私の推し
楽しんで貰えると嬉しいです。
「最終巻凄く良かった!素晴らしかった!」
少女は早口にそう述べると、感極まって溢れた涙をハンカチで拭った。
此処はこの少女、藍川咲の自室である。
咲はたった今、大好きな少女漫画の最終巻を読み終えたのであった。
咲は未だ興奮が冷めないのか鼻息を荒くして、一人漫画の感想を語っていた。
「本当に良かった!主人公の伯爵令嬢が王子と結ばれる場面なんてもう美しすぎてやばい。この漫画の作者神!幾多の苦難を乗り越えて、主人公が幸せになってくれて本当に嬉しい!」
咲はうっとりと漫画の表紙を眺めていた。
どれくらいそうしていたのか。
興奮が冷めてきた咲は表紙から目を離すと今度は本棚に目を向けた。
そこにあるのは、買い続けてきた漫画の列。
たまらなく好きな少女漫画
不意にこみ上げてきた寂しさに咲は視線を床に落とすと呟いた。
「……終わっちゃったなぁ。」
終わりの無い物語がこの世に存在しないことは知っていたけれど、こんなにも寂しい気持ちになるなんて。
まるで物語の世界に一人、取り残されたよう。
こんなにも寂しい気持ちになるのはあの巻以来だと、咲は苦笑した。
第二十巻、しっかりと巻数まで覚えている。
何故なら、忘れられないからだ。
この巻で咲の大好きなキャラクターが死んだのだ。
そのキャラクターの名前は、アルト・メイヴィス。
美しい黒髪を肩より少し伸ばした、紫の瞳を持つ青年でその中性的な美貌は一度見たら忘れることなど出来ない。
絶世、傾国の名を欲しいままにできる美貌と、さらに圧倒的な戦闘力まで有するこの青年は、主人公である令嬢の従者であった。
とある理由から伯爵に拾われたアルトは、表向きは主人公の従者として、裏では伯爵家の暗殺者として育てられたのだ。
このアルトは非常に人気があり、王子と双璧を成すほどだ。
咲は、このキャラクターが大好きだった。
従者と暗殺者、そのギャップも良いが一番はその美貌だ。
咲は初めて見た時からアルトの虜であった。
だが、アルトは中々に不遇なキャラであった。
主人公に一目惚れするも、全く振り向いて貰えず最後は主人公を庇って死ぬのだ。
それにアルトは暗殺者として己の手を血で染めた事に苦悩し、自分自身を穢らわしい存在と考えていた。
『私は、どうして生まれてきたんだろう……』
そう言ってアルトが己の美貌を歪める場面で、咲はかなり泣いたものである。
大勢の読者からもアルトの惨い運命に、多くの悲しみの言葉が寄せられたのだ。
「……アルトか。」
咲はベットから立ち上がると、本棚から第二十巻を取り出した。
そこには主人公を守るように抱きしめるアルトの姿が。
「かっこいい……何度見ても、あなたが一番素敵。」
それは一目惚れに近い感覚だったと思う。
こんなにも深く心動かされ、焦がれたキャラクターは彼だけだった。
咲はその漫画を抱きしめると、眠るように目を閉じた。
次回、異世界転生します。




