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勇気のない私と毒舌のウサギさん

作者: GIN

「君、才能ないよ」


「え……え?」


「だから歌の才能がないって言ってるの。もう諦めて、別の道を選んだ方が良いと思うよ。さあ、審査終わり。次があるから帰って」


「分かり……ました」


 言われるがままに荷物を手に取り、部屋を出る。

 俯いたまま、重い足取りで会場を後にし、ゆっくりと帰路につく。

 

 心の中では理解していた。

 それでも、実際に言葉にされると心に来る。

 その言葉が憧れの人からの言葉だったらなおさらだ。

 だけど、これで決心がついた。

 うちは今日、音楽を辞める。


「おや、浮かない顔をしているね。何かあったのかい、そこまで可愛くないお嬢さん」


「別に……何もないですよ。と言うか、可愛くないって失礼じゃ……ふぇ?」


「おや、変な声を出してどうしたんだい?何か変な者でも見たようじゃないか」


 突如目の前に現れたその何かに、彼女は驚きながら足を止めた。

 そして、震えながらも何かに指を向ける。

 その指先には、白い体毛に包まれているウサギがいた。

 ウサギは二本足で地面に立っており、彼女へと真っ直ぐな視線を送っている。

 彼女は幻覚かと思い、強く目を擦るが、ウサギが消え去る気配はない。


「全く……残念ながら僕は幻覚じゃないよ。……いや、君以外に見えていないから、あながち間違っちゃいないのかな?」


「私以外に見えていないって……」


 彼女はウサギの言葉を聞き、通行人一人一人に目をやる。

 彼らは誰一人として、ウサギに目をやる仕草をしない。

 顔を重視する彼女の事を変に思ってか、彼女にこっそりと目をやるくらいだ。


「本当に見えていない……私、疲れてんのかな……」


「疲れているのは事実だけれど、僕の存在は現実さ。それよりも、どうして浮かない顔をしていたか、教えてくれるかい?」


「いや、別に……大したことじゃないし……ただ、現実を見ただけ」


 そう、それだけの事。

 元から分かっていた現実をようやく目にしただけだ。


 うちは音楽が好きだった。

 小さい頃から、歌うのが好きで、将来は歌手になろうと思っていた時期もあった。

 周りの人はうちの歌を上手いって、沢山褒めてくれた。

 だけど、うち自身は分かっていた。

 うちには音楽の才能がないって事を。

 それでも諦めきれずに、今日までずっと練習し続けた。

 だけど、来年は高校三年生になる。もう少しで将来の事を決めなくちゃならない。

 だから、今日の歌手のオーディションで結果を出せれば、音楽の道を歩む。

 駄目だったら……それ以外の道を歩む。

 そう決めていた。それが結局、駄目だった。

 当然と言えば当然の結果。

 悔しさはあるけど、うちは今日で音楽を辞める。

 これはずっと前から決めていたことだから、仕方がない。


「仕方がないからやめるのか。君にとって音楽とはその程度の物なんだね」


「その程度って……別に私は……え、今私、口に出してた?」


「僕は妖精だよ?心の声を聞く事なんて簡単さ!」


「妖精……。私、何やってんだろ。幻と真面目に話すなんて。……帰ろ」


 引き留めるウサギを無視し、彼女は再び帰路に戻る。

 オーディション会場と彼女の家は遠く、電車に数十分乗り、十数分歩いた先にある。

 彼女は再び俯きながら、電車に乗り、十数分歩き、家の前に到着した。

 彼女は自らの口に手を当てると、無理やり口を引っ張り、笑顔の表情で家へと入る。


「ただいまー!」


「あら、お帰りみかん!オーディション、どうだった?」


「んー、結構よかったかな!ちょっと疲れたから、昼寝してくるね!」


「分かったわ。それじゃあ、ご飯少し遅くするわね。ゆっくり休み!」


「うん!」


 それだけ話すと、彼女は二階の自室へと上がっていく。

 自室に入ると同時にカバンを投げ捨て、ベッドへと飛び込む。

 一日を振り返りながら、SNSで友達の投稿に目を通していく。


「帰ってすぐにSNSか。全く、最近の若者はそればっかりだね」


「え……え!?さっきのウサギ!何で家にいるの!?」


「そりゃあ、妖精だからね。どんな所にも表れるさ!……しかし、帰ってすぐにSNSとは……そんなに友達の投稿が気になるかい?そんなに友達の事が大切かい?……全く、僕視点から見ると、君は友達の事を気にし過ぎているね。毎回の投稿に反応して……別に一度反応しなくても、友達は何も言わないだろうに」


「う、うるさい!別に私の勝手でしょ!ていうか、さっさと出て行ってよ!私のお母さんはウサギが嫌いなの!」


「本当に?君がその情報を得たのは随分と前だよね。なんで今も嫌いだって言い切れるのかな」


「え……う、うるさい!出てって!」


 そう叫びながら、彼女が枕を投げつけようとすると、ウサギは一瞬にして姿を消した。

 まるで瞬間移動したかのように、その場から消え去ったのだ。

 彼女は驚いたが、すぐに落ち着き、ベッドの上に横たわった。


 ……ウサギの言っていることも一理はあるのかもしれない。

 お母さんのウサギ嫌いを知ったのは小学生の時。

 動物園でウサギをお母さんに近づけた時、悲鳴を上げながら逃げた事で知ることになった。

 それからはウサギをお母さんに見せる事はなくなり、お母さんはウサギが嫌いという認識で今日までやって来た。

 わざわざ嫌いなウサギの話をすることはないし、当然と言えば当然の事。

 

 ……てか、本当にあのウサギは何なんだろう。

 通行人には見えていなかったし、人間の言葉を話している。

 一瞬にして消えるし、うちの事を何でも分かってるみたいに話してくる。

 妖精って言ってたけど……本当に妖精さんなのかな。

 いや、そんなことある訳ない。

 きっとうちは疲れてて、幻覚が見えてるだけなんだ。 

 そうに違いない。


 自らにそう言い聞かせていると、二階へと階段を上がる足音が彼女の耳に入った。

 その聞きなれた足音から察するに、上がってきているのはお母さんだろう。

 そう考えた彼女は起き上がると、傍にあった雑誌に手を伸ばし、それを読んでいるふりをし始める。

 それと同時に部屋の扉を開け、彼女のお母さんが部屋へと入って来た。


「良かった、まだ起きてたのね。聞いておきたかったのだけれど、寝るのだったら夕飯は何時くらいがいいかしら」


「あ、やっぱり寝るのやめるから、ご飯はいつも通りの時間でいいよ」


 あのウサギのせいで目が覚め切っちゃったしね。

 それに、今寝たら悪い夢を見る気がするし。


「あらそう。それならお風呂に入ってきなさい。風呂は沸きたてだから気持ちいわよー」


「分かった。入って来るよ」


 軽く答えると、パジャマに手を伸ばし、スマホをしまったのちに階段を駆け下りる。

 慣れた動きで服を下ろし、入浴剤を片手に風呂場へと入る。

 彼女にとって、風呂は勇逸心も体も休める場所だ。

 高級な入浴剤を丁寧に入れると、子供の様に風呂へと飛び込む。

 周囲にお湯が飛び散り、付近にかけておいたバスタオルが一瞬にして濡れた。

 しかし、そんな事は気にせず、肩まで風呂につかり、体を癒し始める。


 散々な結果だったオーディション。

 理解不能な言葉を発するウサギ。

 ウサギから言われた核心をついてくるような言葉。

 全てを忘れ、ゆったりと自分の時間を楽しむ。

 落ち着いて風呂に疲れたお陰か、風呂を上がった頃には殆どの疲れが取れ、彼女の気分は最高潮に近づいていた。

 風呂を上がると同時に、晩御飯が出来た事を聞くと、彼女は軽い足取りで食卓へと向かって行く。


 食卓には唐揚げやサラダが並び、部屋中に良い匂いが充満している。

 席に着いているお母さんを目にすると、彼女は駆け足で席に着く。

 そして、手を合わせたのちに、晩御飯を食べ始める。

 

「どう?今日のご飯は張り切って作ったのだけど、美味しいかしら?」


「え、うん。凄く美味しいよ!やっぱりお母さんは料理が上手だね!」


「そう言ってもらえて母さん幸せよ!」


「いや、ウソだね。本当は大して美味しくないでしょ」


 聞き覚えのある声に、彼女は反射的に振り返る。

 彼女の視線の先には、見覚えのあるウサギが仁王立ちしていた。

 彼女は動揺しながらも、ウサギ嫌いのお母さんの事を考え、お母さんの方へ目をやる。

 しかし、お母さんは特に何も反応を示しておらず、突如振り返った彼女に不思議な目を向けているだけだ。


「だーかーらー。僕の姿は君にしか見えないって言ってるでしょ。君の学習能力は鶏以下なのかな?……まあ、良いや!それより、ウソは良くないよ。本当はまずいんでしょ」


 ……不味い?

 このウサギは何を言っているんだ。

 お母さんの料理は不味くなんかない。

 普通に美味しい、一般的な料理だよ。


「ウソつけ。僕には嘘をつ言ったって無駄だよ。本当はそこまで美味しくないんでしょ。特に唐揚げはめちゃくちゃまずいんでしょー。自称料理評論家の僕からしたら、小学生が家庭科の授業で失敗して作った料理の数倍はまずいね!」


 ……いい加減にして。

 さっきから何なの?うちの行動に口出さないでよ。

 別に少し不味いのくらい、言わなくていいじゃん。

 それでお母さんは喜ぶし、その顔を見るとうちだって嬉しくなる。

 みんな幸せなんだから、それで良いじゃん。


「それもウソだね。お母さんが喜ぶし、君が嬉しくなるからウソをつく?そんなわけないだろ。君はお母さんに本当のことを言う勇気がないだけだよ。本当のことを言って、お母さんが怒ったり、何かしたりする事は絶対にないと君は分かっている。それなのに君が本当の事を言わないのは君に勇気がないから」


「…………」


「あれ、何も言わなくなっちゃった。まあ、良いや。今日は疲れたし、次出て来るのはまた明日にするよ。それじゃあね」


 それだけ告げると、ウサギは一瞬にして消え去った。

 ウサギの言葉を受け、彼女の箸は止まり、複雑な気持ちが心を満たした。


「……あれ、みかん。どうかしたの?もしかして、何か変な物でもあった?」


「え、あ……うんん。大丈夫。この唐揚げ、本当に美味しいね!」


 嘘を口にし、彼女は再び箸を動かす。

 それでも彼女の心を満たす気持ちは変わらず、心ここにあらずの状態で、彼女は晩御飯を食べ進める。

 数分で晩御飯を平らげると、普段通りに食器を洗い、自室へと戻っていった。

 SNSに目を通しながら寝る準備を整えると、布団に潜り、ゆっくりと目を瞑る。

 

 大丈夫。きっと大丈夫。

 今日は辛いことがあって、疲れていたから変な物が見えていただけ。

 きっとゆっくり寝れば、嫌なウサギは消え去る。

 いつも通りの楽しい日々に戻るんだ。

 きっと……明日は良い日に……。


 彼女は深い眠りについた。


 そして、次の日。

 彼女は耳障りな目覚まし時計の音で目を覚ました。 

 起きると同時に時計を止めたのち、カーテンを勢いよく開ける。

 深く眠りにつけたお陰か、彼女の気分は絶好調だった。

 軽く周りを見回し、例のウサギが見当たらない所を確認すると、更に気分が上がっていく。


「……よし、今日も頑張ろう!」


 元気よくベッドから下り、すぐさま制服に着替えると、元気よく一階へと降りていく。

 ジャムの塗られたパンを軽く平らげると、鞄を手に持ち、学校へと向かって行く。

 彼女の学校は徒歩で約20分の距離にある。

 良い事ばかり考えて歩いていると、彼女はすぐに学校に到着した。

 普段と同じ動きで教室へ入ると、鞄を机に置き、金髪の女友達の元へと歩いて行った。


「おはよう、茜ちゃん!」


「あ、みかんおはよー。なんか今日機嫌よくなーい?」


「あ、分かる?実は……」


「ねえ、もしかしてだけど、朝から機嫌が良いのは僕の姿が見えなかったから?それだったらそれなりに哀しいんだけど。シンプルに僕泣いちゃうよ?」


 聞き覚えのあるその声に、彼女は思わず唖然としてしまった。

 目を擦り、何度も確認するが、やはりそのウサギは存在した。

 

 最悪だ。まだいた。

 朝いなかったから完全に油断してた。

 最高の気分だったのが、一気に最悪の気分になっちゃったよ。

 いや……待てよ。昨日は無視し続けていたら消え去った。

 それなら、今日も無視すればいなくなるんじゃ……。


 急に黙り込んだのを不思議に思ったのか、

 茜と呼ばれた女の隣にいる、茶髪の女友達が口を開いた。


「みかんっちどしたん?何かあったん?」


「え、あ、いや、大丈夫だった!いやー、それにしても今日は良い日だね!」


「え、もしかして僕の事無視してる?ねえ、無視されると泣いちゃうよ?」


「いや、急に転機とかどしたんよw茜、今日のみかんっち変だと思わない?」


「んー、確かにー。なんか変かもねー。あたしらになんか隠したりするー?」


「ねーえ。僕の事無視し続けないでよ。友達の話聞くなら、僕の話も聞いてよ!」


「いやいや、何も変じゃないよー!私はいつも通り元気いっぱいよ!」


「…………」


 暫く無視すると、ウサギは諦めたのか、口を閉じ、黙り始めた。

 彼女が上手くいったと喜び、普段通りに会話を続けようとした次の瞬間。

 ウサギは突如として、大きく口を開く。


「はーい!みんな注目!今日のみかんちゃんの下着は縞々でーす!新品で、朝気分が良かったから付けてきたんでーす!そしてそしてー……彼女はこのクラスの進藤くんが好きなんでーす!」


「いや……は!?何言ってんの、このクソウサギ!」


「え、みかんっちどしたん?急に叫ぶなんて……」


「え……あ……」


 そうだった。

 このウサギの姿は他の人には見えないし、声も聞こえないんだった。

 しまった。完全にやられた。

 うちの秘密を暴露し始めたから、思わず叫んじゃった。

 このウサギはホントに……よし、決めた。


「いや……ごめん、大丈夫!ちょっと行ってくる!」


 それだけ言い残し、彼女は教室を飛び出した。

 走って彼女が向かった先は、学校の最上階。

 現代では珍しく、普段から解放されている屋上だ。

 朝に使っている人はおらず、どれだけ叫んでも大丈夫であろう事から、ウサギとの話し合いの場にここを選んだのだ。


「……いるんでしょ、ウサギ。さっさと姿現しなよ!」


 そう叫ぶと、何もない所からウサギが突然現れた。

 しかし、何度も目にしたせいか、彼女は驚いた態度を全く見せない。


「……悲しいな。もう、突然現れるのに驚いてくれないんだ」


「そんな事はどうでも良いの!さっきのは何なの!」


「え、何って……君の今付けている下着の色と好きな男の名前を叫んだだけだけど?」


「頭おかしいんじゃないの!?女の子にやって良い事と、行けない事も分からないの!?」


「僕妖精だから分からなーい」


 こいつ、一度で良いから思いっきり叩いてやりたい。

 妖精と言うのは女の子のデリケートな所も分からないの?

 下着と好きな人は一番ダメな所でしょうが!

 うちじゃなかったら泣き叫んで、全力でたたきに行ってるところだ。

 それを……反省すらしていない……。

 この妖精は頭おかしいんじゃないだろうか。


「頭おかしいなんて失礼だね。元はと言えば君が無視するのが悪いんじゃないか!もっと僕と話してもよくないかい?」


「嫌だね。私はあなたが嫌いなの。それに、さっきは友達と話してたんだから、仕方ないじゃん」


「友達ねえ……さっき話していた脳みそ詰まってなさそうな金髪と性格悪そうな茶髪女は君の友達なのかい?」


「そりゃあ、そうでしょ。あの子たちは私の一番仲良い二人組だからね!」


「本当に?なら、なんで君は本心で話さないの?例えば……そうだね、君はなんであのブスどもの前で、一人称を『うち』にして話さないんだい?」


「え……」


 核心を突くような言葉に、彼女は思わずそう零した。

 反論をしようと口を開くが、言葉が出て行かない。

 頭を巡らせ、良い言葉を探すが、それが事実であるため、言葉が思いつかないのだ。

 そんな彼女を尻目に、ウサギは話を続ける。

 

「君はさ、小さい頃から自分の事を『うち』って呼んでたよね。それが、高校に入ってから他人の前では使わなくなった。それどころか、家族の前ですら使わない。なんで君は使わないのだい?自分の事を指すときは、今もなお『うち』を使っているはずだ。SNSの裏垢や心の中では今も使っている。それなのに、現実では使わないようにしている。意図的にね」


「それは……だって……」


「別に、それが原因でいじめられたり、何か言われたりはしていない。何か大きな原因があった訳じゃないのに、それなのにも君は私と言う一人称を使う事にした。……まあ、実際の所理由は色々あるだろうね。皆と同じが良い、自分だけ他と違って何か言われるかもしれない、他にもたくさん。なんでそんなに周りを気にするのか、僕には分らないよ」


 好きかって言ってくれる。

 そんなのウサギなんかに分かる訳がない。

 うちが他の子と少し違っても、うちの周りの人たちが何か言ってくるとは絶対にない。

 みんな良い子だし、いじめとかそう言うのはやらないタイプの人たちだ。

 それは分かってる。だけど、なんか無理なんだ。

 飛び切り怖い訳じゃないし、凄く大きなことじゃない。

 ただの一人称。それだけの事も、そう簡単には変えられない。 

 この気持ちは、分かる人にしか分からない。

 

「分かる人にしか分からないねえ……色々思ってるけどさ、要は勇気が出なくて、今から変えられないってことでしょ。ぶつくさ言い訳してないで、勇気を出して行動すればいいのに。あ、勇気のない太ったデブスだから無理か」


「……なんなの、さっきから何も知らないのに綺麗事ばっかり並べて……それに酷い言葉使いばかり……あー、もう、ムカつく!」


 そう叫ぶと、彼女は頭を強く掻き、突如として駆け出した。

 向かう先は例のウサギ。ウサギに向かって、全速力で駆けていく。

 そして、自らがスカートである事も気にせず、大きく足を上げ、回し蹴りを繰り出した。

 彼女の足はウサギへと綺麗に向かって行き、ウサギへと直撃した。

 

 ……かに思えたが、残念ながら彼女の蹴りは空を切った。

 間違いなくウサギのいる場所を通ったが、その足はウサギをすり抜けるように空を切ったのだ。

 予想外の状況に、思わず彼女は目を丸くし、その場に立ち尽くした。


「はあ……全く、君はブスでデブでどうしようもないだけじゃなくて、頭も悪いんだね。僕は妖精。残念ながら、君から僕に触れることは出来ないんだよ」


「な……そんなのずるい!」


「ずるくはないよ。てか、教室に戻らなくていいの?今日は朝の話はないらしいけど、一時間目が移動教室だから、早く行動した方が良いと思うよ!」


「え、あ、時間!あー、もう……このウサギ!」


 ウサギに対し湧き上がる憎悪を抑えつつ、彼女は教室へと駆け出した。

 階段を下りながら飾られている時計に目をすると、授業開始まで5分を切っていた。

 多少焦りながらも、危険でない速度で廊下を駆けて行き、彼女は教室に到着した。

 教室にはクラスメイトの姿はほとんどなく、友達である茜と沙良だけが残っている。


「あ、みかんー。遅いよ、もう授業始まっちゃうよー」


「ごめん、ちょっと色々あってさ。それより、早く行こ!」


 そう言いながら教科書を取り出し、教室を出る。

 時間の事もあり、普段よりも早歩きで音楽室へと向かって行く。


「てか音楽だるくない?楽しくもないし、面倒くさいだけなのに2時間も連続であるんだよ!?」


「分かるー。音楽の授業好きな人なんていないよねー。なんで授業で音楽があるんだろうねー」


「う、うん、そうだね。音楽なんて、面倒くさいだけだよね」


 本心でない言葉に、彼女の心に痛みが走った。

 しかし、彼女はそれを気にすることなく、平然に嘘を続ける。


「面倒くさいし、音楽の授業なんてなくなればいいのに」


「みかんっち言い過ぎwまあ、みかんっちは凄い音痴だから、そこまで嫌うのも仕方ないか」


「う、うん。まあね……」


「あ!そう言えばわたし今日の放課後はデートがあってさ。今日は二人だけで帰ってて!」


「おー、りょうかーい」


 彼女ら、仲の良い三人は普段一緒に帰宅している。

 これは彼女らが三年生になってから続いており、家が近いという単純な理由で一緒に帰っているのだ。

 帰路の付近には商店街やカフェが建てられており、帰宅途中に遊んで帰る事も度々ある。

 ただ、部活や用事がある事もある為、そういう時は朝一で用事を伝え、一緒に帰れない事を伝えるようになっている。

 特別そうしようと決めたわけではないが、朝一で伝える事が多かったため、自然に全員がそうするようになっていった。


「それじゃあ、彼氏なしのあたしたちは女子二人でデートしようかー」


「うん、そうだね!どうせならカフェとかよっちゃう?」


「さんせー」


 軽く帰り道の予定を決め、音楽の授業を受けるべく、彼女たちは教室へと入って行った。

 教室では既に教師が立っており、彼女たちは急いで席に着いた。

 それを確認すると、教師は少し早いが……と言い、授業を開始する。


 放課後は茜とカフェか。

 二人で行くのは久しぶりだし、楽しみだな!

 最近、てか昨日今日で嫌なこと続いてたし、良い憂さ晴らしになりそう!


 帰り道にあるカフェは雰囲気良くて、気分も一気に上がるんだよね。

 カフェによって良い気分になったらウサギが見えなくなってたり……なんてことは流石にないよね。

 本当に、あのウサギは一体何者なんだろう。

 昨日からずっと考えてるけど分からないし……妖精って言ってたけど、そんな訳はないよね。

 妖精なんてこの世にいる訳ないし。

 もしかして、昨日のオーディションがショック過ぎて、そのストレスで幻覚が見えるようになったとか?

 だとしたら、ストレスが消え去るくらい楽しい事をしたら、見えなくなったりするのかな?

 

 ……よし、物は試し!

 今日一日全力で楽しもう!

 そうすれば、なんか良い感じになるかもしれないし!

 まずは……楽しい音楽の授業を、全力で楽しもう!


 彼女はそう決心し、普段以上に楽しく音楽の授業へと取り組んだ。

 その後の授業にも楽しく取り組んでいき、体感時間は4時間ほどしか経っていないのにも関わらず、全授業が終了し、帰宅時間に差し掛かった。

 今日一日の授業を振り返りながら、帰宅するべく荷物をまとめていく。 


「みかん、もう帰れるー?」


「あ、丁度準備終わったし、私は帰れるよ!」


「よーし、それじゃあ、帰ろうかー」


 軽く話しながら、彼女らは下駄箱へと足を運ぶ。

 慣れた動きで靴を履き替え、普段通りに学校を出発し、帰路につく。


「いやー、それにしても今日は楽しかったけど疲れたな」


「今日は珍しく、全部の授業起きてたもんねー。やっぱり今日何かあったのー?」


「え、いやー、別に何にもないよ。それより、朝カフェ寄ろうって話してたけど、どうする?」


「んー、やっぱり今日はカフェ行くのやめない?そんな気分じゃないしさー」


「そっか、それなら普通に変えろっか」


 カフェ……行きたかった。

 まあ、茜もそんな気分じゃなかったみたいだし仕方がないか。

 別にカフェは他の日でも行けるし、わざわざ今日無理やり行く意味もないもんね。

 無理やり行くくらいだったら、楽しく普通に変える方が全然楽しいしね。


「そう言えば、今日の英語の授業で沙良が言ってたんだけどー……」


「え、何それー、凄い面白いこと言ってるじゃん!それで、どうしたの?」


「それがさ……」


 そんな風に他愛のない会話をしながら、歩きなれた道を進んで行く。

 坂道を越え、商店街近くの道路を進み、川の流れる小道を歩いて行く。

 丁度、川に沿って歩いていた頃。茜が大きく話題を変えた。


「そう言えばさ、沙良は良いよねー、カッコいい彼氏がいてー」


「分かるー。私も沙良が羨ましいよ。あーあ、どこかからカッコいい彼氏が降ってこないかな」


「そんなことある訳ないでしょー。……ねえ、みかんには言ってなかったんだけど、実はあたしにも好きな人がいるんだよねー」


 突然の告白に驚きながらも、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべ、顔を近づける。

 そして、興味津々に質問を投げかけていく。


「え、何それ!好きな人って、誰!?いつから好きなの!?好きになった理由は!?」


「ちょ、落ち着いてってー。あたしが好きな人はね……同じクラスの進藤くんなんだ」


「……え…………」


 予想外の人名に、彼女は思わずそう零した。

 それもそのはず、その人名は彼女が予想していた名前から大きく外れており、彼女は恋焦がれる男の名前と一致していたからだ。

 そう、彼女が好きな男も同じクラスの進藤だった。


 彼女が振動を好きになったのは三年生になってからすぐの頃。

 最初の席が近かった事もあり、彼女と進藤はすぐに仲良くなった。

 他愛のない事でも話すのが楽しく、彼女は少しずつ進藤に他とは変わった感情を抱くようになっていった。

 そして、三年生初めての先替えがある頃には、進藤への気持ちは完全な恋心へと変わっていた。

 何か特別な出来事があった訳ではない。

 ただ、いつのまにか彼女は進藤の事を好きになっていた。


 そんな彼女の好きな人と、友達の好きな人が被った。

 彼女は誰が好きなのか、友達にも言っていなかったため、茜が嫌がらせで被せて来たなんて事はない。

 つまり、本当に茜の好きな人は進藤であり、偶然にも彼女の好きな人と被ってしまった。

 その現実に、彼女は何も答えられずにいた。


 その時、背後から声がした。

 聞き覚えのある、今一番この場にいてほしくない生物の声。

 振り向かずとも、その声主がウサギの物だという事はすぐに分かった。

 

「これは凄い偶然もあるんだね。まさか、低知能の金髪女と好きな人がおんなじなんて!こんな事そうないと思うよー。さて、それでどうするの?彼女の恋を応援する?それとも本当のことを言う?……まあ、前者だよねー。君には後者を選ぶことは出来ないだろうしね!」


 うるさい、うるさい、うるさい。

 仕方がないでしょ。茜は大切な友達なんだ。

 大切な友達が恋をして、頑張ろうっていうのにそれを邪魔する事なんて出来る訳ないでしょ。

 うちが諦めて、茜にこの恋は譲れば、それで済む話でしょ。

 何も知らないウサギが、口出さないでよ。


「やっぱり前者を選ぶんじゃん!やー、君は単純で気持ち悪いね。……友達なら、本音の一ついくらい言えばいいのに。今日の音楽の授業だってそうじゃん。君は音楽が好きで、歌手やアイドルになろうと思っている。音楽の授業だって普通に好きだ。それなのに、彼女たちが否定したら、同じように否定する。君の友達が音楽をそこまで好きじゃないから、君も好きじゃないふりをする。君は完全なYesマンなのかなー?」


 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい。

 友達間でも言えない事の一つや二つあるでしょ。

 それが音楽の話だっただけ。

 ずっと一緒にいたら、日常生活で少しくらいそう言う事が起こるの。

 うちらはうちらなりに考えがあるんだし、ほっといて消えてよ。

 何も知らないくせに。


「何も知らないって……だからさ、僕は妖精だから君の事は何でも分かるんだよ。それに、少し暗いって言ってるけど大半がそうでしょ。一人称、趣味、好き嫌い、恋。全て言えずにいる。彼女たちが友達であるのは間違いない。それなのにも関わらず、言い出せずにいる。これはなんでだろうね。いい加減、心の底から認めなよ。君はただ勇気のない、弱虫でどうしようもない奴だって」


「あー、もう……うるさい!いい加減に黙ってよ!」


「え……みかん……?急に……え?」


「あ……ごめん」

 

 感情が高まったせいか、彼女は思わず口に出してしまった。

 訂正しようとするが、ウサギの事を言っても信じてもらえるわけがない。

 上手く言葉を並べようとするが、良い言葉が見つからない。

 彼女は諦めた。


「……ちょっと……ごめん。ここからは一人で帰るね……それじゃあ……」


「え……みかん!ちょっと、待って……」


 茜の呼びかけに答える事無く、彼女は走り出し、その場を後にした。

 彼女の瞳は潤み、今にも涙が零れ落ちそうだった。

 彼女は全速力で駆けて行くと、数分で家に到着した。

 家には彼女のお母さんがおり、汗だくの彼女を見るなり、声をかけた。


「みかん汗でビショビショじゃない!何かあったの?大丈夫?」


「うん……ちょっと、ごめん。部屋に行く」


 それだけ答えると、彼女は素早く階段を上り、部屋へと入って行った。

 彼女の声は冷たく、お母さんにここまで冷たい態度を取ったのは初めてだった。

 当然、お母さんは驚き、彼女の様子を理解できずにいたが、一人にさせるべきだと悟り、部屋に入ろうとはしなかった。


「……やっちゃった…………最低だ、私」


 あの様子じゃ、絶対に勘違いされている。

 明日学校に行った時に何か言われるかも。

 今日の内に沙良と話して、うちに対して何かしてくる可能性も……。

 いや……茜はそんな事をする子じゃない。

 ただ、普段と同じようにはいかないよね。

 もう……最悪だ。なんでこんなことに……。


「それは自分のせいでしょ。君が勝手に叫んで、勝手に怒ったからこうなったんでしょ?」


 声のする方へ目をやると、ウサギが数分前と同じように立っていた。

 彼女はウサギを強く睨むと、枕を掴み、ウサギへと投げ飛ばす。

 当然、ウサギに枕が当たる事はなく、ウサギの後ろの扉へと直撃した。

 それでも諦める事無く、罵声を飛ばしながら付近の物を投げ続ける。

 

「はー……。だから無駄だって言ってるだろ、クソブスメス野郎が。てか、僕に当たるのはおかしすぎるだろ」


「何もおかしくないでしょ……お前が居なければ、あんな事にはなってなかったんだから!」


「そうかな?君はずっと自分の気持ちを言わずにいた。遅かれ早かれ、君は本当の気持ちを友達にぶつけてたと思うんだ。そうなったら、さっきよりも凄い事になってたんだし、偶然ではあったけど、気持ちをぶつけられたのは良かったと思うんだ」


 このウサギは本当に何なんだ。

 そんなこと絶対にありえないのに、そうなる事が分かっているかのように言ってくる。

 うちの気持ちを勝手に読んで、強い口調で言ってくる。

 何も分かってないくせに、綺麗事ばっかり並べてくる。

 この世には、仕方がない事も存在するって事が何で分からないんだ。

 もうほっといてほしい。


 うちは平凡でも、少し我慢していても、今の生活が好きなんだ。

 今の生活で十分なんだ。

 だからもう……もうやめてよ。


「……いや、普通にやめないけど?」


「……え?」


「あー、ごめん。普通は辞める流れ何だろうね。けど僕はやめないよ。……君はそれで良いの?全部本音を言えずに、我慢してさ。そんなんじゃ、この先ずっと不幸だよ。誰かに言われるだけで趣味を辞め、皆と違うのを恐れ、言われてもないのに自らの全てを否定的に考える。まるで奴隷だね」


 ……奴隷だなんて大袈裟すぎる。

 うちがこれまで我慢したりしてきた事は全部小さなことじゃん。

 小さな事をそんなに気にしなくたって、別にいいでしょ。

 小さな事くらい、みんな我慢したりしてる。


「小さなことでも、ずっと続けていれば癖になり、変えられなくなるんだよ?今の君がそうだ」


「別に……大切な事は私だって……」


「音楽は?」


「……え?」


「君が音楽をやめる理由。君が音楽をやめるのは、将来の為とか言ってるけど、周りのみんなが現実的な進路に将来を定めているからだよね。周りが現実的な、安定した将来に向かっている。自分だけ夢を追い続けるのは駄目だ。我慢して、安定した将来へと向かって行こう。……君は音楽が大好きだったろ?だけど、我慢して別の道へと向かって行く。……君には音楽の道を歩む勇気がないからね。小さな事さえ変える勇気がないんだから、仕方がないか。……もう、僕は何も言わないよ。ただ、ほんの少しの間で良い、小さな勇気で世界は大きく変わる。胸を押さえて、全てを捨て去る気持ちで、心の底から振り絞ってみな。そうすれば、少しの勇気くらいは出るはずさ」


 最後にそれだけ伝えると、ウサギはその場から姿を消した。

 彼女はウサギの言葉に、何も言い返せずにいた。

 その言葉が、余りにも的を射ており、心に強く響くものであったから。


「なんなの……」


 勇気勇気って……うるさい。

 うちに勇気がない事くらいわかってるよ。

 けど、仕方がないじゃん。怖いんだもん。

 勇気を出して、何かを変えるってのがどれだけ怖いかどうか分からないからそんな事が言えるんだ。

 うちだって、頑張ろうとは思って来た。

 けど……うちにはもう……。


 彼女が一筋の涙をこぼした時。

 机の上から、聞き覚えのある歌が流れて来た。

 どうやらその音楽は、昔に買った音楽レコーダーから流れてきている。

 

「この歌は……」


 懐かしい。これはうちが小さかった頃に、ずっと聞いていた歌だ。

 小さかった頃。テレビからこの歌を歌っている映像が流れてきて、凄く感動を受けた。

 歌詞の意味とか、深くは分からなかったけど、なんか胸の奥が熱くなって、気付いた時には一緒になって歌っていた。

 そうだ……あの時から、うちは歌に、音楽に興味を持ちだしたんだ。

 この歌を聞くのも久しぶりだな……。


「この歌を聞くと……不思議とやる気も溢れてくるんだよね……」


 それだけ呟くと、彼女はゆっくりと立ち上がる。

 時計を見ると、18時を回っており、普段なら風呂に入っている時間だった。

 彼女は思い出の歌にもらった、ほんの少しのやる気を心に留め、ゆっくりと階段を下りていく。

 リビングへ行くと、台所でお母さんが料理をしているのが目に映った。

 その様子をずっと眺めていると、お母さんがそれに気づき、口を開く。


「あら、みかん。もう大丈夫なの?」


「うん、もう大丈夫だよ。……ねえ、お母さん。一つ聞いても良い?」


「全然良いわよ!どうかした?」


 怖い。心臓が凄い速さで動いてる。

 歌に流されてここまで来たけど、言葉が上手く出てこない。

 ただ一つ。別に普通の事を質問するだけ。

 それだけなのに、そんな普通のことが出来ない。

 やっぱり駄目だ……最後の勇気が出てこない。

 ウサギの言ってた通り、うちには勇気がない。

 だから、やろうと思っても、体が言う事を聞かないんだ。

 

 ……だけど、変わりたいとは思ってるんだ。

 このままじゃ駄目だってことは分かってるんだ。

 うちは……うちは……。


「みかん……?大丈夫?何か聞ききたいんじゃないの?」


「お母さん……その……」


 その時、不思議とウサギの言葉が蘇った。

 全てを捨て去る気で、心の底から振り絞る。


 分かったよ……やってやる……。

 全部壊しても良い。今まで積み上げてきた者が無くなっても良い。 

 そんな気持ちで、心の底から振り絞る。

 

 彼女は胸に手を当て、心の底から振り絞った。

 すると、案外簡単に、小さな勇気が零れだした。


「お母さん!……お母さんは……ウサギが今も嫌いなの?」


「へ?……あ、ああ、ウサギね。今はもうウサギ嫌いは克服してね。というか、ウサギが大好きになっちゃったんだよ!あの可愛らしい見た目に、惚れ惚れよ!……あれ、みかんには言ってなかったっけ?」


「うん……言って……なかったよ……。あ……お風呂入って来る……ね」


「あ、はーい。行ってらっしゃい!」


 それだけ伝えると、彼女はリビングを後にした。


 まだ……心臓が激しく動いている。

 手足は震えてるし、胸の奥はなんだか凄く熱い。

 不思議な気持ちが心を満たしているのが分かる。

 そうか……お母さんはウサギ嫌いを克服したんだ。

 全然知らなかったな。


 勇気……意外とうちも持ってたんだ。

 なんか……何だろう、この気持ち。


「ふ……ふふ……まあ、良いか。……なんか、今なら何でもできる気がする」


 そう呟くと、彼女は必要最低限の物を手にし、風呂へと入って行った。

 長風呂を終え、風呂を出る頃には晩御飯の準備が整っていた。

 彼女は急いで席に着くと、ご飯を食べ始める。

 

「どうかな、みかん。今日の鮭のムニエル。結構自信作なんだけど、おいしい?」


「え、もちろん、美味しい……美味しい……ごめん」


「え、何が?」


 数十分前に手にした小さな勇気。

 本当に……本当に小さな勇気。

 そんな勇気を持ち、再度、彼女は立ち向かう。

 自らを奮い立たせ、本当の気持ちを放つ。


「やっぱり、そこまで美味しくない。なんか味薄いし、私は……うちはそこまで好きじゃない」


「え……やっぱり?」


「……え?」


「いやね、実は少し薄いかもって思ってたのよ!いやー、ごめんね、次はお母さん頑張るわ!」


「あ……うん!期待しとくね!」


「……あれ、そう言えば、みかん自分の事うちって言ってたっけ?」


「あ、気にしなくていいよ!それより、早く食べよ!」


 そう言いながら、鮭に箸をつける。

 その鮭は普段と同じく、そこまで美味しくはない。

 しかし、今日は普段よりも、少しだけ美味しく感じた。


 言った。言ったんだ、本当の気持ちを。

 勇気を持って、言ったんだ。

 うちは……うちは勇気を持って言ったんだ!

 

 ……案外、大した事はなかったな。

 お母さんはそこまで気にしてないみたい。

 小さな事。小さな事なんだけど、なんでか分からないけど、大きな出来事に思える。

 一気に、うちの中で何かが変わった気がする。

 これが……勇気を出すってことなのか。

 不思議と、心が熱い。


 彼女は晩御飯を食べ終えると、寝るとだけ伝えて、自室へと戻っていった。

 ベッドの上に横たわり、スマホを手に取ろうとする。

 しかし、不思議とスマホを使おうという気分にはならず、スマホに手を着けず、そのままゆっくりと目を瞑った。


 ……うちは今日、勇気を持って行動した。

 ウサギの事を聞き、ご飯の味を話した。

 今なら、不思議と何でも出来る気がする。

 明日……やってみよう。

 うちの気持ちを、全部吐き出してみよう。

 ウサギの言う通りにするのはムカつくけど、それはまあ……仕方がないという事にしておこう。

 全部捨て去る気持ちで、勇気を出してみよう。

 もしかしたら……何かが変わるかもしれない。


 そして、翌日。

 彼女は学校に到着するなり、友達二人に声をかけた。


「二人とも……うち、二人に話があるの。今日の帰り、一緒に帰れる?」


「お、勿論いいよ!茜も良いよね?」


「え、うん。いいよー」


 良いと言った茜の様子はどこかおかしい。

 昨日の事を気にしているという事は、彼女にもすぐに理解できた。

 しかし、それを気にすることなく席に戻り、授業の準備を始めた。

 その様子を見た茜はどこか安心すると、普段通りに接し始めた。

 その後、学校が終わるまで異常な事は起こらず、普段と同じように帰宅し始める。

 

「いやー、今日の学校も疲れたね!どする、これからカフェでも行ってケーキでも食べる?」


「賛成ー。みかんはどう?」


「それはうちも賛成。だけどさ……その前に話しておきたい事があるの」


「お、改まってどした?」


「いや……そのさ……」


 ……胸が痛い。

 そう簡単に、言葉は出てこないか。

 そりゃそうだ。実の親と話すのだって、辛い思いをして、勇気を何とか絞りだして、話したんだ。

 友達となったら、もっと言いずらいに決まってる。

 それでも……言わなくちゃならない。

 何故なら、うちはもう覚悟を決めたんだ。

 覚悟を決めて、今言うと決めたんだ。

 もし今、うちが本心から言葉を発せられなかったら、うちは一生このままだ。

 頑張れうち。勇気を絞り出せ。

 勇気の無い者なりに、小さな勇気で良いから、何とか作り出すんだ。

 

「うちは……うちはさ……」


「どしたん、みかん。凄い辛そうだけど……言いにくいなら言わなくても良いんだよ?」


「うちは……うちは音楽が好きだ。音楽の授業が好きだ!」


「……ふぇ?」


 怯える心に鞭を打ち、彼女はついに言葉を放った。

 本心からの、上部だけでない、本当の言葉を放った。

 その内容は特に重要な物でもない。至って普通の言葉。

 その言葉に、友達二人は呆気に取られている。


「なんか……凄いこと言われると思ってたんだけど……びっくりしたー」


「ね、なんかすごく重い話かと思ったよー」


「いや……うちからしたら……重い話なの。……うちさ、二人に合わせて嘘ついてたの。音楽の授業が嫌いだって。別に気を使ったとか、二人がそれで何かするとか思った訳じゃないよ。だけど……なんでか分かんないけど、勇気が出なかったんだ。……本心を話す勇気が。だけど、それじゃダメだと思ったの。だから、こうして、真正面から話したの」


 彼女は今までため込んでいた物を開放するかのように、苦しみながらも本心を言い続けた。

 手足は震え、二人の反応が怖く、不安が彼女の心を覆っている。

 目を瞑り、二人の言葉を待つと、茜が言葉を放つ。


「そうだったんだ。……別に、そんなのわたしたちが気にするわけないじゃんwてかごめんね。みかんがそんな事思ってたなんて知らなかったよ!気づいてられなくて、本当にごめん」


「あたしも。そんな思ってたなんて気づかなかったよ。あたしたちは友達でしょ?だったら、そんなこと気にせずに、全部本心を言ってきていいよー!あたしらはどんなみかんも受け入れるからさ」


「ふたり……とも……」


 二人の言葉を聞き、気付けば彼女の頬を涙が流れていた。

 二人は慌てながら、彼女へと近づき、慰めるように背中をさする。


 ……そうだよ。うちは何を我慢してたんだ。

 二人がうちが本心を言って、何かしたりなんかするはずなかったんだ。

 怖くて、辛くて、苦しかった。

 だけど今は、何かに解放されたかのように気持ちが楽だ。

 うちは本当にバカだったな。

 もっと早くに、勇気を出していればよかった。

 そうだ……今なら、言える気がする。

 今なら、決めることが出来るはず。

 

「……ねえ、二人とも。もう一つ、言っておきたいことがあるの。今のうちに……勇気がある今のうちに、後で心を曲げないように、言葉に出して言っておきたいの」


「お、言ってみな!この沙良が何でも聞いてあげる!」


「うちには……夢があるの。うちはさっき言った通り音楽が好きなの。それでさ……うち、歌手になりたいの。音痴で、才能はない。それでも、歌手になりたいの。周りの目を気にして、歌手を目指すのは辞めようと思ってた。だけど……やっぱり諦められないよ。ずっと……ずっと思ってきた夢なの。……だから、うちは……歌手になりたい」


「歌手……良いじゃん!テレビに出てる人みたいに、皆の前で歌うんでしょ!凄く良い夢じゃん!」


「うん……うん、良いと思うよー!そこまで好きで大切なら、この先も目指して進むべきだよー」


 二人の言葉に、彼女はさらに涙を流した。

 

 ……本当にうちはバカすぎる。

 こんなに良い友達なのに、今までうちは何を悩んでいたんだ。

 けど……これでようやく覚悟を決められた。

 自分の気持ちに、真っ直ぐになれた。

 うちは歌手になりたい。いや、絶対になってやる。

 ここまで長かった。

 これから……これまで以上に努力して、歌手になる。

 もう……自分の気持ちに嘘をつき、我慢するのは辞めるんだ。

 これが……うちが勇気を出して、手にした結果だ。


「……なんか泣いたらお腹すいちゃった」


「分かる!それじゃあ、カフェ行って、ケーキ食べようよ!わたしらがより仲良くなれた祝いにもさ!」


「賛成ー!それじゃあ行こうかー」


「うん!……あ、茜。今なら言えるから、言うよ。うち……負けないよ」


「え、負けないって……もしかして、昨日の……」


「この恋は……うちも譲らないよ」


「……良いよ、あたしだって負けないからー」


「……え、二人とも何?一体何の話!?」


 一人理解できていない沙良を尻目に、彼女と茜は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。

 そして、彼女は二人の手を取ると、カフェへと駆け出した。

 その足は今まで以上に軽やかに見えた。


 そう言えば、何やかんや言ってきっかけを作ってくれたウサギには感謝しないとな。

 まあ、毒舌だし、性格悪いからやっぱり嫌いではあるけどね。

 思い出の歌にも……感謝しないとな。

 あの歌のお陰で、やる気が出て、少しの勇気を生み出せたし。


 ……あれ、そう言えば、あの音楽レコーダー。

 確か数年前に壊れちゃって捨てたんじゃなかったっけ。

 何で壊れて捨てたレコーダーが机の上にあったんだろう。


 ……まあ、良いか!

 ケーキ楽しみだな!


 そして、彼女は前を向いた。

 前に進んだ彼女の心には、小さくとも綺麗に輝く勇気が生まれていた。

 この後も彼女が本心を伝え続けられたのか、勇気を持ち続けていられたのか。

 それは誰にも、この僕にも分からない。

 ただ、間違いなく小さなきっかけで生まれた小さな勇気は、彼女の人生を大きく変えた。 

 彼女を再び夢へと向かわせた。


 さて、これを見ている者共は勇気を持って生活できているだろうか。

 本心を少しでも伝え、本当の夢を追い、他の者の視線を気にし過ぎず生きているだろうか。

 何事にも勇気を持って挑めているだろうか。

 自信を持って挑めていると言える人は少ないだろう。

 周りの人の言葉に脅されたり、現実を見たりして夢を諦める。

 他の人の視線を気にし、自分の本心を隠す。

 大抵は様々な事を我慢したり、諦めたりしている、ゴミみたいな生活を送っているのではないだろうか。

 別に、それが悪いとは言わない。それはそれで楽しい事もあるだろう。


 だが……だが、もしも、もしも小さな勇気を振り絞り、現実に立ち向かうことが出来たのなら、世界はより美しく、素晴らしいものに変わるはずだ。

 勇気を持った行動は必ず、必ず素晴らしいものになるはずだ。


 そんな勇気を出すのが難しい?俺や私は勇気を持っていない?

 大丈夫さ!勇気は小さなきっかけで、案外簡単に生まれてくる。

 そしてきっかけは、日々の生活を少しずつ変えようとすれば、必ず目の前に現れる。

 だから、諦めずに、勇気を求めて突き進め!


 もし、それでも駄目だったら、僕が現れるから安心しろ。

 その姿はウサギかもしれないし、君の友達に似た姿かもしれないし、大統領かもしれない。

 必ず姿を変えて現れる。勇気のないクソブス女を救ったように、救ってやろう。

 この僕、毒舌の妖精に任せなさい。

 それじゃあ、いつか会う日まで。

 さよなら、クソ野郎ども。

少しでも面白ければ評価してくださると幸いです!

めちゃくちゃ励みにないります!

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