前編
「うわ、何これ」
私は、ローテーブルに置かれた袋から真っ黒な物体をつまみ上げる。
「ポテトチップス、タコスミ味」
優介がただ一言そう言った。
「美味しいの?」
「美味しい」
優介は自信満々にそう言い切る。私は黒々とした物体をもう一度見る。あまり、食べる気のするカラーリングではない。ポテトチップスというより、炭をスライスしたみたいな色をしている。
優介の催促の眼差しに耐えれなくなった私は意を決して口にチップスを放る。
サクサク。食感はまさに、ポテトチップスだ。私は袋に手を入れると更に2、3枚口に入れる。
「美味しいでしょ?」
優介がニヤッとした表情を浮かべると尋ねてきた。
確かに美味しかった。私は何だか敗北したような気分になりながらも素直に答える。
「確かに、美味しい」
「でしょう。このポテチ食べた時、優香の顔が思い浮かんでさ。優香に食べさせてあげたいなって思ったんだ」
私は、少し顔を赤らめる。ーー私と優介は唯の友人だ。今日も勉強会という程で私の家に招いた。まあ、その実、お菓子を食べながらおしゃべりしているだけの時間も多いけど。
私は動揺を誤魔化すように言う。
「しかし、この会社、どこ目指しているんだろうね。この間はチーズケーキ味のポテチ出してなかったっけ?」
「確かに、迷走気味だよね。まあ、結局一回は買ってみちゃうんだけど」
優介は屈託なく笑った。エクボがでて、優介は笑う時が1番、魅力的だ。私もつられて笑みをこぼす。
「じゃあ、僕も頂こうかな」
私たちは、それからポテチを黙々と食べた。気がついたら、袋が空っぽになっている。顔を上げたら、互いの歯が黒く染まっていて、私たちはまた笑った。
「次は私が用意したやつ。チーズスティック塩辛味」
私は、ローテーブルの上にスティックをずいと出す。パッケージのキャラが子供っぽい辺り、企業は相当、とち狂ってる。それともこれもある意味、マーケティング戦略なのか。
「相変わらず、渋い好みだね。でも僕も好きそうなやつだ」
お菓子の好み、それが私たちの仲良くなった理由の一つだ。1年次の校外学習、高校生でもやっぱりおやつは醍醐味の1つで、浮かれた私は大分、人を選ぶお菓子を持って行った。
スルメとシール付きチョコレート、一方はおつまみだし、一方はいささかガキっぽい、若干、クラスメイトに引かれたけれど、優介という波長の合う友人に出会えた。
おつまみ系のお菓子が好きで、更にチョコのおまけシールを収集している、まさかこんなニッチな共通点を持つ人がいるとは思わなかった。
「それで、これ美味しかった?」
優介がスティックを包むビニールを剥がしながら尋ねてくる。
「まだ、食べてない。一緒に食べようと思って」
「そうか。じゃあ果たして吉と出るか凶と出るか」
全く興味のないお菓子は買わない。けれどもチーズと塩辛、果たして合うのだろうか。でも、こういうものも優介となら楽しめると思った。
私たちは妙にドキドキしながらそのチーズスティックを口に運んだ。
「結構、美味しいかも」
私は口をもぐもぐさせながら言う。クリーミーなチーズと塩辛のしょっぱさが上手い具合に相乗効果を生んでいた。
「これが、美味しいって感じる僕たちは将来、どんな大酒飲みになるんだろうね」
「それ、お父さんによく言われる」
「僕の家でも同じ感じだよ」
優介がエクボを見せる。
酒飲み云々の会話の流れはこれまでに何度もやったことがあった。けれども、毎度、最後にふふっと優介が笑う。私はそのタイミングが好きだった。
「さて、一応、勉強もやっておかないとね」
スティックを食べ終わると優介が言った。私たちは洗面所で手洗いうがいを済ませると、優介は日本史、私は数学の問題集を取り出す。
ペンをひたすら動かす。時々、「ここってどういう意味だっけ?」などと尋ねることもあったけど基本的には静かに勉強した。
気がつくと、当たりが薄暗くなっていた。いつもなら、そろそろ優介が帰る時間だ。そういつもならば。私は、深呼吸をすると声をかける。
「ねえ、優介、今週末は私の両親、旅行に行ってて帰ってこないの」
これは、チャンスだった、私と優介の関係を一歩、進めるための。あるいは親友や兄弟みたいな関係をリセットするための。
「そうなんだ」
優介は平然と返事を返したようにみえた。
「優介って、1人暮らしだったよね」
私は少し震える声で言った。この後の言葉を口に出しても良いのか迷う。
「今日、泊まらない?」、ただ、その一言が言いたかった。けれども性的にも、十分成熟してくる高校生の2人が一夜を共に過ごすことの意味、それを考えずにはいられなかった。
これまで、互いに何度も家に招きあってきたという事実を踏まえても、夜を越すか否かは大きなボーダーラインだった。
私は今、ひどくふしだらになっているのではないだろうか。何だか、恥ずかしい行為が見られたような気分になって、私はそれ以上、言葉を紡げなくなった。
「もしかして、1人で寂しいってこと?」
優介が言った。私は思わずコクリと頷く。このチャンスは逃す訳にはいかない。
「ねえ、今日、泊まってくれない?」
私は意を決して口にした。
「僕でよければ、お泊まりいたしましょう」
優介はどこまでも紳士的だった。私は思わず吹き出す。
「何、そのどこかの騎士みたいな口調」
「ごめん、茶化す気はなかったんだ。じゃあ、僕は一旦、着替えとか取りに帰るから」
優介が立ち上がる。
「あ、ご飯の準備は私がするね。後、優介のアパートってシャワーしかないんでしょ。私がお風呂沸かしておくから」
私は少し早口で言う。
「優香にばかり任せてられないよ」
優介は眉を寄せて申し訳なさそうに言う。
「私が誘ったんだから、いいの」
私は半ば強引に言い切る。
「……分かった。では、お願いします。」
ペコリと頭を下げると、優介は帰って行った。
1人になると私はやたらと寂しさを感じた。優介はすぐに戻ってくるはずなのに。
私は寂しさを振り払うように、部屋を片付け、風呂を沸かし、そして夕食を作る。そうこうしている内に、インターフォンが鳴る。優介が帰ってきた。
私はほっとした気持ちになって玄関を開ける。そこにはナップザックを肩に掛けた優介が立っていた。ナップザックにはドラゴンのイラストがプリントされている。
「小学校で作ったやつ」
私の目線に気づいたのか優介が言った。
「ダサいって言われたら否定できなんだけど捨てれなくて今も現役で使ってる」
優介は照れ臭そうに笑う。
「懐かしい。私も学校で作ったよ。何か、ハートとかリボンが大量にデザインされたやつ。今は母さんが使ってる」
私と優介は高校からの知り合いだけれど一瞬、思い出を共有できた気がして私は嬉しくなる。まあ、実際は同世代なら大体共有できるあるある話だろうけど。
そこまで考えて、私は優介を玄関前に立たせたままであったことに気づき、慌てて招き入れる。
「お風呂とご飯どっち先にする?」
「うーん、お風呂に入りたい所だけれど、優香はお風呂、もう入ったの?」
「ま、まだ。でも優介が先に入ってきなよ。急いで往復して疲れただろうし」
「では、お先に失礼」
「洗濯物はカゴに入れといてね」
私は浴室に向かう優介に声をかける。
ーー優介の姿が見えなくなった。私は1人悶絶する。
なんだったんだ、今の会話は。お風呂にするか、ご飯にするかか、最後に『私』という選択肢を加えていたらテンプレ的な新婚夫婦の会話だった。
お泊まり、やはり難易度が高い。これで、優介の意識も変わってくれればいいんだけど。私はいつもと少し違う状況にドキドキしつつそんなことを思う。
しかし、そこからの展開はあっという間だった。私は延々とのぼせた気分で、優介に対してなんのアプローチを仕掛けることもできない。
気がつくと、食事も済ませて、DVDを見て、埃まみれだったテレビゲームも十分、遊んで、そろそろ日を跨ぐ時間になっていた。
私はせっかくのチャンスをものに出来ない自分に苛立ちながらも「そろそろ寝よっか」と優介に言った。
すると、優介は悪戯げな笑みを浮かべた。
「コンビニ行かない?」
「コンビニ?」
「そう、真夜中のコンビニ」
私は優介の奇妙な提案に、驚きながらも頷く。
「じゃあ、うっかりマンチョコでも買おっかな」
校外学習の時に舞い上がって買ったお菓子。優介との仲を結びつけてくれたお菓子。
「そうそれだよ。あと、1枚で復刻シリーズのシールをコンプ出来るんだ。『らくだいキューピッド』のシール」
私もあと1枚でシールをコンプリートだった。『らぶりーリリン』、別にレアなシールじゃない筈なのに中々、当たらない。
私たちは、上着を羽織り、防寒対策をすると、近くのコンビニに向かう。そして、コンビニに到着すると、真っ先にお菓子コーナーに向かう。狭い区画に様々なお菓子が並べられていた。スルメやカルパスなんかのおつまみから、グミ、飴、ガムなんかの定番のお菓子まで、しっかり揃っている。
そして、勿論、御目当てのうっかりマンチョコもあった。
私は、1枚をすっと引き抜く。そう、1枚だけそれが醍醐味だ。隣で優介も心得たように1枚、引き抜いた。
会計を済ますと私たちは帰路に着く。シールはまだ見ない家に帰ってからのお楽しみだ。
いつも通りに混ざる、非日常に私は心地よさを感じながら、優介と隣あって歩いた。