接触
仁が冷夏に協力を依頼する日から二週間ほど前に時は遡る。
華と雛が2人で遊園地に行った二日後の月曜日の朝、雛を保育園に連れていくために準備する華。
「雛、準備できた?」
「うん!」
雛は元気よく返事する。
「じゃあ、行こう」
華は雛と一緒に玄関に向かう。
いつものように自転車で雛を保育園まで送り届ける華。
そして、そのままスーパーに向かい、到着する。
華はレジに立ち、お客さんの商品をスキャンする。
いつもと同じようにレジに来たスーツ姿の翔吾とも、たわいのない話を交わす華。
やがて、昼のピークが過ぎ、お客さんが少ない時間帯になる。
レジに立つ店員がそこまで必要でなくなり、レジから離れようかと売り場を見た華は、売り場の通路から自分のレジへ向かってくるカゴを持った一人の美青年が目に入る。
・・・アイドルみたい。
とその美青年の整った顔とおしゃれな服装を見て、華は思う。
美青年は華のレジにカゴを置く。
「お願いします」
仁は笑顔で華を見つめる。
「いらっしゃいませ」
華もにっこり笑う。
しかし華はカゴの中を見て驚く。
カゴの中にはたくさんの種類の小さい駄菓子が大量に入っていた。
そのカゴの中を隣のレジで見た芳恵は、時間がかかりそうなので、売り場に行くのをやめて、レジで待機する。
華はお客さんの商品が少ないときは、スキャンも大切に気持ちを込めて丁寧に行うが、お客さんが混んでいる時間帯だったり、あまりに大量の商品であったりすれば、一つずつ、そのようにスキャンしていては、他のレジの人に負担がかかるので、無心でやる。
ただし、商品のスキャンが終わり、会計時の釣銭やクレジットカードを渡したり、商品の入った袋を渡したりする時は、大切に気持ちを込めて丁寧に行う。
華は大量の様々な種類の小さな駄菓子をスキャンし始める。
「最近、ここに転勤してきたんですけど、こんなに大きなスーパーが近くにあるなんて知らなかったなー」仁は華に話しかける。
「そうなんですか。ここは主婦やお年寄りだけでなくサラリーマンやOLの方たちも来られるので商品は充実してますよ。火曜日と金曜日は特売日です」
「駄菓子も特売の対象ですか?」
仁は冗談めかして言う。
「駄菓子は・・・残念ながら対象じゃないです」と華は笑う。
「そっかー、残念。でも、駄菓子の種類もここは本当にたくさんありますね」
「ええ。子連れの方もたくさん来られますから」
「だからかー」
「駄菓子、お好きなんですね」
「いや、これは俺が食べるものじゃないです。職場で上司の何人かが駄菓子好きで、そのために部下の自分が買い出しに来ているだけです」
「あ、そうだったんですね」
「いくら何でも、一人でこんなに駄菓子を食べませんよ」
くすくす笑う仁。
「それもそうですよね」
つられて華もくすっと笑う。
商品のスキャンが終わり、清算に移る。
華はいつも通り、全てのお客さんにするように丁寧に気持ちを込めて、その瞬間を大切にするかのようにクレジットカードを受け取り、支払いを完了し、カードを返し、大量の駄菓子が入った袋を仁の前に掲げる。
「ありがとうございました」
華は普段通り感謝の気持ちを込めて、袋を差し出す。
「ありがとうございます」
仁はにっこりと笑って袋を受け取る。
募金箱に目を向ける仁。
「募金箱あるんだ」
仁は財布を再び出し、その中から紙幣を取り出し、折りたたんで透明のケースの募金箱に入れる。
「あ、ありがとうござい・・・・あ!・・・・え!?」
華は募金箱に入った紙幣を見て、目を疑う。
透明のケースには1万円札が入っている。
「あの!・・・1万円札が入ってますよ」
華は仁が千円札と間違えたのかと思い、声をかける。
「はい。なみき・・・さん?のレジ対応がすごく気持ちよかったので、募金したくなりました」と華の胸のネームプレートを見ながら、にこやかに笑って仁は言う。
「あ、ありがとうございます」
華は少し戸惑いながら言う。
「それじゃ、また」
仁は立ち去っていく。
「ありがとうございました」
華はお辞儀する。
・・・1万円札を募金する人なんて初めて見た。
ぽかんとした表情で華は募金箱に入っている1万円札を見つめる。
仁はスーパーから出て、近くの高級ホテルへレジ袋を持って歩いていく。
そしてホテルの室内に入り、大量の駄菓子が入った袋をゴミ箱に捨てる。
・・・やっぱり、見入っちゃうな。一つ一つの振る舞いが明らかに他の人のものと違う。
仁はソファに深く腰掛ける。
二日前からずっとそう思う。電車で見かけた後、あとをつけて、遊園地で娘と一緒に過ごす姿、そこから家に帰るまでの姿を見た。翌日の日曜日も夫が仕事に出かけた後、娘と公園で遊ぶ様子を見た。
ほとんどの場面で、その動作一つ一つに不思議と魅せられる。何気ない動きにさえも。
そして今日、実際に接してみて、この人が欲しいという気持ちが生じた。
仁は目を瞑って黙考していたが、携帯が鳴り、目を開ける。
携帯を耳にあてて会話する仁。
「・・・介護士? 老人ホームに勤務・・・。わかった、シフトの方も調べといてくれ、くれぐれも気付かれないように」
仁は念を押すような口調で言う。
ソファから立ち上がり、窓に向かって歩いていき、窓から景色を見下ろす仁。
「共働きなんて・・・俺の方が幸せにできるな」と仁はつぶやく。
翌日の火曜日、いつものように華は雛を保育園に送り、スーパーでレジに立つ。
そして昨日と同じく昼のピークが終わり、店内にお客さんが少なくなった時に、仁は姿を現した。
華のレジに大量の駄菓子が入ったカゴを置く仁。
「あ、いらっしゃいませ」
華は笑顔で挨拶する。
「こんにちは」
仁も笑顔で挨拶を返す。
華は大量の駄菓子をスキャンし始める。
「なみきさんって読むんですか?」
仁は漢字で書かれた華のネームプレートを見る。
「はい、波木です」
華は笑顔で答える。
「波木さんのシフトって、いつもこの時間帯なんですか?」
「はい。娘が保育園に行っている間、シフトに入らせてもらってます」
「娘さんがいらっしゃるんですね。旦那さんと3人家族ですか?」
「はい、そうです」
「そうなんですか、温かい家庭なんだろうな。幸せなオーラが伝わってきます」
「本当ですか?」
華は笑う。
「はい。こっちまでパワーをもらえます」
「それはよかったです」
にこやかに華は言う。
「波木さんの動きは何か一つ一つきれいで、見てて気持ちがいいです」
「そうですか? ありがとうございます」
「これからも会社に行く前は、波木さんにレジで送り出してもらおっと」
仁は笑って言う。
「お待ちしております」
華も笑って応じる。
商品のスキャンが終わり、仁は財布を取り出し、クレジットカードを渡す。
華がクレジットカードを受け取ってスラッシュする時に、仁は財布から1万円札を取り出し折り畳む。
華がクレジットカードを返そうとするのと同時に募金箱に1万円札を入れる。
「あ、お金・・・大丈夫ですか?」
華は心配そうな表情になる。
「大丈夫です。俺、若いわりに結構稼いでいるので」仁は人差し指と親指をくっつけ丸いコインのマークをつくる。
「立派ですね」
「いや、そんな」
首を振る仁。
それからも水曜日、木曜日と同じ時間帯に、仁は華のレジに大量の駄菓子を入れたカゴを持っていき、たわいない話を交わして、清算時に募金箱へ1万円札を入れ続ける。
金曜日のスーパーの控室で華と芳恵と寧々は食事をとりながら、話す。
「昨日、すっごいイケメンが華さんのレジに来ましたよね」
寧々は嬉々として声をはずませる。
芳恵が弁当を食べながら、「ああ、あのいつも1万円札を募金箱に入れてく人ね」と意味深な目をする。
「え? 1万円札を募金箱に入れるんですか?」
寧々は驚く。
「そうね。今週の月曜から昨日まで4日間、入れ続けてるわね」
華は苦笑する。
「ええー!? お金持ちですか?」
「結構稼いでるって言ってたわ」
いいなー。結婚してフリーターから抜け出したいなー。
寧々は願わくばお近づきになりたいと考えていた。
「でも、買っていくのは大量の駄菓子だけどね」
芳恵は笑う。
「上司の方が駄菓子好きみたいです」
「いや、あれは華ちゃんと長く話すためなんじゃない?」
「ええ? それはないですよ」
華は手を軽く振り否定する。
「だって、あんな大量の駄菓子、スーパーで買うよりネットで購入した方が楽でしょ」
「・・・・・・」
華は思いがけない指摘に戸惑う。
翔吾のように華の常連客として、普段から購入する物を華のいるレジで精算する人はたくさんいるが、自分と話すことが目的でわざわざ大量の駄菓子を購入してレジに来る人がいるのか?
華は混乱した。
「でも、寧々の友達にもネットでクレジットカード登録するのは危険だと思うからネット通販を利用しない子もいますよ?」
芳恵は軽く首を振る。
「毎回1万円を苦もなく募金箱に入れるほど稼げる会社って、どう考えても一流企業でしょ。そんな会社の上司のお偉いさんが駄菓子なんて食べるかね? ポテチとかならまだしも、あんな小さい子供向けの包装紙に包まれたチューイングガムを召し上がるとは思えないけど」
「・・・・・・」
沈黙する3人。
「え? それって華さんに恋してるってことですか!?」
「それは絶対にありえないわ。あんなアイドルみたいな顔した人が、美人でもない私に恋とかありえない!」
華は強く首を振る。
「男は顔重視で恋愛対象とするかしないか判断する人もいれば、いろいろな要素を加味して判断する人もいるんじゃない?」
「男と付き合ったこともない芳恵さんが言っても説得力ないです」
若干馬鹿にしたような顔で寧々は芳恵を見る。
「決めつけるんじゃないよ!」
芳恵は寧々の頭を軽く叩く。
「でも、なんでその人1万円も募金箱に入れちゃうんだろ?」
寧々は首を傾げる。
「駄菓子ばっかり買ってるし、けちけちしてると誤解されたくないからじゃないの?」
芳恵は弁当を片付け始める。
「お金持ちアピール?」
寧々は羨望の表情を浮かべた。
「まあ、華ちゃんに恋心を抱いてるかどうかは別にして、華ちゃんの接客に好感を持ってることは間違いないわね。新たな常連客の誕生よ」
芳恵は笑う。
「駄菓子だけどね」
言葉を付け加えて芳恵は控室から出ていく。
華は一層混乱していた。
今まで思いつきもしなかった推論を聞かされたからだ。