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外伝 薔薇の教え

1話だけ外伝を記します、被災した仲間を想って。


桜の花が儚く散り行く光景を、教室の窓から見ていた。

そこまで必死に走っていたのか、自分に問いかけていた。

17歳の春・・私は葛藤の中に身を沈めようとしていた。


13歳で家を出て、蘭と暮らす日々も4年を迎えようとしていた。

蘭とは争いも無く、楽しく充実した日々を送っていた。

27歳の蘭は靴屋とPGの掛け持ちで、忙しい日々を楽しんで、青い温もりも増していた。

【最高の副職】の称号を、夜街全体に認めさせていた。

しかし自らは、常に自分らしく生活していた。


私はジンの立ち上げた、派遣会社を手伝って、夜の女性の派遣を起動に乗せた。

4月2日産まれの私は、高校の入学式の前に中型バイクの免許を取得していた。

そしてPGで稼いだ貯金をはたいて、蘭に保証人になってもらい。

一目惚れした、KAWASAKIのFXという400ccのバイクを新車で購入した。

豊兄さんの整備工場で徹底的に手を入れ、YUSHIMURAのパーツを組みニヤニヤ全開だった。


田舎の子供は移動手段が少ない、だから自らが成長して動かすしかないのだ。

自転車に乗り、バイクから車に移行していく。

そのどれもが世界を広げてくれた、だから今でも機械に対しての思い入れが強い。


あの頃の発展途上の機械には熱があった、エンジニアの葛藤さえも感じられた。

大量生産を第一にしなければならない、その現実と理想に立ち向かう熱があった。

それは多くの若者にとって、単なる移動手段では無かっただろう。

機械に対する愛情まで持っていた、生産側の熱に購入側の熱を吹きかけ疾走していた。


今と比較すると、信じられないほどの不便な機械に愛情を注いでいた。

私が26歳の時に、スカイラインの32GTRが発売された。

私はその全容を聞いた時に予約を入れて、新車で購入した。

納車されて初めて乗った時に感動した、助手席に座る蘭も感動していた。

よくぞここまでの物を発売したと、よく踏出してくれたと感じていた。


「嬉しくて・・泣きそうになるね。

 私・・ケンメリに乗ってたから、最高の気分になってるよ。

 青春の行き着く1つの形を見せてくれた、無為な時間も金も無かったよ。

 たかが車だけど・・私は救ってもらった、ケンメリに助けてもらった。

 弟が亡くなった時には、本当に優しく走ってくれたよ。

 絶望しそうな心を、優しいエンジン音で励ましてくれた。

 そして鋼鉄の体で包んでくれた、前に進もうと音で伝えられた。

 大切に乗ろうね、ケンメリの子孫だから。

 L型エンジンを引き継ぐ、この音は宝物だからね」


そう言って満開で微笑んだ、私も前を見て笑顔で頷いた。


私はこの32Rから、エンジンに手を入れなくなった。

年齢でも情熱が冷めたのでもなく、失礼な事だと感じたのだ。

このエンジンに手を入れるのは、次世代の人間であって欲しいと思っていた。

給排気系と足回り以外ノーマルで乗った、思い入れの強い最後の機械である。


話を戻そう、高2の春に・・あの頃に。

その頃の私はミホに取組んで、3年目の春を迎えていた。

15歳のミホは、外見は可愛い少女に成長していた。

マリアにミホに会わせたのが、その年の1月だった。

それ以来ミホは笑顔も出始めて、表情も豊かになっていた。

6歳のマリアは小学校に上がり、ミホの病院にもよく顔を見せてくれていた。

しかし私は大きな不安と戦っていた、ミホの最終段階が迫って来て怖かったのだ。

校庭の散り行く桜を見ながら、考えていた次の段階を。


「珍しいね~・・エースと呼ばれる男が居残りかい?」と後から声をかけられた。

私が振向くと、担任のマダム芹沢が笑顔で立っていた。

『マダム芹沢・・夕方も美しいですね』と笑顔で返した。

「さすがに夕方になると、夜街の会話になるね~」とニヤで言いながら、隣に立って校庭を見ていた。


芹沢真紀子・・年齢43歳に見えない若作りが売りの英語教師。

夫と2人の娘を持ち、常に明るく前向きな人である。

気さくな性格が生徒の信頼を得て、特に女子生徒の間では相談窓口的存在だった。


『マダム芹沢は、なぜ教師になったんでしょう?』と私も校庭を見ながら聞いた。

「あんたみたいな、意味不明な人間に会ってみたかったからよ」と校庭の桜を見ながら、ニヤ顔で言った。

『俺が意味不明ですか~』と下校している生徒の背中を見ながら呟いた。

「意味不明でしょう、学校では気配を消してるし」と笑顔になって私を見た。

『素晴らしい生徒じゃないですか、問題起こさないし』とニヤで返した。

「学校は退屈なの?」と真顔になって私を見た。

『退屈じゃないですよ、刺激は無いけど』と笑顔で返した。


「私じゃ相談出来ないのかな?少し寂しいんだけどね~」と成熟した女を出して、笑顔で囁いた。

『マダム先生・・そんな事は無いですよ、まだ自分で整理出来てないんです』と真顔で返した。

「そうなのね、そういう時の最後の相談相手は、蘭ちゃんなの?」とニヤで聞いてきた。

『内容によります、蘭に心配かけたくない時は・・薔薇に相談します』と照れた笑顔で返した。

「薔薇か~・・聞くだけで素敵な女性ね」と言って視線を校庭に戻した。

その横顔を見ていた、目尻の皺が年齢を提示して、深い経験と乗り越えた強さを見せていた。


『真紀子・・俺の独り言を聞いてね。

 4歳で両親と兄の死を目撃した少女がいる、その子はそれ以降全てを遮断した。

 会話も自分の意志を提示する事もない、多分自分を守る強い防御本能だと思う。

 今10年以上が経過している、真紀子は知ってるから言うけど。

 俺はその子に潜った、そして今やっと笑顔までは引きずり出した。

 でも次の段階で悩んでいる、次の段階ではその記憶に触れないといけないから。

 それをして良いのか・・考えてるんだよ。

 でも遮断した今のままじゃ、絶対にいけないと思うんだ。

 大切な季節だから、謳歌してほしいんだよ・・どんなに辛い過去を背負っても。

 その子は学力はある、TVをずっと見てるから常識もあると思う。

 俺は間に合うと思ってる・・人はどんな状況からでもやり直せると知っている。

 沢山の女性達が見せてくれたから、絶対に諦めるなと伝えてくれるから。

 俺はその段階に踏み込むよ、それによりその子が闇に戻る事になっても。

 その時は又1からやるよ・・俺の全ての愛情を賭けてでも。

 一生を賭けてでも・・やろうと思ってるんだよ』


私は強い風に散る、桜吹雪を見ながら伝えた。

マダム芹沢も桜吹雪を見ていた、静寂の教室に春風が流れ込んで来た。


「教師として言えば・・医者に任せなさい。

 人として言えば・・頑張って。

 女として言えば・・急いで。

 でも母として言えば・・母親ならば・・。

 絶対にやりなさい・・結果を恐れずに、挑んで欲しい。

 母親ならばそれだけが望みよ、たとえ死別しようが・・遠く引き離されても。

 娘の幸せをなによりも願う・・それだけが真実よ。

 迷うことは無い・・あなたの周りの女性達も、そして私も信じてる。

 心の鍵を開けて、現実の世界に連れだして。

 その世界がどんなに辛く悲しい場所でも、遮断してるよりはましよ。

 私はそう思うよ・・人間として、女として、母として」


強い言葉で伝えてくれた、教師でない母親の言葉が響いていた。

マダム芹沢の背景に散る桜が、踏出せと叫んでいた・・人は散らないと伝えていた。

『OK真紀子・・終わったら、真紀子の垂れた胸で泣かせてね』と笑顔で言った。

「その時に教えてあげる・・張りのある胸の持ち主だと」と笑顔で返された。


私はマダム芹沢と教室を出て、学校近くに住む悪友のサトシの家に行った。

制服のままフルフェースのヘルメットを被り、FXに跨りPGを目指し走った。

学校の前のバス停で、大きく手を振る姿が見えた。

同級生の沙織が、国道に出て両手を振って道をふさいだ。


『危ないぞ沙織・・轢くとこだった』とヘルメット越しに言った。

「送って、街まで・・バイトに遅れるの~」と笑顔を作って、必死さをアピールした。

『乗車料は?』とヘルメットで見えないがニヤで言った。

「女子高生の、豊満で張りのある胸の感触」とニヤニヤで返してきた。

『俺・・熟女好きだって知ってるだろ』と言って。

後頭部に【蘭】と大きく書いてある、ピンクのヘルメットを渡した。

沙織は笑顔で受け取って、それを被って後に乗った。


「たまには経験しなって・・若いのも良いよ~」と言いながら、私の腰に腕を回して強く密着した。

『案外良いかも~』と大きな声で言って、走り出した。

「マダム先生と怪しい会話してたでしょ?」と私にしがみつき、沙織が大声で言った。

『口説いたけど、振られたよ・・卒業まで駄目だって』と大声で返した。

「残念ね~、私の胸で泣く?」と笑いながら言った。

『お願いします・・沙織様~』と返しながら感じていた。

私は沙織に回復されていると、その若い時代を謳歌する姿に、背中を押された。

ミホに味わって欲しいと、その大切な季節を感じて欲しいと思っていた。


沙織をデパート前で降ろして、ユリさんのマンションに向かった。

入口の横にFXを止めていると、可愛い声をかけられた。

「いつ乗せてくれるの?自慢のバイク」とマリアが笑顔で立っていた。

6歳のマリアは可愛い笑顔で、私に不敵を出した。

『カスミしても駄目~・・お子ちゃまは乗れないの、転がり落ちるから』と笑顔で返して手を繋いだ。

「落ちないよ~、気持ちいいんでしょ・・バイク」と探りを入れてきた。

『もう少し大きくなってから、俺が責任重大で緊張するからね』と笑顔で言った。

真新しいランドセルが、大きく感じるマリアの純白の笑顔を見ていた。


マリアが鍵を開けて、マリアの後ろをリビングに入った。

ユリさんが顔をパックしていて、真白い顔を見て2人で笑った。

「またパックして、それ以上綺麗になりたいのかな~」とマリアが笑顔で言った。

『マリア、地道な努力が大切なんだよ』と笑顔で言った。

ユリさんは無表情の白い顔のまま、大きく頷いた。


マリアがコーラとクッキーを出してくれ、それを食べながらマリアの宿題を見ていた。

マリアはひらがなの書取りを、真剣な表情でしていた。

『マリア、算数どこまでいった?』と書き取りの終わったマリアに聞いた。

「掛け算九九を覚えてるよ、エミ先生が厳しいから」と笑顔で返してきた。

『エミは小1の夏には、割算をしてたからね』とニヤで返した。

「伝説の夏物語ね、もう聞き飽きたよ」と笑顔で返された。

2歳の時の癖毛がどこにいったのか、それが分らない程のストレートヘアーを靡かせて。

6歳の少女の笑顔には、確実に天使が存在していた。


「学校帰りに来たのかしら?」と洗面所でパックを落としてきちた、ユリさんが言った。

『うん、・・少し煮詰まってて』と振向いて笑顔で言った。

「やっぱり・・変だったもん」とマリアが真顔で私を見た。

「ミホちゃんね・・いよいよその時が来たのかしら?」とユリさんも真顔で聞いた。


『その時が来ました・・今日担任に突っ込まれて、独り言を言ったんだけど。

 母親としては、挑んで欲しいと強く言われて。

 それで迷いが少し和らいで、帰りに同級生の女子高生をバイクに乗せて。

 再確認しました、ミホにも味あわせてやりたいと。

 その輝く素敵な季節を、一人の女性として謳歌してほしいと。

 最後にユリさんの話が聞きたいんです、終戦後の・・その時の人々の本心が。

 愛する者を奪われた人達が、どうやってここまで乗り越えて来たのか。

 老人達に話は沢山聞いたけど、やっぱりリアル感がなくて。

 ユリさんに聞きたい、俺の最後はユリさんしかいないんですよ』


美しい真顔の薔薇を見ながら、真剣に伝えた。


「わかりました・・私の感じてる事を話しますね。

 マリアにも聞いて欲しいから、忘れてはいけない事実ですから。

 私が物心付いた時が、終戦直後の混乱期でした。

 私の実家は造り酒屋だったので、経済的には恵まれていました。

 祖父も激戦地を免れて帰還して、父親も終戦間近に出征して戦地には行きませんでした。

 祖父と父は無事に残った酒蔵を直して、焼酎の製造を目指していました。

 町は混乱状態で、お金の価値はあまり無かったですね。

 闇市以外は物々交換のような世界でした、皆生きるのに必死だったと思います。

 愛する人を亡くした悲しみを、感じる余裕も無かったでしょう。

 そんな時、私の母が一人の男の子を連れて来ました。

 私は従兄妹だと紹介され、3歳年上の男の子の出現を喜んでいたと思います。

 私の母親は長崎出身で、母の父親は造船技師だったそうです。

 そしてあの原爆で、両親も姉も亡くしていました。

 その男の子だけ助かったそうです、私は幼くてその事を理解できませんでした。

 私と従兄妹は、まるで兄妹のように生活しました。

 私は兄だと自然に思っていましたね、そして従兄妹も私を可愛がってくれました。

 この話はその兄に聞きました、被爆して6年後に健康状態が悪化した時に。

 医療設備も被爆という事実に対しての、経験も実績も何も無い時代でした。

 私はその兄の話を書き綴って、今でも大切に取っています。

 私の兄は、私の実家、鹿児島に疎開が決まっていました。

 長崎は造船所があって、空襲が激しくなると予想されていましたから。

 兄は疎開の前日、地元の仲間と最後の遊びに川に泳ぎに行ったそうです。

 そして岩からジャンプして川に潜った時に、大きな音がして空が燃えた。

 慌てて上がろうとする仲間を、必死に抑えて限界まで潜っていたそうです。

 その時に下から何かが引っ張っていたと、水面に出るなと引かれていたと言ってました。

 そして限界が来て、2人で水面に出た時に地獄を感じたそうです。

 その焼ける匂いが初めて嗅ぐ物で、人が焼けていると感じた。

 兄と友達は灼熱の山道を、焼けた人達の遺体を見ながら帰りました。

 その地獄の光景の記憶が無いと言っていました、その位ショックだったんでしょう。

 そして家の有った場所に行くと、何も残って無かったそうです。

 兄はどうしようもなくて、友達の家に行きました。

 友達は家の合った場所の井戸の前で、立ち尽くしていたそうです。

 「何も無い・・お前の家も無いな」と声をかけたら、友達が井戸を指差したそうです。

 井戸を覗くと沢山の焼け焦げた人が重なっていて、強い異臭がした。

 その井戸の中に、友達の母親が3歳の妹を抱いて焼けていたそうです。

 2人で呆然としていると、後から駐在さんが叫んだ。

 「生きてる奴が、生きんか!」と大声で叫んだそうです。

 駐在さんも焼けながら、最後の力で叫んでいたと言っていました。

 その言葉で兄が友達の手を引いて、山の上の子供の秘密基地行きました。

 その場所に居たらいけないと、漠然と感じたと言っていました。

 その秘密基地で、山菜などを採って生きていた。

 7日後に友達の体調が悪くなり、兄はその症状が危機的なものだと感じていた。

 その日の午後に人の気配を感じて、兄が木陰から見ると。

 米軍の兵隊が5人、山に登って来ていた、兄は考えました。

 その当時の教育は、敵国に囚われるくらいなら死を選べでしたから。

 でも兄は友の顔を見て決心しました、友を助けようと走りました。

 そして米兵の前まで行き、土下座して助けてと叫びました。

 通訳の兵隊が上官らしい人に伝えて、友達を担架に乗せてトラックで町に下りました。

 その時に初めて町の全様を見たと、その地獄の光景を見ながら感情を持てなかったと。

 米軍の仮設キャンプに着いて、兄は服を脱がされ体を洗われました。

 そして着替えを貰い、ホットドックを手渡されたそうです。

 そのホットドックを食べて、勝てるわけがないと確信したと言っていました。

 どうしてアメリカと戦争などをしたのかと、怒りが湧いてきた。

 物資も何もかもの桁が違うと、一瞬で理解できたと。

 そしてアメリカ人の対応の優しさに驚いたと、兄は半年ほど健康状態を観察されました。

 そして鹿児島に親戚がいると言うと、鹿児島に行く手配までしてくれました。

 長崎を去るときに、何も無い焼け野原見て誓ったそうです。

 もう1度戻って、町を取戻すと強く誓った。

 原爆を投下したアメリカよりも、戦争に踏出した日本人が許せなかったと。

 そして誰一人反対と言えない世の中が、許せなかったと言っていました。

 兄はその年の11月に亡くなりました、私は最後の会話を忘れられません。

 〔自分の思ったままに、感じたままに生きろ・・拒絶する強さを持て〕

 そう言った言葉が今でも響いています、小6の私にも重い言葉でした。

 私はそれから知覧に行き、特攻隊基地の歴史を勉強しました。

 祖父母に聞き、文献を読んで・・なぜか?を知りたかった。

 命を落とす覚悟をして、何を守りたかったのか。

 それは国などではありません、ただ愛する者を守りたかった。

 拒絶できない世界、それは愛する者を人質にとられていたから。

 元来日本人は、静を美徳とする傾向を植えつけられました。

 主張を許さない風潮は今もあります、体制に従えと要求します。

 そこからはみ出る者を差別してしまう、常識という足枷をかける。

 今の中学校の校則でも、私は違和感を感じる、同一主義が強く残る事だから。

 人は各々違う、その個性を曲げようとする力に感じるから。

 それが島国を運営するのに、適していると思ってる人が上に存在する。

 日本が復興したのは、国民の力です。

 愛する者の死を乗り越えて、必死に復興したのは国民です。

 日本人の強さは、自らの手で復興した事でしょう。

 人は負けない・・どんなに悲しい現実からも、やり直せる。

 あの焼け野原・・0だった、0からの出発。

 その全ての力の源は、一人一人の国民の意志だったと思います。

 政治家でもアメリカでもなく、日本人の意志がここまで持って来た。

 死が引き裂いた別れも、消えてしまった町も・・何もかも。

 全てを乗り越えたのは、生きるという意志・・このままで終われないという。

 焼けながら叫んだ、その駐在さんの言葉・・それだけが真実。

 【生きてる人間が、生きんか!】・・これ以外の意味は存在しない。

 人は乗り越えられると信じています、必ずやり直せると。

 ミホちゃんの経験は激烈なものです、でも乗り越えられる。

 なぜならば・・それがご両親とお兄さんの願いだから。

 どんな状況も・・どんな悲劇も・・どんな不幸も。

 乗り越えられる・・時がくれば、手を繋ぐ仲間がいれば。

 人は産まれた時は0だった、ならば0からやり直せる。

 悲しみや寂しさに涙した時間も、絶対に意味が有ったと思えると信じてる。

 遮断を解き放ちなさい、私も母として言います。

 解放してあげて・・ミホの閉ざされた心を。

 現実がどんなに辛く悲しい場所であっても、生きるならばそれを感じて欲しい。

 祖先が繋いだ命のバトンを、無駄に終わらせてほしくない。

 理不尽も絶望も乗り越えてきた、先人達に申し訳ない。

 無駄だと言って、自らの敗北を認めない・・それが生きる事でしょう。

 主張しても無駄だと思ったら、またあの特攻機に誰かが乗る。

 そして焼け野原に立ち尽くす子供がいる、それだけは絶対にしてはいけない。

 迷いを捨てなさい・・あなたは諦めないのだから。

 何度でも挑み続けるのだから・・それが最後の挑戦者なのだから」


ユリさんの強い言葉が、私にもマリアにも響いていた。

春の日の夕暮れが迫っていた、公園から子供達の楽しげな声が響いてきた。

私は迷いを捨て去っていた、人は必ずやり直せると確信したから。


2011年3月11日・・東北地方と関東を地震と津波が襲いました。

想定外の津波の大きさに、全てが飲込まれた状況を見ました。

エミが地震直後に、被災地に医療支援で入りたいと連絡してきて。

私はルートを探して、エミの案内で同行しました。

私も被災地に入り、その津波被害の大変な状況を目の当たりにして絶句しました。


被災者の皆さんの、避難所での大変な状況。

ライフラインの遮断、そして寒さ・・物資の遅れ、情報も無く不安な夜。

燃料の不足という大問題、医薬品も医療施設も被災している状況。

それにじっと我慢して耐えている高齢者の人々、肉親の安否が確認できない不安。

書き綴れば不満は相当にある、国の対応も・・原発問題も。


しかし私は被災者の皆さんを助ける、子供達の瞳の強さに驚きました。

自分から重労働をかってでる、高校生や中学生の男子のたくましさ。

避難所の手伝いをする、女子生徒の生き生きとした瞳。

自分自身も悲しみを抱えてるでしょう・・しかしすでに前を見ています。

私は元気付ける事もなく手伝いながら見ていました、その素敵な光景を。


そして切に願う、子供達の心のケアをして欲しいと。

阪神淡路大震災でも、日本人は復興してみせた。

その復興は前より良くしてみせた、悲しみを乗り越えて。

自然は常に過酷な試練を与える、その歴史は永遠に続く。

先人は乗り越えた、その理不尽な過酷さも・・そして繋げた命の絆を。


その根本に有る物・・人は一人ではないという事実。

今何も出来ないのなら、せめて義援金を贈ろう。

手を繋ぎ共に歩もう・・そして証明してみせよう、世界中の人々に。

保身しか考えない政治家や官僚や企業家に、見せつけよう。

絶対に諦めないと・・その意志を示そう。

そして強く叫ぼう・・被災してしまった仲間に、一人じゃないと叫ぼう。


太平洋から登る朝陽を見ながら、響いてきた・・駐在の言葉。

【生きてる人間が、生きろ】と強く響いてきた。

瓦礫の中にある、希望を探そう・・あの戦後から復興した、誇り高き日本人として。

そして冥福を祈ろう、不慮の死を遂げた仲間達の。

生命の根源である海が飲込んだ、大切な仲間達の・・。

今の悲しみの日々を、いつの日か乗り越えて欲しいと願う。


伝えることが仕事なら、その仕事に誇りがあるのなら。

マスコミの諸君・・もうやめる時期だよ、強い力の言いなりになるのは。

この情報化の時代に事実は隠せない、ジャーナリストなど日本にはいない。

専門家も解説者もいらない、言えない事があるのなら。


現場の人間は駒じゃないから、英雄視されても意味が無い。

情報統制はやめろ、その言い訳にパニックを回避したなどと言うのも。

その弊害で、ネットでデマが横行してるじゃないか。


つまらない心配は無用だ、被災者の救援に全力をあげろ。

原発は専門家に任せて、助かった命を救おう。


大丈夫・・この国は国民が復興してきた。

絶対に諦めない・・それが日本人だから。


最後にあの言葉を贈ろう、世界を巡り理不尽と向き合った、崇高な女性の言葉を。


無駄だと思った時に、敗北が決まる。



 

 

 

 

 

 

 


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