津平阿坂3
秋の初め、体育祭の準備で忙しい頃、僕は久しぶりに彼女と話すことができた。相変わらず彼女は石碑の上に座って足をぷらぷらと遊ばせていた。
「やぁ。体育祭の準備は万全?」
なんでもないかのように僕は彼女に話しかけた。
「体育祭の準備?私はしてないの」
「えっあっ。出ないんだ」
そうか。確かにそうなのかもしれない。今までにも学校行事は何回かあったけど、彼女の姿は見たことがなかった。迂闊だった。学校行事は休んでいるのだろう。そもそも学校にもあまり来れていないように思える。なんとなくもやっとした気持ちが胃のあたりに立ち込めた。
ここまでくると彼女は何かしらの問題を抱えているということから目をそらすことができなかった。体が弱いのかもしれない。家庭環境が悪いのかもしれない。
心配はしている。助けてあげたい気持ちでいっぱいだった。でも彼女の事情を聞けなかった。嫌われるのが怖かった、彼女の時事を知った僕を彼女が避けてしまうのではないかと思うと怖くてとても聞き出すことができなかった。
「そっか。それは仕方がないね。それと…あまり重く考えないでほしいんだけど、もし何か僕に手助けできることがあったらなんでも言って欲しい。必ず助けになるから」
そういうのが精一杯だった。でも彼女の方を見ることができなかった。僕に意気地がないことにも気づいていた。
「………」
何か彼女が呟いたが、石碑の上と下の距離では聞こえなかった。思わず彼女の方を見上げたが彼女の表情は彼女の長い髪が邪魔をしてよく見えなかった。
「ごめん。聞こえなかった」
「……いいの。なんでもない」
なんとなく彼女が怒っているような気がした。
「それより今日は何もないの?」
彼女から食べ物をねだることは初めてだったので僕は驚きながらも嬉しくなった。初めて会った頃は食事なんてどうでも良いといった顔をしていたのだから。僕からのプレゼントを気に入ってくれたならうれしい。
「あるよ。母がマドレーヌを焼いてくれたんだ。どうぞ」
そういってビニール袋にいっぱい入ったマドレーヌを彼女に渡すと彼女は躊躇せず食べ始めた。お茶も渡すとやっと笑顔を僕に見せてくれた。彼女は意外と量が多い方が喜ぶ。
可愛らしくラッピングされたお菓子1個より、お得用サイズのお菓子をあげたほうが嬉しいみたいだ。
僕としてもお高いおしゃれなお菓子より、手作りのお菓子で喜んでくれるならとてもお財布的に助かる。
今回のマドレーヌは夏の間に畑仕事を手伝ったお駄賃だ。母は僕に気になる子がいることに気づいているのだろう。最近はお菓子をよく作ってくれる。でもちょっとだけ母が作ってくれるお菓子を頻繁に気になる女の子にあげるってまずいかも?と思ったが彼女は気にしないようだ。マザコンと思われそうな行為なんだが…
ふっと彼女を見上げる。今度は顔がきちんと見えた。いつも通り美味しそうに食べている。幸せそうだ。お菓子のことで頭がいっぱいな顔だ。
ふと思った。彼女は僕のことをどう思っているのだろうか。僕の気持ちに気づいているのだろうか。そして僕は気づいて欲しいのか。
「…次はいつ会えそう?」
不安になって僕は聞いた。そう。大事なことだ。夏休みは毎日のように会えた。でも2学期が始まったら全く会えない。
「わたしもわからないの」
「そんな!…いや…大声を出してごめん」
困ったように告げた彼女に、僕はつい大声を出してしまった。どうすれば良い?やはりもっと詳しく彼女のことを聞けば良いか?先生に相談?でももし何か事情があるなら…
「…信じて」
諦めたような顔で彼女は言った。なんだか泣きそうに見えた。
「信じてる。ずっと信じて待ってる」
僕は彼女に向かって手を伸ばした。彼女は驚いた顔をしたけど、僕の手を握り返してくれた。触れた手が冷たい。その手を温めてあげたいと思った。ずっと笑っていてほしい、僕が彼女を幸せにしたい。未成年でまだ何もできない僕だけど全力で彼女の力になると強く誓った。
その後彼女と話す機会は少し増えた。でもいつも次の約束はできなかったし、学校の外で会うこともできなかった。それでもたまに会える日がとても幸せだった。
でもそんな時間も長くは続かなかった。僕と彼女に決定的な決裂が訪れたのは秋の終わりだった。
いくら寒さに強い地域の出身だからといっても流石にそろそろコートが必要になる時期が来た。僕はスキーが得意だから早く冬になってくれれば良いのになぁと呑気に考えていた。
そしていつも中庭であっている彼女とはそろそろ別の場所で約束をしようとぼんやりと考えていた。中庭は冬の間は立ち入り禁止だ。
僕はぴっと学生証をカードリーダーにかざし、中庭への扉を開けた。中庭に向かうのはほぼ毎日のルーティーンとかしている。
「やぁ。寒くないの?」
いつもの場所、中庭の石碑の上に彼女は座っていた。近いうちに初雪が降るとまでニュースで言われているのに彼女はコートすら着ていない。
「あなたもこの地に生まれたのでしょう。このくらい平気でしょ」
いや、今外気温7度だよ。流石にコートは欲しい。ぼくはあきれたように笑った。
「今日はなに?」
彼女もだんだんと遠慮がなくなってきた。挨拶が終わったと思ったらこれだ。僕よりお菓子の方が良いとみた。でも良いことだ。気に入ってくれたのだろう。
「今日は母特製パウンドケーキ。僕の分も食べなよ。まだ家にいっぱいあるんだ」
お茶とケーキを渡すと彼女は嬉しそうに食べ始めた。
「ん?クルミさん?君、顔色が悪くないか?」
ふと彼女の顔色が悪いことに気が付いた。やはりここは寒いのではないだろうか。僕がそう聞くと彼女はピタッと動きを止めた。
「……そんなことないわ。いつもと変わらないもの」
彼女は機械人形のようにギギギと音がしそうな動作でこちらを向いた。そして感情のないじっとりした目で僕を見つめている。なんだか彼女に初めて会った時に感じたことを思い出した。
「光の加減かな。具合が悪そうに見えたから……保健室に行くかい?」
彼女は感情の見えない目でまだ僕を見つめている。なにかを確かめるようで何も見ていないようで。とても怖かった。
「ねぇ」
平坦な声が僕を呼ぶ。彼女が僕を見つめている。
「ねぇ、彼方は神様って信じる?この世に妖精とか幽霊とか人ならざるものっているって思う?」
唐突な質問だった。全く持って脈絡がない。
「…なんでそんなこと聞くんだ」
「いいから答えて」
有無を言わせない圧力を感じた。焦っている、怯えているかのように見えた。
今思えば僕はこの時選択を間違えた。彼女の目の前でカッコをつけたかった。だから本当は何かに怯える彼女の発言を否定してはいけなかった。
「……いや、僕は神様なんて信じていない。神も妖精も、幽霊も僕たちにはなんにもできない。だから怖がらなくてもいいよ。怖いなら僕が一緒にいるから」
彼女は動かない。沈黙が僕たちにまとわりついた。僕は彼女が僕の思ったような反応でないことに焦った。
「…クルミさんが信じ…」
「わかった」
僕が慌てて言い訳しようとしたところを遮るように彼女は言った。まるでAIのような抑揚のない声だった。返答が間違っていたと気づいたがもう遅かった。
「出ていって」
はっきりとした拒絶だった。初めて会った時から半年弱経ったけどこんな彼女は見たことがなかった。
「ごめん…」
「出ていって」
有無を言わせない態度で彼女は告げた。謝罪は受け取ってくれなかった。僕は振り返りながら中庭から校舎に戻った。最後まで彼女はこちらを見てはくれなかった。
あれから彼女にはしばらく会えていない。どんなに探しても彼女は見つからなかった。仲の良い友人に会うふりをして他のクラスに行っても彼女の姿は見つけられなかった。そんな日が続いたころ。その日は急に訪れた。今年の初雪が降った日、冬の始まりを告げる雪が僕らの終わりを告げた。
その日は朝からとても冷えていて、初雪が降るにしても行き過ぎた寒さだった。チラチラと雪が降っていた。そんな日だというのに、僕は日直で、雪が降るかもと心配して早めに学校に登校した。雪の降りはじめはいつもちょっとダイヤが乱れるから。でもバスは全く遅延せず僕はいつもより1時間早く学校に到着した。
学校に到着し、クラスに向かう途中、つい癖で中庭に目をやった。もう彼女の姿を探すことは日課になってしまった。いつもいない彼女を確認するそんな作業。いつ会えるのか、あったらどうすれば良いのかぐるぐる考える。でも今日はそんなことを考える余裕はすぐになくなった。
彼女が中庭に立っていたのだ。初雪が降る中、コートも着ずに。僕は慌てて中庭に向かって走り出した。
全力で走った。学生証を中庭に続く扉のリーダーに叩きつけるようにして鍵を開け、僕は中庭に飛び込み叫んだ。
「何をしているんだ!寒いだろ。校舎に入ろう」
体が弱いかもしれないのにこんな寒い中何をしているんだ。
「…あなたが来るかもって思ってたの」
僕は自分のコートを脱いで彼女に着せた。彼女は冷え切っていた。全身にうっすらと雪が積もっているように見えた。手を握ると痛いほどに彼女の手は冷たかった。
「なんで…どうして…」
こんなに冷たいけど手は赤くなっていない霜焼けにはなっていないだろう。まだ大丈夫。早く温かいところに移動しなくては。
焦る僕だったが、彼女が会いたいと言ってくれたことは聞こえていた。うれしかったし安堵していた。…あの日から彼女は全然僕の前に現れてくれなかった。完全に嫌われたと思っていた。
「お別れが言いたかったから」
でもそんな気持ちは一瞬で打ち砕かれた。僕は勢いよく彼女の顔を見た。いつもよりはっきりとわかる。彼女は白く生気のない顔色をしていた。
頭にガンガンと警鐘がなった。走馬灯のように後悔が頭をめぐった。考えがまとまらない。
「なんで…」
「もうここにはいられないの。ずっと無理をしてて。あなたがいるからなんとかなってたみたいだけど…もう無理みたい」
「そんな…そんなこと言うなよ!手伝うから!なんでもするから!お願いだ…」
体が重い。目から涙が溢れた。拭いたかったけど彼女の手を離したくなかった。
「ふふふ…」
力なく、それでも楽しそうにわらう彼女の声に、もう無理なんだという気持ちがじわじわと僕を締め付けるように襲ってきた。諦めたくなかった。
「…どこに行くの?病院?会いに行って…会いに行くから」
「…無理よ」
緩やかに彼女が首を横に振った。
握った彼女の手が暖かくならない。僕の手が冷たくなってきている。そして拒絶の言葉が僕からも体温を奪っていくように思えた。
「僕は!君が…」
さいごというなら告げてしまいたかった。でもそれすら許されなかった。するりと彼女は僕から手を離し、告白をしようとした僕の唇に触れた。ひんやりと冷たかった。あんなにしっかり握っていたのに。
「最後だからお別れくらいは言おうとおもって。心配しなくても私のことは時間と共に忘れると思うの」
「そんな…」
言葉が出なかった。言いたいことは沢山あるのに、突然告げられた終わりに僕は何も言うことができなかった。言葉はこれほどまでに出ないのに涙だけはとめどなくあふれ始めた。
「ほら。もう行かなくちゃダメでしょ」
彼女がぼくを校舎に向かってぐいぐいと押してきた。
「いつから…」
「君に出会うずっと前からもう終わりが近いって知ってたの」
泣きながら僕は彼女にされるまま校舎の口にたどり着いた。いつも石碑のそばから離れたがらない彼女にしては珍しい行動だった。
「さよなら」
ドアを開けて後者に入ろうとすると、彼女が僕に言った。
「会いにいく!会いに行くから!」
僕は叫んだ。彼女は結局何も言わず中庭に通じるドアをゆっくりと閉じた。ぼくは振り返りたくなる気持ちを抑えてクラスに向かった。僕がここにいては彼女は校舎に入らない。ずっとそうだった。僕がみている間は彼女は中庭にいた。行かなくてはいけない。彼女をずっと寒いまま中庭にいさせるわけにはいかない。
だから僕は足早にクラスに向かった。4階の自分のクラスにたどり着いた時、廊下の窓から中庭を見下ろしたが、そこにはもう彼女の姿は見えなかった。
彼女に貸していたコートは靴箱に入っていたのを下校の際に見つけた。返さないで欲しかった。少しでも僕のことを彼女に刻み込んでいて欲しかった。でもそれは許されなかったようだ。
その後、彼女の言う通り、僕らは2度と会うことはなかった。
こうして僕の恋は冬の始まりとともに幕を落とした。
続きがあります。きれいな恋の思い出だけで終わらせたい場合はここでいいかもしれません。
この後は謎解きパート?です。