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どうかこの願いを  作者: ドラム缶
5月8日 金曜日 曇り
6/6

変転

 放課後、僕は一人で図書室を訪れていた。

 真庭さんには用が済んだらすぐに合流すると伝えて、重要人物探しを先に始めてもらっている。

 本来ならば離れて行動するべきではないのだろうけれど、私用に付き合わせるのはしのびない。

 それにこの学校を護るためには重要人物捜しが最重要課題だ。無駄な時間を使わせるわけにはいかなかった。


 鞄から借りていた本を取り出し、返却カウンターへと積み上げる。

 警察、消防、軍事に救難救助……進路について考えるために借りていた本達だ。

 突然降りかかった大事件に返却期限のことをうっかり忘れていたのだった。


「すみません、本の返却手続きを……あれ」

「はい、すぐに……あ、こんにちは東くん」


 見慣れた顔に、聞き慣れた声。カウンターの向こうには古葉さんが立っていた。

 そういえば彼女は図書委員をしているのだと聞いたことがあったけれど、こうして図書室で会うのは初めてだ。

 古葉さんは本を受け取ると、慣れた手つきで返却の処理を進めていく。


「返却の本が10冊だね。東くん、警察とか消防の本を読むんだね」

「うん、ちょっと進路について調べていて」

「将来は警察官? 東くんらしいね」

「そうかな」

「そうだよ。東くん、優しいもの」


 屈託無く微笑む彼女に、気恥ずかしさから目を逸らす。

 どちらかと言えば自分は自己中心的で俗な方だろう。そんな自分を正面から褒められるとむずがゆい。

 けれど卑屈な気分にはならず、嬉しいと感じさせるのは古葉さんの言葉に裏が無いからだろう。

 

 そうして他愛も無い会話を続けていると、不意に彼女の言葉が止まる。

 視線を伏せたその姿は、どこか寂しげにも見えた。


「古葉さん?」

「……ホントはね、ちょっと心配だったんだ」


 俯いた顔からは上手く表情を読み取れない。

 けれどそこにある彼女の存在全てが、憂いの感情を浮かべているように思えた。


「僕がかい? 確かに進路希望では少し悩んだけれど……」

「ううん、それだけじゃなくてね……東くん、少し前から怖い本を読んでたでしょ? 外人部隊とか、傭兵とか、ゲリラとか」


 確かに、進路に悩んでいた時に読んでいた本にはそういうものも含まれる。

 自分の気質と向き合い、そして自分の将来の選択肢としてあり得るのかを検討するためだった。


「だからね、不安だったんだ。東くん、どこか遠くへ行っちゃうんじゃ無いかって。目を離すとふっと消えちゃって、そのまま帰ってこないんじゃないかって」


 ──少し前の僕ならどう答えただろう。

 どこか危ない場所に消えることも否定できなかった頃なら、それを上手く誤魔化すこともできずに、気まずくなってこの場を去ったのだろうか。


 けれど──


「行かないよ」


 今の僕は──


「例えどこかに行くことになっても、必ず戻ってくる」


 ただ自分が見たくないから、誰かの不幸を認めない。

 そんな狭量な我儘を振りかざして誰かを助けることを、素直に受け入れられたから。

 例え目の前の少女のように心の底から善良な人間になることは出来なくても、せめて行動くらいは善良であろうと決めたから。

 だから僕は、善き側の人間であり続けると、胸を張って言えるんだ。


「……うん、良かった」


 彼女が上げたその顔には、いつもの微笑みが戻っていた。

 ここしばらく僕が苦しんでいた姿を見て、本当に心配していたのだろう。自分の不甲斐なさを申し訳なく思う。


「ごめんね、古葉さん。心配かけて。でももう大丈夫だから」

「ううん、こっちこそ変なこと言ってごめんね。あ、返却の手続きはもう終わったから、大丈夫だよ」

「ああ、ありがとう。助かったよ」

「そんな、全然大したことじゃないよ」


 彼女には感謝してもしきれない。

 いつか状況が落ち着いたら、この恩をきっと返そう。

 笑って雑談に興じる彼女をみつめながら、僕はそんなことを考えていた。




「おっと、話し込んじゃったね、そろそろ行くよ」


 窓から差す光がオレンジに近づきつつあるのを見て、随分と時間が経っていることに気付いた。

 こうして古葉さんと取り留めの無い雑談にふけるっているのは心躍る時間だけれど、いつまでもこうしてはいられない。

 きっと真庭さんはもう行動を始めているだろう。


「それじゃあ古葉さん、また明日」

「うん、またね、東くん」


 鞄の持ち手を掴み、何気なく辺りを見回す。

 朱に染まる図書室の中、夕焼けに照らされた古葉さんの横顔。

 真っ赤な世界に一人たたずむその姿はどこか神々しさを感じさせると共に──


 ぞくり、と背筋に悪寒が走った。


 何かがおかしい。何かが。


 言いしれぬ違和感。それも既視感にも似た不自然さ。


 焦燥に突き動かされ、もう一度図書室中に視線を巡らせる。

 しんと静まりかえった部屋の内。普段から物静かなその場所は、しかし今は水を打ったような静けさに包まれている。

 まるでこの校舎の中に、僕と古葉さんだけが取り残されたかのような──


「まさか!」


 窓に駆け寄り外を見る。

 グラウンドには沢山の学生が歩いているのが見える。

 鞄を持った学生服の生徒、部活途中だと思われる体操服の生徒、教師、用務員、沢山の人、人、人。

 その全てが、淀みなく学校の外を目指して歩いている。

 まるで沈み行く船から(・・・・・・・・・・)逃げ出す鼠のように(・・・・・・・・・)


「人払いの魔術……!」


 真庭さんの言葉を思い出す。

 敵が現れた場合、周囲に被害が及ばないよう人払いをすると。

 前回戦いの最中、校舎に人が居なかったのはそのためだと。


 つまりこの学校は、これから戦場になる。


「古葉さん、走って!」


 考えるよりも先に身体が動いていた。

 手に持っていた鞄を投げ捨てて、空いた掌で彼女の手首を掴む。

 そして全力で図書室の出口へと走り出す。


「えっ、東くん、えっ、えっ?」


 驚いた表情の古葉さん。

 見た目よりも華奢なその腕を、けれど決して離すわけにはいかない。


「ごめん、訳は後で話す。今は僕を信じて!」

「う、うん」


 半ば体当たりするような勢いで扉を開けて部屋を飛び出す。

 その先には階段へと繋がる廊下が続いている。


 階段で一階に降りれば、窓から校舎の外に出られる。

 そしてほんの十数メートル先に進むだけで、階段に到達できる。


 到達できるというのに。


「くそ……」


 廊下の中央に鎮座するように、“それ”はいた。


 その体躯は一見、虎や狼のような大型肉食動物のようだった。

 しかしそこから生える四本の足は、蹄の生えたものと鋭い爪の生えたものがいびつに混ざり合っている。

 胴からはたてがみが生え揃った獅子の頭と、ねじくれた角を生やした山羊の頭が生えている。

 更に尾の先には蛇の頭が生えており、都合3対6個の燃えるように赤い瞳が、こちらの様子を伺うように睨め付けていた。

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