第109話 ウルリカの工房
彼女の一言で、僕らは彼女と共にエルフの里に赴くこととなった。普通、他種族をおいそれと連れて行っていいのかということだが、
「お主が儂らと共に研究を進めた、それらの技術。もはや人族の中でのみ秘匿させておくわけには行くまい」
それもそうか。これらは彼女らの知恵の結晶だ。そして、魔道具だってそう。そもそもあれも、ご主人のオブロフスキー師が人間族に伝えたものだ。ならば、僕がいまこうして使っているチートのほとんどは、彼らの知的財産だと言っていい。ついでに、ループの一端を担うリュカ様もご一緒していいということになった。
リュカ様は、僕の隣でずっと石化している。まず腐海に慄き、森人族に硬直し、魔道具に錬金術に付与術、自身が世界の繰り返しの鍵であること、そして止めは伝説の森人の里に。なんかごめん。情報量が多過ぎだよね。
「えっと、リュカ様。次の冬休みには、お邸を空けることは可能でしょうか…」
リュカ様は、ギギギ、といった感じで僕に向き直った。
「…ねえ、アレクシ。君はずっと、僕に会いに来てくれてたの…?」
「あ、ええ、まあ」
4周目、リュカ様と知見を得て、ループの根源がアーカートにあると知って。それからずっと、リュカ様とは一緒だ。彼は一応隠しキャラだし、ピンク頭の餌食にさせないためには、動向を掴んでおく必要があった。そして何より、伯爵邸や学園での不遇を、どうにかしてあげたかったしね。
しかしそう考えると、もう30年は一緒にいることになるのか。毎日一緒に過ごした4周目と違い、近頃では週に一度の臨時パーティーではあるけども。
「今回はまだお会いして2ヶ月も経っておりませんが、僕からすれば30年もずっとご一緒だったなんて、不思議な感じですよね」
リュカ様は、大きな瞳にみるみる涙を溜めている。ヤバい、気持ち悪かったかな。そう思った刹那、
「———アレクシ!」
彼は人目も憚らず、僕に抱きついて大声で泣き始めた。えっ、ちょっ…
「僕のこと、ずっと迎えに来てくれたの?ずっと一緒にいてくれたの?」
「おや…」
感極まって号泣する彼を、慌ててハグして宥める僕。そしてそんな僕らを、ウルリカがニヨニヨして見ている。
「違っ、ウルリカ、僕らはそんなじゃ」
「良い良い。儂は衆道も心得ておるぞえ」
あっれぇ。僕、30年ぶりに好きな子に会いに来たんだけど、どうしてこうなった?
とはいえ、これで物事は大きく前進した。そう信じたい。そもそも、こうしてウルリカが森人の里に誘ってくれるなら、意地を張ってないでもっと早くここに来れば良かった。30年も遠回りするとか、僕は相変わらずだ。
「して、里への旅程じゃが」
「はい。オルドリシュカ師がここまでおいでになった陸路を空路からなぞり、主要な都市近郊で転移マーカーを敷設。その繰り返しで、冬の間を移動に費やせば、里にお邪魔出来るのではないかと」
「お主、転移とな?!」
え、あ、ええ。ここに来るにも転移を使いましたが、何か?
ウルリカは唸っている。ご主人のオブロフスキー師とはしばらくお会いしていないそうだが、「彼奴、アーカートで漏らしたな」とわなわな震えている。そういえば、おだてられるとホイホイ秘密を喋ってしまうものだから、ウルリカは彼の監視のためにラシーヌに派遣されたと言っていたな。人間族の魔道の祖、崇高なオブロフスキー師のイメージが崩れていく。相当なお調子者らしい。
ともかく、人間族で転移を使える者は、そうはいないはずだ。まず取得条件が厳しいし、何よりMPをバカ食いする。僕だって、魔石を使わず自前のMPを使っていれば、日に何回も転移など出来ない。況して、国を跨いで飛ぶような転移など。
「お主のその馬鹿げた知識といい、能力といい。ほんにお主のような者が手にして幸いじゃった」
「ウル…オルドリシュカ師?」
「今更じゃ、ウルリカでええわい。トボけた面をして、やりよる」
ウルリカは不敵に笑っている。彼女の視線の先には、泣き疲れて眠ってしまったリュカ様。
「だから違うって!」
どうして女子はこう、腐臭を好むのか。
その日は30年前と変わらず、ウルリカの工房の掃除に費やした。どうせ来週来たら元通りなんだろうな、という諦めの境地とともに。一切合切収納しては、同種ごとにソートして排出。これを1年半、「塔」での掃除と合わせると2年半やったんだ。慣れたものだ。
「魔素の消費を使わない異空間収納。お主、そのような技術まで」
「ああ、これはきっと僕が、こういう物語を遊ぶ側の人生を生きていたからだよ」
僕は、こことは違う世界を生きた前世の記憶があることを明かした。もうこれで、彼女に隠していることは何もない。
「ふむ。落ち人か、迷い人か。いずれにせよ、これはおばば様の領域じゃの」
「えっ、おばあ様がご健在なの?」
「ああ、儂が言うのは高祖母、つまり祖母の祖母のことじゃが」
ちょっと待って。30年前、お嬢さんやお孫さんの登場、そして500歳を超えたら皆500なんてセリフで気を失いそうになった僕だけど、そんな彼女のおばあちゃんのおばあちゃんって…
「お主、女の年のことは考えるでない」
ズビシ。
「へぶっ」
久々に、鋭い手刀が喉に入った。