結城逡4
ここが唯一のホラー回です。ご注意ください。
「先生。校長先生の言う通り顔色が悪いですよ」
校長室をあとにし、化学準備室に到着するまで先生は無言だった。
準備室についても一直線に椅子に向かい、どかっと座り込み頭を抱え込んだまま動かなかった。どう見ても大丈夫そうには見えなかった。けど有無を言わせない雰囲気があった。
外は雪が降りしきっている。
しばらくして先生が長い溜息をついて顔を上げた。顔色は悪いままだ。
「なぁ、津平。俺の話なんだが聞いてくれるか。俺自身もおかしいとは思っているんだ…だけど聞いてほしい。お前のあった女生徒について心当たりがあるんだ」
先生はゆっくりと僕と目線を合わせて言った。その瞳からは不安が僕にもわかるほどにじんでいた。もしかしたら怖いのかもしれない。僕が頷くのを見ると、先生は僕から目をそらして、ちょっと目を伏せたまま話はじめた。
何から話せばいいのか。
世迷いごとだと思う。教師が生徒にする話じゃない。
わかってはいるんだ。
言っておくが俺は幽霊なんて信じてない。
俺がこの高校の生徒だった頃、大体10年くらい前になるかな。
この学校には変わったおじいちゃん先生がいたんだ。
定年は過ぎていてほとんどボランティアみたいな形で学校にいた。いつもニコニコしていてな。教え方もうまくて結構な生徒が慕っていたと思う。俺も慕っていた。
一度気になってその先生に聞いたことがある。私立の高校を定年まで勤めたならそれなりに生活できるのではないか?それなのに学校にこんなに通っているのは生徒に教えることが好きなのか?それとも何かあるのかと。
そんな不躾な質問にもその先生は困ったように笑って答えてくれる。そんな先生だった。
「私が学校に来ないと困る子がいるから」
確かに面倒見の良い先生だと思っていた。問題のある子にも根気よく付き合っていた。だから困る子というのもそういった生徒のことだと思っていた。
ある日、俺はその先生が中庭にいるのを見つけた。見つけたと言っても窓ガラスに反射で写っている先生をみつけたんだ。
直接はあの石碑の影になってみえなかった。それでも先生であることは確かにわかった。
そして隣には女子生徒らしい姿が見えた。中庭にいた先生は後ろを向いていたし、俺に見られていることに気がついていなかったんだと思う。
そして先生は俺に気付かれていることにも気が付かず、何か取り出したように見えた。お菓子の類に見えた。それを女子生徒にあげたんだ。もらった生徒は食べていたようにみえる。なんせ反射で写っているんだからよく見えなかったんだ。
俺はまあそれなりに驚いた。まじめな先生がお菓子を、しかも結構な量を持ち込むなんて。まあでもそういうこともあるかもしれない。生徒のためなら割と柔軟な先生ではあった。それでも揶揄いたくなった。だってそうだろ?定年過ぎたおじいちゃん先生が女子生徒にお菓子だ。外聞が悪い。
ん?俺がお前の弁当をもらっていたのは部活動の一環だ。学業に不要なものではない。話をまぜっかえすな。
もちろんその先生が女生徒に下心を抱くような先生ではないことは知っていた。ただからかいたかっただけだ。あわよくばお菓子の一つくらい分けてもらえるかもと思ったんだ。
中庭に降りるため階段を降りる前に、中庭を振り返ると場所を移動したせいか直接先生が見えた。でもそこには先生1人しか見えなかった。おやっと思ったその時。女子生徒と目が合った。
おかしなことを言っていると思うだろう。先生しかいないといったのに女生徒と目が合うなんて。
本人と目が合ったわけじゃない。
先生の奥にあったガラスに反射した彼女が確かにこちらを見ていた。先生の横には誰もいないのに。窓にははっきりと先生と女子生徒が写っていた。
そしてガラスに映った彼女は俺を見て微笑んだ。俺を認識している。確かにそう見えた。
やばいと思った。まずいと思った。どうにかしなくてはいけない。でもどうしていいかわからない。逃げなくてはいけない。どこにいけば良いかわからない。混乱する頭ともつれる足で俺はその場から逃げ出したんだ。
気づいたらチャペルにいた。シスターがいて、今の校長先生な、ちょっと安心したような気持ちになったことを覚えている。あの人は今も昔も安心してしまうような雰囲気がある。
シスターは俺の顔色がよっぽど悪かったようで駆け寄ってきてくれた。事情を聴かれたが俺はさっきあったことが話せずにいた。なぜかって?背後に彼女がいる気がしたんだ。喋った時点で彼女がひょっこり出てきそうな気がした。
だからシスターには取り留めのない話をして誤魔化した。どうしようもなく怖くて仕方がなかった。そうこうしているうちに下校の時刻となった。もともと授業は終わっていたから中庭から逃げ出してからそんなに時間は経ってなかった。
シスターは俺が1人で帰れるか心配してくれた。そして俺は学校を俺一人でうろつく自信がなかった。たとえ下駄箱までの短い距離でも。だからシスター好意に甘えて下駄箱まで送ってもらうことにした。
お前もわかっている通り、シスターにそう言った人間でないものを祓う力なんてない。期待もしていないが一人でいたくなかったし、神聖な加護?を期待していたかと言われれば、期待していた。
でもそううまくはいかなくてな、下駄箱にはあのおじいちゃん先生がいた。先生は一人で反対側から歩いてきた。
俺はギョッとした。だけど顔に出してはいけないと感じた。勤めて平静を装った。通り過ぎてくれって柄にもなく神様に祈ったよ。
でもおじいちゃん先生はシスターが俺を支えながら歩いているのが驚いたようで、どうかしたのかと事情を聞いてきた。
シスターはあれだろ優しいから事情を説明して、俺の具合が悪そうで、一人で帰れるか心配して見送りに来たと説明すると、まぁ、おじいちゃん先生も優しいから俺を家まで送ると言ってきた。ちょうど帰るところだからと言って。
シスターもその先生のことを信頼していたから安心したように頼んでいたが、俺は断りたくて駄々をごねた。一人で帰れる。バスに乗ればすぐだ。そんなふうにごねたが顔色が悪いからと二人とも許してはくれなかった。
普段俺がその先生に懐いていたのをシスターが知っていたのも良くなかったんだと思う。
おじいちゃん先生は俺に少し待つように言い、シスターも俺を逃がしてはくれないようだった。
だが、おじいちゃん先生が荷物を取りに俺たちから離れた時、シスターが「先生に何かされたわけではないんですよね?」と確認してきた。
やはりシスターはよく気が付く先生だと思った。俺の様子がおかしいことも気づいていたらしい。だからと言って本当のことは言えなかった。背中の寒気は、言いようのない焦燥感はまだ消えてはくれなかったからだ。
先生の車に乗りこむ際、俺はくまなく鏡やガラスの反射に目をやった。彼女に乗り込まれているのではないかと思ったからだ。
だがそんな不安はすぐに解消された。学校から出ると背中の悪寒は嘘のように消えたように思えた。そうするとふと…もしかしたら先生は気づいていないかもしれないと思えてきた。
あの得体の知れない女生徒が、先生には普通の困った生徒に見えていてただ騙されているだけなのではないかと思えてきたんだ。だから俺は訪ねてしまった。
「先生…」
「なんですか?結城くん」
運転席に座る先生を見る。元気そうだ。顔色も悪くない。どことなく楽しそうだ。幽霊に取りつかれてそうな人が纏う雰囲気ではないように見えた。
「放課後、中庭で何をしていたんっすか?」
だから俺は単刀直入に聞いた。
その瞬間ガクンと車が揺れた。急ブレーキがかかったためだ。信号は赤だった。
「すみません。赤でした。怪我はないですか?」
「いえ…大丈夫っす」
実際どこもぶつけてはいない。すこし驚いただけだ。信号待ちの間。俺たちは無言だった。
長い時間がたった気がするでも信号が変わるまでなんだからそんなに長い時間がかかっているはずではない。
やがて青になると車は滑るように走り出した。
「……どうしてそんなことを私に聞くのですか?」
先生は俺に尋ねた。いつもと変わらない様子に聞こえたけれど俺はもう先生を見ることはできなかった。じわじわと学校にいたときに感じた寒気が背中を登っていく気がした。
「…先生が中庭の石碑の近くに立っているのが見えたから…」
普段と変わらない様子を心がけて俺は声を絞り出した。沈黙が車内を支配した。すぐに失敗したと気づいた。
「…あの石碑を調べていたんですよ」
そうなんっすね。と俺は相槌を打ったと思うがうまく喋れていたか覚えていない。見てしまったからだ。ちらりとバックミラーに女生徒の制服が見えた気がしたからだ。この車には俺と先生しか載っていないはずなのに。
それを認識した瞬間、俺は身動きをするのをやめた。家に着くまで地蔵のように動かずしゃべらず。時間がたつのをただ待った。地獄のような時間だった。一人で帰ればよかったと激しく後悔した。どうやって先生と別れたか覚えてない。
その日から俺は先生を避けた。徹底的に避けた。3年だったから自由登校の制度を利用するにいいだけ利用した。
教師になりたいという夢はあったが、教育実習は基本母校に行く。
その場合、あのおじいちゃん先生に会うのが怖くて、怖くてだめだった。せめてもの抵抗でその先生と同じ専攻は取らなかった。得意教科だったにも関わらずだ。避けられず教育実習で母校に行くことになっても先生となるべく離れられるように。
大学を卒業して教員として働くときも正直、母校であるこの高校は避けたかった。しかしなぜかどうしても避けられなかった。
不幸中の幸いだったが、俺が赴任したときあのおじいちゃん先生はついにこの学校をやめた後だった。
でも今でも俺はあの中庭が怖いんだ。
これで俺の学生時代の話は終わりだ。そして覚えているか津平。俺はお前が中庭で女生徒と話しているのをみている。
正確には窓に映ったお前たちをみている。女生徒の顔は見ていない。おんなじ状況なんだ。
お前があっていたオキクルミという女生徒は本当にこの学校の生徒か?こんなこと言うのは教師としてどうかと思うが…本当に彼女は人間か?
青ざめた顔で先生は僕にそう告げた。僕は突然きかされた話についていけていなかった。ただ、そうか。先生も彼女を知っていたからこそ僕に付き合ってくれていたのか。それだけは理解できていた。
この後も続きます。種明かしパートです。