第3話 最強魔法剣士、狼を倒す
「……さてはて、こっからが本番だな。」
まだ白みきらない夜明け前のグラドールの宿屋を出ながら、俺はそんな独り言をこぼした。かすかな冷気が肺を満たし、先ほど宿を出るときに飲んだ生温い湯の味が喉の奥に残る。昨日のうちに、冒険者ギルドで初のクエストを受け、今日はその討伐に向かうつもりだ。
俺は軽装備の革鎧と腰の片手剣を確かめ、鳴きそうな腹をなだめながらギルド方面へ歩みを進める。宿屋の軋む扉の音、薄暗い路地から聞こえる人の話し声が、この街がいかに雑多で眠らない都市かを物語っているようだ。
「ふぅ……お腹が空いた。王都じゃ朝食だってそれなりに出てきたもんなぁ」
そう呟きつつも、どこか心が弾んでいるのは、やはり自由を手に入れたからかもしれない。騎士団時代には味わえなかった、そう、ちょっとした冒険者気分を味わえるからだろう。
相変わらず情けない程の金欠だが、今日のクエストをこなせば、少しは懐が暖かくなるはずだ。なんといっても、俺は六属性を操る魔法剣士。レベル1という冒険者的には新人でも、騎士団仕込みの実力だけは信じられるってもんだ。
※※※
まずはギルドに顔を出し、受付へ「行ってくる」と伝えるのが筋だろう。足取り軽く石畳の大通りを歩いていると、道端では露店の準備をするオヤジさんがあちこちで忙しそうに動き回っている。
陽光はまだ地平線の向こうにあるが、東の空が明るくなりつつあって、紫から淡い橙色へのグラデーションが街並みに溶け込んでいるのが妙に美しい。
「ここまで雑多な街並みなのに、朝焼けの色は王都と変わらないんだな……」
ひとりほくそ笑みながら、ギルドの重々しい扉を押し開ける。中では夜通し酒を飲んでいたのか、テーブルの上で突っ伏して寝ている冒険者が二、三人いる。ギルド職員が小声で「はいはい、朝ですよー起きてくださいねー」と肩を揺すっている姿が微笑ましい。
この空気感、騎士団の堅苦しい朝礼とはまるで違って、なんともくだけている。
カウンターを見ると、昨日対応してくれたポニーテールの受付嬢がちょうどこちらに気づき、小さく手を振ってくる。俺は軽く顎を引いて挨拶。
「おはよう。ちょっと早いけど、行ってくるよ。狼型モンスター討伐のクエストだ。」
「おはようございます! 本当に早いですね……大丈夫ですか? 何か準備とか……」
「心配ご無用。昨日のうちにボロい剣と革鎧は買ったからな。まぁ、何とかなるさ」
俺がそう言うと、受付嬢は苦笑まじりに「ならよいですけど……」と漏らす。どうやらよほど新人が無理して死ぬケースを見てきたのだろう。しかし俺にとっては、レベル1程度のモンスター討伐は苦にならないはず。
最後に「行ってらっしゃい。くれぐれもお気をつけて!」と送り出されると、俺は素直に「ありがとよ」と手を振り返した。
※※※
ギルドを出たあとはすぐに街外れの露店でパンと水を買った。パンは前にも食べたけど相変わらず固くて味が薄い。王都のパン職人が作るフワフワのパンとは雲泥の差だ。
「ちょっとカスカスすぎねぇか……んぐ、まぁ腹に入れば何でもいいか」
追放された身として贅沢言ってられない。パンを頬張りながら、城門へ向かう。門番の顔ぶれは昨日と同じらしく、こっちに気づいて「またお前か?」と苦笑している。
俺は「おう、まだ生きてるぞ」と茶化し気味に言い、門をくぐった。すると門番が呆れたように「余計なお世話かもしれんが、油断すんなよ?」と返し、俺は「わかってるって」と手をひらひらさせる。
こういう緩いやり取りが、変に息苦しくないのは良い。もし騎士団にいたままだったら、門兵にペコペコ頭を下げつつ厳格な敬礼が必要だっただろうな……なんて思うと、ちょっとおかしくて笑いが込み上げる。
「じゃ、荒野までひとっ走りして、狼どもを蹴散らしてくるか」
そう意気込んで、俺は城門を抜けた。その先には瘴気まじりの風が吹いており、わずかに鼻を刺すような苦い匂いがする。視線の先に広がる荒涼とした地帯――これが灰滅の刻の名残かと考えると、なんとも背筋がぞわつくが、同時に不思議と胸が躍る。
ああ、やっぱり騎士団じゃ味わえない冒険感があるな、と心の中でつぶやく。
※※※
街道を外れ、やや奥へ進むほど、地面がひび割れていたり、草木が枯れていたりと、まるで世界が腐り落ちたかのような風景が広がる。
遠くには地平線が歪んで見えるほどのかすみがあり、そこからは瘴気が漂ってきているらしい。騎士団の資料によれば、灰滅の刻で深刻なダメージを受けた大地は、いまだに完全には再生していないとか。
「なるほどな。確かに王都近辺で見かける景色じゃない。……でも、お陰で俺みたいな冒険者が稼げるわけだ」
自嘲的に笑いつつ、ボロ片手剣の柄をそっと確かめる。うまく扱えば問題ないとは思うが、いざというとき耐久力が心配だ。
「こんなボロ剣くらいで心が揺らぐような実力じゃ、追放された騎士団員って肩書きも泣くだろ」
小さく呟き、自分を鼓舞。朝の薄青い空気を胸いっぱいに吸い込みながら、背筋を伸ばして踏み出す。見上げると、太陽がそろそろ東の地平線から上がり始め、淡い光のベールが枯れ野の上に射している。それがまた奇妙に綺麗で、思わず心を掴まれる。
こういう光景も、追放されなければ見に来なかったのかもしれないと思うと、悪くない運命だ。
「さーて、そろそろ指定された場所に着きそうだが……どんな狼が出るのかね。ダスク・ウルフとか言ってたか?」
視線を遠くの岩肌に移すと、黒っぽい塊がゴソゴソと動いているのが見えた。
「おや、早速ご登場か……」
俺は自然と笑みがこぼれる。ここで苦戦したら冒険者生活は先行き不安すぎるし、何より騎士団で培った魔法剣術を久々に発揮できる絶好の機会だ。手ごたえのない敵だとしても、好都合だろう。
少し近づけば、何匹かの狼型モンスターが群れを成している。体高はそこそこあり、筋肉質で漆黒の体毛を逆立てている感じ。
彼らの名はダスク・ウルフ――朝夕の薄暗がりに動き出す危険生物とのことだが、この時間でも問題なく活動してるあたり、やはり荒野の瘴気が影響してるのかもしれない。
「ふむ……あの牙と爪は相当に鋭そうだ。けど、騎士団の訓練場じゃ、もっと凶暴な魔獣を想定してたしな」
俺は片手剣の柄を握り、風属性の気配を手の中に集中させる。大げさな詠唱は要らない。六属性を理論的に制御できる俺にとっては、イメージ”と魔力操作だけで十分だ。
狼どもがこちらに気づき、低く唸り声を上げてくる。彼らの目が月夜のような不気味な光を宿していて、荒野の住人らしい殺気を感じる。
俺が一歩踏み出すと同時に、その群れのうち二匹が飛びかかってきた。鋭い牙を剥き出しにして、首元や腕を狙う動き。もし素人なら対処に困るだろうが、こちとら騎士団仕込みだ。
「まずは……風だな」
スッと身体を沈め、剣に風属性を付与。空気の流れが剣先を包み込み、俺の動きを加速させる。――シュッ! という刃音とともに、一瞬で狼二匹の体を斬り裂いた。
血しぶきが飛び散るが、俺は慌てずひらりと後ろへ回避。もう二匹ほどが横合いから襲ってきているのを察知し、今度は火属性をまとう。
「これはどうだ? 狼さんよぉ!」
剣先から赤い炎が一気に吹き上がり、俺が横薙ぎで振ると、まるで燃える刀が狼たちを一瞬にして切り裂き、そこに残った炎が毛皮を焦がす。
低く悲鳴のような鳴き声が響き、数匹が逃げ腰になったが、逃がすつもりはない。残りの一匹は慌てて方向転換しようとするが、すでに距離が近すぎる。
「はい、次」
剣を素早く振り下ろすと、狼の体から鮮血が噴き出した。斬られた狼は転がり、仮にも猛威を振るう魔物だったはずが、あっけなく息絶える。
結局、五匹ほどいた群れをわずか数十秒で全滅させてしまった。――正直、拍子抜けするほど弱く感じる。
「レベル1クエストだからな。こんなもんか。……もうちょい骨があればよかったのに」
とはいえ、クエスト達成が最優先。俺は念のため周囲を見回すが、追加のモンスターはいなさそうだ。
倒した狼の死骸から牙や爪など、証拠品として提出すれば報酬がもらえる。鼻をつく血の臭いに顔をしかめながら、素手で回収作業をこなす。
以前の騎士団生活でも魔物の素材回収は経験しているから、抵抗感はさほどない。もっとグロい作業も散々やってきたし。
「さて……素材も集めたし、さっさとギルドに報告してくるか。金がないと飯も宿もままならんからな」
そう言うと、俺は荒涼とした地面を踏みしめながらグラドールへと引き返す。背後には僅かに瘴気が漂う狼の死骸が転がるだけ。空はすっかり明るくなり、太陽のまばゆい光が地平から昇っていた。
※※※
街道を戻り、城門をくぐる。門番が「おかえり。思ったより早かったな」と驚いた表情で言う。
俺は「まぁ楽勝だったよ」と軽く返し、そのまま冒険者ギルドへ向かう。街の通りは朝の活気に溢れ、行商人が大声で「魔石はどうだい!」と客寄せをしているが、腹が減ってても寄り道する暇はない。
まずはギルドでクエスト完了の手続きをし、報酬を手に入れるのが優先だ。
ギルドに入ると、昨日と同じざわめきがやや落ち着いている感じ。テーブルで朝飯を食う冒険者の姿もあり、中には朝から酒を飲んでいる連中もいる。
カウンターへ行き、昨日の受付嬢に手短に報告する。
「ただいま。ダスク・ウルフ、しっかり狩ってきた。これが牙と爪の一部だ」
「え……もう帰ってきたんですか!? えっと、確認しますね……あ、本当だ。これは確かにダスク・ウルフの牙……すごい、こんなにたくさん……」
受付嬢は目を丸くして書類を確認する。どうやら討伐数が規定以上らしく、想定を超える成果らしい。
「……まさかこんなに早く終わるとは……お、お疲れさまでした!」
受付嬢が感嘆した声を上げるのを聞きながら、俺は「こんな雑魚モンスター相手に苦戦するほどヤワじゃないさ」と軽口を叩く。
「はい、では報酬を……。これで宿代や装備を少し良くできるかもですね?」
「ああ、ありがと。……しかし本当に思ったよりも悪くなかったな、このクエスト」
手渡された袋に入った銀貨を確認し、胸を撫で下ろす。これで当面の食事や宿には困らない。あとは鍛冶屋で少しマシな剣を買う金を貯めれば、もっと安全に戦えるだろう。
満足げにギルドのカウンターを離れようとしたとき、何やらギルドの出入り口付近で口論が起きているのに気づく。かなり大きな声だ。
「……なんだ?」
気になって振り返ると、三人組の冒険者が荒々しい口調で何かを言い捨てている。その中心には、小柄な狼耳の獣人少女が、しおれた姿で立ち尽くしていた。
黒い髪を腰まで垂らしているが、表情は暗く、目には涙がたまっているようだ。
「はぁ? お前なんか、もう用なしだって言ってるんだよ。いい加減察しろ、リーシャ!」
リーダー格っぽい男がそう怒鳴り、俺はまたかと嫌な予感を覚える。
俺は距離を置いて、そっと様子を見守る。近くにいた冒険者たちも「なんだなんだ?」と興味本位で視線を向けるが、誰も止めようとはしない。
剣士風の人間男、弓使いの人間女、そしてドワーフの斧戦士に詰め寄られて獣人の少女は今にも泣き出しそうだった。
「ごめんなさい……! 次は、次はもっと頑張りますから……だから、置いていかないで……」
狼耳の少女が悲痛な声を出すが、リーダーの剣士は冷たい目で見下ろす。
「もう遅ぇよ。お前は獣人なのにロクに戦えないし、声も小さくて何考えてんのか分からない。今朝のクエストでも足手まといだったろ?」
「悪いけど、あなたを守って戦えるほど余裕はないの、わかってるよね?」
弓使いの女性がそう吐き捨てるとドワーフの男も同調する。
「とにかくよ、お前のせいでトドメを刺すタイミングもズレた。危うく俺が噛みつかれそうになったんだぞ! こっちは命懸けなんだ。さっさと失せろっての!」
「でも……でも……!」
リーシャは泣きそうな声を上げる。どうやら戦闘中にうまく立ち回れなかったという理由で、同僚から総スカンを食らっている状態らしい。
その様子は痛々しく、まるで騎士団で俺が追放宣告を受けたときと重なる。自分の失敗云々以前に合わないとか余裕がないとか、そういった名目で一瞬にして仲間を切り捨てる論理。
(つらいよな。それ、まんま俺に重なるんだが)
騎士団の権力争いに巻き込まれ、成り上がりの俺が邪魔になった――それと彼女が同じかは分からないが、少なくとも容赦なく追い出される理不尽さは似ていると思う。
リーダー格の男はなおもきつい言葉を続ける。
「このままじゃ俺たちのパーティが危険に陥るんだよ。要するにお前は戦力外。獣人だろうが何だろうが、役立たずは切り捨てるだけさ。」
「そんな……行き場が……どうすれば……」
リーシャが小さくしゃがみこみ、涙が地面にぽたぽた落ちる。ドワーフの男は「ああもう、時間の無駄だ」と苛立った口調で言い捨てる。
そして三人はまとまって背を向け、さっさとギルドの中へ帰ってしまった。周りの冒険者も「可哀想だけど、仕方ない」とあっさりした反応。誰も彼女を助ける気配がない。
「あの……。待ってください……私、まだ……」
リーシャは呆然と立ち尽くしたまま、手を伸ばすような仕草をしているが、すでに背中すら見えない。追いかけていく元気もないようだ。耳と尻尾が悲しげに垂れ、もはや自信の欠片も残っていないように見える。
――俺はやるせない気持ちになりながら、その光景を数メートル離れた場所で見ていた。
(あの光景を思い出すな。不当な罪を被せられ、取り上げられて、追放されて……。結局、周囲はみんな他人事みたいに見ているだけだ。確かに、余裕がない冒険者たちには彼女を庇う義理もないのかもしれんが……)
気づくと、足が勝手に一歩踏み出していた。リーシャは膝をついて項垂れている。「ごめんなさい……ごめんなさい……」と誰に謝っているのか、自分に向けてなのか、口の中で繰り返しているっぽい。
何か言葉をかけないと……と思うが、どう切り出せばいい? こちらも追放者だが、それをいきなり説明しても仕方ないし。
だが、放っておくのはもっと気分が悪い。
「ちょっと……」
そう声を出しかけた瞬間、リーシャが泣きそうな表情のまま、立ち上がってヨロヨロと歩き出す。まるで目の前にいる俺にすら気づいていないようだ。
慌てて呼び止めようとしたが、結局言葉にならず、ふらふらと路地裏へ向かう彼女の背中を見送る形になる。
――周囲には、さっきまで野次馬っぽい冒険者もいたが、皆「元はと言えばあの娘が役立たずなんだろ?」と冷淡にささやき合い、またそれぞれの用事に戻っていく。
(冗談じゃねぇ。なんなんだよ、この空気……。)
俺の胸に、怒りとも悲しみともつかない熱がこみ上げる。こっちも追放者の身だから、あまり大きなことは言えない。だが、見過ごしていいのか?
「……まぁでも、いきなり声かけてもな。彼女には、彼女なりの考えがあるのかもしれないし。」
そう自分を誤魔化しながら、カウンターで受け取った銀貨の小袋を握りしめる。頭の中で騎士団追放の記憶が蘇った――無力感ってのが一番厄介だよな、と改めて痛感する。
仕方ない。今は俺もまだレベル1の冒険者にすぎないし、彼女が何を求めているかもわからない。……が、放っておけば危険なのは目に見えてる。
「くそ、こんな場面見ちまったら気になってしかたないだろ……」
俺はゆっくりとリーシャの歩いた方を目で追う。どうせなら、もう少し言葉を交わしてみるか? 同じ獣人でも、戦える奴はたくさんいるのに、彼女は未熟すぎたのかもしれない。
しかしここはグラドール。弱けりゃ切り捨てられる街。俺が余計なことをすれば、逆に俺がトラブルに巻き込まれる可能性もあるが……いや、そんな言い訳で目を背けていいのか?
「いいや、関係ねぇ。俺だって、誰一人助けてくれなかったから知ってる。その苦痛ってやつを……」
そう言い聞かせると、俺は軽く息を吐いて、周囲の視線を振り切るように足を踏み出す。まだ彼女の姿は遠くに見える。ちょっと小走りに追いかければ間に合うだろう。
何をどうするかは決めてないが、まずは話くらいは聞いてやってもいいんじゃないか。放っておけば文字通り行き場を失うし、下手したら変な連中に捕まるかもしれない。
「……追放者同士、奇妙な縁かもしれんな。よし、ちょっと行ってみるか」
心に決め、俺は小袋にしまった銀貨をギュッと握りしめる。恨みや苦しみを抱えたままだと、後々どうしようもないことになるのは自分が一番わかっている。ならば、今動くしかない……。
リーシャの後ろ姿は小さくなりかけているが、俺の目からはまだ消えていない。次の瞬間、俺は一気に駆け出した。追放者リュオとしてできること――それが何かはわからないが、見て見ぬふりはごめんだ。
――こうして俺の運命は、思いも寄らぬ方向へと動き出していく。