なろうハーレムとアニメ化
なんとなく最近なろうが嫌われてるってのを主題にしてる感じがある。私は今回のヘイトスピーチ問題で最も問題だと思ってるのは、面白いなろう作品がアニメ化潰れたとして嘆く人が誰一人いない事。ここにあると思ってる。実際ヘイトスピーチは論外だが、作品での表現ってのは問題だとは思うが、それは難しい問題なので私の手に余る。
皆はそれを余裕でこなすのかな?なんとなくだが、ヘイトを受ける人達と非日本人だからって気持ちがあって軽く考えてるんじゃ無いか?って見てる部分がある。それを批判したいんじゃない。私ならこんなの手出したくない。そっちより手出すべき事で、誰もなろうのアニメ化が潰れた事を悲しまないって点だと思う。むしろせいせいするって意見が大量にあったのを見てこれ酷いなと思った。
なろうが嫌われるのを擁護するほうが先決だと思う。嫌われる自体は良いんだ。それに対して意味不明な理論を展開されるのを防ぐのが大きい。それにはこっちがきちんとなろう作品を理性的に理解していないといけない。好きと嫌いで感情論をぶつけ合っても数が多いほうに絶対に勝てない。
その1つの要素としてハーレムがある。ただしここで女性的な嫌悪は述べない。もっと突っ込んだ男性オタに嫌われてる部分を取り上げる。まず第一にキャラ萌えはアニメの刺激として今は下火。だからラノベ業界全体が下火になってるのも絡んでいる。その中で辛うじて残ってるキャラ萌えの刺激の中でハーレムはさらに古い刺激として誰も相手にしてない。
そもそも今じゃ何が流行ってるのか?で軸が無い。終ったものは幾らでもあるが、だからって新しく主軸になったものが無い。そういった乱戦が今の状態で、キャラ萌えが単純に古いと考える人は頭が悪い。すべてが古くなった時には古いものの中で比較的新しい終ったもの同士の戦いになる。だからキャラ萌えが今でもアニメでは重要なキーとして働いている。
本来はなろう異世界系が来るかと見ていたが小ブームで速攻で終わった。それでも2010年代のアニメはSAOの流れを汲む異世界ファンタジーの時代だったと後から見れば振り返れるだろう。他にこういったまとまった流行が無いからになる。すべては終っていて、乱戦の状態になる。3国史にすらなってない。その後の時代の五胡十六国時代に似ていると私は見ている。
ネット小説は隋や唐になりきれない北魏レベルだと見ている。比喩が分かりにくいかもしれないが、今軸となる刺激がアニメに無い、これがかなり重要だという事。その時代にあまりに古いハーレムが受けるわけが無い。そしてそれは、嫌悪感にすら行ってしまう。今の状態を知ってないとどれだけハーレムが嫌われるのか?が分からないから。
じゃ何故そんなものがなろうで流行してるのか?ここでどうも勘違いがあって、ここをきちんと語らないといけないと思ったのが大きい。なろうにおいて恋愛部分はかなりどうでも良い…。なろうにおけるハーレムは古典王道のヒロイックファンタジーにおける、ヒロインが冒険で得られる宝の一つでしかない。
ようするにロマンスありぐらいの適当なものだってこと。その形がたまたまハーレムだってだけ。これに関してはキャラ萌えって形じゃなくなる。女性的な現代的感覚からの嫌悪感になる。何故1VS1じゃないのか?となるだろう。うーんそこがまさに中世への古典回帰にある。ファンタジーで現代的なそういった感覚は逆に現代的なものを引きずるので良くないのじゃないか?と見ている。
現代と言う社会に対する逃避からの解放が根本にあり、私はある意味なろうファンタジーはタイムトラベルの部分を持ってると見ている。それは過去のエッセイで書いた。ゆえに古臭い女性観といわれると困惑する部分がある…。それを楽しんでるのに、いちいちそれを持ち出して批判するか?となる。
その事でキモイといわれるのは構わないが、古いと批判されるのは困った部分がある。こういった部分を理性的に整理しなくてはいけない部分なんだ。現実的に、そういった古い価値観の国家をつくりましょうなんて、時代錯誤なことしてるわけじゃない。虚構でそういうのをやるのは、逆にまともなんじゃないか?と私は思うのだが。
所謂さしみのツマと、刺身自体を勘違いしてるのも大きいと思う。ハーレムは目立つからそれが刺身だと思われてるが、あんなものさしみのツマでしかない。そういった女性の物扱い的な部分がキモイといわれるならまだ納得できるけど。物語として重要視されて、ぐちぐちといわれるものじゃないのは間違いない。
なろうの大半のハーレムの形はパーティメンバーが多い。男の仲間より女の方がむさくるしくなくて良い。そこにちょっとぐらいロマンスがあっても問題が無い。根本的には、ここにキーがある。ある意味コレは戦国物の女体化とほぼ変わらん。ハーレムと言う恋愛に主軸があるわけじゃない。
さてここから、今のキャラ萌え流れである部分に触れる。これは今の流れを女主人公にすれば解決するのか?と言うとならない。それは朝ドラや少女漫画になる。全く別の物になる。これが分かってない。文字媒体で展開する時に、アニメの今の流れの女子主人公は簡単には作れない。
どういう違いがあるのか?と言うと、あれは女子にありがちな群れる挙動から作られたもので、俺と言う視点で創られるようなものとは全く異質なんだ。それをそのまま女子に置き換えても私と言う少女漫画になってしまう。アニメで少女漫画は全く相手にされない。それは作品構造のせいなんだ。
少女漫画の女主人公は深夜アニメの女主人公と違い愛でる対象にならない。単純に性別の違いでしか見てない人間はここが間違ってる。冒険者パーティーのキャラクターは性別を入れ替えやすいんだ。ドラクエなどでキャラに余裕がある場合、自分以外女性キャラのパーティーを普通に創っていた人っていると思う。
主人公の扱いが特別であるのが文字媒体の特徴となる。ただ創れ無い事は無い。問題はそれは劣化ものになりがちだって点。こんな事誰でも思いつく。場合によってはTS物も多用されている。それは別にアニメ化された幼女戦記でもすでにある事は分かってるはずなんだ。だがそれを理性的に意味が分かってる人はなろうの外では中々居ないんだ。
なろうの中に居ればそう簡単じゃないとすぐ分かる。だがその一部をアニメ化された作品群では分からない。
さらに言葉にならない部分で、絵で進行して行く、雑誌きららなどに代表される作品のアニメ作品は決定的に文字に向いてない。近い作品でGJ部と言うラノベ作品があるが、あれも結局は男性主人公でハーレムになっている。しかも明らかにアニメ化で監督が加工したと思う部分が強い。何か原作が持ってる微妙なニュアンスが感じられない。
いや、原作を見てないが、原作がもってる絵の進行じゃなくて、いかにも文字進行を監督が勝手にアニメで付加価値つけてやりました感じがする。感覚的なのでなんとも言えないが、映像と中身が乖離していると言う漠然とした気持ちを持った。
なろうは流行おくれのキャラ萌えをやってるので、作者にセンスが無い。って言う視点が多分生まれるだろう。だがそれは間違いだ。それをきちんと話して欲しくて、今回の話をしている。その証拠にじゃ同じ文字である商業作品であるラノベで、アニメ的女性主人公の流れが無いのは何故だ?となる。
お金が掛かっていてもセンスが無いからで片付けるのか?そんな素人でも思いつく事、作家が思い付かなくても編集が気がついてないわけが無い。単純に嫌悪感から否定ではいるが、自分で作ればわかる。そんな発想絵に描いた餅に過ぎない。