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第二話 紙一重

 若い面々と家族連れにわく店内。

 心なしか電球もはずんだオレンジ色に輝いてみえる。日に日に伸びていく夕日、思考と肌を焼き落とすようなそれとは違う色合い。

 道路に面した大きな窓ごしに緑の街路樹を見やった。

 橙の空気のなかで緑色は頼りなさそうに、それでいて自分がこの日差しから人々を守る最後の砦だとでもいうようにしっかりとそびえていた。

 そろそろ蝉の声が聞こえてもいい季節だよなあ、と関係ないことを思う。

 水月は決して他人が嫌いではない。

 むしろ割となつきやすいほうだと思っている。

 生来の人見知りと感情の波の激しさのせいで、自分から人に接するのがとても苦手だった。

 新しい出会いに胸がときめくもそれ以上に緊張する。

 最後にうなづいたのは自分自身とはいえ、黛さんの機嫌を損ねてしまわないか恐ろしい。

 萱愛はストライプ柄のソファが並ぶ店内を見渡す。

 そして店の奥、窓際の席で視線を止めた。


「いた――あれ、柏さんもいる」

「例の、オレの知り合いに似てるっていう友達かい?」


 彼の視線を追うと黒髪の少女が二人、並んで座っている。

 眼鏡をかける程度の視力である水月では、ここからその顔を確かめることはできない。

 せいぜい髪の長さが違うぐらいしか違いが判らなかった。

 なんとなく仲がいい女友達なんだな、と理解したが。

 何故だろう。鳥肌がたつ。


「ああ。黛せんぱ、黛 瑠璃子さんに柏 恵美さんだ」


 萱愛は近づいていく。嫌な予感はしたが今更引き返すのは気まず過ぎる。

 席に近づく度に体が冷えていく気がした。

 ついていくまま二人の前に立って、ようやくその理由を理解する。


「……萱愛、そいつは?」


 水月を貫いたのは鈍く光る瞳。

 それは捕食者の目。

 すぐにそれとわかったのは彼女のような存在を最も恐れていたからだ。

 容赦のない人間。

 大切な人間とそうでない人間がわかっている。いざとなれば冷酷に優先順位をつけ、手段すらも(えら)ばない。


「黛先輩、柏先輩。こちらは同じ大学に通っている水月 年季です」


 かといって無差別に食い漁る獣ではない。

 知性と理性を備えながらも残酷さを備え持つ存在。

 今は平凡な日常にあるから人のまま。

 しかしいざとなれば黒い瞳の色を変えるだろう。


「はじめまして、こんにちは。いきなりすみません」


 内心の怯えを隠して、軽く頭をさげて挨拶する。

 目的のためにはいくらでも人間性を捧げることができる、支配者の威風。

 冷徹さで己を覆い、奥底に相手を焼き尽くすような灼熱を閉じ込めている。

 彼女にとって自分はたまたま視界に入った羽虫と変わりなかろう。

 踏み入るべきでない領域に関わらなければ無事でいられる。

 もしうっかり目をつけられたら。今自分でも目を逸らそうとしている内心を解き暴かれてしまいそうで怖かった。

 賢い人は容易く人の本質に触れてしまうことがあるから。

 挨拶ぐらい。それぐらいは大丈夫。

 そう思ったのだが。


「ほう、君が水月くんか」


 にわかに黛と呼ばれた女性が視線を鋭くする。瞳のかまどに炎がともる。

 反対にかたわらに座っていた少女がさえずった。

 芝居がかった口調。まるで舞台か物語から抜け出してきたかの如き大げさな挙動だ。

 微笑んで自分の顔を覗き込むように首を傾げる。

 水月の名を聞いての反応。だが記憶をさかのぼっても彼女たちに繋がる記憶はない。


「お会いするのは初めてですよね?」

「岩尾くんに聞いたのだよ。ああ、自己紹介が遅れた。

 改めてはじめまして。私の名は柏 恵美。君に殺されるかもしれないものだ」


 『君に殺されるかもしれない』。

 一日に二度も、別の人からそんなことをいわれるとは。驚愕もさることながら、黛さんからの視線が人を殺しかねないものになっている。

 きっと柏というこの人をとても大切にしているのだろう。

 そんなつもりはないと示さなければ。慌てた頭でとっさに返しを紡ぐ。


「岩尾じゃなくて?」

「やっぱりそう(・・)なのね」


 とっさにまずい言葉がとびだしていた。

 もしかして岩尾は彼女たちにオレに対して言ったことと同じことをいったのか。

 何故あんなことをいったのか。その真意を知っているのかもしれない。

 そんな希望が脳裏をよぎさって、目の前の目的と混じりあってしまった。

 黛さんが更に睨む。


「違う。そんなつもりは」

「まあいいわ」


 決してそんな意図はないのだ。理解してもらわなければ危ない気がした。

 思わず大声をあげてしまう。

 店内の喧騒が弱まる。いくつもの視線がこちらを向く。

 てっきりこのまま誤解されるかと思った。

 だが黛さんはまたもや急に視線を和らげる。炎そのものは灯ったまま。けれど着火時の爆発的な気迫はない。


「あの」

「座ったら? そこでつったっていられても邪魔よ」


 辛辣な言葉を投げられて胸が痛む。

 それでもあの殺意寸前の意志に睨まれるよりましだ。

 指示に従って彼女たちの前方のソファに腰をおろす。萱愛も続いて隣に座る。

 岩尾を知らない萱愛はなにひとつわからず瞳を右往左往させた。


「黛先輩、水月くん、いったい何の話を」

「おや萱愛くん。私には聞かないのかね?」

「柏先輩は死ぬチャンスがあったら正直に話さなそうじゃないですか」

「おやおや。そんなことを私のルリが許すとでも?」


 私のルリ?

 なんだろう。あの執着といい、この二人はなんというか、その、レズビアンなのだろうか。

 いや決してそのような関係を否定するわけではないのだが、なんだかこう背中がモゾモゾするような百合の花咲き誇るというか――


「そんなこと話してる場合じゃない。水月 年季。あんたはあいつ、岩尾を殺す気があるの?」

「とんでもない! なんで君たちが岩尾のことを知っているのかもわからない。オレたちきっと誤解があると思うんだ」

「誤解ね。確かに話が通じていない。元々萱愛にはあなたを呼び出してもらうつもりだったの。ちょうどいい」


 水月と萱愛は互いに顔を見合わせた。

 萱愛も全く知らなかったらしい。

 一瞬芝居ではないかと疑う。すぐに却下する。

 わざわざ嘘をつくぐらいなら最初からいっているだろう。

 多分そういうタイプだ。嘘をついてもなんとなくすぐわかる気がする。


「えっと。オレは今日の昼間に岩尾に

『自分を殺してみないか』

っていわれて」

「やる気はあるの?」

「まさか」


 首を横に振った。眼鏡が落ちそうになって手のひらですくう。

 黛さんは呆れたようにかすかに鼻を鳴らす。


「そんなに慌てふためくことないじゃない。私、恐い?」

「いや……」

「あんたの印象なんてどうでもいい。殺す気がないって主張したのはわかった。仮に信じるとして、他に何か言われた?」


 気を許しかけたところをばっさり切られる。

 こういう人なのか?

 少し冷たい。初対面の人間に優しくしてくれなんていうのもワガママか。

 しかし、他に岩尾に言われたこととは。

 相手の話も聞きたいところだが正直恐い。素直に従っておこう。


「そういわれても。何気ない話をしていたら急に」

「何気ないって? それにしたって色々あるでしょう」

「今日の昼に言われたばかりですよ」

「萱愛」

「俺は会ってません。名前も今聞きました。多分、俺が来る前に来て、帰っていったんだと思います」


 打てば響くような切り替えし。

 高校からの付き合いとは聞いていても驚く。

 質問内容すらきいていないのに。以心伝心ではないか。

 決して萱愛の先走りでないことは無言で首肯した黛さんの様子でわかる。


「なんでもいいの。あんたにとって何気なくとも本当は違うってこともある」

「オレと岩尾はいとこで、生まれる前からの付き合いなんです。なのに気づかないなんて」

「いいから話しなさい!」


 突然黛さんが机を蹴りあげる。木の弾けるような音が鼓膜を叩く。

 情けないことに肩をびくりと跳ね上げてしまう。

 今まで落ち着いた話し方だっただけに、一瞬の敵意は研ぎ澄まされたナイフのように突き刺さった。

 周囲の席が一瞬沈黙に包まれる。


「き、今日は、夏の話を……オレ、学校で人を殴ってしまって謹慎になりまして」

「俺がカツアゲされていたのを見てのことです」

「そう。で? 続きは」


 かばってくれたことに感動する水月の内心とは裏腹に黛さんは情報を求める。

 隣の柏さんをみれば、ニコニコと話の聞き手に徹している。

 この人はなんなのだろう。


「はあ。オレは毎年夏になるととても苛々するんです。気が短くなってしまう。そこから昔、毎年は夏になる度に遊びに行っていた祖父の家の話になって」

「どうしていかなくなったの?」

「それは、祖父が亡くなったから……あの、それが何か?」


 親戚の死に関わる出来事。これ以上はさすがに踏み入り過ぎだ。

 勇気を出して、少しだけ拒否を語気に込める。

 黛さんもわかっていたのかもしれない。睨みつけることもなく冷静にいう。


「自分が人殺しになるかならないかの瀬戸際でしょう」

「オレがそんなことをするっていうんですか? あったばかりなのに」

「さっき自分で夏になると苛々するっていったでしょう。それに私は知っている。たとえ元は平凡で何の興味も持てないような人間でも、何かの影響で突然凶行にはしることがある」


 水月は衝動に突き動かされた経験が多いだけに否定できない。

 けれど黛さんの口調にはそれ以上の、うんざりするほどみせられたかのような傷んだ実感がこもっていた。

 有無を言わせぬ断言。

 『経験者』の如き力強い言葉には、理屈がないはずなのに納得しそうになる力がある。

 まさに彼女が言う通りに。


「誰かが行動し、話す。それには一種呪いじみた力がある。凄まじい執着はそれだけで殺人を可能にできる」

「……そう、ですね」


 意外にもここで萱愛も頷く。

 自らの横をみれば、沈痛な面持ちで伏せる彼がいた。とても苦しそうに腕を掴んでいる。

 やはり何か過去にあったのかもしれない。

 何か重いものを背負うかのように背を曲げる彼に、何故か水月まで痛みを覚えた。

 慰めようとしたが理由がわからないのでさっぱり浮かばない。

 迷う間にも前方から突き刺さり、段々冷たさを増していく視線。渋々口を開く。


「祖父は岩尾の方が近しい縁なので、詳しくは彼女の方が知っていると思います。オレと岩尾が遊びに行っている間に急に亡くなりました」

「ご両親に話はきける? どうせあんたはよく覚えてないんでしょう。わざわざ岩尾の方に聞けって前置きしてるんだから」


 ぎくりとする。

 どうして覚えていないのだと責められた時に備えての予防線。

 萱愛といいこの人といい、どうしてこうも察しがいいのだろう。

 彼にやられると素直に感心できたが、彼女にされるとどうにも落ち着かない。 

 初対面で感じた危機感のせいだ。


「ええ、オレは覚えてません。そもそも小学校低学年の頃です。両親も知っているかどうか。あの時は親戚が代わって連れて行ってくれました。亡くなった後は大慌てでオレと岩尾を連れ帰ったので知らないです」


 連れ帰ってくれた親戚とは水月に家を貸してくれている一家と同一人物である。

 小さな子どもにとっては大きな腕。ぬいぐるみを抱きしめるようにかかえて運ばれた。ぶんぶんと振り回されたこと。それだけは今でも覚えている。


「ふうん。本当に覚えていないの」

「そんなに大事なことですか?」

「彼女、いってたのよ。

『年季くんは大事なことを忘れてる』

ってね」

「忘れてる? オレが? 何を」

「それがわかったら忘れてるとはいえないじゃない?」


 いわれてみればその通り。先程から言い伏せられてばかりだ。

 この話題はもうよいと思ったのだろうか。顎に手を当てて黛さんは考え始める。

 もう一人は何もいわないのだろうか。

 そちらに顔を向けるとにこりと微笑まれた。何かを待ち望むような笑み。これはこれで落ち着かない。


「何かな?」

「あ、いや、あなたはオレに何も聞かないのかと思って」

「君こそ何も聞かないのかな? いつごろなら一人になるかとか家族はいないのかとか」

「はあ」

「私を殺すには情報が必要だろう?」


 まるで殺されたいかのような言い方に面食らう。

 怯えて用心しているのではない。まさか、殺されることを心待ちにしている?

 狂人を目の前にした底冷えのする感情。

 水月が眉を寄せたのとほぼ同時に黛さんが溜め息をつく。


「そんなことさせない」

「ああそうだろうね。勿論だとも、私のルリ。当然のごとくこの身を襲うあらゆる危機を、私の望みを完全に奪い、潰し尽くすことだろう!」


 恍惚と叫ぶ、一見普通の黒髪の少女。

 異様としかいいようがない。水月などいないかのようなふるまいだ。

 もはや周囲がどのような反応をしているか確かめる必要もないだろう。

 唯一頼れる萱愛を見やる。彼は首を左右に振った。


「どうしたのかね? さあ、聞くがいい。何でも答えよう」

「べ、別に何も――あ、いえ。やっぱりききたいことがあります。岩尾とはどのような関係なのですか」

「彼女は同じ大学に通う同胞だ。もっとも学部は違う。同じ講義を受けるのは、週に片手の指で足りる程度しかない」

「ああそうだった。岩尾さん、ここ最近は全く講義を受けていなかったんだって。あんた、その理由は知ってる?」


 柏さんに便乗した質問。今度は水月が知る番だ。

 欠席していた理由は知らない。だが理由をきくということは彼女たちと岩尾もまた、そこまで深い関係ではないということだ。

――少なくとも水月と岩尾のそれよりは。

 単なる水月の希望的観測かもしれないが。


「知りません。病気をしていないことは確かです」

「どうして? いちいち連絡するの?」

「彼女も一人暮らしですから、病気の時は看病させられるんですよ」


 内心、きっと頼れる友達がいないのだと思っていた。

 血の繋がりがあるといえど異性である。それとも異性と気にしているのは自分だけ?

 それならそれで構わないが。岩尾のことだから、他の人間にもそうなのではないかと心配だ。

 黛さんたちには何の関係もない話。


「そう」

「他にも聞きたいことがあります。岩尾はあなたたちにオレのことをなんていったんですか」


 岩尾は他人に相談するほど自分を警戒しているのか。本当に殺すと思っている?

 何か悪いことをしてしまったか。自分が何を?

 黛さんは数秒間水月の瞳を見つめる。


「たいしたことはいっていない。殺されるかもしれないとはいったけど」

「どうして」

「あんたが思い出したらそうするかもしれないから、って。でもあんたが自分で思い出さないと意味がない」

「なぜ」

「知らない。それこそ本人に聞きなさい、私たちにいうくらいだから教える気もないんでしょうけど? 

 でもね。あんたが殺すか岩尾さんが殺されるかなんてどうでもいいの。本当なら勝手にやれってところ」


 彼女の腕が水月の胸元にのびる。

 ぐっとひっぱられ、黛さんの顔が目と鼻の先にあらわれた。

 机のうえに上半身をのりだして、すぅっと目を細める。睫毛がかげになり、瞳孔の場所がわからない。

 どこまでも続く暗闇。常人ではやすやすと踏み込んではいけない場所。

 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている――ふとそんな名言を思い出す。


「あいつはね、エミを盾に使うっていったの」

「……は?」

「エミは死から逃げない。むしろ向かおうとする。だから私が守る」


 自分から死に向かう? 何を馬鹿な。

 冗談で死に憧れる者は多い。だがたいていファッション感覚で、いざ本物の脅威を目の前にすれば逃げようとするに違いない。

 しかし――この少女なら?

 掴まれたまま柏さんを見やる。彼女はまたもや微笑む。

 これからやってくるだろうあらゆる災厄を歓待するように。


「ルリは私の支配者だ。きっとこれも防いでしまうだろう。だがそれは私自身が危機を回避する理由にはなるまい」


 ニコニコ、ニコニコ。柏さんは笑う。とても幸せそうにルリさんを見ている。

 関係性だとか友情だ愛だという以上に、これは異様だ。

 自分はとんでもない人たちに目をつけられてしまったのだ。話しかけた時点で逃げるには遅すぎた。

 柏 恵美という女性を死なせないために、くだらない可能性すらも徹底的に押しつぶす守護者。


 誰かを完全に守る意志は、時に完璧に殺す意志に酷似する。

 あらゆる可能性を排除するという意味では――水月はこの時、慈愛と殺意はとても似たものなのだと知った。


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