芽生え
「あの、友達とかに来てもらって一緒に家まで帰られた方がいいですよ」
陽太は眠りそうな女性に少し大きな声で言ってみる。
「あたし、友達いないんで」
女性は眠そうに答える。
「・・・じゃあ、警察の人に来てもらいます?」
「警察は苦手なんで、やめてください」
女性は首を振る。
女性は陽太を再び見つめて「大丈夫です。ここで少し横になってれば、たぶん歩けるようにはなるんで」と言う。
いや、こんなところで女性が横になってるのは危ない。しかも、こんな可愛い子が・・・。
酔っぱらって倒れてるのが男だったら背負って家まで連れていくけど、酔った若い女性を背負って2人で家まで行くのはグレーだよな・・・。
陽太は華の顔が脳裏によぎる。
でも、このまま放っておくことは絶対にできないし・・・。
陽太は迷う。
少し考え込み、陽太は携帯を取り出す。
華の携帯番号を押し、電話をかける。
「どうしたの?」
携帯から華の声が聴こえる。
「今、帰ってる途中なんだけど、酔っぱらって歩けない状態の女性が目の前にいるんだ。家まで背負って送り届けてもいいかな?」
「・・・うん、大丈夫。信じてるし」
「うん。大丈夫、華が悲しむことなんてしない」
「ありがとう、電話してきてくれて。そんな陽太だから安心できる」
華は笑う。
「じゃあ、帰りは遅くなるから。心配しないで」
陽太も笑う。
「うん、気を付けてね」と華は言い、2人は電話を切る。
そんな陽太の姿を冷夏は見て、顔いっぱいに、にやけている。
・・・へえ、電話するんだ。
冷夏は腕を組み、不敵な笑みを浮かべたまま陽太を見つめる。
陽太は女性の方を見ると、女性は眠っているのか目を閉じて壁にもたれた状態で座っていた。
「あの」
陽太は女性に声をかける。
「・・・・・・」
女性の反応はない。
眠っていると思い、陽太は女性の肩を軽くゆすって「あの」と再度声をかける。
「・・・あ、あたし眠ってました?」
女性はふらふらと頭を動かす。
「あの、俺が背負って家まで送り届けましょうか?」
「え?・・・いいんですか?」
女性は陽太をとろんとした表情で見つめて言う。
「はい。住所を教えてくれますか?」
女性は住所を言い、陽太は携帯の地図で場所を確認する。
表示された地図の場所を陽太は見る。
あ・・・かなり離れてる。
「乗ってください」
陽太はおぶるポーズを取る。
女性はふらふらと陽太の後ろから首に手を回す。
そして、陽太は女性をおぶって歩き出す。
女性はルックスだけでなく、スタイルも抜群で、背負っていると胸が背中にあたり、いい香りが漂い、そして気のせいか首に回してきた手や息遣いにいやらしさを陽太は感じ、湧き上がる邪な気持ちを必死に振り払おうとしながら歩く。
そんな2人のあとを冷夏は追って歩き出す。
歩きながら女性は陽太と会話を交わす。
「あたし、モデルやってるんですけど」
「ああ、そうなんですか」
陽太は納得する。
「今日、彼氏に振られちゃったんですよね」
「・・・だから、こんなになるまでお酒を飲んだんですか」
陽太は同情するような気持ちになる。
「はい・・・でもよかったです。こうして優しい男の人に出会えて」
女性は首に回している手に少し力を入れる。
陽太はドキッとして、即座に平常心になろうと首を少し振る。
「きっと、すぐにいい男の人に出会えますよ・・・」
「・・・ありがとうございます」
女性はつぶやく。
女性は陽太の耳元に口を近づけ、「でも、やっぱりこんなときって人肌恋しくなりますよね」と囁く。
陽太は目を固く瞑り、「そうですか・・・」と湧き上がってくる情動を必死に抑え込もうとする。
そして、女性は首に回していた手にもう一度力を入れる。
・・・何これ? 誘ってる? いや、自意識過剰だろ。
陽太は眉間をしわに寄せて、必死に平常心でいようと努めた。
その後は、女性はしゃべらずに身を委ねている感じで陽太の背中に全身をあずけ、2人は沈黙の中歩いた。
歩いている間も陽太はもんもんとして気持ちを、華と雛の姿を思い浮かべ、振り払いながら50分ほど歩く。
女性から聞いた住所にある高層マンションに、女性を背負った陽太は着く。
うわー・・・お金持ちだ。
陽太は高層マンションを見上げる。
女性をおぶったまま陽太はマンションの中に入り、エレベーターに乗り、10階で降りる。
女性の部屋のドアの前まで来る。
「あの・・・ここまでくれば、あとは一人で部屋に入れますよね?」
陽太はおぶっている女性に話しかける。
女性は鍵を陽太の目の前に出し、「ここまでくれば、ベッドまでお願いしてもいいですか?」と言う。
陽太は苦笑いを浮かべる。
「鍵は閉めてポストの中に入れておくので、明日の朝、取りに行ってくださいね」
陽太は女性から受け取った鍵をドアに差し込み扉を開く。
陽太は部屋の電気を付け、女性の靴は簡単に脱げるタイプのようで、すでに靴を脱いでおり、陽太も靴を脱ぎ、女性を背負ってリビングまで歩いていく。
室内は女の子らしく、ぬいぐるみなどが置いてある部屋だ。
目の前にベッドがある。
陽太はベッドを背に、おぶっている女性を寝かせようとすると、女性は即座に体勢を変え、ベッドに陽太を押し倒し、抱き着く。
「寂しいです・・・慰めてください」
女性は陽太の胸に自分の耳を当てるようにして密着する。
陽太は驚いた表情で、「あ、あの、すいません。俺、家庭があるので、こういうことは!」と慌てて女性を引き離そうとするが、ぴったりと密着され強く抱きしめられているので、引き離せない。
「ばれません。あたしはあなたのこと、何も知らないし。元カレのこと、忘れさせてください」
女性は陽太に自分の体を押し付ける。
陽太の顔に女性は顔を寄せていき、耳元で「今夜だけの関係でいいんです。一緒に気持ち良くなりましょう」と甘い声で囁く。
陽太の鼓動は高まり、情動も突き上げてきて、女性はそれに気づいたのか陽太の唇に自身の唇を近づけていく。
次の瞬間、陽太は女性を抱きしめ、ベッド上で横に回転し、自分が女性の上にくるような体勢にもっていき、強く自分の体を女性から引き離す。
「すいません。俺にはできないです」
女性に背を向け、陽太は玄関に歩いていく。
「あたし・・・魅力ないですか?」
女性はベッドに座った姿勢で陽太を見つめて聞く。
陽太は振り返り、女性を見て言う。
「俺は妻や娘には誠実でいたいんです」
「・・・そうですか・・・わかりました。送ってくれて、ありがとうございました」
女性は寂しげな表情で言う。
「じゃあ」と陽太は玄関に歩いていき、靴を履いてドアを開け廊下に出る。
陽太は高まっている鼓動を押さえようとしながらマンションのエレベーターに乗った。
・・・こんなことって実際あるんだな。
陽太はマンションの外に出ていく。
高層マンションの一室で陽太が出ていった後、女性はベッドで横になり宙を見つめていた。
すると、着信音が室内に響き、女性は携帯電話の通話ボタンをベッドで横になった状態で押す。
「お疲れさま。今、マンションの外に出ていくのを確認したわ」と冷夏の声が聴こえる。
「ご覧の通り、失敗したよ」と女性は天井を見る。
冷夏は車内に置いてあるモニターで、女性がベッドで横になって携帯電話を耳に当てている姿を見ている。
「そうね。でも結果はどうあれ、過程は文句のつけようがないほど完璧だったと思うから、成功報酬の方も振り込んどくわね」
「本当? うれしいー」
女性はそこまで感情の入ってない声で言う。
・・・依頼金と成功報酬を分けたのはやる気を引き出すためだし、これからの依頼でも忠実に与えられた条件を破らずに全力でやってくれるだろうし。
冷夏は女性を見て思う。
「いろいろ縛りをかけられた中で、あそこまで上手く誘惑したのはさすがだと思ったわ。あれで落ちない男の方がおかしいわよ」
冷夏は女性にフォローするように言う。
「うん。でも、結構ショックだったよ・・・奥さん、美人なの?」
「いや、全然」
「じゃあ、恐妻家?・・・電話かけてたし」
「いや、全然。至ってふつうの女ね」
「そっかー。あんな男いるんだね・・・珍獣でも見た気分」
くすくすと笑う冷夏。
「でも、旦那さんにするなら、あんな男もいいかもねー。誠実で優しそうだったなあ」
女性は目を瞑る。
「お金は明日に振り込んどくわ。来週にその部屋引き払うから、それまで使いたければ使っていいわよ」
「わかった」
「じゃあ、お疲れさま。今後もよろしくね」
「うん。じゃあ、おやすみー」と女性は言い、お互いに通話を切る。
冷夏は通話を終えた後、体をわずかに震わせながら、にやけていた。
女性と会話している時に必死で平静を装うことに苦労した。
陽太が誘惑に負けずマンションから出てきた姿を見た時、冷夏の中には凄まじい想いが芽生えた。
この男が欲しい。どんな手を使ってでも自分のものにしたいという想いが・・・。