表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/454

原点回帰

 悲しい時には空を見る、あの時のあの人のように。


私は4月2日生まれで、通っていた幼稚園の出席順が、誕生日順だったので1番でした。

入園式や卒園式、あらゆるイベントで代表をさせられていました。

その影響でしょうか、齢50が近い今でもかなりの目立ちたがりやです。


年中の桜組の担任は洋子先生、華奢な体に高いトーンの声で、ケラケラとよく笑う先生でした。

大学を出たばかりだったのでしょう、その可愛さに一撃でやられたと思います。

その愛らしさに初めて、儚い恋心を抱いていたと思います。


5月の中旬でした、洋子先生が園児全員を集めました。


「お友達同士で、2人で1組を作ります」と突然洋子先生が笑顔で言いました。


全員を並ばせて、洋子先生が2人組みを作っていきます。

私は普段1番に呼ばれるのに、最後まで呼ばれませんでした。


『洋子先生、俺は?』そう声をかけた時でした。

洋子先生は初めて見せる、真剣な顔を私に近づけて。

「チサちゃんで良い?」と私の耳元に囁きました。


チサは障害児で、上手く歩くことも、話すこともできない少女でした。

私は互いの家が向かいということもあり、物心つく前から遊んでいたので、チサの表現を理解していたからでしょう。


『いいよ』私は何も気にする事も無く、笑って答えました。


それから夏休み前までは、チサとも遊んでいました、夏休み明けからチサが来なくなり.

チサが入院したと聞いても、幼い私は気にとめる事もなく過ごしていました。


2学期の終了式が12月24日だったと思います、クリスマス会などがあり楽しい一日でした。


「今日は先生が一緒に帰るから」と洋子先生に言われ、私は小躍りして手を繋いで帰りました。

家が見えたとき、チサの家に沢山の人がいました。


『チサの家、何かあったのかな~?』と笑顔で先生を見ると。

立ち止まり拳を強く握り眉間に力を込めて、チサの家を見ていました。

私はその表情に圧倒されて、黙って家に帰りました。

家に帰ると母が待っていて、着替えようとする私に。


「制服は脱がんでいいよ」と母が着替えようとする私を制した。

そして静かに入ってきた洋子先生を見て、母も淋しそうな顔を向けた。


「先生・・残念やったよ」と母は洋子先生に声をかけました。

「本当に・・なぜ・・」洋子先生は俯いて、まるで誰かに囁くように呟いた。


「チサが死んでしまって、天国に行ったんだよ」母が私に向かって言いました。

未熟な私には【死】の意味が理解出来ずに、ただ黙って悲しそうな洋子先生を見ていた。


それからチサの通夜に行き、私は実感も事実を把握する事も出来ず。

悲しげな大人達の顔を見て、チサの遺影を見ていた。


チサの通夜の帰りに元気のない先生を見て、母が私に笑顔を向けた。。


「お前も男なら、先生をバス停まで送ってこい」と母が言いました。

私は断る洋子先生の手を強引に引いて、笑顔で歩きはじめました。


先生は私の後ろを、俯き加減に歩いてきます。

私は洋子先生をなんとか笑わせようと、他愛もない話を矢継ぎ早に繰り出していました。


『チサは大人になったら・・洋子先生みたいに、なりたいって言ってたよ』どういう話の流れでそうなったのか覚えていない。

私の言葉を聞いて、洋子先生は立ち止まり空を見上げた。


昭和43年のクリスマス、空気は澄み渡り夜空は満天の星が瞬き、寒さは感じなかった。

私が見上げる洋子先生の頭上には、遥かなる宇宙が広がり。

気の遠くなるほどの長い旅路の果てに届いた光が、優しく照らしていた。

洋子先生の暗く寂しい想いと、私の未熟な心を。


『先生・・どうしたの?』夜空を見上げ続ける洋子先生に聞いた、純粋な心のままに。

「サンタさんが見えないかと思ってね」そう言って洋子先生は、星空に優しく微笑んだ。


私はその洋子先生の微笑みに、無意識に心のシャッターを押した.

忘れられない大切な一瞬が、私の心のアルバムに追加されていた。


それから15年後、私の親父の通夜の席で、酒を飲みながらチサの母親から真実を聞いた。

チサの両親は、チサを普通の子供として育てたかった。

幼稚園も普通の子供と同じ所に通わせたく、園長先生に相談に行った。

園長は大きな寺の住職でもある、情も懐も深い素晴らしい人物だったが。

この件ではさすがに、2の足を踏んだという。


無理からぬ事だ、担当する者の負担を考えると簡単に了承できない。

園長はチサの両親を前にして、その必死の要請を聞いて悩んでいた時だった。


「園長、受け入れましょう」と洋子先生が笑顔で言った。


「本当に勇気のある人だったのよ・・私達の心の負担まで考えて、終止笑顔のままだった」チサの母親は親父の遺影を見ながら語った、忘れた事のない愛娘の思い出を。


洋子先生は入園前の春休み、何度もチサに会いに来て触れ合った。

業務外の行動だったのだろう、チサを預かる覚悟だったのだろう。

自らの言葉に責任を持つ、簡単にできる事ではない。


その頃、20歳の私は上京していた。

バブルという空虚な祭りを、最前線で謳歌していた。

親父の死を受け入れる準備もできてなく、ただ寂しさだけがあった。


「本当の優しさは気付き難いもんだね・・あんたの親父さんも、本当に優しい人だったよ」チサの母親は笑顔で私に言った。。


私の親父は戦時中生まれの頑固な職人で、鉄拳制裁が教育方針の堅物だった。

私はいつの頃からか親父と距離を置き避けてきた、そしてそのまま親父は逝った。

親父との思い出を回想していると。


「遅くなってすまん、親父は残念やった」その暖かく太い声が私の心を戻した。

『兄さん・・豊兄さん』私はその身長190cm近くある大きな男を見た。

その体も心も大きな男を見て、私は心の何かが切れてその場で号泣した。


「今は泣け、そして後悔しろ・・だがな、親父は何も後悔しちょらんぞ」


私の目を見据えた豊兄さんの目は、出会った時と同じ暖かさを湛えていた。



 途切れ途切れの未熟な心が愛おしく懐かしい・・・大切な時


私の生まれ育った宮崎では、冬のワンシーズンに数回しか雪が降らない。

雪が降ると、小学校では授業を中断して校庭を走り回った。

微かな粉雪の感触を必死で感じようと、空を見上げ口を開けて走った。

それほど貴重な物だった、雪国の人は信じられないでしょう。


忘れもしない小6の冬、その冬は寒く2学期の終わり目前で、もう3度も雪が降っていた。

私は頼まれた事もあり、欲しいものも有って、新聞配達をしていた。

近所の中1のツッパリ君が、サーフィンを始めたのを見て。


《かっけ~!》と思い、私も小4からサーファーの仲間入りをしたのだ。


私は夏までに、新しいボードが欲しかったのだ。

つっぱり君の姉が中3の恭子さん、私が物心付いた時には常に側にいた。


ショートカットの髪を軽くウェーブをかけて、小さい体に小さい顔。

何も入ってないであろう、薄い鞄がトレードマークだった。

アイドルのような可愛さがあり、私の同級生の男どもにも人気が有った。


恭子さんもバリバリのツッパリで、私の姉と駄菓子屋のリーゼントのマキさん。

この2人加えた3人組を【限界トリオ】と呼んで、小学生の私たちは恐れていた。


2学期の終業式前日だったと思う、新聞を配り終えて愛車のママチャリで帰っていると。

寒い冬の朝なのに、ツッパリ君の家のガレージから恭子さんが手を振っていた。

私は格好付けて、急ハンドルで車体を傾けて近づいた。


『早いね、どうしたの?』と私は笑顔で声をかけた。

「待ってた、駅まで乗せてって」と恭子さんは、ママチャリの後ろに乗りながら言った。

私は恭子さんの笑顔に違和感を感じながら、大きなバッグを受け取り籠に入れた。


「レッツゴーーー!」と恭子さんが叫んで、私は走り出した。

私はチャリを漕ぎながら、背中に触れる恭子さんの確かな胸の弾力に緊張していた。


『どこに行くと?』前を見て速度を上げながら聞いた。

「大きな街・・ウチは今年、サンタになるかい」私の耳元に大声で返してきた。

その声は強い意思があり、向かい風の北風を押し返した。


私は宮崎刑務所(現在は公園)の高い塀沿いに進んだ。

悪ガキの秘密の遊び場である、駅裏の狭い路地を抜けると、宮崎駅のホームが見えた。


「うんうん、ダテに悪ガキをしてないね~」と恭子さんは妙に感心して、チャリを降りた。

『乗るの?』私はチャリを停め、かごのスポーツバッグを恭子さんに渡しながら聞いた。


その瞬間、恭子さんはその可愛い顔に似合わない不敵な笑みを浮かべた。


「ダッシュ!」と二ヤ顔で言って、恭子さんはホームに向かって走り出した。

一瞬呆気に取られた私も、スポーツバックを肩に掛け追いかけた。

恭子さんは、線路の安全確認をしながら走っている。


顔を出し始めた太陽が、その光で恭子さんの背中を照らし。

冬の朝特有の澄んだ世界が見守っていた、無鉄砲な挑戦者を。


1番ホームに発車待ちの寝台特急が停車していた、東京行きの【富士】だった。

恭子さんが線路の方から、駅員がいないかチェックしてる所に私が追いついた。


「決定やね」恭子さんは振り返り、笑顔でウィンクをした。

『東京行き?』私は汽車を見上げながら聞いた。

「どこでも良いよ、宮崎より大きい街があるやろ」と恭子さんは自分に言い聞かせるように呟いた。


二人で寝台急行に潜り込み、夫婦2人旅であろう人の後ろに、目立たないように席を確保した。


「OKやね」と言った恭子さんに、私は不意に頬にキスをされた。

「ありがとう、なんもお礼できんから」と言った恭子さんの笑顔が、私の顔の前にあり私は凍結した。

「誰にもしてないから、貴重だからね~」と言って恭子さんは笑った。


私は姉に連れられて3人と遊んでいて、限界トリオのパシリをしていた。

それを楽しんでいたし自慢だった、そして恭子さんとマキさんに何度も恋心を抱いていた。


『俺・・帰るね』私はどうして良いのか分からずに、笑顔で言った。


自分の中に新たに芽生えた気持ちの、整理がつかない私は、逃げるように汽車を降りた。


「気~つけてね、誰にも言わんでね~」と恭子さんが叫んだ。


逃亡者の私の背中に、美しい挑戦者の声が響いていた。

私はチャリまで戻り発車を待った、鈍い音の合図があり汽車はゆっくりと走り出した。

夢だけを乗せて・・踏み出せない未熟な心を置き去りにしたまま。


その日の夜8時位に、恭子さんの母親から姉に電話があった。

何も知らない姉はそう言って電話を切り、聞き耳を立てていた私を見た。


「あんた、何も知らんよね?」と姉が私に聞いた。

『どうしたの?・・何かあったの?』私は必死にとぼけていた。


次の日が終業式だったと思う、私が学校から帰ると、母が恭子さんの母親と玄関で話していた。

恭子さんの母親は後妻さんで、若く綺麗な人だった。

私は後妻さんが、恭子さんやツッパリ君と打ち解けようと頑張っていると、近所の大人達の話で聞いていた。


その母親が心配そうに話しているのを見てられずに、私は逃げるように遊びに出かけた。

近所の駄菓子屋が私達悪ガキの溜り場で、そこに集まり何をするのか話し合う。

駄菓子屋に向かっていると、駄菓子屋の外にツナギを着た大きな背中が見えた。


『豊兄さん!』私は大きな声で呼び、走って近づいた。

「おう悪ガキ、久しいの~・・チ〇コに毛がはえたか?」と言って右手に拳を握り差し出した。


豊兄さんは昨年中学を卒業した元番長さんで、その時には180cm超える長身の美少年だった。

豊兄さんの差し出した、大きな拳に私は右手の拳を当てて。


『まだ』と照れた笑顔で呟いた。

この挨拶が後輩の間では憧れで、それが出来る私には大きな自慢だった。

私の同級生のマセた女子の中には、真剣に豊兄さんを紹介してくれと言う者までいた。


『豊兄さん、話があるんやけど』私は恭子さんとの約束を必死に守って、誰にも言わないでいた。

だが未熟な私には辛かったのだろう、豊兄さんに全てを打ち明けた。


「そうか、大丈夫や恭子は帰って来るから・・お前は黙ってろよ」そう言って、綺麗に纏めたリーゼントの髪に手をかけて笑った。

私は出会った時から憧れていた、容姿ではなくその生き方に、今現在でも・・・。


その日の夜の10時過ぎに、私の部屋の窓をコンコンと誰かがノックした。

私が恐る恐る開けて見ると、赤い服を着た恭子さんが立っていた。


『恭子!』私が呼ぶと。

「恭子じゃないよ、サンタだよ~」と恭子さんがおどけて見せた。

恭子さんは笑顔で窓から侵入してきて、私のベッドに座った。。


「はい、クリスマスプレゼント」と笑顔で言って紙袋をく差し出して。

「VANやから・・高いからね~」と可愛く微笑んだ。


それから、博多の駅で降りて改札を飛び越えた話や、帰りの話をマシンガンのように話して。


「私ね」と恭子さんが突然呟いた。

声のトーンが変わり真剣さが伝わってきて、私はハッとして恭子さんを見た。


「中学出たら、豊君と結婚するの」満面の笑顔で言って。

「でも親父がね・・・」少し暗い表情になり呟いて俯いた。

恭子さんの親父は、警察官で堅物の頑固者だった。


『話したの?』と私は聞いた。

「今からね・・頑張ってみるよ」そう強く自分に言って、恭子さんは笑顔で帰って行った。


翌日の寒い早朝、新聞を配り終えて帰ろうとした私は凍結した。

恭子さんの家のガレージに、人影を見つけたのだ。


ガレージで恭子さんと豊兄さんと、後妻さんとツッパリ君が座っていた。

いや土下座しているのだ、年末の早朝コンクリートの上に正座などできるだろうか。

私はそう思い見ていた、4人は正座して土下座しているのだ。

よく見るとガレージの車の中に、恭子さんの父親が運転席に座っている。


《お願いしてるんだ!》親父の顔を見て、未熟な私にも状況が理解できた。


私は急いで家に帰り姉に報告した、姉は駄菓子屋のマキさんに電話して出て行った。

私も追って出ようとした時に、母に呼び止められ事の次第を話して、恭子さんの家に向かった。

恭子さんの家のガレージの土下座には、姉とマキさんも加わっていた。


私は感動していたその姿に、もちろん未熟な私には、はっきりと何かが理解できた訳ではない。

しかしその6人の背中が、確かな想いに溢れていた。


恭子さんと豊兄さんはお互いを想い、後妻さんとツッパリ君は二人を想い。

姉とマキさんは友を想って土下座してる、私はそう心に呟いた。


私も姉の横に座り土下座に加わった、不思議と冷たさや寒さを感じなかった。

どれほどの時間が過ぎたのだろう、その膠着を破ったのはチサの母親だった。

チサの母親は車の助手席に座り、恭子さんの親父と話していた。


今現在、娘を持つ父親になって考えると。

15歳の娘の決断を、許せる訳がないと思う、その時は当然わからなかった。


数分後チサの母親は帰っていった、恭子さんの親父は、意を決して車から出てきた。


「数年後の将来、恭子は後悔する時が来るかもしれん・・・その時は、お前が命がけで支えるか?」と豊兄さんに強く聞いた。

「はい!・・この命の全てを賭けて」と豊は即答した。


揺れないのだ、分かりもしない明日などに揺れない、そういう生き方をしている。

あの頃も、50を過ぎ孫を抱いている今でも。


チサの母親の話は、後日私の母から聞いた。

チサが幼少の頃、チサの母親は外に出さなかった。

あの頃の子供は純粋であるがために、時に残酷な者だから。

だがチサは皆と当然遊びたい、外からは子供の楽しげな声が聞こえるのだから。

その幼いチサの手を引いて、子供の世界に連れ出したのは、小3の豊兄さんだった。

私達に仲良くやれと教え、最初の頃は常にチサの傍らにいて、上の子供にも何も言わせなかった。

誰かに頼まれたのではない、自らの心のままに行動したのだろう。


チサの母親は豊兄さんに心から感謝していた、そしてその生き方を信じていた。

チサの母親は、恭子さん父親にこう言った。


「あんたは豊を知っている、本当は嬉しいよね・・少し早いだけ、でもチサは5歳で逝ったよ」


母親は恭子の親父にそう強く言った・・人は忘れない、暖かい想いは。



 教科書や参考書には載ってない・・・大切な教えは


恭子さんの失踪事件の、1年前の年末だった、私達小5の悪ガキ仲間に事件が起きた。

私達悪ガキ仲間の2人が、中1のグループにやられた。


冬休みの私達は、駄菓子屋の2階に集まった。

駄菓子屋は古い木造の母屋の1階が店で、奥が婆さんが暮らす家。

小さな離れが隣接しており、1階の開き戸を開けると大きなテーブルに椅子が数脚あった。

悪ガキ達がマンガや、親に見られたくない雑誌を置いていた。


離れの2階に2部屋あり、右がマキさんの部屋で、左がちゃぶ台だけある何もない部屋だった。

私達は駄菓子屋の婆さんに断って、2階の左の部屋に集まった。

多分8人だったと思う、その内の二人がやられていた。

長い沈黙があり、Mが口火を切った。


「どげんするや?・・やられっぱなしじゃ、いかんやろ」それに対しSが「そりゃそうや!」と返した。

私達の仲間ではMとSが武闘派で、すぐに手がでる。

私は口も立っていたので、交渉と作戦は任されていた。


「お前が豊さんに、相談出来ないのか?」やられたYが言った。

『できん・・お前達でなんとかせいって、絶対言われる』と私は真顔で返した。

私は確信的に思っていた、無傷の私が相談しても無駄だと。


『でも何もせん訳にはいかん・・俺らが中学上がった時に、そいつら3年やかい』と強く言った私の言葉に皆が頷いた。


『やり返そう』と私は叫んだ、全員が真顔で頷いた。


その時代、下が上に逆らうとはどういう事か、悪ガキの私達は知っていた。

重い空気をそのまま背負い部屋を出た時に、薄暗い階段の下の扉が開いた。

光を纏いながら、綺麗なリーゼントのマキさんが現れた。

後光に照らさるマキさんを見て、綺麗だと思っていた。


マキさんはトントンと階段を上り、私たちを笑顔で見た。


「どうしたの?・・戦争にでも行くような顔して~」とマキさんが微笑んだ。

私達が黙っていると。

「急ぐ事ないよ・・美味しいクッキーあるから、食べて行きな」と言って、私達を元の部屋に押し返した。


マキさんが怪しげなクッキーの缶を、ちゃぶ台の上に置いた。


「外国製やからね~・・美味いよ~」と明るく言って、やられた仲間に絆創膏を張りながら。

「いい男が台無しやね~」と笑顔で言った。

私達は黙ってクッキーを食べていた。


「決めたんだろ、決めたんなら前向かんね・・命まで取らんだろ」とマキさんが私達を見回して、真顔で強く言った。

その言葉が私達を押した、マキさんに頭を下げ、部屋を出て階段の下で靴を履いていた。


「あんたらが怖い時は、相手も怖いんだからね・・堂々とやられておいで」とマキさんが笑顔で言って手を振った。


あの頃はそういう時代だったのだろう、日本は戦後の復興を果たし、成長を続けていた。

親達は皆忙しく働き、子供には子供の世界があった。

上が下をみる、そんな当たり前のシステムが、脈々と受け継がれ完成していた。


私達は一度【仲良し公園】に行き、真剣に話し合った。


「誰からやる?」Mの問いに。

『キングやな』と私が笑顔で返した。


キングとは中1で180cm以上あり、相撲部屋がスカウトに来たほどの、巨漢の有名人だ。

私の言葉にMとSが頷き、他の5人の顔は緊張した。

私が呼び出す事になり、奴等の溜り場のたこ焼き屋に向かった。


たこ焼き屋の扉を開ける時、《いないでくれ》と心で願った。

扉を開けると、奥の席にキングとコオロギ(命名:私)が寝転んでいた。


私は意を決してツカツカと中に入り、キングの前に立った。


『話があるけん、表に出ろや』と私は映画の菅原文太を真似て言った。

「なんやー、クソガキ」いきり立つキングを、コオロギが抑えた。

「まぁ待て、こいつは1区やかい」とコオロギが言った。


1区とは私達の学校の地区割りで、私の住んでいた地区は大きく、1区・2区と区分けされていた。

そして1区には、豊兄さんがいたのである。


「なぁ小僧・・誰ときたんや?」コオロギがメガネの奥の細い目を、より細めて聞いた。


『心配せんでも俺らだけやけん、落とし前つけにきたんや』文太継続中で言って。

『仲良し公園でまっちょるかい、逃げんなよ』私はそう言って足早に店を出た。


仲良し公園に戻る途中で、冬空にマキさんを思い出していた。

足りない頭で必死に考えた、その言葉の意味を。

公園に着き仲間の顔を見て分かった、幼く未熟だったと思っていた。


「いたのか?」と声をかける、心配げな仲間に向かい。

『いたよ・・キングとコオロギや』と真顔で返した、沈黙が支配した。


『今回は俺とMとSでやる、お前らは手を出すな』と私が強く言った。

「なんで?」とUが聞いた。

『俺達は1区やかい・・キングには勝てん、それで終わりやないからな』と言った私の言葉を、MとSは理解したように頷いた。


キングとコオロギが来ていきなり始まった、勝負は5分程で決着した。

文太をやった私が1番激しくやられて、うずくまった所に2発腹に蹴りが入り、私は立てないでいた。


「その位で、良いんじゃないの~」私はすぐに誰の声か分かった。

「ね~・・もう良いころやね~」2人も!私はその声をうずくまり聞いていた。


「関係ない奴は、口出すな!」明らかに動揺しているコオロギが叫んだ。

そのコオロギの顔の前10cm位に、恭子さんの顔があった。


「ガキ共が帰らんかい、迎えに来たんだよ~・・1区は家族だからね」と恭子さんが言った。


目の前のコオロギから、視線を外さずに真直ぐに立っていた。

その目は噂に聞いた【狂子】だった、コオロギは視線を逸らし黙りこんだ。


「徳~、あんたもえろなったね~」とキングに向かい、マキさんが歩み寄っていた。

キングも黙り込み、後ずさりしている。


「あんたらも、3こ下に手を出したんや・・私等もあんたらに、手を出して良いんだね?」と言ったマキさんが、夕焼けに照らされて輝いていた。

日本人離れした彫の深い顔がさらに深くなり、その深さ以上の深い何かを、その目が湛えていた。


「あんたらが、私等に逆らう勇気があるならね」と恭子さんが微笑んで止めを刺した。


コオロギとキングが黙って帰り、私達も解散した。

MとSの家に恭子とマキのコンビで送り、二人の母親に説明をしてくれた。


「怒らんでやって下さい」と2人が言って頭を下げると。

「ありがとね・・やられた方が魂が入るかい、良いとよ」と二人の母親が笑顔で言った、まるで申し合わせたように。


「さてと、最後は1番の問題児やね~」恭子さんが笑顔で言うと。

「今夜は、2階の部屋に泊まりな」とマキさんも笑顔で言った。

私が親父との関係上、ボロボロの顔で家に帰り難い事を知っていたのだ。


駄菓子屋に着くと姉が待っており、私の顎を掴んで見回した。


「な~んだ、たいした事ないね~」と姉が言って、限界トリオ3人で笑った。

「ほれ・・今夜は帰らんやろ」と着替えの入った紙袋をくれて、恭子さんと2人で帰って行った。


「風呂に入れ・・まっこつ、こんガンタレが~」駄菓子屋の婆さんがいつの間にか立っていて、風呂を指差した。


私は風呂に入るとあちこち痛んだが、開放感の方が強くて気にならなかった。

風呂から上がり、婆さんから握り飯を貰い2階に上がった、しばらくしてマキさんが部屋を覗いた。


「この部屋何も無いから、私の部屋で食べよう」と笑顔で言ったマキさんに付いて部屋に入った。


マキさんの部屋は以外にピンクが多く、可愛い感じの部屋だった。

唯一CAROLのポスターが、可愛い部屋に異彩を放っていた。


『やっぱり、永ちゃんか~』私が笑顔で言うと。

「もちろんよ」とマキさんが笑った。


マキさんは両親を亡くし、祖母である駄菓子屋の婆さんと暮らしていた。

長身で細身の体に彫の深い顔、少し茶色の髪が綺麗だった。


だが中学入学して髪の色と長さを注意され、生まれつきですという主張も無視された。

その教師の無視に対し、翌日から髪を切りリーゼントで登校した。

校則は肩までだからOKで、それ以来ずっとそのスタイルだ。

宝塚の男役って感じで、女子からも絶大な人気が有り。

バレンタインデーには同級生と後輩の女子から、チョコをどっさり貰っていた。


「なんでキングだったの?」マキさんが突然聞いた。

『豊兄さんなら、そうすると思った』と私はマキさんの目を見て正直に返した。


「なんで豊君に、相談せんかったの?」とマキさんが微笑んで聞いた。

『だって怒られるよ・・自分で何もせんで、相談すんなって』と真顔で答えた。

「お疲れちゃんでした」とマキさんが笑顔で優しく言ってくれた。

私は嬉しくて、照れた笑顔で返していた。


子供の私は眠くなり、何も無い部屋に戻って爆睡した。

翌朝私は人の気配で目覚めた、目を開くと豊兄さんが私を見ていた。


「起きんでいいぞ、どうした?」と豊兄さんが真顔で聞いた、私は事の成り行きを正直に話した。

「そうか・・大変やったな、お疲れさん」と豊兄さんが笑顔で言った。

その時遠くからバイクの音が近づいて来た。


「早いなー、お前は寝てろよ」そう言って豊兄さんは部屋を出て行った。

バイクは駄菓子屋に入り止った。

「朝からうるさいから、エンジン切らんね~」豊兄さんはバイクの男に声をかけた。

私は部屋の窓を少し開けて、覗いていた。


「おぅ、すまんね~・・久しいの~豊」バイクの男は源氏君だった。

名前の由来は知らないが、武闘派集団の水産高校の頭である。


「心配せんでいいよ、源氏君と豊君は仲良しだから」知らぬ間にマキさんが後ろに立っていた。

『何しに来たの?』と私はマキさんに聞いた。

「よく見て、絶対に忘れるなよ・・滅多に見られんからね」そうマキさんが笑顔で言って、部屋に帰って行った。


「豊、今回はすまんかった」源氏君は頭を下げた。

私は驚いて見ていた、水産高校のトップである源氏君である。

多分親にも教師にも下げた事のない頭を、中坊の豊兄さんに下げているのだ。


「小僧相手やったと、昨日聞いたんや・・ムネ【コオロギ】が来て、豊にやられる言うてな」2人は互いの目を見ている。

「やられて来いって言ったから・・今回は勘弁な」と言って、源氏君はもう一度頭を下げた。


「小僧達がとく【キング】に向かった、意味を分かってない・・ワシの駄目なとこや」源氏君の言葉を、豊兄さんは黙って聞いていた。


「もう良いよ、源氏君が来たんなら俺は良いけど」豊兄さんは真顔で言って。

「でも次は」と静かに言った時。


「分かってる、その時は覚悟をさせる」と源氏君が真顔で返した。

幼い私はどんなルールの上で、この会話が成り立っているのかなど、考えもしなかった。

多分2人は、ギリギリの状態で会話していたのだろう。

下を想って言葉を選び、無意味な争いを避ける為に。


私が高1の夏に駄菓子屋の婆さんが亡くなった、葬儀は地区の公民館で行われた。

通夜には幼い子供から老人達まで集まり、思い出話をしていた、それはまるで町葬のようだった。


「婆さんは残念やった」私は不意に声をかけられて、振り向くと源氏君が立っていた。

高校を卒業し、父と共に漁師になっていた。

仕事帰りに駆けつけたのだろう、作業着に魚臭いタオルを顔に当てて、誰はばかる事無く泣いていた。

やはり愛すべき人間なのである、私も寂しく悲しかったが泣けなかった。

周りを気にする、小さい人間だったのだろう。


「豊は?」公民館の床に座り、源氏君が聞いた。

『まだ来てないよ』私は隣に座り、真顔で答えた。


「実はあん時、婆さんが見てたんだ・・俺と豊を」源氏君は遺影を見て、溢れる涙を拭いながら。

「嬉しかったよ、守られてるようで・・本当に嬉しかった」と呟いて泣いていた。。

その時入り口から豊兄さんが入ってきて、斎場は静寂に包まれた。

豊兄さんは祭壇の前まで進み、正座して遺影を見た。


「ありがとうございました」と叫んで、豊兄さんは頭を下げたまま号泣した。

「豊の寂しさは・・別格やかい」源氏君もそれを見て、また泣いていた。


豊兄さんも源氏君も、駄菓子屋の2階に泊まった事がある。

風呂に入り握り飯をもらった、「こん、ガンタレが~」と愛されながら。


両親のいない豊兄さんは、碁盤職人の祖父と2人で暮らしていた。

小学校入学から中学卒業するまでの9年間、遠足やその他の弁当が必要な時には。

全て駄菓子屋の婆さんが、登校する豊兄さんを待って手渡しいた。

豊兄さんが宝物を扱うように大切に弁当を持っていたのを、今でも時折思い出す。

生産と廃棄を際限なく繰返す、今の時代だからこそ・・・。


ロウソクの光が照らす、祭壇の中央にある遺影には、美しい水彩画が飾られていた。

婆さんが晩年最も大切にしたその絵には、普段の割烹着を着た婆さんが微笑んでいた。

まるで泣いている豊兄さんに、優しく語りかけるように。

祭壇の前に座る豊兄さんの横には、歩き出したばかりの愛娘が心配そうに寄り添っていた。

豊兄さんの手を握り見つめていた、父の真直な生き方を。


今思うと小5から小6の私は、成長していたのだろうか?

私がその時点でも今現在でも、成長できたと確信できるのは、中1のあの暑い夏である。



 決断を迫られた時、自らの幸せを選ぶとは限らない、それ以上の幸福もあるのだから


いきなり殴られた、中1の夏休み。

夏休みに入ったばかりの7月末、私は親父の大切なカメラを持出して、プールに出かけた。

親父が仕事から帰るのは常に夜9時を過ぎた頃なので、安心して持ち出したのだ。

しかしその夜、私の不注意で事の次第がばれてしまい、殴られたのである。

もちろん勝手に持ち出した、私が一方的に悪いのである。

しかしその日の私は、それまでに溜まっていた物が爆発し、親父に殴りかかってしまった。

それまでは勝てるはずもないので、逆らった事は無かったのだ。


親父は激怒して、向かってきた私を容赦なく殴りつけた。

そして最後に担がれて、玄関から外に投げ捨てられた。


「2度と家の敷居をまたぐな」そう言って鍵をかけられた。

親父に刃向かった私は、放心状態で道路に座っていると。

姉の部屋の窓が開き、姉が靴を投げてくれ手招きをした。


「これ」と言って、母から預かった3000円をくれて。

「しばらく帰らんほうがいいよ」と姉が二ヤで言って窓を閉めた。


母も姉も、私が祖母の家に行くと思っていたのだろう。

しかし、少し大人になったと勘違いしていた私は、大金も手に入れて気持ちも大きくなり。

繁華街に向かって歩きだした、最高の出会いが待っているとも、知らないままで・・。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ