一週間前のこと
一週間前の牛人との戦闘直後、僕は真庭さんに簡単な事情を聞いていた。
曰く、この世界と隣接する別世界が存在し、さっきの牛人(彼女は魔獣だとかモンスターだとか呼んでいだ)はその世界から渡ってきたとか。
曰く、自分はその魔獣を退治するために活動しているとか。
曰く、いわゆる魔法と呼ばれるような力が使えるとか。
曰く、占いに出た「魔獣との戦いに終止符を打てる重要人物」を探してこの学校に来たとか。
そして彼女がその重要人物を探していることを察した魔獣達は、彼女か重要人物のどちらかを、特に後者を殺害したいと考えているらしい。
彼女が僕に説明したのは概ねそんなところだ。
まだ何か秘密がありそうな口ぶりではあったけれど、それについてあえて聞くことはしなかった。人間、隠したいと思っている事実の一つや二つあるものだ。
「話をまとめると、その重要人物が見つかるまで、この学校が戦場になるということで良いかな?」
「はい…魔獣の出現を察知した時点で人払いの魔術を使ったのですが、それも完全では無かったようで……私が安易に動いたせいで、この学校を危険に晒すことになってしまいました」
悔しそうに瞳を伏せる彼女。その言葉に偽りはなさそうだと思った。
「仕方ないよ。どのみちいつかは重要人物と接触する必要はあったんでしょ? だったらいずれ誰かがここに来て、そしてやっぱり戦いになっていただろうから」
そもそも敵が先に重要人物のことを嗅ぎ付けていれば、護る者も警告する者も無いままに攻撃を受けていたのだ。
その意味では彼女がこの場に居てくれたことは僕たちにとって幸運だし、彼女が責任を感じる必要も無いことだ。
「それにどんなに後悔しても、一度動いた状況はもう止まらない。それよりも次のことを考える方が大切じゃ無いかな」
「次、ですか?」
「そ、次の状況。例えば、僕が敵だったら……学校関係者皆殺し、かな」
彼女が鋭く息を飲む。だが、これは想定してしかるべき状況だ。
敵の狙いが重要人物の殺害ならば、生徒や教師を皆殺しにするのが一番手っ取り早い。なぜなら『誰が重要人物なのか』を調べる手間が省けるのだから。
「だから無差別攻撃が来るんじゃ無いかな。火薬か何かで校舎ごと全部吹き飛ばすとか、それが無理なら学校関係者のリストを入手してしらみつぶしに殺して回る」
爆破テロか、数百人規模での連続殺人。
常識的に考えるとどちらも現実味のない事件だけれど、そこにファンタジーな要素が絡んでくるなら話は変わる。
敵の規模や、能力、技術次第ではどちらもあり得ない話では無くなるだろう。
「私の、せいで……沢山の、人が……」
彼女の顔が青くなる。
やはり彼女は責任感が強く、真面目で誠実な人なのだろう。今日起こったこと、そしてこれから起こることの責任を自分の内に見つめている。
だけど駄目だ、それじゃあ駄目なんだ。
「だから、僕が重要人物の振りをするよ。そうすれば敵の攻撃は僕にだけ集中する」
「なっ!」
自分の手に余るような事態に相対するなら、自分だけを見つめていても駄目なんだ。
周りの全てを利用してでも、護りたいもの以外を蹴落としてでも、生き汚く動かないといけないんだ。
「そして君は僕を護る。僕は君と一緒に重要人物を探すし、場合によっては戦闘も手伝う」
だったら彼女は僕を、僕は彼女を利用する他ないんだ。
「そんなこと駄目です、危険すぎます! 自分が今どんな目に遭ったのか、もう忘れたのですか!?」
「危険というならこの状況が既に危険だよ。それなら事態の早期収拾を目指して動くのが一番安全なんじゃないかな」
「だからといって積極的に関わる必要は無いでしょう!」
彼女の慌てぶりが微笑ましく、つい笑みがこぼれてしまう。
そんな僕を見て、彼女は一層激しく怒っている。
彼女はやっぱり善い人で、そしてそんな彼女を見捨てられるほど僕は大人にはなりきれない。
「もし誰かが危ない目に遭っていたとしたら、たぶん僕は動いてしまうよ。例え君が見ていない所でも」
「っ!」
彼女が戸惑うのが分かる。
僕がどんな人間で、どういう行動を取るのかは、今回の一件で骨身に染みているだろう。
僕を放置すればどこかでまた同じように危険を冒すと分かっている以上、僕から目を離すのは僕を見殺しにすることと同義だ。
彼女の善良さを利用する僕は地獄に落ちるかもしれない。けれど何もせずに全てを見捨てるよりかはマシだった。
「だから君が僕を護ってよ。僕が危険を冒して誰かを護らなくても良いように」
震える瞳は左右に揺れて、悩みの深さが伝わるようだった。
頷けば自分の意思で僕を危険に巻き込むことになる。けれど拒絶すれば僕は遠からず死ぬ。
「他に、方法は無いのですか」
絞り出すような声に、けれど僕は首を横に振る。
「もう矢は放たれたんだよ。何らかの結末を迎えるまでこの事態は止まらない。僕を護るか、全校生徒を護るかだよ」
逡巡するように俯く彼女。
だけどもう、彼女にも分かっているはずだ、自分にはもう選択肢が無いことが。目の前の男が他の選択肢を全て潰してしまったことが。
結局、僕にも彼女にも選択肢は一つしか無いんだ。
「僕は誰かの命を危険に晒す道より、自分が危険な目に遭う道を選ぶ。それが僕の生き方だ。君もそうだと思ったから、僕はこの命を君に預けるんだ」
彼女は俯いたままで、言葉は無い。長い沈黙の時間だった。
夜の帳が辺りを包み、冷たい風が流れていく。
どれほどそうしていたのか分からなくなるほど時が経った頃、彼女が大きく息を吐く音がした。
「分かりました。私があなたを護ります。あなたを護ることで、この学校の全ての人を護ります」
「うん、ありがとう」
もう一度大きな吐息の音。今度はどうやら溜め息らしい。
「まったく……あなたは無茶苦茶にも程があります。あなたが思っている以上に危険な状況なのですよ」
「あはは、よく言われるよ。危険なのも、うん、理解してる。それでも僕はこうするって決めたから」
何も知らなければこれまで通りぼんやりと生きて来たのかもしれない。
だけど知ってしまった以上は、この事態を静観することは出来ない。 僕は彼女の活動に協力し、そしてこの事態を見極める。
僕に何が出来るのか。僕に何が求められるのか。
「とりあえず、明日からはこの事態の解決の鍵を握るという重要人物を探そうか」
僕は自分が物語の世界へと、深く深く踏み込んで行くのを感じていた。