水域
真夏の、日付が変わったばかりの深夜。
小窓から見える空には、星も見えなかった。
静寂の中、私に抱かれ支えられている、美しい目を閉じた女性の、呼吸だけを感じていた。
濃密な時間だった。
「いこう、マリアが待ってるよ」と蘭は私を見て、満開で微笑んだ。
『うん』と笑顔で言って、蘭をゆっくりと起こした。
「千秋がね、とっても安心できて、気持ち良かったて言うから」私を見ながら。
「1番目が私じゃなかった事に、やきもち妬いてみたの」と満開で微笑んだ。
「千秋の言ったのが分かったよ、私達の周りには存在しない・・絶対に襲わない男だからね」とあの小動物の笑顔を見せて、私の手を握って歩き出した。
TVルームに帰ると、マダムとユリさんはまだ来てなかった。
私はマリアの寝顔を確かめた、可愛い寝顔で寝ていた。
「遅かったですね?」とケイが蘭にニヤで言った。
「チャッピーを説教してたの、女子トイレに入る癖をやめなさいって」と蘭が微笑んで返した。
ケイと松さんは、クスクス笑っていた。
「癖だったの」とケイがわざと睨んで、私を見た。
『病気です』と私もわざと頭を掻いて言った。
「ケイ、奴は会話の先生としては強敵やな~」と松さんが笑顔で言った。
「本当にどんな環境で育ったのか?」と蘭も満開で微笑んだ。
『蘭、そろそろ両親に挨拶にいくか?』と笑顔で言うと。
「本当に、やっと決心してくれたの。マイダ~リン」と満開で微笑んだ。
「凄いな~蘭姉さんは、言葉の返しが早くて、それも面白くて」と言ってケイが蘭を見た。
「やっただけだよ」と蘭が言って、私の手を引っ張った。
「このロボットは会話練習マシンだから、ケイが使いたいときはどんどん使って」私のお腹を押して「ここがスイッチだから」と満開で笑った。
「ロボットだから、何も恥ずかしがらないでいいよ」と蘭が言ったから。
『ヨ・ロ・シ・ク』と私はロボットぽく言ってみた。
ケイも松さんも必死に声を殺して笑ってた。
「蘭姉さんありがとう、お借りします」とケイが笑顔で言った。
「たまに動きが悪い時は、マリアの近くに持っていくと、良くなるから」と蘭の言った言葉で、皆で笑った。
「楽しそうね」とユリさんとマダムが入ってきた。
『ユリさんありがとうございました』と私は頭を下げた、『俺なんかの、保証人になってくれて』と素直に言った、ユリさんは私の目を見て。
「なんかのなんて言ったら駄目よ、あなたが来て、3人娘に笑顔が増えたわ」いつものように目を逸らさずに。
私はこの時には、ユリさんが目を見てくれる、この時間が大好きで、心のどこかで常に待っていた。
「それだけでもあなたは、ここに居る価値がある人よ」最後は薔薇の笑顔で言った。
【価値がある人】私は初めて言われたその言葉に、心は嬉しくて震えていた。
それを言ってくれたのが、ユリさんだったから、嬉しさは倍増していた。
「よし、帰るかの・・松はワシとケイと、蘭はユリとやな」そうマダムが言ったので。
『俺は?』とわざと笑顔で言ってみた。
「おや、今夜はどこにお泊りだい色男」とマダムが笑顔で返してきた。
『マダムの家でもいいよ』と言うと。
「家は駄目や、可愛いケイがいるでの~」と笑った。
「あなたは私の家に泊まるのよ、蘭と」とユリさんが言って、蘭を見て。
「明日は靴屋の仕事休みでしょ、どうかしら?」と蘭に薔薇で微笑んだ。
「本当に!いいんですか?」蘭が満開で微笑んだ、嬉しそうだった。
「あなたが入った時から、ずっとゆっくりと話したいと思っていたのよ」ユリさんも嬉しそうに言った。
「うれし~!」蘭の心の叫びのような言葉を聞きながら、私はそっとマリアを抱いた。
この時には考えずに、マリアの好きなポジションが分かっていた。
ユリさんは多分、蘭の味わった恐怖と、それから発生してるであろう、不安を想っているのだろう。
私は蘭と談笑しながら、すぐ前を歩くその後姿を見ていた。
遥かに遠く感じる・・・その美しい薔薇の後姿を。
エレベーターに乗ると、カズ君がいた。
「ごめんね、遅くまで」ユリさんが言うと。
「全然大丈夫です」と照れているようだった。
「ユリさんの指示で乗っているのに、上の店の女性達に俺が感謝されました」そのカズ君の言葉で分った。
カズ君がエレベーターに乗っているのは、上に勤めてる女性も、安心できるんだと思っていた。
「私はこの世界で働く人は、全て仲間だと勝手に思ってるの、確かにお客様を、奪い合ったりする人達もいるけど」カズ君の背中に語りかけるように
「同じ深さに住む、同じ海流に乗る魚のような」
「そんな仲間だと、思っているわ」と薔薇で微笑んだ。
皆黙って聞いていた。その心を変換した言葉を・・・。
その時を必死で生きる、蘭やケイやカズ君にはどれだけ響いていたのだろうか。
その時の私には、想像もつかない。
まだ自分で生きていない私は、ただ思いだしていた。
【お前達は幸せや、ユリと同じ時代を生きれる】そう言ったマダム言葉を。
現在、私はこの時のユリさんより、15も年上のオジサンになった。
だが伝えられるだろうか。
社会に漕ぎ出した、【平成】と言われる時代に産まれた若者達に。
人生と言う、難解な問題に取り組む仲間に。
答えなど無いであろう、その難問を楽しむための大切なヒントを。
押し付けでなく、ユリさんのように、優しく語りかけれるだろうかと。
タクシーにユリさんが乗り、私がマリアを抱いて乗り蘭が続いた。
ユリさんが行き先を指示して、タクシーは走り出した。
その暖かく優しい教室に向かって、大切な授業を受けるために。
ユリさんの家に入ると。
「チャッピーお願いね、寝かせて1分でいいから、マリアを見ていてね」と薔薇で微笑んだ。
『何時間でも』と私は今度は言葉にできた。
ユリさんの薔薇と蘭の満開が咲いていた。
ベビーベッドにマリアをそっと寝かせると、マリアが無意識に、私の右手の親指を握った。
私はマリアを見つめながら、その力が抜けていき、離れるまでマリアを見つめていた。
リビングに戻ると、浴室の洗面所の方から、楽しそうな二人の笑い声が聞こえた。
私はソファーに腰を下ろして、夜景を見ていた。
公園のベンチで、暗い気持ちだったのが、遥か昔の事のように思えた。
まだ4日しか、たっていなかった。
しかし時は確実に進んでいた、7月も終わりを迎えようとしていた。
私に残された時間は、後一月と少しだと思っていた、自立できない限りはと。
【自立】ケイのあの直向な目を思い出していた、遠い夜街の幻想の光の中に・・・。