タンザニアにて
私の知人Kは、「マラリアに三度かかった女」の異名をもつ剛の者である。
そんな彼女が、留学先のタンザニアにて体験した話。
§ § §
そもそもKは、タンザニアに深い思い入れがあったわけではなかった(※)。
なので、留学した当初は気持ちもあまり乗らず、テンションはかなり低め。
「あの国はさ、公用語が英語とか言ってるくせに、誰も英語なんか使ってないの。
確かに、留学先の大学の授業は英語なんだけど、日常会話はスワヒリ語なわけ。
いやあ、あれには参ったなあ」
普通、それぐらいは事前に調べておくべきことだと思うが……
とはいえ、もともと適応力が凄まじい彼女である。
あっというまにアフリカの地に馴染み、現地の人からは、
「あなたのメンタルは日本人ではない。タンザニア人だ」
と言われるまでになってしまった。
そんなふうに、順調な留学生活を送っていたK。
しかし、異文化を受け入れる過程においては、やはりどこかで拒否反応が起きるものなのだろうか。
彼女の場合、その影響は身体に現れた。
ある朝、いつものように目を覚ますと、右目がまったく見えなくなっていた。
残された左目で鏡を覗き込むと、右目は真っ赤に充血して、まるでウサギの目のようだった。
とりあえず近場の病院へ通ったが、原因はわからない。
(首都の大きな病院で検査を受けたほうがよいだろうか)と悩んでいると、現地の友人がこんな提案をしてきた。
「私も前に同じような症状になったことがあってさ、そのとき呪医に診てもらったら、あっという間に治ったんだよ。だから、あなたも一度診てもらったらどうかな?」
――呪医
超自然的な技術を用いる民間医療師。
日本で言うところの「拝み屋」「祈祷師」のようなものだろうか。
その話を聞いたKは、
「ウィッチ! 魔法! そりゃ行くしかないじゃん!」
と即決し、友人と一緒に呪医のところへ向かったのである。
呪医と出会ったときの様子を、Kは次のように語る。
「怪しい小屋みたいなところに連れて行かれるかと思ったらさ、ごくごく普通の家なわけよ。で、そこからちょっと小太りのおじさんが出てきたわけ。頭に羽飾りを付けてるでもなく、ボディペイントしているわけでもない普通のおじさんだよ?
上がりまくった私のテンションを返してほしいくらいだったね」
おじさん――いや、呪医は、事情を聞いて深く頷いた。
それからKの方に向きなおり、こんなことを言う。
「お前の鞄の中に入っている“錦の袋”を報酬としてもらえるならば治してやろう。
私の精霊が、それにえらく興味を持っているからな」
(は? 錦の袋?)
Kにはまったく心当たりがなかったが、とりあえず鞄の中を探ってみた。
すると――
「鞄のポケットの端っこから、交通安全のお守りが出てきたの。
そんなの、私だって忘れていたよ。呪医スゲーって思ったね!」
交渉はすんなり成立。
そうして案内されたのは家の庭先であった。
目の前には、何やら祭壇のようなものが設置されている。
呪医は慣れた手つきで祭壇に火を灯すと、Kをその前に座らせ、彼女の右目の瞼に、変わった香りのする軟膏を塗りつけた。
それから、お経のような祝詞のような……ともかくそんな何かを唱え始めた。
「聞いているうちに眠くなってきちゃってさ、ウトウトしかけたその時――」
ポトリ。
乾いた音でハッと目が覚めた。
右目が見えるようになっている。
揃った両目で足元のあたりを見てみると、小さな黒い甲虫がひっくり返って脚をじたばたさせていた。
いつの間にかKの側に立っていた呪医が、ひょいと虫を摘まみ上げ――
「こいつは“黒くてしがみつくもの”だ。昔、邪な呪医が復讐のために作り出した使い魔で、眠っている人間の目玉を喰らう習性がある」
そう言って、ポイと火にくべてしまった。
「主である呪医が死んだあとも、この虫は消えずに残ってしまったのだ。
よほどの怨念だったのだろうが……まったく、迷惑な話だ」
§ § §
Kに、ふと気になったことを尋ねてみた。
「ところで、マラリアに罹った時はどうしたの?
やっぱりその呪医に治してもらったわけ?」
するとKのやつ、こんなことを言うではないか。
「ううん、普通に薬飲んで治した。そっちの方が確実だし安いもん」
タンザニアの見知らぬ呪医よ、聞こえているか。
聞こえていたら恩知らずのKに、お腹が下る呪いでもかけてやれ。
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※……拙著「Kという人」(「チラシの裏の裏には書けない」に収録)を参照