点火
和村ファミリーが一堂に会した日の翌日の8時。
冷夏は駐車場に止めた車の中からサングラス越しに波木家の玄関のドアを見ていた。
・・・やっぱり、めんどくさいわ。
普段なら優雅にブレークファーストの時間を過ごしているはずの自分の姿が脳裏をよぎり、冷夏は小さく溜息をつく。
でも、情報屋は欲しいし・・・。
喪失しかけたやる気を何とか引き出そうとする。
波木家の玄関のドアが開く。
陽太が出てきたのを視界で確認し、冷夏は帽子をかぶる。
階段から降りてマンションのエントランスから出ていく陽太。
その姿を見た冷夏も車から降り、陽太の尾行を開始する。
冷夏は万が一見られてもいいように、金髪のロングヘアーは後ろにまとめて帽子の中に隠し、黒のショートヘア―のかつらをかぶって変装していた。
電車の中で冷夏は携帯電話を操作するふりをしながら、サングラスの奥の瞳で陽太を見る。
・・・特別なものを持っていない人間は、見ればだいたいわかる。
冷夏は心の中で語る。
特別なものを持っている人間は、総じてそれを自覚している場合が多く、自分は特別であるという自信が顔や雰囲気、言動に現れる。自覚がなかった場合でも、普通の人と違った何かがあると、見ればわかる。これらは端正な顔立ち関係なしに見抜くことができる。もちろん、ただの思い込みであっても、そういうものが現れてしまうから厄介だけど。
だから、そういったものを見て感じられなければ、確実に特別なものを持っていない。
今、目にしている男もそうだ。特別なものを何も持っていないことがはっきりわかる。
あと服装に無頓着なのも減点。人間は見た目で第一印象が決まる。凡庸な顔なのに、着飾る努力もしてないようでは論外ね。たぶん、これまでおしゃれなんて意識したこともないんでしょうね・・・。
まあ、写真で見るより確かに、普通以上に優しさを持っていることは顔や雰囲気からわかる。だから何だと言う話だけど。
・・・3日間、様子を見ようかしら。
冷夏はサングラスの奥の瞳で陽太を見続ける。
その後、冷夏は陽太が老人ホームの中にいる時間を除いた外での姿をあとをつけて観察し、拠点であるマンションに帰宅する。
「どうだった? 姉ちゃん」
仁は玄関からリビングに来る冷夏に声をかける。
「そうね。とんでもなく、つまらない1日を過ごしたわ」
ふうっと冷夏は息をつく。
そんな冷夏を見て、仁はくすくすと笑う。
「一番の収穫は、やっぱり写真では全てを伝えきれないということかしら」
冷夏はソファーに深く座る。
「ああ、すごく優しそうな感じだったでしょ」
にやりと仁の表情が変わる。
「無価値だけどね」
冷夏は心底どうでもいいというふうに言う。
「ある程度の優しさはあたりまえに必要だけど、必要以上の優しさは、あってもなくてもどちらでもいいわ。そんなものより別の魅力を磨くべきよ」
冷夏は目を瞑る。
「・・・そうだね」
仁も静かに目を閉じてうなずく。
「でも、姉ちゃんが直接尾行するなんて珍しいね」
「私は、絶対に欲しいものを手に入れたい時は他人任せにだけしないで、自分の目、手足をしっかり使うわ。それだけ今回の成功報酬は魅力的だということ」
どんな男かわかったことだし、次の段階に入る準備をしておこうかしら・・・。
冷夏は携帯を取り出して電話をかける。
「和村です。今、話せる?」
「うん、大丈夫」という可愛らしい声が電話から聴こえた。
尾行2日目。
冷夏は前日と同じように陽太のあとをつけて観察していた。
陽太が夜勤だったので夕方近くに家を出て、老人ホームで深夜を回って勤務している間、冷夏は近くのホテルに宿泊して眠る。
冷夏は、陽太が朝10時ごろに勤務を終え、家へ帰ろうとする時には老人ホームの近くで待機していた。
・・・かなり暑くなってきたわね。
冷夏を照り付ける太陽。
季節は夏で、その日は気温が一段と高くなっていた。
そして、陽太が老人ホームから出てきたので、あとをつけ始める。
しばらく、陽太は老人ホームの最寄り駅へ向かって歩いていると、一軒家によってできたわずかな影の中に入って、座り込んでいる老人が目に入る。
「大丈夫ですか?」
ただ日陰に入って休んでいるだけだろうと思いつつも陽太は念のため聞いてみる。
「ああ、暑いわね。道がわかんなくてね」
老婆はキョロキョロと辺りを見回す。
「どちらに行かれたいんですか?」
「3丁目の25の12って、どっちに行けばいいのかね?」
陽太は老人ホームの勤務が終われば、寄り道せず家に帰るので、あまり勤務場所の地域には詳しくない。
「ちょっと、調べるので待っててくださいね」
陽太はスマートフォンを取りだし、地図で調べ始める。
「ありがとうね」
老婆は申し訳なさそうに言う。
「いえ、困っている時はお互い様です」
陽太は調べながら笑顔で言う。
その様子を物陰に隠れ、見ている冷夏。
陽太は地図で場所を確認する。
・・・だいぶ、離れてるな。
「今、調べたんですけど、結構距離があるみたいなので、よければご案内しますよ」
「ええ? 案内してくれるの? 助かるわー」
老婆は安堵した表情になる。
「今日は暑いですからね。歩き回って熱中症にでもなったら大変ですよ」
「本当にありがとうね」
目を細める老婆。
「・・・・・」
冷夏は2人の姿を無表情で見ている。
陽太と老婆は一緒に歩き出し、そのあとを冷夏はつける。
陽太は地図を見ながら、老婆の手押し車を押し、笑顔で老婆と雑談しながら目的地へ向かう。
そして、20分ほどかけて、陽太と老婆は目的地のマンションに着く。
「本当に助かったわ。ちょっと待ってね」
老婆は手押し車の中を探る。
老婆は財布を取り出し「これ、持っていて」と1万円札を陽太に差し出す。
「お気持ちだけで十分です」
陽太は手を前で振る。
「本当に助かったから」
老婆は1万円札を押し付けようとする。
「いや、本当に大丈夫です。困ったときはお互い様ですから。じゃあ、俺はこれで」
陽太は会釈して立ち去る。
「あ、本当にありがとうね」
老婆は大きな声で陽太に言う。
「いえ!」
陽太は歩きながら笑顔で振り返り、もう一度会釈したあと、前を向いて歩き出す。
「・・・・・」
冷夏は無表情でそんな陽太を見ていた。
陽太は勤務先の最寄り駅に着き、電車を待つ人の列の一番前で電車を待っている。
冷夏は目立たないように、陽太から少し離れた壁の側に立って、陽太を見ている。
・・・昨日も思ったけど、この人、外では用事のある時にしか携帯を出さないのね。
冷夏は陽太を見て思う。
かといって、何もしないで、ぼーっとしているわけでもなく、周りを見回してる。
・・・景色を見ることを楽しんでる?
冷夏はサングラス越しに陽太を見続ける。
すると、陽太は何かに気付いたのか、列の一番前から抜ける。
冷夏は陽太を目で追う。
陽太の歩く先には、老夫婦が駅の構内の案内板を見て、首を傾げて話し合っている姿がある。
「あの、何かお困りですか?」
陽太は老夫婦に声をかける。
冷夏は陽太と老夫婦が話しているのを見る。
陽太は老夫婦と一緒に歩き出す。老夫婦は感謝している。
冷夏は陽太たちのあとをついていく。
そして、陽太は5分ほど老夫婦と一緒に歩いて、乗り換えの電車のホームまで案内して、老夫婦からお礼を言われて元のホームにもどっていく。
「・・・・・・」
そんな陽太の姿を、壁にもたれかかり腕を組みながら冷夏は見ていた。
「ふっ・・・・」と思わず口元がゆるみ、小さな息がもれる冷夏。
・・・携帯を操作しないで周りを眺めてたのは、景色を見るためじゃなく、困っている人がいないか見回してたのね。
冷夏は小さくため息をつく。
陽太は元のホームにもどりながら思う。
よかった。この駅は構内が複雑だから、携帯の操作に慣れてない高齢者や日本語が読めない海外の人は迷うからな・・・それにやっぱり感謝されるのは気持ちがいいし、自分が誰かの役に一瞬でも立てたという実感はうれしく思える。
先輩みたいに、誰かに親切にされて、自分もその人にように他の人に親切にしようと思える人が少しずつでも増えていって、優しさでいっぱいの世界になったらいいな・・・。
陽太は電車に乗り、家の最寄り駅に着き、徒歩で帰宅する。
陽太が玄関のドアを閉めるまで冷夏は尾行し、その後、拠点のマンションにもどる。
「お疲れ」
玄関からリビングにくる冷夏に仁は声をかける。
「・・・・・」
無言のまま、ソファに深く腰掛ける冷夏。
「?」
仁は冷夏の様子がいつもと違っているような気がして、冷夏をちらりと見てみる。
冷夏は何か考え事でもしているかのように宙を見つめている。
とたん、冷夏の口元に不敵な笑みが浮かぶ。そして、その笑みを必死に抑えようとしているような冷夏の表情に仁は目を見張る。
「・・・・・・・!」
冷夏は仁が自分の顔を見ていることに気づく。
「何、人の顔をジロジロ見てるのよ・・・エッチ」
冷夏は仁を見て言う。
「気持ち悪いこと言うなよ」
仁は笑いながらキッチンに歩いていく。
冷夏もくすくすと笑う。
キッチンで作業しながらソファに座る冷夏の後ろ姿を見る仁。
・・・何があったか知らないけど、やる気に火がついた?
仁は姉の後ろ姿を見る。
仁のキッチンでの作業の物音が部屋に響く中、冷夏は不敵な笑みを全開に浮かべていた。
・・・ちょっと、面白くなってきたかも。
冷夏は好戦的な表情で笑む。