今日も一日お疲れ様でした
屋上を囲むフェンスを背負い、僕と真庭さんは牛頭人身の怪物と対峙していた。
唯一の出口である校舎内への扉は眼前の怪物の背後にあり、もうこれ以上の逃げ場は無い。
「くっ……やるしか無いようですね」
彼女はそう呟くと、化け物に対して剣を構えた。
「そうだね、やるしかない。だけど何をするにしてもやり方というものがある。例えば──」
巨大な重機の如き牛人が突進を始める。轢かれれば全身の骨が砕け、内臓は弾け飛び、痛いと思う間もなく即死だろう。
だから僕は、傍らに立つ彼女──真庭鈴花の身体を抱き寄せた。
「な、なにをしているのですか!?」
「力が足りないなら他人の力を借りれば良い。例えば偶然居合わせた同級生の力」
剣を持つ彼女の手の上に自らの手を重ね、二人で真っ直ぐに剣を構える。
意外と小さなその手の感触に、やっぱり女の子なんだな、なんて益体も無い考えが頭をよぎった。
突進する化け物が瞬く間に距離を詰める。
チャンスは一度、ほんの一呼吸にも満たない時間。
相手が向かってくるのに合わせる形で、一息に剣を突き出した。
「更には敵の力!」
鮮血が舞う。
剣の切っ先は確かに怪物の胸元、心臓が納まっているであろう場所に食い込んだ。
だが──
「くぅ、駄目ですっ……!」
厚い筋肉に阻まれて、貫くには至らない。
突進の勢いは削がれることも無く、僕たちは怪物諸共フェンスを突き破り、屋上から投げ出される形で宙に躍り出た。
つまりはそう、予定通りに。
暗い空に放り出されながら、切っ先が牛人の胸元に突き刺さったままの剣を握り直す。
身体に感じる浮遊感が、自由落下の開始を告げていた。
「何を……」
不安げに告げる彼女。
安心させてあげたいのは山々だが、詳しく説明する余裕は無い。
だからただ力一杯剣を握り締めてこう答える。
「そして最後はこの星が持つ力……重力と位置エネルギーだ」
そして僕らは地面に叩き付けられた。
突進を受けた姿勢のまま宙に投げ出されたため、敵はこちらに覆い被さるような形で地面へと落下した。
その胸元には剣の切っ先が食い込んでおり、そして剣の反対側、柄に当たる部分だけが地面へと接した。
結果、落下の衝撃は胸に食い込んでいた切っ先へと集中し、その分厚い肉を切り裂いて心臓へと達する。
その威力は凄まじく、牛の怪物は断末魔の唸りさえも上げずに絶命したというわけだ。
「ああ、ちなみに落下と突進のダメージは剣の防壁が弾いてくれたよ。おかげであの高さから放り出されたというのに無傷で済んだ、というわけ」
と、簡単に今起こったことを説明してみたのだが、真庭さんからはあまり反応が返ってこない。
どうにも驚かせ過ぎたらしい。確かに屋上から放り出されることになるとは説明しておくべきだったかもしれない。
どうしたものかと考えていると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「あな、たは……」
「うん?」
彼女の視線が僕の顔へと向けられて、先程までぼんやりしていた焦点がしっかりと合い始める。
良かった、平静を取り戻しつつあるらしい。
ただ少し顔が赤く、眉がいつも以上に釣り上がり、眉間にはしわが寄って、どこか怒って、いる、ような……?
「何を考えているのですか!? 新種の馬鹿なのですか!? 死んだらどうしようとか考えたりはしなかったのですか!?」
直後、堰を切ったような勢いでまくし立てられる。
「いや、でも無事だし、結果オーライというか」
「結果オーライ、ではありません! たまたま上手く行ったから良かったものの、自分の命をなんだと思っているのですかっ!」
「う、ごめん、そこまで深くは考えていなくて……」
「なぜ深く考えないのですか!? 自分の命ですよ!?」
──これが、僕を悩ませている、僕自身の気質というものだった。
どうにも僕は危機的状況に適正があるというか、自分の命を危険に晒すことに躊躇いが無い。
加えて言うと、そういう状況でこそ全力を発揮できる節があり、それが僕の天性の才能というやつらしい。
けれどそれを自分の進む道にしようと考えると、どう考えても荒事を行うアウトローな仕事しか思いつかない。
軍人や警察、消防なども考えたのだけれど、自分の能力を活かすために誰かの不幸を望んでいるような気分になる。
社会や周囲に貢献したい。そのためには合法で人の役に立つ仕事を選びたい。もっと端的に述べるのならば、僕は悪人ではなく善人になりたいと思っている──多くの人がそう思っているのと同じように。
満足感を得るためには危険が多発する環境に身を置かなければならない。安全な場所に居ては能力を発揮できないし、自分の活躍のために誰かの不幸を望む卑しい自分を自覚してしまう。
どちらか一方を捨てればいくらでも道は見つかるのだろうけれど、この二つの感情の板挟みによって僕は自分の進路を決められずにいたのだった。
「……とはいえ助けられたのは事実です。ありがとうございます、私一人では勝てなかったでしょう」
ひとしきり話したこと彼女も少し落ち着いてきたらしい。肩で息をしながらこちらに深々と頭を下げた。
「お礼なんてとんでもない。僕は自分勝手に振る舞って、分の悪い賭けに君を巻き込んだだけだよ」
実際、たぶんこれは正しい選択では無かっただろう。
もし僕がうっかり死んだりしていれば、真面目な彼女は自分を責めたのではないだろうか。
僕はいつだって自分がどうしたいのかばかりを考えて、周りの人間がどう思うかを慮らない。自分勝手な人間だ。
こんな自分の悪辣さに心底辟易する。
「誰かのために命を賭けられるあなたの志は尊いものです」
だけど彼女は。
「自らの意思のみで決断するのも、誰かと協力して行うのも、どちらも同じ人助け。そこに違いはありません」
そんな僕を。
「あなたは正しい。少なくとも、あなたに助けられた私は、あなたに感謝していますよ」
正しいと言ってくれた。
その一言に僕は救われたのだと思う。
日々重苦しく圧し掛かっていた息苦しさや、胸のつかえが取れるように感じた。
「どうかしましたか?」
「ううん、なんでもない……それより以前にどこかで会ったことは無い?」
誤魔化すように慌てて話を逸らしたのだけれど、彼女はそれを別の意味に受け取ったらしい。
「褒めた直後にそれですか。軽薄なのは嫌いだと言ったはずです」
「いやそういう意味では無いのだけれど……でも気のせいかな」
訝るような眼でこちらを見ている彼女はさておき、僕は酷く懐かしい感覚を覚えていた。まだ僕が夢見る少年で、世界が夢と希望に満ちあふれていた頃のような感覚だ。
それは明日には消えてしまう白昼夢なのかもしれないけれど、だけどまあ、今日の所は誰かの役に立てたのだから善しとしよう。