第77話 第三王子
王国歴359年3月11日火曜日、模擬戦の翌日。今日から春休みだ。僕とリュカ様は、意気揚々とダンジョンアタックに出かける準備をしていたのだが。
「来たな」
僕たちは、寮の特別棟に呼び出しを受けていた。王族専用の小さな宮殿。現在の主は、もちろんリシャール第三王子だ。
「王子殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」
リュカ様が平坦な声でご挨拶。彼は明らかにご機嫌麗しくなさそうだ。
「まあそんなに緊張しなくていい。ここは私的な場所だ。楽にしてくれ」
殿下は、リュカ様のそっけない態度を、緊張だと受け取ったみたいだ。僕らはソファーを勧められ、ちんまりと収まった。リュカ様はともかく、平民の僕なんかがこんなとこ座っていいんだろうか。なお、僕らが招待された名目は、昨日の模擬戦の優績者の労いということだったけど、呼び出されたのは僕らだけ。
「昨日君たちが掴んだ勝利。これは近年稀に見る功績なのだが、理解しているか。不遇と言われた土属性が、圧倒的な力量差で他属性を捩じ伏せた。これは、貴族界における著しいパワーバランスの欠如に、一石を投じるものだ」
彼もまた、高等部一年の部で優勝を果たしている。しかしそれは、明らかに忖度の賜物だった。
「単刀直入に言おう。君たち、生徒会に入りたまえ」
殿下の召集の本当の理由は、リクルートだった。彼は現在副会長。そして10月から高等部二年、生徒会長を務めることになる。しかし、
「私共では力量不足。ご遠慮申し上げます」
リュカ様は即決即断でお断りした。ちょっ…
「おや。君ならきっと受けてくれると思ったが」
「昨日の仲裁に関するご厚情につきましては、感謝申し上げます。しかし、私はいずれ平民に降る身。御身のお側に侍るには、分不相応の栄誉かと存じます」
さすが貴族のご子息だ。立派な物言い。ちなみに僕は元から平民なので、発言権も拒否権もない。
「そうか。君なら、土属性の者たちを導く標となると踏んだのだがな。しかし」
そう言いかけて、殿下はノックの音で言葉を止めた。
「…ちょうどご到着のようだ。いいぞ、入れ」
静かにドアが開き、殿下の従者に連れられて入って来たのは。
「で、殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう…」
ちっともご機嫌麗しくなさそうな、ラクール伯爵。背後には執事長のレオナールが控えている。
「ああ。ちょうど来る頃だと思っていたよ。貴君もご子息の栄誉を言祝ぎに参ったのであろう。さあ」
「あああ、あの、この度は殿下のご優勝、誠におめでとうございます!臣と致しましては誠に喜ばしく…」
彼はしどろもどろになりながら、噛み噛みで殿下に胡麻を摺っている。
「ああ、私のことはいい。それより貴君は、リュカ君に用があったのではないかね」
「え、ええまあ。この度は、この馬鹿息子がご迷惑をお掛け致しまして」
「馬鹿息子?」
そこから伯爵は立板に水が如く、リュカ様を罵り始めた。そして間もなく僕に標的を移すと、その3倍の勢いで猛烈にこき下ろした。昨日模擬戦で何があったのか、聞きつけたのだろう。
「このような平民、生かしておいてはなりません!」
「しかし彼は、仮にもリュカ君の従者だろう」
「そんな契約は結んでおりません!其奴は勝手に潜り込んだネズミだ!」
「は?」
今、隣のリュカ様から、地の底から響くような合いの手が入った気がするが、気のせいだろうか。
「なるほど、経緯は理解した。ラクール家としては、アレクシ君と雇用契約を結んだ覚えはないと」
「いかにも!其奴は愚弟リュシアンの推薦を受けたと偽の紹介状を持って現れ、愚息を唆して学園に居座り、神をも侮辱する狼藉を」
「ああいい。分かった。ということは、アレクシ君は今、フリーだということだな。どうだね、アレクシ君。僕の従者にならないか」
「はっ?」
「困ります殿下!アレクシは僕の従者です!」
「あ、はい」
「私の話を聞いておられましたか殿下!その者はどこの馬の骨とも知れない、薄汚い平民で」
「アレクシ・アペール。マロール領アペール商会次子。マロール領立学園高等部を、二年次最初の定期考査で飛び級の上卒業。同学園リュシアン・ラクール教諭の推薦にて、当学園に編入。編入試験は満点、先週の定期考査は主席。そして模擬戦は、他を寄せ付けぬ圧倒的な力量で優勝。なお彼は、自ら入学金と学費、寄付金を支払っているが、成績上は特待生の要件を満たしている。彼にはこの学園の生徒として、些かの瑕疵も見当たらない。———貴君はこの者を排除したい、そして私はこの者が欲しい。しかも君には彼に対して、何の契約も結んでいない。何の権利も無いのだ。我が物としても、問題なかろう?」
「問題だらけです殿下!アレクシ、そうなの?僕の従者じゃないの?」
「あ、いや、僕としてはそのつもりなんですけど…」
「殿下、お考え直しを!其奴は危険な」
「聞いていなかったのか、ラクール伯。危険な行為に及んだのは、ルイゾン君だ。彼はアレクシ君に優勝剥奪戦を持ちかけ、全てのスキルを防がれた挙句、爆炎で会場の皆を危険に晒した。それを全て剣技で完封したのがアレクシ君だ。彼が防がなければ、君たちはお家断絶では済まなかったのだぞ。彼に礼こそすれ、暴言を吐くいわれなどない。学園がルイゾン君の行為を不問にしたのは、せめてもの温情だ。これ以上、家門に泥を塗るような真似は、慎むことだ」
「…」
ラクール伯は、ぐぬぬといった表情で押し黙っている。下手にイケメンだから、凄い形相だ。
「まあ、そういうことだ。アレクシ君の処遇に関しては私が預かるので、気にするな」
「…有り難き、幸せ…」
「ルネ、ラクール伯がお帰りだ。正門まで案内しろ」
「は」
ラクール伯は終始俯いたまま、従者に連れられて退出して行った。
「…さて。入りたくなったろう、生徒会に?」
殿下はニコニコしている。コイツやばいな。そして今度は、ラクール伯の代わりにリュカ様がぐぬぬという表情をしている。結局僕らは、平日の放課後だけという条件で、生徒会に取り込まれることとなった。
「ついてはアレクシ君。君も後ろ盾があった方がいいだろう。どうだい、僕の養子というのは」
「あ、あのっ、養子というのは…ご遠慮したいと…」
「まあ、そうだね。まだお互いのことを何も知らないんだ。それは追々ね。だけど、今後の横槍を防ぐためにも、従者契約はあった方がいいだろう。レジス」
ラクール伯を送って行ったのと別の従者が、書類とペンを持って来る。契約書、用意してたん?怖っ。
「殿下!アレクシは僕の従者です!」
「ああ、私と従者契約をしても、リュカ君の従者のままで構わないよ。あくまで後ろ盾になるということだからね」
そんなやりとりを耳にしながら、契約書に目を通す。———これ、問題アリアリだ。殿下が臣籍降下した後、もしくは王位に就いた後の終身雇用まで、しれっと記載されている。
「あの、申し訳ありません。謹んで辞退を…」
「おや?残念」
殿下は片眉を上げて、ニヤリとしている。
「契約書は、細部まで目を通すのが基本ですから…」
「ふふ。なるほど、君は商人だものね。分かったよ。こういったことは、また追々ね」
追々はやめていただきたい。
「…アレクシ。君は僕の従者じゃなかったの?」
「ええまあ…王都に行って学ぶなら、リュカ様の従者に推薦すると、ラクール先生に言われまして」
推薦状を持って行って、邸内には入れてもらえたものの、まあ、実質門前払いだったってことなんだけど。
「殿下も言ってたけど、入学金とか授業料とか、お給金とかは」
「ははっ。リュカ様もご存知でしょう。冒険者って、稼げるんですよ?」
僕は彼にウィンクした。だけど彼は、痛ましい表情をしている。優しい坊ちゃんだ。
「じゃあ、これから商業ギルドに行きましょうか。リュカ様、僕を雇ってくれるんですよね?」
彼はひょこっと顔を上げた。漫画なら、パアアア〜〜〜ッ☆とでも書いてありそうな、満面の笑みだ。僕たちは晴れて雇用契約を交わし、僕は正式に彼の従者となった。