新婚旅行でテロに遭って異世界転生した私、うっかり魔法を試してオムツを汚す。
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
人生の幕切れというものは、得てして唐突に訪れるものらしい。
つい数ヶ月前まで、私はごく普通の女子高生だった。そして卒業半年後に、ずっと片思いをしていた担任の先生と結婚した。押して押して押しまくった結果よ。年の差なんて関係ない、これから幸せな新婚生活が始まるんだと、胸を膨らませて出発した新婚旅行。しかし、旅先の異国で巻き込まれた不運なテロ。爆風と悲鳴のなかで、私の18年という短い生涯はあっけなく閉じられた。
――はずだった。
次に意識が覚醒したとき、私の視界はひどくぼやけていた。
手足を動かそうにも、自分の意志が神経に伝わらない。泥のなかに沈んでいるかのように体が重く、ただ「あー」とか「うー」とかいう情けない声が口から漏れるだけ。
(まさか、植物人間になっちゃったの? 先生は? 先生は無事なの!?)
パニックになりかけた私を優しく抱き上げる、温かい手があった。見上げると、そこには金髪の、信じられないほど美しい外国人の女性が微笑んでいた。彼女が話す言葉は日本語ではない。それなのに、なぜか意味だけは頭に直接流れ込んでくる。
「まあ、愛らしい我が家のアルティナ、今日からあなたが私たちの宝物よ」
その瞬間、私の脳内にひとつの突飛な結論が浮かんだ。
生前、クラスの男子たちが熱心に読んでいたライトノベルの知識。これがいわゆる「異世界転生」というやつなのだろうか。
どうやら私は、前世の記憶を持ったまま、全く別の世界の赤ん坊として生まれ変わってしまったらしい。
(泣いていても始まらない。異世界といえば、お約束は魔法よね!)
私は早くも現実を受け入れ、生き抜くためのポテンシャルを確認することにした。小説の主人公たちのように、体内の「魔力」とやらを意識してみる。へその下あたりに意識を集中させ、ぐぬぬぬぬ、と全身に気合いを込めた。
いけ、私のなかの未知なる神秘の力よ! 目覚めよ魔法!
「ぶ、りりりりりっ」
快音とともに、下半身にえも言われぬ温かさと重量感が広がった。
「あらあら、アルティナちゃん、元気いっぱいにうんちが出ちゃったわね。お腹がすっきりして良かったわね」
優しく微笑むお母様の手によって、手際よくオムツが替えられていく。
私は羞恥心で顔を真っ赤に染めながら、心の中で激しくのたうち回った。18歳の記憶を持ったままのオムツ交換は、精神的ダメージが大きすぎる。魔法への挑戦は、もう少し括約筋が成長してからにしようと、私は固く心に誓ったのだった。
それから数年が経ち、私は自分の置かれた環境をそれなりに把握できるようになっていた。
私の新しい名前はアルティナ。そして我が家は、この「グランヴェル帝国」の北端に位置する、広大な領地を治める辺境伯家だった。
貴族。なんと素晴らしい響きだろう。前世は庶民だった私にとって、贅沢な暮らしが約束されたイージーモードの人生が始まる――そう思った時期が、私にもありました。
「ハァーーーッ!!」
早朝、庭から響き渡る地鳴りのような咆哮。
窓から外を覗くと、上半身裸の筋骨隆々とした大男が、身の丈ほどもある大剣をぶん回していた。彼こそが私の今世の父親、ガルド・フォン・グランヴェル辺境伯である。
「まだまだ甘いぞ、レオバルト! 剣の軌道がブレている! そんな軟弱な一撃では、ダンジョンの下層に巣食うオーガの首一つ落とせんどころか、爪楊枝代わりにされて終わりだ!」
「くそっ、親父! まだまだこれからだ!」
父親に負けず劣らずの体格をした金髪の少年が、果敢に木剣で斬りかかっていく。彼は私の5歳上の兄、レオバルト。現在12歳にして、すでに前世のプロレスラー並みの体格を誇る、将来有望(?)な脳筋の卵だ。
「二人とも、朝食前から血気盛んですわね。ほら、エレオノーラも、お兄様たちの応援ばかりしていないで、素振りを終えたら汗を拭きなさい」
上品にお茶を飲みながらそう告げるのは、私を産んでくれた美しい母親、クリスタ。しかし、その足元には、鉄製の実戦用メイス(トゲ付きの鉄球がついた棍棒)が転がっている。彼女もまた、かつては「戦狂いの聖女」と呼ばれた一騎当千の猛者らしい。
「お母様! 私は今日こそ、お父様の背中に一太刀浴びせてみせます!」
そう言って汗を拭うのは、3歳上の姉、エレオノーラ。輝く銀髪をポニーテールに結び、引き締まった四肢を持つ美少女だが、その瞳には野生肉食獣のような鋭い光が宿っている。
そう、このグランヴェル辺境伯家は、ただの貴族ではなかった。
領地内に世界最大規模の「大穴(大ダンジョン)」を抱え、日々そこから溢れ出る魔物と戦うことを生業とする、帝国屈指の武闘派「脳筋一家」だったのだ。
「アルティナ! お前も大きくなったら、すぐに大剣を持たせてやるからな! 我が血脈の力をダンジョンの魔物どもに見せつけてやるのだ!」
朝食の席で、お父様がガハガハと笑いながら私の頭を大きな手で撫でまわす。
私は引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
(嫌よ。私は絶対に前線になんて出ない。今世こそは、安全で平和なスローライフを送るんだから!)
しかし、血の運命というものは、そう簡単に私を逃がしてはくれなかった。
7歳になると、この世界の人々は教会で「洗礼」を受け、自身のステータスや適性を確認する儀式を行う。
お父様とお母様に連れられて、私は領都の大きな教会へとやってきた。
「さあ、アルティナ。我が家の血を引くお前だ。レオバルトは『剛力』、エレオノーラは『神速』のギフトを持っていた。お前は一体、どんな戦闘特化の力を授かっているか楽しみだな!」
お父様が期待に胸を膨らませて私の背中を叩く。痛い。普通に骨が折れるかと思った。
神官様が厳かに祈りを捧げると、私の前に光の板――ステータスボードが現れた。この世界の住人にはお馴染みの、神の記述だ。
神官様がそれを覗き込み、眼鏡をズレ上がらせて凝視する。
「こ、これは……」
「どうした、神官殿? 我が娘の驚異的な筋力値に腰を抜かしたか?」
「いえ、その……グランヴェル閣下。お嬢様のステータスですが……『筋力 E』『耐久 E』『敏捷 F』……すべてにおいて、平均的な同い年の子供、いや、それ以下でございます」
「何だと!?」
お父様がボードをひったくるようにして見る。そこには、確かに貧弱極まりない数値が並んでいた。前世で運動部ですらなかった私だ。引きこもり体質がそのまま魂に遺伝したのかもしれない。
「だが、ギフトがあるはずだ! 我が家に生まれて戦闘系のギフトがないはずが……」
お父様の指が、ギフトの欄を指さす。そこには、こう書かれていた。
【固有ギフト 空間把握・全自動構築(仮称 全自動ダンジョン攻略マニュアル)】
【適性 時空間魔法、結界魔法、付与魔法】
「……魔法特化、だと?」
お父様が呆然と呟く。
このグランヴェル家において、筋肉ではなく「魔法」、それも直接的な攻撃魔法ではなく、補助や空間を操るような地味な魔法の適性が出ることは、前代未聞のことだった。
「あっははは! 筋肉がないなんて、アルティナは本当に僕の妹か? 羊の紛れ込みかと思ったぜ!」
後ろで見ていた兄のレオバルトが爆笑する。
「笑うな、レオバルト。アルティナが前線で戦えないというのなら、私が守るだけのこと。でも……本当に筋肉がつかないのかしら? 今から毎日、10キロのランニングと鉄アレイの素振りを課せば、多少は肉がつくのでは?」
姉のエレオノーラが真面目な顔で恐ろしいことを言い出す。
(やめて! 私の筋肉を無理やり肥大化させようとしないで!)
私は心の中で悲鳴を上げたが、同時に自分のギフトに目を留めていた。
『空間把握・全自動構築』。
そして、誰も気づいていないようだが、その説明文の端に、小さくこう書かれていたのだ。
『効果は周囲の空間構造を完全に脳内マップ化し、罠や魔物の配置をリアルタイムで検知する。また、指定した範囲に自動で最適な安全結界を構築する』
(これって……もしかして、めちゃくちゃ引きこもりに適した能力じゃない?)
ダンジョンに行かされるにしても、これさえあれば、自分は安全な後方で結界に引きこもっていられる。私の脳裏に、不純な、しかし切実な生存戦略が浮かび上がった。
洗礼から数年、私は10歳になった。
その間、私はお姉様の「地獄の筋トレメニュー」を必死で回避しつつ、自分の魔法とギフトの特訓に励んでいた。
空間魔法と結界魔法の相性は抜群だった。私のギフトを使えば、どこに魔物がいて、どう動くかが視覚的にすべて把握できる。そこにピンポイントで、物理攻撃を完全に遮断する結界を張る。私自身の筋力は相変わらず『E』のままで、実戦用の剣など重くて持ち上げられもしないが、防御とサポートに関しては自負があった。
そんなある日、グランヴェル家に激震が走った。
領地内にある大ダンジョンの第30層で、突発的な「氾濫」の兆候が見られたというのだ。
「よし! 野郎ども、宴の時間だ! 魔物どもが這い出てくる前に、こちらから乗り込んで根絶やしにするぞ!」
お父様が嬉々として大剣を掲げる。いや、遠足に行くテンションで魔物の大群に突っ込もうとしないでほしい。
「私も行きます、お父様! 新しい技の実験台が欲しかったところです!」
「俺が一番乗りだ! お前には負けねえ!」
レオバルトお兄様とエレオノーラお姉様も、目を血走らせて武器を握りしめている。完全に戦闘狂の集団だ。
「アルティナ、あなたも来なさい」
お母様が優しく、しかし拒絶を許さない笑顔で私の肩に手を置いた。
「ええっ!? 私ですか!? 私はお留守番で、皆さんの無事を祈る役目がいいのですが……」
「何を言うか、アルティナ! お前もグランヴェルの一員だ。現場の空気を吸い、血の匂いを嗅ぐことで、眠っている筋肉が目覚めるかもしれん!」
お父様が何を言っているのか分からない。筋肉は寝起きするものではない。
結局、私は半ば拉致されるような形で、ダンジョンの入り口へと連行された。
暗く、じっとりとした空気が漂うダンジョン。その奥からは、地響きと共に、無数の魔物の咆哮が聞こえてくる。
「行くぞおらぁぁぁ!!」
お父様の雄叫びと共に、脳筋一家がダンジョンの奥へと突撃を開始した。
「『空間把握』、展開!」
私は慌てて杖を構え、固有ギフトを発動した。
脳内に、ダンジョンの構造が3Dマップとして鮮明に描き出される。赤い光の点が、信じられないスピードでこちらに向かってきていた。
「お父様、お兄様! 前方からオークの集団、計50匹! さらにその頭上、天井の岩陰にシャドウレパードが3匹潜んでいます!」
「おお、よく見えるなアルティナ! 天井の猫どもは俺が叩き落とす!」
レオバルトお兄様が跳躍し、大斧を一振り。それだけで天井の岩盤ごと魔物を粉砕した。人間業ではない。
「オークは私が片付けます!」
エレオノーラお姉様が疾風のような速さで突撃し、オークの群れを次々と両断していく。
私は後方で、彼らの動きに合わせて細かく結界を展開した。
魔物が放つ不意打ちの毒矢や、死角からの噛み付き。それらすべてが、私の張った透明な結界に「キン!」と弾かれていく。
「ほう……アルティナの結界、実に見事だ。これなら背後を一切気にする必要がないな」
お母様が感心したように頷く。
そう、私のサポートがあることで、元から異常だった家族の攻撃力が、さらに何倍にも跳ね上がっていた。守りを完全に捨てて、100%の力を攻撃に振ることができるからだ。
「ガハハハ! 爽快だ! どこを見ても敵しかいない、これぞ戦場よ!」
お父様が大剣を振り回し、オークジェネラルを一撃で両断する。
脳筋一家の容赦ない蹂躙により、スタンピードの兆候を見せていた魔物の大群は、あっという間に消滅していった。
初陣は大勝利に終わった。
私の「全自動ダンジョン攻略マニュアル」の優秀性が証明され、私はめでたく(?)、我が家の「専属ナビゲーター兼絶対防御壁」としての地位を確立してしまった。引きこもり計画は見事に破綻した。
それから数年。私は15歳になり、グランヴェル辺境伯家のダンジョン攻略スピードは、帝国の歴史上類を見ない早さに達していた。
「おい、アルティナ。次の遠征だが、いよいよ第50層、未踏破領域の『深層』に挑むぞ」
ある日の作戦会議。いや、我が家では「いかに効率よく魔物を殴るか会議」において、お兄様が地図を広げた。
「深層……ついにそこまで行くのですね」
私はため息をついた。
第50層から先は、環境そのものが変化する。灼熱の溶岩地帯や、極寒の氷河地帯など、ただ存在するだけで体力を奪われる危険地帯だ。
「ふん、環境がどうあろうと、叩き潰せば関係ない!」
お姉様が拳を鳴らす。関係は大有りだ。
「今回は、帝都から視察の使者が来るそうだ。我が辺境伯家が本当に未踏破領域を攻略できるのか、疑っている不届き者がいるらしくてな」
お父様が不機嫌そうに鼻を鳴らす。
辺境伯家の戦果があまりにも早すぎるため、帝都の中央貴族たちが「嘘の報告をしているのではないか」と疑念を抱いたらしい。そのため、監査官として若きエリート騎士が派遣されてくるという。
数日後、その監査官が領主にやってきた。
現れたのは、白銀の鎧に身を包んだ、いかにも「育ちの良いエリート」という風貌の青年だった。年齢は20代前半といったところか。
「私が、帝国騎士団副団長にして、今回の監査を務めるジュリアス・フォン・アーレンスだ。グランヴェル辺境伯、お噂はかねがね伺っておりますが……まさか、このような子供まで連れて深層へ向かうおつもりか?」
ジュリアスと名乗った青年は、私を見て露骨に眉をひそめた。
確かに、私の見た目は華奢な15歳の少女だ。お父様やお兄様のような「筋肉の壁」に挟まれていると、余計に弱々しく見える。
「アルティナを侮るなよ、若造。こいつがいなければ、俺たちは全力を出せんのだ」
お兄様が睨みつけるが、ジュリアスはフッと鼻で笑った。
「フン、魔法使いのサポートなど、我が騎士団の精鋭でも代えがきく。足手まといにならなければ良いがな」
(あ、この人、典型的なフラグ建築士だ)
前世の記憶が警鐘を鳴らす。こういうプライドの高いエリートは、ダンジョンで真っ先にピンチに陥るのが相場だ。
私は心の中でそっと合掌し、彼が魔物の餌にならないよう、いつもより多めに結界の魔力を練り上げるのだった。
第50層、そこは「生きた火山」の内部だった。
足元を流れる溶岩の熱気が、防護服越しにも伝わってくる。硫黄の臭いと、ゆらめく陽炎。普通の人なら息をするだけで肺を焼かれるような環境だ。
「ふむ、少し暖かいな」
お父様が平然と言った。暖かいのレベルを超えている。
「これなら良い汗がかけそうだわ」
お姉様も涼しい顔だ。この人たちの皮膚はサイの皮か何かでできているのだろうか。
「……くっ、これが深層の環境か」
一方、監査官のジュリアスは、早くも額に大量の汗を浮かべ、呼吸を荒くしていた。重い白銀の鎧が裏目に出ている。
「ジュリアス様、前方に魔物の気配です。『空間把握』に感知あり。溶岩の中から現れます。数は1。……大型です!」
私の警告と同時に、目の前の溶岩溜まりが爆発するように跳ね上がった。
現れたのは、全身が燃え盛る岩石でできた巨大なトカゲ――『ラヴァ・サラマンダー』だ。それも、通常の個体よりも遥かに巨大な、変異種だった。
「グオォォォォン!!」
凄まじい咆哮とともに、ラヴァ・サラマンダーが口から超高温の火炎放射を放つ。
「ふん、トカゲの分際で!」
お父様が前に出ようとした、その時。
「下がっていなさい、辺境伯! ここは我が聖騎士団の秘技を見せてやる!」
功を焦ったのか、あるいは脳筋たちに見下されていると感じて意地になったのか、ジュリアスが中央に躍り出た。彼は魔力を込めた大盾を構え、火炎放射を正面から受け止めようとした。
「バカ、どけ!」
お兄様が叫ぶが、遅い。
超高温の火炎がジュリアスを飲み込む。彼の張った聖騎士の防護障壁は、一瞬でガラスのように砕け散った。
「な、何っ!? ぎゃああああっ!?」
鎧が熱せられ、ジュリアスが悲鳴を上げて転倒する。ラヴァ・サラマンダーはその隙を見逃さず、巨大な尻尾を鞭のようにしならせ、彼を叩き潰そうと振り下ろした。
直撃すれば、彼は肉片すら残らないだろう。
「『全自動構築』――三重絶対結界、展開!」
私は杖を突き出し、叫んだ。
ジュリアスの目の前に、幾何学模様の光の壁が三層にわたって出現する。
ドオォォォン!!!
金属が激突したような大音響が響き渡り、火花が散る。ラヴァ・サラマンダーの渾身の一撃は、私の張った結界の第一層すら突破できず、完全に停止した。
「え……?」
地面にへたり込んだまま、ジュリアスが呆然と上を見上げる。
「人の忠告は聞くものだぞ、お坊ちゃん」
お姉様がジュリアスの横を風のように通り過ぎた。
「我が妹の結界は、親父の全力の一撃すら耐える。お前の薄っぺらい盾とはワケが違うんだよ!」
お兄様が地を蹴り、宙を舞う。
お姉様がサラマンダーの目を鮮やかに潰し、目眩ましを食らった魔物の脳天に向けて、お兄様の大斧が容赦なく叩きつけられた。
ズドォォォン!!
一撃。ただの一撃で、硬固な岩石の皮膚を持つ変異種が、文字通り粉砕されて消滅した。後に残ったのは、巨大な魔石だけだった。
「……信じられん。これが、グランヴェル辺境伯家の戦力か……」
ジュリアスは、自分が助かったことへの安堵と、目の前で行われた圧倒的な暴力のショーに、完全に言葉を失っていた。
深層のボスを文字通り「秒殺」した我が家は、何事もなかったかのように領地へと帰還した。
監査官のジュリアスは、行きの時の傲慢さはどこへやら、完全に毒気を抜かれた様子で、私を見る目が「生意気な子供」から「未知の怪物」を見るようなそれに変わっていた。
「アルティナ嬢……先ほどは、命を救っていただき、感謝する。私の慢心が招いた事態だ。恥じ入るばかりである」
帰りの馬車の中で、ジュリアスが深く頭を下げた。
「いえ、無事で何よりです、ジュリアス様。我が家の者たちは、少々……その、距離感が独特ですので。実力を見誤るのも無理はありません」
私が苦笑しながら言うと、彼は顔を上げ、真剣な眼差しで私を見つめた。
「君のあの結界魔法、そして空間を完全に把握する能力。あれは、一国家の戦略バランスを揺るがしかねないほどのものだ。中央の貴族たちがこれを知れば、君を我が物にしようと、あらゆる手段を講じてくるだろう。……特に、第二皇子派の連中はな」
「えっ? 第二皇子……ですか?」
「うむ。現皇帝の後継者争いが激化していてな。武力派の第二皇子は、グランヴェル辺境伯家の力を欲している。今回の監査も、実は君たちの弱みを握るか、あるいは取り込むための布石だったのだ。私は……彼らの片棒を担がされていたわけだが、目を覚まされたよ。君のような至宝を、政争の道具にさせてはならない」
ジュリアスは意外にも、根は生真面目で正義感の強い青年だったらしい。彼は帝都に戻ったら、我が家に有利な報告書を提出すると約束してくれた。
しかし、彼の懸念は的中することになる。
数ヶ月後。帝都から一通の親書が届いた。
それは、第二皇子ルイ・フォン・グランヴェルからのもので、内容はこうだった。
『グランヴェル辺境伯家の第三子、アルティナ・フォン・グランヴェルを、我が側室として迎え入れたい。近々、帝都にて婚儀の準備を進めるように』
「なんだとぉぉぉぉ!!!」
領主の館に、お父様の怒号が響き渡り、お気に入りの高級マホガニーの机が素手で真っ二つに叩き割られた。
「我が愛しのアルティナを、あんな色ボケ皇子の側室だと!? ふざけるな! どこの馬の骨とも知れん男に、娘は一人たりともやらん!!」
「お父様、落ち着いてください。机が可哀想です」
私は冷静に突っ込んだが、周囲を見ると、お兄様もお姉様も、お母様までもが、静かに、しかし確実に「ブチ切れ」ていた。
「第二皇子か……。風の噂では、戦いも知らぬ癖に口だけは達者な男らしいな。一度、俺の大斧で耐久テストをしてやる必要があるな」
お兄様の目が完全に据わっている。耐久テスト(物理)。
「政略結婚など、我が家には不必要です。アルティナを奪おうというのなら、帝都ごと消し去ってしまえば良いのではなくて?」
お姉様がサラリと恐ろしいテロ発言を口にする。
「あなたたち、落ち着きなさい。……でもそうね、我が家の娘を無理やり連れて行こうというのなら、相応の『挨拶』はしなければね。久しぶりに、私のメイスの手入れをしておかなくちゃ」
お母様が笑顔で鉄球を磨き始めた。一番怖い。
(みんな、落ち着いて! 皇子相手に宣戦布告したら、それはもう反逆罪だからね!?)
私の前世の常識が、必死にブレーキを踏もうとする。しかし、この脳筋一家に「引き下がる」という選択肢は存在しないのだった。
第二皇子からの要求を拒絶した我が家に対し、帝都側は「不敬罪」を盾に、辺境伯家への圧力を強めてきた。
領地への経済制裁、さらには「アルティナを拘束するため」と称して、第二皇子直属の私兵団がこちらに向かっているという情報が入った。
「面白い。向こうから軍を動かしてくるというのなら、迎撃の準備を――」
お父様がニヤリと笑ったが、私はそれを遮った。
「お父様、待ってください。こちらから迎え撃つのは悪手です。領地が戦場になれば、領民に被害が出ます」
「む? ではどうするのだ、アルティナ? 皇子の前に大人しく這いつくばれと?」
「まさか。我が家の流儀は『やられる前に、相手の心を折る』、でしょう?」
私の言葉に、家族全員の目がキラリと輝いた。どうやら、彼らの好むフレーズだったらしい。
「私は空間魔法の適性があります。数年間の特訓で、特定の座標への『集団転移魔法』をマスターしました。……お父様、お兄様、お姉様。帝都の皇子宮の、彼の寝室のど真ん中に、直接乗り込みませんか?」
静寂が支配した。
そして次の瞬間、ガハハハハ! と地を震わせるような笑い声が湧き起こった。
「最高だ! アルティナ、お前は本当に我が娘だな! 筋肉はなくても、脳味噌の構造は完全にグランヴェルだ!」
(褒められてる気がしないけど、背に腹は変えられない)
私の計画はこうだ。
皇子が軍を動かす前に、首謀者である彼の元へ直接転移する。そして、圧倒的な武力を見せつけ、「これ以上調子に乗ったら、いつでも首を跳ね飛ばせる」という現実を突きつけるのだ。
作戦決行は、その日の深夜。
私は魔力を極限まで練り上げ、かつてジュリアスから聞いていた帝都の皇子宮の座標をロックオンした。
「『時空間反転・座標結合』――転移!」
視界がぐにゃりと歪み、次の瞬間、私たちは豪華絢爛な天蓋付きのベッドがある、広い部屋の中に立っていた。
ベッドの上では、派手な寝巻きを着た金髪の男――第二皇子ルイが、突然の気配に目を覚まして飛び起きた。
「な、何奴!? 賊か!? 衛兵、衛兵ーーっ!!」
ルイが悲鳴を上げるが、この部屋の周囲は、すでに私の『絶対遮音結界』で完全に包まれている。いくら叫んでも、外に声が漏れることはない。
「夜分遅くに失礼する、ルイ皇子殿下」
お父様が、大剣を肩に担いだまま、一歩前に出た。その巨躯から放たれるプレッシャーだけで、ルイは蛇に睨まれた蛙のように硬直した。
「グ、グランヴェル辺境伯……!? なぜ、なぜここに……!?」
「我が娘、アルティナを側室に迎えたいとの仰せ、直々に返答に参った。――断る」
「な、何だと!? 不敬であるぞ! 貴様ら、このような真似をして、タダで済むと――」
ルイが虚勢を張って叫ぼうとした瞬間。
お兄様とお姉様が、同時に動いた。
お兄様の大斧が、ルイのすぐ横にある大理石の柱を、豆腐のように一瞬で叩き斬った。
お姉様の剣が、ルイの髪の毛を数本、寸分の狂いもなく切り落とし、彼の喉元でピタリと止まった。
「ヒッ……あ、あ、あ……」
ルイの股間から、じわっと液体が染み出し、ベッドを汚していく。
前世の高校生の時、私の担任の先生(旦那様)が「暴力では何も解決しない」と言っていたけれど、この世界においては、圧倒的な暴力こそが最大の解決手段になるらしい。先生、ごめんね。私は今、完全に異世界の住人として染まっちゃってます。
「いいか、皇子殿下」
私は一歩前に出て、にっこりと微笑んだ。
「私の魔法を使えば、あなたがどこに隠れようと、一瞬で我が家の筋肉……いえ、家族をお届けすることができます。もし、これ以上我が家に不条理な要求をされるのであれば、次は枕元に、お父様の生首ではなく、お父様ご自身が直接お届けに上がりますので、どうぞお楽しみに」
「わ、わかった……! もう、グランヴェルには手を出さない! 婚約の話も白紙にする! だから、命だけは……!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした皇子は、完全に心が折れていた。
「交渉成立、ですね」
私は満足して頷き、再び転移魔法を発動した。
深夜の皇子宮への「家庭訪問」は、大成功に終わった。
帝都から戻った私たちは、再び平穏な(?)日常を取り戻していた。
第二皇子は約束通り、グランヴェル辺境伯家への一切の干渉を取りやめ、それどころか「体調不良」を理由に後継者争いから脱落したらしい。よほど怖かったのだろう。
「アルティナ、今日もダンジョンへ行くぞ! 第55層に、新しい魔物の巣が見つかったらしい!」
朝食時、お兄様がいつものように大斧を磨きながら声をかけてくる。
「お兄様、私は今日、領都の美味しいスイーツ店に行こうと思っていたのですが……」
「何をおっしゃるの、アルティナ。ダンジョンの中層にいる『バニラ・ビー』のハチミツは、どんな高級店の砂糖よりも美味しいわよ? 自分で獲りに行けばタダだわ!」
お姉様が爽やかな笑顔で恐ろしい提案をしてくる。高級スイーツを現地調達(命がけ)するな。
「ガハハハ! よし、今日の目標はバニラ・ビーの巣の全滅だな! アルティナ、結界の準備をしておけよ!」
お父様が嬉しそうに私の背中を叩く。やっぱり痛い。でも、昔よりは私の体も、少しは頑丈になっている気がする。洗礼の時には『E』だった筋力値も、もしかしたら『D』くらいには上がっているかもしれない。……上がっていてほしい。
私はため息をつきながらも、自分の愛用の杖を握りしめた。
前世の記憶を持って、異世界に生まれ変わった私。
かつての愛しい旦那様との生活は、あまりにも短く、悲しい終わり方をしてしまったけれど。
今、私の目の前には、暑苦しくて、破天荒で、信じられないほど自分を愛してくれる、最高の「脳筋家族」がいる。
テロで死んだ時は、自分の運命を呪ったりもしたけれど、こうしてもう一度、賑やかな人生を歩めているのは、きっと神様からの少し遅めの結婚祝い、あるいは新しい人生のプレゼントなのだろう。
「はいはい、分かりましたよ。じゃあ、サクッとハチミツを回収して、お茶会にしましょう!」
私は立ち上がり、家族の後に続いて玄関へと向かう。
辺境伯家の脳筋たちの怒涛の日々は、これからもまだまだ続いていく。私の張る絶対の結界と共に、私たちはどこまでも突き進んでいくのだ。
(あ、でも、ハチミツを獲る前に、ちゃんとお手洗いは済ませておかないとね。昔の二の舞はゴメンだわ!)
幼い日のオムツの思い出を苦笑いで振り払いながら、私は新たな戦場――いや、美味しいハチミツが待つダンジョンへと、元気に足を踏み出したのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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