結城逡1
結城 逡 ゆうき しゅん 教師
冬休みが近づいてきた。彼女の別れからひと月もたっていない終業式の日、僕は結城先生に呼び出された。別れの傷はいえずにいた。
「津平。夏休みに学校に朝からいるけどお弁当を持ってこない学生がいるって言ってたよな。その子について聞きたいんだが」
おかしなことを聞いてくると感じた。不思議そうにしている僕に気づいたのか先生は慌てたように付け足した。
「いや、もしその子が学校にしか居場所がないって感じているなら教師として保護しなくてはいけないと思ってな。津平はどの生徒かは教えてくれないし、俺も俺なりに探したんだけど見つからなくてな」
科学準備室の椅子に腰掛けて先生は僕にそう言った。僕も反対側に座る。先生は慣れたようにポータブルストーブをつけて、僕のほうによせてくれた。心遣いはありがたいが話が終わるのが先か、部屋が温まるのが先か。
「彼女なら先生見かけていたじゃないですか。そう言ってましたよね」
確か先生は以前中庭で僕と彼女が話している時見かけているはず。そのことで揶揄われたから間違いない。
「ん?いや先生が見たのは中庭の石碑に寄りかかって話している津平の姿だけだ。彼女さんは岩陰にいたんだろ?見えなかった。そのあと中庭に俺も入ったが誰もいなかったぞ」
なるほど。確かに石碑は大きいから場所によっては見えなかっただろう。
「…でも先生……彼女多分もう学校辞めてますよ」
僕は先生に告げた。そうだ。あの日。雪が降りしきる中、彼女は僕に別れを告げた。ここにいられないと言ったのだから学校も辞めているだろう。
しかし先生は訝しげな顔をして見せた。
「いつだ?おかしいぞ。今年度この学校を中退した生徒はいない。休学もだ」
「…じゃあ、ただ休んでいるだけなのでは?」
「不登校も、保健室登校も本年度はいない」
意味が理解できなかった。バクバクと心臓の音が聞こえる。血の気の引いていく気配がする。
「その生徒の名前は」
先生の問いかけに僕は茫然と答えた
「…オキ…オキクルミさんです」
「待ってろ」
先生は立ち上がってデスクへと向かった。おそらくパソコンで生徒名簿を見るのだろう。
彼女が嘘をついた?そんなはずはない。だってあの時の彼女は本当に今にも死にそうな顔色をしていた。手も冷たくていくら温めても全然温まらなくて。本当に死んでしまうんじゃないかって思ったんだ。
「津平…この学校にオキクルミという生徒はいない」
「は?」
冗談にしては笑えない。そしてそんな冗談を言われる筋合いもない。
「そんなはずないじゃないですか。だってそんなのおかしいですよ。彼女はいつも鍵のかかった中庭にいたんです。あそこは学制証がないと入れません。」
間髪入れずに僕は笑い飛ばすように先生に告げた。この時まだ僕はまだ落ち着いていた。彼女がこの学校の生徒ではないとしたら一番考えやすいの不法侵入だ。しかし中庭には鍵がかかっている。それは学生証か職員証がないと開かない。そしてこの学校は基本的に学生証で出欠席を取る。他人の学生証を使った場合、使われた学生はすぐに気がつくはずだし、再発行によって、前の学生証は無効になる。
「名前の漢字は?なんらかの事情で戸籍とは違う読み方を使っているかもしれない。最近はちょっとあるんだ。ほら…わかるだろ」
「漢字は…知らないんです。名前だってようやく聞き出したくらいで…」
思い返す。彼女は自分のことは全然話さなかった。いつも僕に話をねだって。楽しそうに聞いていた。
「連絡先は知らないのか?SNSとかあるだろ」
「…先生。そもそもこの学校、生徒のSNS禁止です」
いつのまにか先生が目の前まで戻ってきていた。認めたくないがそれなりに狼狽しているらしい。
そのまましゃがみ込んで僕の目を見つめていた。その目は真剣そのもので普段ふざけがちな先生だから、なんだか怖かった。まるでこれでは僕が怖い目にあっているようじゃないか。
「真面目だな。連絡は普段取ってなかったのか?SNSは禁止でもメールとかはできるだろ」
「彼女。そういうの持ってなくて。家庭の事情だと思ってて…」
2回目に会った時連絡先を聞いた。でも彼女はスマホを持っていないと言った。
このご時世にスマホを持っていない高校生というのも珍しいと思った。何か事情があるはずであることは分かった。分かっていたがそこに踏み込む勇気がなかった。怖かったんだ。彼女の事情をきくことで夢から覚めてしまうのではないかと思ってしまった。
「大丈夫だから。落ち着け。怒っているわけじゃないんだ」
優しく先生に肩を叩かれた。どうやら大分焦った顔をしていたらしい。ただただどうすればよかったのかわからなかった。
「ただ。不法侵入の可能性がある。悪いがそのオキさんと会った日はわかるか?中庭の入退室のログを見る必要がある。悪いな」
気遣わしげに言う先生に対して、僕はポソポソと彼女とあった日を教える。スマホを見なくても覚えている。彼女と会ったその日々のことを。
翌日、僕は再び先生のもとを訪ねた。冬休みが始まっていた。今日も雪が降っていた。これ以上降ってどうするというのだろうか。
「津平。決めるのはお前だ。オキさんのこと知りたいなら手助けする。思い出とするなら俺と話したことは忘れろ。俺は津平の話を聞いてその女生徒の家庭環境に問題があるのではと疑って調べていた。だが見つからなかったから津平に声をかけた。昨日呼び出した理由は本来これだったんだ」
先生は開口一番に僕に告げた。中庭の開錠ログに何かあったのだろうか。でも先生は本当によく生徒を見ている。いつも僕をからかうようににやにやとお弁当を食べていただけではないようだ。
僕がこの恋を思い出にしておきたいならそのままにしてくれるということなんだろう。こういう言い回しをするってことは何かあったんだろう。
「先生…僕は」
昨日のことがあって僕は一晩考えた。答えは出なかった。でも一つ確かなのは彼女は彼女だ。何者であっても彼女であることに変わりはない。であれば余計な情報は知らないほうがいいのではないだろうか。思い出として胸にしまっておいたほうがいいのではないかと思った。
ただ…そうただ、思い出としてしまうためにも彼女のことを全部知りたいという気持ちも嘘ではなかった。
「僕は、知りたいです。僕は彼女のこと何にも知らないんです。だから知りたい。彼女が何者なのか…」
迷いとは裏腹に口からははっきりと言葉が出てしまった。
「そうか…」
「はい」
迷いは消えなかった。これでよかったのかわからない。先生が頭をガタガタと乱暴に撫でてきた。見透かされているなぁと自身がまだ子供であることを自覚して恥ずかしい。そうか知るということはもしかしたら彼女が不法侵入の犯罪者である可能性もあるんだ。
「いいんだよ。そのくらいの歳だとそういうもんだろ」
頭を掻き回す先生の手になんだかホッとした。先生にもそういった経験があるんだろうか。