに手をかけ脱いでビキニの姿を見せた。
「行くよ!」と満開で微笑んだ。
『遊泳禁止じゃ?』と私が言うと。
「悪ガキなら、らしくしな」とニヤで言って、海へ走って行った。
私は慌てて、Tシャツと靴下とコンバースだけ脱いで、走った蘭を追いかけた。
蘭は20m位沖で、プカプカ空を見ながら浮いていた、私はその横まで泳ぎ。
『いつビキニを着たのかな~?』と海から顔だけ出して聞いた、蘭は空を見ながら。
「決めていたの、最初から今日行こうって、だから準備してたの」そう空に向かって話した。
私は目の前の、蘭の横顔を見ていた。
太陽と海の反射を、撥ね返すような強い輝きを。
「そこの君達~ここは泳いだらいけませーん」と爺さんに突然言われ、蘭が慌てて。
「すいません、知らなかったから、すぐに上がります」と大声で言うと、右手を上げて爺さんは帰って行った。
私達は陸に上がり、ケンメリの待つコンクリートの場所にくると。
「さて、あなたは何を着て帰るのでしょう?」と満開で微笑んだ。
『げっ!』と言って私は困っていた。
「運転席の横に立って、誰も来ないか見てて、覗くなよ」と言って、体を拭いた蘭が車に入った。
私は運転席に背中を向けて立っていた。
着替えた蘭が出てきて、私にバスタオルをくれた。
「シート汚すと嫌だから、自然乾燥を待ちますか」そう言いながら海を見た。
私も横に立って海を見ていた。
突然蘭が私を引き寄せ抱きついて、手を背中に回し押した。
私は蘭の背中に手を伸ばし、力を入れた離さないように、一人にさせないように。
「弟がいたの3歳下に、事故で死んだの16の時」蘭は私の胸に顔を付けて。
「私は何も知らないの」叫びだった、底から噴出したような叫びで話した。
「あの子が何が好きで、何が嫌いで、どんな夢を持って、何に憧れて、何に喜んで、何に悲しみを感じて」泣きながら、震えながら。
「どんな友達がいて、どんな悩みがあって、どんな歌が好きで」震えが強くなり、私は腕に力を入れた。
「どんな子が好きで、自分のことどう思って、私の事をどう思っていたのか」涙が私の胸を伝っていた、そして最後は私に問いかけた。
「楽しいことはあったの?好きな子はいたの?」
私は蘭の顔を両手で持って、自分に向けて。
「あったよ沢山、いたよ絶対」そう答えて、手を背中に回して抱きしめた。
私はただそう感じた、そして間違っていないと確信していた。
穏やかな波の音と、蘭のすすり泣く声を聞きながら。
ガキの私にもできると思っていた。
この今にも海に駆け出して、消えてしまいそうな、愛すべき存在を受け止めておく事だけは。
俺のやるべきことだと、いや俺にしかできない事だと・・・。
波音が包んでくれていた、まるで終わりのない物語のように・・・。