第一章 起承編
皆さんこんにちは。私はアリスといいます。みなさんと同じ世界でOLをしている女の子です。今夜も22時過ぎまで残業してしまいました。
電車に揺さぶられて最寄り駅になんとか帰りつき、帰路にある牛丼屋で遅めの晩御飯を取ります。
今日で五日連続の残業。日々削られていく睡眠時間と魂。注文した牛丼を待つまでのあいだ、あまりの疲労にテーブルに頭を預けて眠ってしまいそうになるのを堪えて。どうにか顔を横に逸らすと……
店内のガラス造りの壁に、疲労感いっぱいの顔面を湛えた、みすぼらしい女がこちらを見据えておりました。一瞬背筋が冷えたものの、それがガラスに映った自分だと気付くのに数秒足らず。外が暗いと、ガラスは鏡のように人を映し出します。
それにしても、ああ、私ってこんなにも疲れていたんですね。
「もう、残業なんてイヤです。そもそも今の仕事も嫌です」
「へい、牛丼のお待ち」
私の悲壮とつぶやきが完全に汲み取れたであろう店員は、牛丼をテーブルに置くと、関わりを避けるかのように足早に厨房へと戻って行きました。
店内の時計に目を向ければ23時をまわっています。
政府のみなさん。子育て世代や高齢者を守るのもいいですけれど、私のような独身若年労働者も税金で保護してやくれませんかね。
もう一度ガラスの壁に目を向ければ、歯こぼれした歯車で身体を構成した、死んだような顔の女がこちらを覗いておりました。いえ、あの女は既に死んでいるのかもしれません。
「それも私か……」
牛丼へ向き直り、なんとか力を振り絞って器を手にします。人間は食べないと死んでしまいます。では、これを食べて明日を迎えた私は、明日生きていると言えるのか。
つまらない話はよしましょう。牛丼をかきこんで、さっさとアパートに戻るのです。シャワーを浴びれば気だって晴れるでしょうね。
それにしても牛丼の牛肉って、昨年より減っていませんか?
★
アパートに帰ってシャワーを浴びれば、明日に備えて義務的に布団に潜るのが日課です。
けれども今晩、金曜日の夜に至ってはボンヤリとテレビを眺めて深夜まで過ごしております。べつに好きなテレビ番組があるワケではありませんけど。
ふとテレビのリモコンをつかんだ手が緩み、ふだんは見もしないテレビ局のボタンを押してしまいました。チャンネルが切り替わり、テレビの画面がアニメ番組を映し出します。
「こんな時間にアニメがやってる」
深夜に子供なんぞは起きていないだろうに?
そう思いながらも見続けていると……エンディングテーマが流れて我にかえるまで、夢中で見続けてしまいました。
おもしろい。番組の途中から見ましたが、話の展開から第一話で無いことくらい伺えましたが、それでも楽しく拝見させていただきました。
アニメのことを気になった私は急いでスマホで検索。これまでのあらすじや登場人物を調べ上げ、原作が小説であることを知りました。そこで、そもそも原作小説が小説投稿サイト『グッド作家になろう』で発表されたものであると突きとめたのです。
私は『グッド作家になろう』をすぐさま検索。スマホの画面に表示されたトップページに羅列されている作品群の中から、当該アニメと同タイトルを見つけて速攻でクリックしました。
すると私が見たアニメのお話よりもはるかに先のお話まで発表されているではありませんか。面白いお話をタダで提供してもらっていいんですか? そう思いつつも物語の第一話から読みふけり、先ほどテレビで視聴したエピソードも速読が如く読み破り、気がつけば第二章の終りである第百三十話まで一気読みという快楽に取り憑かれておりました。
当然、外は朝を迎えています。
私は一度スマホを置いて、窓の外に視線を向けました。日の光が部屋の中へと燦々と降り注ぎ、それを受けた眼がやんわりと涙を湛えていきます。
私は気付きました。こんなに何かに夢中になれたことは十代の頃以来でしょうか。いえ、中学高校と陰鬱な青春時代を送っていた私にとって、こんなにも夢中になれたことは生まれて初めてかもしれません。
とにかく、私はとんでもないエンターテイメントと出会ってしまったのです。
その日と翌日の週末はもちろん、月曜からの通勤・退勤の時間は快楽へと変化しました。
これまでの満員電車通勤といえば、今日起きるであろう予期せぬ失敗に叱責される自分を想像しては、前後左右からの他人の肉厚に身を潰されるエブリデイ。
けれど『グッド作家になろう』さえあれば、通勤時間が心喜ぶ読書タイムに変貌したのです。社内でも昼休みとなればスマホに向かい、当該アニメの原作となった作品を読みふける毎日。
帰りの電車でも読書(読スマホ?)に心を奪われ、最寄り駅のホームに降りれば話の続きが気になって走ってアパートに帰っては、再び読みふける有様。もちろん牛丼屋に立ち寄る余裕なんてありません。
あっという間に一週間がたちました。当該アニメの原作は最新話まで追いつきました。それでも寂しくありません。この頃には『グッド作家になろう』のトップページに羅列された作品群はランキングであること、ほかにも新着小説や完結した小説、新作短編のタイトルが紹介されている事には気付いておりました。読むべき作品はたくさんあるのです。
さらに検索すれば過去の作品や、大衆受けはしないけれども素敵な作品に出会うことができます。嬉しい限りですね。
★
『グッド作家になろう』の出会いから一ヶ月。新作や短編を読み漁るようになると、面白い作品はもちろん、つまらない作品、どうしようもない作品に出会う機会が多くなりました。別にいいんですが。
新作をつついても、どこかで読んだような感じという作品に出会うこともあります。短編を読んでも「え? これだけ?」という印象の作品にも多々出会いました。本当にどうでもいい話ですが。
ここで私の脳裏のある考えが巡ります。
「もしかして、『なろう』の作品は私でも書けるのでは?」
『グッド作家になろう』のランキング上位には本当に面白い作品が列挙しています。ランキング外でも心揺さぶられる良作が存在しています。
たとえ私が物語を創造したとしても、拙作が素晴らしき作品群の足下に及ぶとも欠片にも思いません。それでも私のような人間でも魂を込めて執筆すれば、それを『なろう』に投稿しても許される、読者に受け入れてもらえる。そんな気がしたのです。
思いたったが吉日。その日から通勤・退勤時間が物語の構想を練るための時間へと変わりました。そして次の週末、自宅のノートPCに向かって執筆。ああ、キーボードを叩くのってこんなに楽しいものなのですね。会社で報告書を作っているときと違い、やり手OLの如くのタイピング技術で文章を生み出していきます。
そしてさらに一ヶ月。私は『なろう』一作目となる作品の第一章を書き上げました。だいたい十五万字くらいでしょうか。異世界転移モノのハイファンタジーで男の子が主役。きっと『なろう』の読者にも受け入れられることでしょう。
あらかじめ『なろう』に会員登録をしていたのでマイ作者ページは持っております。さっそくノートPCで紡いだ文章を投稿欄にコピペして……
ここまで来て、ふと手が止まります。投稿する前に誰かに読んでもらいたくなりました。でも友人に読んでもらうには気恥ずかしい。では誰に。
「あ、良いこと思いつきました」
★
ここは母校の大学のキャンパス。私は工学部の機械工学科という手に職つきそうな学問を修学しましたが、このご時世では就職活動はままならず。大卒の学歴なんて歯牙にもかけないような応募条件の会社で働かざるを得ませんでした。学歴って何なんでしょうね。六歳の頃から必死に勉強してきて、学校に泣かされて、こんな結末ですかよぅ。
「いいかオマエらぁ! ここでの勉強なんて社会に出る前から全然役に立たない! 就活では助けにもならないからな!」
キャンパスを行く学生たちがギョッとしながら私を見ます。フンだっ。
さて、どうして大学に来たかというと、小説を読んでほしい相手がいるのです。それは文学部の教授。そんな人間に拙作を誉めていただければ自信がつきます。ほら、よく漫画の表紙に帯がついていますよね。先輩漫画家さんの感想やらタレントのコメントがついていて消費者の購買意欲をそそるヤツ。私もああいうヤツが欲しいのです。出来れば偉い人から。
学生時代の私は理系の若人だったので、文学部の教授となると面識はありませんが、相手は文学部の教授です。きっと今ごろ漢字の書き取りでもしているのでしょう。暇なはずです。私は文学部がある建物へと足を運びました。
そこは四階建ての建物。入口にある見取り図で教授たちの部屋を探します。どうやら最上階に陣を構えているようです。数ある教授室の中から、一人の教授の名前が目に止まりました。
緋麻田教授室 四〇四
名前からして暇そうです。さっそく伺って小説を読んでもらい、称賛してもらいましょう。『なろう』に投稿するのは自信をつけてからで十分です。
私はさっそく教授室を訪ねることにしました。扉を前にすると……ドキドキドキ。高鳴る胸の鼓動が、まるで輝く未来をノックするかのように私の胸を叩きはじめます。だから、いきなり扉を開けましょう。
「こんにちは輝く私! 作家への第一歩! 教授、誉めても何もでませんよ! フフフフっ!」
雑然と資料や段ボールが置かれた部屋の奥には大きな机。まるで校長先生が居座っていそうな代物です。
そこには明治の文豪のような髪型と眼鏡と口ひげをたくわえた五十代の男性が椅子にふんぞり返っていました。この人が緋麻田教授でしょうか。
さらにお膝の上には、服装からして明らかに掃除のおばさん。この状況は。
「教授、不倫ですか?」
「え? あ、な、なんなんだねキミは!」
しばらく止まって私を見ていた教授とおばさんはパッと離れて私を睨みます。私は負けません。
「お願いがあってやって参りました。是非読んでほしい逸品があるのです」
「はぁ? そんな約束は誰ともしていないはずだが」
「ここは持ち込み禁止なんですか? 文学部なのに」
「文学部の教授室とどこかの出版社の漫画編集部を一緒にしないでくれ! 勝手に入って来おって。帰れ帰れ」
ふむふむ。文学部の教授ともなると素人が名作を作り出すことに恐怖を覚えるのですね。ここは相手を怖がらせないようにしないと。
「教授、『なろう』小説は怖くないですよ。読んでくれないと不倫していることを教職課にリークしますよ」
「わ、私を脅す気かね!」
教授は悔しさに顔を歪ませているようでした。掃除のおばさんは私に厳しい目を向けてきます。されど私は怯みません。
「この部屋にくる途中、ゴミ箱を片っ端からひっくり返してきました。五歩に一度はツバを吐き捨ててきました。廊下は大荒れです。ここの清掃員はちゃんと掃除しているんですか。職務怠慢なんじゃないのですか」
「キィィィ! なんて女だい」
おばさんは部屋の隅に立てかけてあったモップを手に取ると、急いで部屋を出ていきました。
私は溜息をついて教授に近づきます。
「やっと二人きりになれましたね」
「なんなんだ。一体なにが目的なんだ。金か。コネか」
顔を真っ赤にさせて、震えながらこちらを睨んできます。まるで怯えた小動物のよう。
私はカバンの中からA4サイズの紙を180枚ほど出して、ドサリと教授の机の上に置きました。
「これは?」
「私の小説を読んでほしいんです。もしかしたら近い将来、作家になるかもしれないので誉められて自信をつけたいのですよ」
机の上に差し出した紙の正体は、小説をプリンターで印刷したものです。ページ数を書きこんでキレイに重ねました。電子情報に過ぎなかった私の小説が、こうして形ある物になると、なんだか感動が込み上げてきます。
『なろう』では多くの作家の作品が書籍化され、プロの作家を輩出していることは存じ上げております。私もゆくゆくはプロになって底辺OL生活を卒業したいものです。
教授は机の小説に視線を落としました。
「これから講義や教授会があるのだが……とにかく読めばいいのだな」
「はい。読んで感想を聞かせて下さい」
「読めば帰ってくれるのだな」
「はい。自信をつけさせてもらえれば、こんなつまらない場所には二度と来ませんから。明日からの私は多忙な小説家でしょうし、暇人と付き合えるのは今日くらいなのです」
「チィィィ!」
教授はなにか言いたそうでしたが、観念したように私の小説を手に取りました。
教授は180枚ほどの紙の1枚目、つまり小説の1ページ目に目を落とします。
1ページ目には大きな文字でこう書かれております。
『七人の悪役令嬢~異世界転生者の幼なじみたちと異世界転移したら、自分だけ超レア職業「テイマー」だった。幼なじみAは前世・姫殿下、幼なじみBは前世・女魔王。いずれ最強パーティとなるはずが世界はダンジョンに侵食されているので、もう遅い!~』
教授は一度目をつぶり、次に私へ視線を投げかけました。
「随分と稚拙なあらすじだな」
「いえ、それはタイトルです」
「なに!」
すると教授は目を丸くして再び1ページ目を凝視。
「こんなに長い駄文がタイトルだと! こんなことが許されていいモノか!」
「教授は流行りに疎いようですね。いずれ、あらゆるドラマや映画の原作が『なろう』の作品となります。そんなときにタイトルの長さなんて気にしていたら、なろうハラスメントの標的にされてしまいますよ」
「そんなハラスメント、受けようものなら訴えてやるわ。しかし、こんなタイトルの小説を読めというのか」
教授は震えた手で紙をめくりました。うんうん、読んでくれていますね。
この間、私は暇なので教授室の端にあるソファに座り、辺りを見渡します。壁際の本棚には難しそうな本がたくさん。手にとってページをめくっては、どの本も三行くらいは読み進められるものの、すぐに本を閉じて床に捨ててしまいました。可哀相ですが私の小説のほうが百倍面白いです。読む気が失せます。
こうなると読書もできません。こんなときは颯爽とカバンからスマホを取り出して『なろう』をスコップしてみましょう。ときおり教授のうめき声が聞こえてきましたが、気にすることはありません。
気がつけば窓から西日が射しこんでいました。オレンジの淡い温かみが今日の奮闘を労ってくれます。もう五時間以上は経過したようです。
教授に目を向けると、最後のページを手にしたまま机の上で突っ伏していました。
「睡眠不足ですか」
「うう……気を失っていたか。ひどい吐き気もする。うう」
教授は苦しそうに頭を上げます。きっと私のような文学に無縁の輩が、素晴らしい小説を生み出した現実を受け入れ難く、精神が拒否反応を起こした結果なのでしょう。憐れですね。
「最後まで読んだのですね。感想をおっしゃっていただけませんか」
「うむ。なんというか、その。キミが悲状に素愚れた砕脳の喪智主であることは分かった」
まぁ! 非常に優れた才能の持ち主だなんて。執筆中から薄々気づいていましたが、他者から率直に言われると照れるところがありますね。
「ほかに、ほかに誉めるところはないのですか」
「誉めてなんかいないぞ。設定といい構成といい文句しかない。多くの登場人物が出てくるというのに、どうして活躍するのが主人公一人きりなのだ」
「嫉妬からくる理不尽な罵倒なんて聞きたくもありません。教授は素直に思ったことを言葉にして誉めてくれればいいのです。さもなければ」
「ぐぬぬ。では面白かった。こんなに心が掻き乱された小説は初めてだ。これでいいかね」
「はい。自信が持てました。あらすじには今の言葉を使わせていただきますね。これで心おきなく投稿できます」
「好きにしたまえ。うう、吐きそうだ」
私は気分上々に小説を回収します。これで『なろう』の読者は感動の渦に飲み込まれることでしょう。
そのとき扉がノックされました。教授の「今度は誰かね」の言葉を受けて扉を開けたのは三十代ほどの男性でした。
「教職課の者です。実はネット上の掲示板に緋麻田教授が不倫しているとの書き込みがありまして。学生たちの噂になっております」
「なんだとっ!」
そういえば教授が小説を読んでいるあいだ、私は『なろう』を読んでいたものの、気分転換にネットの掲示板を眺めていたのでした。偶然、この大学の掲示板を見つけて、昼間の情事を脚色して書きこんでしまいました。
教授が憎悪の目を向けてきます。私は足早に教授室を出ました。
「教授。私の小説をパクるようなことがあったら、もっと酷いことをしますからね」
「だれがパクるか! 約束を破りおって。これはもはやテロだ! うう、ゲロだぁっ」
教授はなにやら嘔吐していましたが、私は母校を早歩きで去りました。
早く小説を投稿せねば。ああ、こんな高揚感は初めてです。やっと世界が私を中心にして回りはじめた気がしたのでした。
教授のその後のことなんて知りません。
★
アパートに戻り、さっそく作品を投稿します。あらすじの最後には○○大学文学部・緋麻田教授推薦の一文を付け加えます。数分後には
「おおっ!」
なろうトップページの新着欄に私の小説のタイトルが載ったときには思わず歓声を上げました。
完成している小説は物語の第一部。約十五万文字。これを五十話に区切って投稿します。短編ではなく連載です。これを毎日投稿するのです。きっと第一話を読んだ読者さんは続きが待ちきれないでしょう。連載当初は複数話投稿することも、作者としての優しさのひとつなのかもしれません。
私は夕方から就寝までのあいだに五話分も投稿してしまいました。
翌朝、通勤電車に揺られながら昨日の興奮を思い出します。昨晩は続きが気になって眠れぬ読者さんを何人つくってしまったことか。
会社の昼休み。なろうのマイページをいじっていると『アクセス解析』なるページを見つけました。どうやら私の小説のPV数が分かるようで。では、さっそく。
…………スマホを落としそうになりました。ろくに読まれていなかったのです。そんなバカな。『なろう』には多くの読者さんがいるというのに。文学教授のお墨付きを貰ったというのに。
PV数は一日を24時間ごとに区切って表示しており、それぞれの時間のPV数を教えてくれます。
しかし、初投稿から15時間は経過しているというのに各時間のPV数は0~1程度。一体なぜ? ん? 昨晩22時頃のPV数は10だな。あ、全部私か。
「これは、なんたることだぁー!」
思わず会社で叫んでしまいました。
★
三日後のこと。
「もしもし。白ウサギ(P.N)さん?」
白ウサギ(P.N)さんに電話をしました。彼女は私の数少ない友人の一人です。読書が趣味ということもあり、投稿前に『なろう』を紹介していました。もちろん私が『なろう』に投稿したことも知っています。
彼女に感想を聞けばPV数が少ないことの原因が分かるのではないかと思い、電話した次第です。私は恐る恐る聞きました。
「私の作品、読んでくれましたか?」
「う……うん」
白ウサギ(P.N)さん、なんだか反応が芳しくありませんね。
「もしかしてファンタジー、苦手だったでしょうか」
「そんなことないよ。ただ……」
「ただ?」
黙りこんでしまいました。私が催促するように彼女の名を呼ぶと、躊躇うようにゆっくりと話しだしてくれました。
「アリスさんの作品ってファンタジーの世界なのに、主人公の家にシャワーがあるんだね」
ええ。あるに決まっているじゃないですか。無いと不便ですもの。私は言いました。
「白ウサギ(P.N)さんだって汗をかいたらシャワーを浴びたいでしょう」
「うん。でも、シャワーがあるのに、ほかの生活で使うお水は井戸から汲むんだね」
「そりゃファンタジーですもの。ファンタジーに出てくる家に水道が完備してあったら、おかしいではないですか」
「うん。あと治癒魔法を使える魔法使いがたくさん出てくるのに、薬局やお医者さんの生計は、どうやって成り立っているの?」
「そりゃ薬局や病院がないと不便でしょう。白ウサギ(P.N)さんさんだって風邪を引けば薬局やお医者さんのお世話になるでしょう」
「うん。それとね、剣と魔法の世界が舞台なのに、主人公に絡んできた人たち、あれって日本のヤクザだよね?」
「ヤクザなんて、どこにでもいるではないですか」
「うん。そうだね。ゴメン。うう」
一体彼女は何を気にしているのでしょうか。沈黙が電話を支配してしまいました。
「もしかして白ウサギ(P.N)さん、体調悪い?」
「ちょっとね。それにしても『なろう』っていろんなジャンルがあるんだね。たくさん読めて嬉しいよ」
「それは良かったです。勧めた甲斐がありました」
「今読んでいるのはね、恋愛ジャンルにある『アイアイの恋愛譚』。心理描写がとっても丁寧でキュンキュンするんだ。あと異世界恋愛の……」
このあと数分に渡り、私の知らない『なろう』作品を延々と紹介されましたが、私の作品が話題に上ることは一切ありませんでした。
「じゃあアリスさん、執筆がんばってね」
なんだか一方的に電話を切られた感じです。PV数、どうやったら増えるんだろう。
★
初投稿から一週間。めげずに毎日投稿していますがPVは伸びません。どうして。
そんな考えを抱きながら、週末の国道246沿いの歩道を、スマホを眺めながら歩きます。画面はもちろん『アクセス解析』。
そんな折、とある考えが脳裏をよぎります。
「もしや私のスマホが壊れているのでは」
そうとしか考えられません。あんなに一生懸命に考えた物語がランキングに載らないどころか、一日のPV数が学校のクラスの人数以下なんて。『なろう』は日本中で読まれているというのに。きっとこれはスマホの故障からくる誤表示です。
そんなとき。
「イテぇ! 誰にぶつかってんだ!」
誰かにぶつかりました。どうやら向こうから歩いてきた若い男性とぶつかってしまったようです。手にはスマホ。歩きスマホしてぶつかってくるような男に怒られたくありませんね。あ、これはいい機会なのでは。
「スマホ借りますよ」
私は男からスマホを巻きあげました。私のスマホが壊れていてPV数が正しく表示されないというのならば。他人のスマホなら正しく表示されるはずです。
「なんだ、この女。スマホを返せ!」
「うるさいですね。大人しくしないとスマホを地面に叩きつけて画面を粉々にしますよ」
「ひぃぃぃ」
男を黙らせた私は素早く他人のスマホで『アクセス解析』画面に跳びました。
するとそこには、自身のスマホで調べたものと変わらない、慎ましやかなPV数……。
「なんじゃこりゃあぁぁぁ!」
私は悔しさのあまり男のスマホを地面に叩きつけました。画面は真っ暗になり、粉々です。
「なんてことするだぁぁ!」
男は悲嘆にくれていましたが、そんなこと構っていられません。私は逃れようのない悲しみを背負ったまま、それでも悲しみから逃れようと必死にアパートまで走ったのでした。
★
こうなったらテコ入れです。主人公はタヌキにとり憑かれていることにしましょう。さらに主人公のセリフに『タ』を混ぜ込むのです。セリフの中から『タ』を除いて読めば、セリフが成立することにしましょう。『タ』を抜くからタヌキ。
これは名案です。主人公はテイマーですが、強いタヌキと知恵比べで負け、逆に憑かれてしまったという設定にしましょう。
さらにヒロインAは逆立ちの呪いを受けていることにします。いつも逆立ちをしているのでセリフだって逆再生です。読者はセリフを逆から読むことで本来の意味を知ることができます。
なんてすごいアイデアでしょうか。これなら人気が出るはずです。
投稿から十日目の夜。
「解せぬ……」
相変わらずPV数は停滞……どころか下降しています。評価やブックマークなんて夢のまた夢。みなさん、私の小説を読んではいけない制約でもあるのでしょうか。こうなったら。
私は物語の最後にある『あとがき』の欄に文章をつづりました。
『読んだのならば感想くらい下さい。暇つぶしの時間を提供してやったんだから、それくらいやりやがれ。話を考えるのにどれだけ脳髄を捻ったと思う? 学校で感想文くらい書いたことあるでしょう? くれないと呪っちゃうんだからねっ!』
これだけ誠心誠意のお願いをすれば、きっと感想が山のように届くことでしょう。私の言葉の裏を感じ取って評価をつけてくれるかもしれません。行間を読み取ってブクマをくれる可能性もあります。真意を汲み取ってレビューもつけてくれるはずです。
「明日が楽しみですね」
私は高鳴る胸の高鳴りを抑えながら、床につきました。
翌朝。作品の感想欄には多くの感想が届いていました。ところが。
『つまらない。とにかく読みにくい。とくにセリフが。こんな作品に付き合わされた読者の身にもなってみろ。あと読者を脅すな。吐き気がする』
なんでしょう、これは。ほかの感想を読んでみれば。
『評価を得たければ、人気の作品を読んで勉強してください。気持ち悪い』
私たちは子供のころ、親や教師からクラスの成績の良い子をお手本にしろと言われ続けてきました。しかし、到底マネなんて出来ず、言われたところで自身を否定されたような気持ちになったものです。それを、『なろう』でも同じ目に遭わせようというのですか。なんて酷い。
『ランキング一位の作品はもっと面白い。テメぇの作品はゲロゲロだ』
一位と比べないでください。こういう輩って少し前までは『ワ○ピース』みたいな物語を書けば? 的なことを言っていたに違いありません。『進○の巨人』や『君○名は。』を真似すれば? とか。じゃあ連載当初の『鬼○の刃』は『妖怪○ッチ』を参考にしていたのかよって言ってやりたいです。オリジナルティーがあるから面白いんですよっ。
『こういうことは『その他』で書け。夜ゴハン吐いたわ』
傷ついた私にはもう『その他』と『異世界恋愛』の違いが分かりません!
『私は某大学の文学教授だが、あらためて読んでみても酷いモノだ。もはや文章ではない。平仮名と片仮名と漢字を並べただけの物。まだ『あいうえお表』のほうが趣がある。これは文学への冒涜ではない。文字への冒涜だ。吐き気がする』
一体どこの文学教授ですか! だいたいみんな吐き気を催しすぎです。どれだけ胃が逆流性構造なのでしょうか。前世は牛ですか。
ほかの感想も読んでみましたが罵詈雑言のオンパレード。評価もブクマもついていないので、ポイントは0のまま。もしやみなさん、私をどこかの駄文生産家と間違えているでは?
ああ、執筆作業がこんなに疲れるとは思いませんでした。
★
初投稿から二週間経過。めげずに投稿しながら、第二部の執筆も続けていますが。なんというか気分が乗らないのです。白ウサギ(P.N)さんは既に私の小説を読んでいる気配もなく、恋愛モノや異世界恋愛モノ、純文学を読みふけっているご様子。
PV数はもちろん、ユニークユーザー数なんて見たものなら謎の熱が出てくる始末。ああ辛い。つらたん。つらタム、つらキャノン、つらタンク……。
その夜は珍しく残業がなく、帰りの電車も座れるという僥倖に恵まれました。けれど気分は暗澹たるものです。
電車の座席に落ちつきながら、ほかの『なろう』作品を読んでいました。
「ふんっ。つまらない作品ですね。こんなにつまらなければきっとPV数も低いことでしょう」
そう思いながら、その作品のアクセス解析を見てみれば、拙作をゆうに超えるPV数。
私は書くことが好きなのに、こんなにも作品に思い入れがあるというのに、どうして人気が出ないんだ。
前にうなだれ、力を失った右手がスマホを落としました。
拾わなきゃ。そう思って頭を起こすと、前に立っている女性がスマホを拾って返してくれ……くれません。
女性はスラッとした体格で髪型はショート。スーツをカッコ良く着こなしています。仕事ができそうな雰囲気ですね。男装も似合うことでしょう。
その女性は私のスマホをジッと見つめると。
「これは『なろう』の作者のマイページだな。悪いが投稿小説履歴から作品を読ませてもらうぞ」
そう言うと女性は私のスマホを高速でタップ。たしかにスマホを落とす直前は作者ページを表示させていました。さらに女性は画面を下にスクロールさせている様です。これは作品を読んでいるのでしょうか。
動きがピタリと止まります。もう読み終わったのでしょうか。だとしたら凄く速読です。女性を見上げれば顔は真っ青。そして身体をくの字に曲げると。
「オエぇェェぇ!」
吐きました。女性が握っていた私のスマホはもちろん、前に座っていた私の足に吐瀉物が直撃したのです。よくも。
「フッ。すまない。驚かせてしまったかな」
驚いたわい。女性は口元を拭うとニコリと笑いました。いや、笑顔作ってんじゃねーよ。私がどうやって怒りをぶちまけようかと考えていると女性が先に切り出しました。
「キミは『なろう』作家だな」
「え、ええ。でも私なんて底辺です。サインならいっぱい練習しましたけれど、不人気作家の現状では、金縁の色紙を差し出されてもサインなんてする気も起きません。可哀相ですがほかの作家を当たって下さい」
自分が惨め過ぎて嫌になります。思わず顔だって逸らしてしまいます。すると女性は私のアゴをつまむと正面に振り向かせました。
「私の名前は罠備野 剽子。キミに協力してほしいことがある」
第一章承転編へ続きます。つづきは今日中に投稿する予定です。