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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

オカアサン

作者: もも

 今日はオカアサンの特売日だった。


「先週までこの十倍ぐらいの値段だったのに」

「流通経路がどこかで目詰まりを起こしてたみたいで、止まってたんだって。そのせいで生産されたオカアサンの三分の二ぐらいが保管倉庫で腐って駄目になりかけてたらしいけど、そういうのも全部ひっくるめてドバっと市場に出ちゃったもんだから値崩れ起こしたんじゃないかって、朝のラジオで解説してたよ」


 そんなことも知らなかったのかという顔で、まだ小学生の弟が言った。

 大量に入荷された剥き身のオカアサンが、店頭にずらりと並んでいる。顔色が悪く、肌にハリもないが、その分だけ価格はかなり安くなっていた。


「そういえば、来月の授業参観なんだけど」

「あぁ、そんなこと言ってたね」

「もしかして忘れてた?」


 弟は頬を膨らませてむくれた顔をする。

 激務と言われている部署へ異動になったこともあり、ゴミを出し忘れたり弟に渡されたプリントをどこかに失くしてしまったりと、うっかりする出来事が増えていた。


「ウチもオカアサン、買おうよ。皆、参観にはオカアサンが来るって言ってたし、僕だけいないのは恥ずかしいんだけど」

「私が行くんじゃダメなの?」

「……オカアサンがいい」


 どれだけ仕事を頑張っても、私じゃオカアサンの代わりにはなれない。

 自分の無力さを感じながら、私は特価品のカゴに並べられたオカアサンを改めて眺める。どれもこれも、パッとしない。出来ることなら、髪も肌も艶々として、いつもニコニコと笑う明るいオーラを纏ったオカアサンを買ってあげたかったけれど、今の私には金銭的な余裕がなかった。


 ――仕方ない。


 私は手前にあったオカアサンを弟の手を借りながらカートに移し、レジで精算を済ませた。


「背負って歩くのは無理だから、ここからは自分で歩いてね」


 鮮度の落ちた覇気のないオカアサンは、覚束ない足取りでゆっくりと一歩ずつ進む。裸のまま往来を行く姿が少しかわいそうで、私はバッグからストールを取り出し、肩に掛けてやった。帰ったらひとまず、私の服を着せよう。


 しなしなのオカアサンに必要なモノは、何と言っても水だ。

 水分を与えることで多少なりとも肌に潤いが戻る。


 家の中で一番陽当たりの良い場所へダイニングチェアを移動させる。オカアサンを座らせると、午後の柔らかな光がオカアサンの白い肌を更に白く照らした。


 コップに入れた水道水を、少しずつオカアサンの口へ流し込む。

 薄青い喉元が水を飲み込むたびに動き、水分を吸収しているのが可視化された。


 一日五回、コップ一杯の水を与え続けて一週間が経った。

 オカアサンの髪に少しずつコシが現れ、しおれていた肌にもハリが戻って来たが、顔色は青白いままで瞳も濁っている。


「オカアサン、参観までに元気になるかな……?」


 弟が心配そうにオカアサンの顔を覗き込むが、オカアサンはぐったりとしていて反応がない。


「お水しか飲んでないからね。栄養のある物を食べれば大丈夫だよ」


 私は弟の頭を優しく撫でる。

 弱り切った胃のために、まずは重湯おもゆから始めることにした。


「オカアサン、口、開けるね」


 細く尖った顎を左手で持ち上げ、顔を少しだけ上に向けると軽く口を開かせる。粗熱を取った重湯を載せたスプーンをわずかな隙間から差し入れると、オカアサンは反射的に咀嚼して飲み込んだ。


「美味しい?」


 感想を求めたが、相変わらず反応はない。私は淡々とスプーンに重湯を掬ってはオカアサンの口の中に入れ続けた。


 重湯の次は粥、具のない味噌汁、野菜スープと段階を踏む。唇を開かせないと食べることもままならなかったオカアサンも少しずつ自分から口を開けるようになり、購入日から三週間経った今では自主的に肉や魚など固形のたんぱく質を食べるようになった。


 栄養バランスが整ったことで健康的な肌艶が蘇り、ぱっちりとした二重の瞼と厚みのある唇を取り戻したオカアサンはとても女性らしく、美しかった。気力と体力が宿ったオカアサンは鏡に映る自分の顔に見惚れた後、私を見ては毎日のように文句を言うようになった。


「硬い赤身の肉なんて、もう飽きたわ。キレイな肌を維持するためには良質な脂が必要なことも知らないなんて、馬鹿なの?」


「ちょっと、またはみ出してるじゃない。ネイルのひとつもまともに塗れないなんて、今までどうやって生きてたのよ」


「一枚三千円の下着で十分なんて、本気で言ってる? そんなものを着て私の柔らかな肌に傷や跡がついたらどうしてくれるの」


 オカアサンには当たりと外れがある。

 正規価格で流通しているオカアサンは出荷の際に正しく検品され、『私が作りました』という生産者の顔と氏名が添えられる。


 弟の話から推測するに、私の目の前にいるオカアサンは検品を待っていたのでは腐って駄目になってしまう焦りから、ロクにチェックをされなかったのだろう。誰がどのような状況で作ったのかも分からないオカアサンは、見た目の美しさとは真逆の心を持っていた。


 どれだけ見栄えが良くても肝心の味がこれでは、オカアサンとして存在する意味がない。私は「あんなオカアサンでいいの?」と弟に尋ねた。


「いいも悪いも、今から新しいオカアサンを用意するなんて出来ないでしょ?」

「それはそうだけど」

「キレイなオカアサンなんて自慢でしかないから、僕は全然OKだよ」


 そう言われ、私は黙った。

 確かに、オカアサンの美貌は教室を訪れるオカアサンたちの中でも光るに違いない。弟は「ああ見えて、買った時は凄く安かったんだ。いい買い物しただろ」と得意気に話すのだろう。


 私への態度と違い、オカアサンは弟に対して優しかった。そばへ来れば頭を撫でてやり、苦手な野菜を代わりに食べてやった。でも私はオカアサンが弟に向ける媚びたような笑い顔を、どうしても好きになることが出来なかった。


 とはいえ、オカアサンを望んだのは弟だ。

 その弟が今のオカアサンでいいと言うなら、私に出来ることはオカアサンに授業参観へ行き、役目をきちんと果たして欲しいとお願いすることだけだった。


「オカアサン、前にも言ったと思うけど明後日、弟の授業参観なの。五時間目だからお昼の一時半過ぎに学校へ行って欲しい」


 絨毯の上に寝そべりながらうつ伏せで雑誌を読んでいたオカアサンは、こちらを見ることなく「嫌よ」と言った。


「疲れるから行かない」


 断られると思わなかった私は、オカアサンの返答に耳を疑った。


「弟のこと、可愛がってたじゃない」

「そりゃ、この家で一番偉い人間だからね。尻尾振るのは当然でしょ」

「授業参観に来て欲しいから、オカアサンのこと買ったんだけど」

「だったらそれ、私じゃなくて別のオカアサンにやってもらいなよ。参観に来て欲しいってのはあんたらの勝手でしょ。どうして私が子供の見栄のために駆り出されなきゃいけないの?」


 ――保身のために私を利用しないで。


 そう言い捨てると、オカアサンはこの話は終わりとばかりに「あ、このトリートメント良さそう。今から行って買ってきてよ」と言った。


 特価品のオカアサンの癖に。

 弟の気持ちを保身と切り捨てたが、オカアサンだっていつも自分のことを最優先にして私のことなど少しも考えてくれないじゃないか。


 沸々とオカアサンへの不満が湧き出てくるのを抑えることが出来ない。


 道を歩けば、様々なオカアサンに出会う。

 転んだ子供を優しく立たせ、目線を合わせながら微笑むオカアサン。

 公園で走り回りながら子供と遊ぶオカアサン。

 発熱したという保育所からの連絡を受け、急いで帰って行くオカアサン。

 自分よりも子供のことを第一に考えるのがオカアサンのはずなのに、どうしてうちのオカアサンは違うのだろう。


 出荷の時点で、きっと中身はもう腐っていたんだ。

 あるいは種たねの時点で既に不良品だったのかもしれない。


 とにかく、オカアサンがこんなことを考えていたなんて、弟には絶対知られてはいけない。私は台所から取り出した菜切包丁を手にオカアサンに近付くと、勢いよく振り下ろしてその首を落とした。


 ごろりとオカアサンの頭部が転がり、切り口から噴き出した赤い液体で雑誌がぐちゃぐちゃになる。


 今のままでは接いでしまえば元通りに戻ってしまう。

 切り口を下にして絨毯の上に頭を置くと、私は頭頂部めがけて再び包丁を振り下ろした。


 筋が硬くて、途中で刃が止まる。

 必死で引き抜いて、私は何度も包丁の刃を叩き入れた。

 ずたずたに割れた頭部を更に細かくしたら、首から下の部分も同様に刻んだ。脂がついた菜切包丁は切り口が鈍り、私をイライラさせた。


 どれぐらい時間が経っただろう。

 オカアサンをすっかりみじん切りにしたところで、弟が帰って来た。


「何してるの」


 背後から声を掛けられ、私は我に返る。

 声変わりしていない弟のやや高い声が、座り込んだ私の頭上から降り注ぐ。


「オカアサン、細かくなってるんだけど。どういうこと」

「あの、オカアサンが、保身で、私たちを」


 何をどう説明すれば弟を傷付けずに済むのかが分からず、しどろもどろになる。


「こんなんじゃ参観なんて無理じゃん」

「それなんだけどね、あの、やっぱり私が行こうかな、なんて……」


 弟は、真っ赤な汁でずぶずぶになった絨毯の上から菜切包丁を拾い上げる。


「自分のことしか考えてないオカアサンなんて、オカアサンの意味がな」


 めこっと、頭の中から音がした。

 額から一筋、つうと赤いものが流れたと思ったら、次から次へと垂れて来た液体で視界が赤く染まる。


「何でオカアサンの代わりになれるなんて思っちゃったの」


 弟は私の肩に左足を載せ、頭に刺さったままの包丁の柄を握ると、足裏で蹴り出す力を反動にして引き抜く。蹴られた私はそのまま絨毯の上に倒れ込んだ。


「自分のことしか考えてないなんて、そんなの知ってるよ。それでもオカアサンに参観に来て欲しいっていう弟の気持ちがどうして分からないのかな」

「ご、めん、ね」

「もういいよ。お前、要らない」


 制服姿の弟が私に向かって何度も何度も包丁を突き立てながら呟く。


「オネエチャンもオカアサンも次の入荷は二週間後って言ってたっけ。やっぱ正規の取り扱い店じゃないと、結局余計なお金が掛かるってことなんだろうな。あぁ、オカアサンのいない参観なんて、恰好悪くて最悪じゃん。そういえばタカシ君のオカアサンってキレイだしいつもおやつをくれて優しいんだよな。どこで買ったんだろう。明日学校で聞かなくちゃ……」


 目の前いっぱいに広がっていた赤い世界が、少しずつ薄暗くなっていく。

 眉間を刺した包丁が後頭部を貫通するまで押し込まれても、まだ意識のある私は一体何者なのだろう。


 でも今はそんなこと、どうでもいい。

 私は脂まみれになった刃を何度も受けながら、姉として、どこにいるのかも分からない神様に祈る。


 少し生意気だけど、可愛い可愛い私の大切な弟が、どうかこの先も幸せでありますように。



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― 新着の感想 ―
オカアサンという存在が商品として扱われる異様な世界観にまず衝撃を受けました。主人公が特売品のオカアサンを買い献身的に世話をする様子とそのオカアサンの本性が明らかになるまでの描写が非常に生々しいです。弟…
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