幻想
【もはや戦後ではない】そのころ政治家であろう、誰かが言っていた。
メディアに何の力が働いたのか、流行語に押し上げた。
誰かなど覚えていない、心には響かない空虚な言葉だった。
その当時、私の家の近所には義足の人・盲目や片目の人・寝たきりの人、沢山の傷ついた人がいた。
駄菓子屋の婆さんは、旦那を失っていた。
親や子供や旦那を、失っていた人が沢山いた。
空手道場のシゲ爺は、長崎の被爆者で、一瞬で全てを失った。
なぜ自分だけ生きてるのだと、神を呪ったと言っていた。
私は元来の聞き魔だったから、特に年寄り達には可愛がられて、沢山の話を聞いていた。
その人達の心には、戦後などという言葉すら、なかったのだ。
マダムは深い皺を、より深くした笑顔で。
「ミサ上手くなったの~」と肩を揉むミサに言った。
「の~」マリアがすかさず笑顔で、語尾をまねた。
「マリアは好きやな、の~が」マダムは優しく見ていた。
「の~」マリアがもう一度真似た、マダムは笑顔で見ていた。
私は隣に座るエミと、そのコントを笑って見ていた。
その時徳野さんが部屋に入ってきた、3人娘の手前笑顔を作りながら。
「マダム、ディープの子らしいです。逆恨みされてるそうです」徳野さんが小声で、マダムに報告した。
「相手は?」マダムも小声で、聞き返した。
「元はサラリーマンですが、今は無職で強度のアル中で、錯乱するそうです」と徳野さんが言った、マダムは暗い表情になり。
「当面2×2でいこう、帰りはタクシーに乗るまで見送る事」とマダムが指示した。
「わかりました」と徳野さんが、真顔で答えた。
「俺とボーイ、9人で守らんといかんからな」と私を見て、徳野さんが言った。
「お前に一番大切なこの3人娘、お前がTVルームにいる時は一人で任せていいか?」と真顔で言った。
『わかった、いつも側に付いておくよ』と真顔で返すと。
「頼むぞ」と言って徳野さんは、出て行った。
私は徳野さんに仕事を与えられた事が嬉しく、3人娘を見ていた。
マダムが鍵を私に差し出し。
「誰かトイレに行く時は、必ず鍵をかけて付いて行け、ノックが有っても誰か分からん時は、絶対に開けるなよ」とマダムが真剣に言った。
『了解』と私も真顔で返した、マダムは私の表情を読み取り。
「頼むで」と出て行った。
マダムが出て行き、鍵をかけるて振向くとエミと目が合った。
《賢い子だから話の内容理解したか》私はしまったと思い、笑顔でエミの横に座った。
『心配しないでいいよ』とエミに言うと。
「怖くないよ」と少女の笑顔で答え、ミサとマリアを見ていた。
私はその横顔を見ながら《怖くないか、守る気でいるのか二人を》と思っていた。
その小さな身体に秘めた、強い力を感じて、安心していた。
夜も9時を過ぎた頃。
「さぁ、歯磨きの時間で~す」とエミが言って、ミサとマリアに歯ブラシを配った。
マリアの歯は、変なゴムの歯ブラシで私が磨いた。
それから3人娘を連れて、従業員用のトイレに行き、女子トイレの前で。
『ここで待ってるから頼むね』とエミに言った。
「はーい」とエミがミサとマリアを連れて行った。
エミが居てくれて良かったと、心から思っていた。
暫くして3人が出てきた、エミが私に。
「中で千秋ちゃんが潰れてるよ」と真顔で言った。
『普段はどうするの?』と私はエミに聞いた。
「カー君の担当だよ、駄目な人はTVルームのベットに寝せるんだよ」とエミが教えてくれた。
TVルームの奥に、簡易ベッドが有るのを思い出した。
今は人手が足りんし、でもトイレで一人にもできないなと思った。
3人娘をTVルームに入れて、エミを笑顔で見た。
『エミちゃん鍵をして、ノックがギャートルズの時だけ誰なのか聞いて』とエミに笑顔で言った。
「楽しそう、わかった」とエミは屈託無く笑い、ドアを閉めて鍵をした。
私はトイレまで戻り、大きな声で。
『失礼します、入ります』と言って女子トイレに入った。
トイレは清潔だったが、香水の香りが強かった。
千秋という女性は、洗面所の横に足を投げ出して座り、俯いて寝てるように見えた。
投げ出されたミニスカートの、足の奥の下着まで丸見えだった。
しかし私には、ラッキーと思う余裕すら無かった。
私は千秋の横に屈み、肩に手を当て。
『大丈夫ですか?』と優しく揺すってみた。
「誰!?」千秋は目を見開き、私を見て言った。
『チャッピーです』と私が焦って答えると。
「いや~ん、チャッピー可愛い」と千秋が抱きついてきた。
咄嗟に私は両手で支え、抱きしめる格好になり、身動きできなくなって、どうしようと思っていた。
千秋は私の肩に顎を乗せて、目を閉じている。
「お、家出少年、トイレプレーとは中々やるね~」と赤いドレスの若い女性が入ってきた。
『どうしよう?』と私は言って、助かったと思っていた。
「千秋、千秋」とその女性は千秋の頬を、わりと強めに張った。
「駄目だねこりゃ、ボーイには言っとくから、TVルームのベッドで寝かせといて」そう言いながら、後ろから千秋を支えた。
私は腕を抜き、千秋をお姫様抱っこをした。
「やるね~不良少年、明日は私が潰れようかな~」と赤いドレスの女性が、私を見て艶やかに笑った。
私はトイレを出てTVルームの前に来て、後悔をしていた。
《ギャートルズは失敗だった、簡単なのにしとけばよかった》と思っていた。
抱えている千秋さんは、細身だったが完全な脱力状態で重かった。
私は自分なりのイメージで、ドアを足でノックした。
《はじめ人間ゴ・ゴン・ゴ~ン》と呟きながら。
「チャッピー?」エミの声がした。
『うん、開けて』と静かに言った。
「私が今している勉強は?」と返事があった、なんて賢くて慎重な子なんだろうと、関心していた。
『割り算』と答えると。
「ピンポ~ン」とエミが言いながら開けてくれた。
『エミちゃん』と部屋に入り私が言った時。
「鍵かけたよ」とすぐにエミの返事があった。
私がベッドに行くと、綺麗に整えられていた、普段は手荷物とかが置いてある。
凄い子だよな~私は三度感心して、千秋を寝かせハイヒールを脱がせた。
大きなバスタオルが置いてあったので、それを下半身から胸までそっとかけた。
「松さんはブラのホックも外すよ」と声がして振向くと、エミが少し大人びた表情でニコニコしてる。
『お子ちゃまは寝なさい』と笑顔で言うと。
「は~い」と少女の笑顔を残し、飛んで行った。
私は横になった3人娘のベッドの横で、照明を暗くして、座っていた。
静かに耳を澄ますと、微かに聞こえる、戦場のフロアー音の中に、蘭の声を探していた。
3人娘の寝息を感じながら、私は目を閉じ瞑想に入っていた。
蘭の顔を浮かび上がらそうとしたが、浮かび上がるのは、あの死人のような目だった。
コンコンと静かなノックの音がした。
『誰ですか?』と私は静かに聞いた。
「私、ケイ」と返事があった、私は声でケイだと分かったが、悪戯心が起きだした。
『合言葉を』・『ケイ?』・・・少しの沈黙があり。
「可愛い」プッと自分の言葉に吹き出していた。
『ピンポ~ン』私は笑顔でドアを開けた。
「もう、馬鹿なんだから~」そう言いながらケイは笑顔で入ってきた。
『可愛い、とくるとは』私の言葉に、ケイは少し頬を染めて。
「ピンポ~ンって言ったじゃない」と微笑んだ。
『事実でしょ』確かに私はケイの事を、心から可愛いいと思っていた。
「本当にお喋りは天才ね、女の機嫌をとるのも」と言って可愛く笑った。
ケイは簡易ベッドの、千秋さんを見に行った。
「今夜は駄目みたいね、ボーイが最近フロアー慣れてない人で、一気させられたみたい」ケイはそう言って。
「よろしくね、襲ったら駄目よ」と笑顔で出て行った。
私はマジックミラーのカーテンを開け、今夜も盛大な宴を見ていた。
その華やかな裏に隠された、真実を少しだが垣間見て、仕事は大変なんだと実感していた。
《幻想》なのだと、この宴は彼女達が必死に作り上げている。
【幻想の宴】だと思っていた。
私から見える正面の席に、蘭が来て座った。
マジックミラー越しだから、私が見える事は絶対にないのに。
蘭が私に向かって、満開で微笑んだ。
少し疲れたような、その微笑をじっと見ていた、そしてお客と談笑し笑っている姿を。
《きちんと仕事としてやり、きちんと辞められる人間》マダムが言った。
ユリさんの言葉を思い出していた、強く輝く蘭の姿を追いながら・・・。