計画
それから2週間後、陽太は老人ホームの事務室で、新たに入ってきた新人の2人が自己紹介するところを見ている。
「和村冷夏と申します。介護のお仕事は初めてなので、みなさんどうぞよろしくお願いいたします」
冷夏は笑顔で挨拶して頭を下げる。
「堀峰哲夫です。よろしくお願いします」
今風の若者の姿をした堀峰哲夫は頭を下げる。
職員の男性陣は冷夏の姿に目を見張る。
うわー・・・すごい美人だ。まるで女優みたいだ。
陽太も驚く。
陽太は冷夏と視線が合ったと思った瞬間、冷夏が微笑を浮かべる。
・・・本当に綺麗だなー。
冷夏は老人ホームでの勤務初日に陽太と2人で話せるタイミングを見つけ、陽太に近づく。
「介護のお仕事って想像したより、ずっと大変ですねー」
冷夏は陽太に話しかける。
「和村さんはデザインのお仕事をされていたんですよね? 何でこの仕事に?」
陽太は冷夏の美貌に圧倒されながらも聞く。
「簡単な介護のボランティアをする機会がありまして、その時、人と深く関わることができる魅力的な仕事だなーって感じました。なので、今回短期の契約で自分に向いているか確かめようと思いまして」
「そうなんですか。 おっしゃる通り、ご高齢の方からいろいろな話を聞くことができますし、やりがいのある仕事なんで、何か困ったことがあったら何でも相談してきてください」
「はい! 波木さん・・・で名前は大丈夫ですか?」
「はい、波木です」
「波木さんって、すごく優しそうな顔してますよね」
じーっと冷夏は陽太の目を見つめる。
「そうですか?」
陽太は照れる。
「はい、こんなに優しそうだなって初見で思える人、見たことないです」
冷夏は陽太を見つめる。
「ええ? おおげさですよ」
陽太は笑う。
「いえ、本当です。事務室で、初めて波木さんを見た時から、すごくいいなーって思いました」
冷夏は見つめ続ける。
陽太は、あきらかに好意が含まれた冷夏の熱視線にドキッとする。
「ありがとうございます」
陽太は照れて笑い、視線をはずす。
「これから、よろしくお願いします」
冷夏はふわりと笑い、立ち去っていく。
・・・何だ? めちゃくちゃ好印象?
陽太は冷夏の後ろ姿を見ていた。
その日の夜、仁は冷夏が玄関を開け仕事から帰ってきたことに気づく。
「お疲れ。どうだった? 老人ホーム」
仁は冷夏を見る。
冷夏はソファに勢いよく座る。
「仕事量に対する対価がまったく見合ってないわね。国に訴えたい気分」と吐き捨てるように冷夏は言う。
仁はくすくすと笑う。
冷夏は仁に視線を向ける。
「計画だけど、半年じゃなくて、3ヶ月に短縮するわ」
「何で!?」
仁は冷夏の言葉に驚く。
「それ以上働いてたら、私が先にストレスで死ぬわ」冷夏はため息をつく。
「それに今日、陽太さんと接してみたけど、2ヶ月もあれば第一段階のクリアは十分だと思ったわ」
「・・・2ヶ月後か」
仁は考え込む。
「今から2ヶ月後に第一段階、そして3ヵ月目に最終段階でいくわ」
「できるだけ時間をかけて距離を縮めたいんだけど」
仁は難しい顔をする。
「依頼内容は陽太さんを落とすことだったでしょ。私が、あんたの恋路に構う義務はない」
「・・・わかった。それでいいよ」
「第一段階が成功すれば、陽太さんが妻に対してどう動くかはわからない。だから華さんとやらを手に入れたいなら、それまでにある程度、心を掴んでおきなさいよ」
冷夏は小さく笑う。
「ああ・・・」
仁は深く思考を巡らせるのであった。
冷夏が老人ホームに勤務し始めて1ヵ月ほど経過した金曜日。
華はいつもと同じようにスーパーでレジを打っていた。
中年の男が、卵を含めたいくつかの商品の入ったカゴを華のレジ台にのせ、会計を済ませる。
その中年の男は不愛想で、華の接客に対してもまったく何も反応を示さず、店の外に出ていく。
それでも華はどんな客に対しても、気持ちを込めて丁寧におこなう。たとえ、嫌な思いをさせられたお客が次回レジに並んでも、変わらず同じように接客することは心掛けている。
それから30分ほどして、華のレジに仁が来る。
「こんにちは」
華は仁に挨拶する。
「こんにちは」
仁も挨拶を返す。
そして、商品をスキャンしながら、いつものように笑いながらたわいのない話を始める。
「おい!」という大きな声が店内に響く。
華と仁は声のした方に振り向く。
さっきの不愛想な中年の男が、激しい剣幕で華たちの方へ向かってくる。
「卵、割れてんじゃねえかよ!」
中年の男は華に怒鳴り散らす。
「申し訳ございません。今すぐに取り替えますので」華は頭を下げる。
「取り替えるだけかよ! 30分かけて、もどった時間! どうしてくれんだよ!」
中年の男は怒鳴る。
華はどうしていいかわからず、固まる。
「おい、聞いてんのか!」
中年の男は華に詰め寄ろうとする。
華は震える。
その瞬間、仁が華と中年の男の間に入る。
「落ち着きましょう」
仁は落ち着いた声を発す。
「何だ、おまえ? 関係ないやつは引っ込んでろ!」
男は怒号を上げる。
「お気持ちはわかります。30分かけて戻ってこられた労力に見合うものがないと納得できませんよね」
仁はそう言うと、財布を出す。
「このお金、差し上げます。これで、そのお怒りを収めて頂けませんか?」
仁は男の前に1万円札を出す。
「お? これ、もらっていいのか?」
男は1万円札を見て、意表を突かれたように表情が変わる。
「はい、どうぞお受け取り下さい。その卵、別のお客さんが店内で落として割れた可能性もありますし、お店側ではこれ以上の補償はありえないと思います」
「・・・ああ、じゃあ、もらっとくわ」
男は1万円札を仁から受け取り、店の外に歩いていく。
「申し訳ございませんでした」
華はもう一度謝罪する。
中年の男が店外に出て行ってから、仁は華の方へ振り返る。
「怖かったですねー」
仁はにっこりと華に笑いかける。
「本当にすみません。あとで1万円お返ししますので」
華は頭を下げる。
「大丈夫ですよ。お金なんていらないほどあるし、募金箱に毎日1万円入れてるんですから」
仁は笑う。
「華さんのこと、守れてよかった」
仁はにっこり微笑む。
「・・・ありがとうございます」
「絶対、あれ、品出しのときか他のお客さんが落としたりして割れたやつですよ。華さんの丁寧な所作で割れるわけがないです」
「で、さっき話の続きになるんですけど、昨日、同僚がぽかをやらかしちゃってー」と仁はさっきまでの会話を再開する。
そして、レジでの清算が終わり、レジ袋を仁は受け取る。
「あの、本当にありがとうございました」
華は仁に頭を下げる。
「全然気にしないでください。いつも元気を与えてくれる華さんには本当に感謝してます」と仁は言い、去っていく。
・・・いい人だな。
華は仁の後ろ姿を見て思うのだった。




