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第十話 いなばの白兎


 嘘をついて、楽な道をいこうとすれば。

 いつか皮を剥がされ、痛みにもだえくるしむことになる。

 そんなのはもう何千も前に知られていたことなのだ。


「……」


 無言で岩尾の家をみあげる。

 自分とはずいぶん待遇が違う。恐らく親戚は岩尾が何をしたか知っていたのだろう。

 知っていて、覚えていたのだろう。

 忘れてしまった水月と違って。


「いかなきゃ」


 あの日できなかったことをしなければいけない。

 ひとつ大きく息を吸い込む。頭は熱くてくらくらするし、体の内側からじっとりと汗が噴き出してくる。

 多分それは、勢いに任せて自分を追い込み、車両で衝突してしまったのもあるのだろうが。

 内側から溢れる感情に酔っぱらったようだった。

 意を決して岩尾宅に入ろうとする。


「水月くん!」

「……萱愛さん? 柳端さんまで」


 車で来た自分と違って激しく息切れしている。

 駅から走ってきたらしい。

 半ば騙すようにして勝手に消えた自分をわざわざ追いかけて来たのか。

 しかし、善良な人間である彼には悪いが、水月はその慈悲を受ける資格があるだけの人間でなかった。


「どうするつもりなんだ」

「どうだろう。殺さなきゃいけない気もするし、ただ怒りや理不尽や悲しみがごちゃごちゃになっているだけな気もする」

「確かに岩尾さんは歪んでいるけれど、君が手を汚すことじゃない!」


 なお自分を思う言葉を向ける萱愛に、我知らず笑みが浮かぶ。

 違う、そういうことじゃない。

 自然と否定がでる。それが「なんとなく」でしかなかった気持ちに形をつけ始めた。


「ああ、いや、違うんだ。別に憎くはない」

「憎くないのに、殺すのか」

「殺したいわけじゃない。ただ、なんというか。オレはずっと誤魔化し続けてきた」


 みんなが認める倫理。みんなのための道理。正義。

 人殺しは危ない。みんなを守るためには、みんなに手を出せないところへしまっておかねばならない。

 それが幼き日の水月の理解だった。

 幼子なりの正しさにあてはめれば、岩尾は拒絶して、どこかに閉じ込めるべき存在なのだ。

 誰にも手を出せないように。

 それはつまり、岩尾を一人にするということでもあった。

 ひとりぼっち。どれだけひとりが怖くて悲しいことなのか。

 祖父が岩尾に殺されてすぐ、目撃者=殺人の容疑者という単純なお約束に踊らされた子供たちにつまはじきにされた時に、水月はひとりのつらさを知ってしまった。


「岩尾はオレにとって、大事な友達だったんだ。でも、人殺しだった」


 人殺しは悪。悪は悪。

 だからといって、かつて水月と遊んだ日々がなくなるわけではない。

 手をひっぱりあって笑ったあの日は、確かにあったのだ。消えてなくなりはしないのだ。

 だから水月は自分の記憶を犠牲にした。

 岩尾をずっと好きでいるために。自分が正しい存在でいるために。

 岩尾は悪ではないから、彼女と一緒に居続けることは何の罪でもないのだと。


「そんなの結局、オレの勝手だ。オレがオレを苦しめたくないから、あいつを捻じ曲げた。オレにとって都合のいいあいつを押し付けた」

「やめろ」


 語るほど水月にとっての真実が描かれていく。

 萱愛には理解できない想い。

 おしつけた役割、一方的な理解という言葉だけが深々と同じ場所を揺らす。

 手のひらを握りしめ、唇を噛む彼の代わりに口を開いたのは柳端だった。


「やめろ」


 銃口を向けられた被害者めいてあえぐ。

 萱愛の後ろにいた彼は水月を射抜かんばかりに睨む。むしろその向こう側にいる誰かに殺意すら投げかけていた。

 異様に強かな視線に独白をとめてたじろぐ。


「今のお前を見ていると胸が悪くなる。昔の俺を見ているみたいだ。くそ、こんな気持ちになるのかよ」

「柳端さん?」

「うるせえ!」


 八つ当たりとはすぐにわかった。

 叫んだ瞬間、水月を見やるのではなくうつむいたから。


「わかるよ、友達と思っていた奴が、自分にとってかけがえないと思っていたのが、ただ自分がそうであってくれと願っていた幻想にすぎなかった時の気持ちは」

「…………」


 意外な言葉に目を丸くする。

 薄々かつてなにかあったのだろうとは思っていた。

 しかし容姿端麗、言葉の端から知性がうかがえる彼の弱い部分を見ると驚くものがある。

 柳端は続ける。見も知らぬ水月のためではなく、かつていた愚か者の二の舞を踏ませぬために。


「本当の姿を見れなかった。認められなかった。それは、たとえ本性がどんなやつだったんだとしても、俺の責任だ。もっと早く気づいていれば、何かできたのかもしれない」

「何か」

「そうだ、何かだ。ただ過ぎ去るのを待つのでも周囲に原因を探すのでもない。本人と話さなきゃ見えないかもしれない、見ておけばこれからをどうにかできたかもしれない!」


 絶望を求め、死に囚われた柏 恵美を守りきった黛 瑠璃子のように。

 その在り様を知ってなお、自らのためにこの世にしばりつけたなら。

 今の二人のように、本当の友情と幸福な時間を過ごせていたのかもしれない。


「何か――そう、何か」


 水月は何気なく柳端の一言を繰り返す。

 舌のうえで転がせば、何ともよくなじむ。

 自己嫌悪という血反吐をこぼす柳端に、水月は不思議な感情を覚えた。

 今までは触れれば切れるような存在だっただけに、今はむしろ親近感さえある。


「オレはその何かがしたい。ずっと蔑ろにし続けた岩尾に向き合いたい」


 だから、殺す。


 まごうことなく十数年来の悔恨と情愛からでた結論だった。

 柳端が苛立たしげに舌をうつ。


「そういうことじゃねえだろ!」

「だってオレはずっと岩尾を目の前にして無視し続けたじゃないか。殺して殺されてを楽しみたい、そんな彼女を。何時間何日何年と今日という日を待っていたのに」


 岩尾は既に自らの本性と真実を明かしてしまっただろう。

 萱愛と柳端の説得は、それを知らなければ出ないニュアンスが含まれている。

 彼女は自分の安全をかなぐり捨てた。完璧な平穏はもう戻らない。


「なのにオレはまた、オレの倫理に従ってあいつを見捨てるのか。またひとりぼっちにするのか。そんなのは……むごすぎる」


 多少テンションがおかしくなっている自覚はある。

 それでも、それが今の水月にとっての道理だった。

 彼女が待って、捨てたぶんだけ。水月も捨てて、返さなければ。

 友達とは平等の関係なのだ。一方的な献身は不義理。

 三度見捨てるには、水月 年季という男の人生に、岩尾はあまりに深く食い込み過ぎている。


「何をいっているんだ、君は。なにも正しくない、誰も幸せになれないじゃないか」

「いいや、満足がある。岩尾の満足が」

「本当に思っているなら、一緒にいられる道を選ぶべきなんじゃないのか!」

「……正しい道を示すなら、最初……爺さんを殺した時にいうべきだった」


水月はそれを見過ごした。たとえ水月がいわなくても親戚みんなにバレたとしても、本当に『正しいことが大切なのだ』と思ったのなら。それが大事な存在に友としてすべきことだと信じていたなら、そうするべきだった。

 その時は大人がそうしたんだから自分の責任じゃないと思ったが、違う。水月にだってできることはあった。

 二度目のチャンスも長く放り出していた。虐められた時に記憶を変えて、告発の種すら隠してしまった。

 三度目に至っては、正しさを貫くことへの疑念が正しさへの信仰を曇らせている。

 曇った信条で岩尾に結末を与える。

 そのなんと傲慢なことか。度重なる愚かさに、もはや耐えられない。

 何度も間違えてきた自分のどこを信用しろというのか。

 ならば願いを叶えてやった方が――願いを叶えさせてもらう方がいい。


「今からだって遅くない」

「そんなわけ」

遅くしちゃいけない(・・・・・・・・・)

「……」

「起きたことはどうにもならない。でも、これから起こす行動を決めるのは? 諦めるのか」


 萱愛も自らがいっていることが過酷だという自覚はあるのだろう。

 罪を認め、悪意を浴び、なお贖罪と手を差し伸べることをやめない。

 きっと水月が萱愛をそういった人物だと測るのは、水月自身そうでありたかったからなのだろう。

 正しくあり、強くあり。自らの弱さを認め、許容して、本当に大事なものを失わないことに努める。

 だが、無理なのだ。

 水月 年季には無理なのだ。

 人間は誰しも同じ始まりと素質を持っているわけではない。あるいは持っていてもそれを上回る何かがある時がある。

 水月 年季のネックは、そこだ。そう考えてしまう(・・・・・・・・)ことだ。

 ネガティヴ。それも自己否定と誰かに己を任せたいという甘えといえる形の。

 自分で自分を信じられないくせに、誰かを信じたいから、無駄にもだえる。


「――それすらオレの逃げかな」


 自虐することで、自らを痛めつけることで、自分を許そうとしているのかもしれない。

 終わりがなかった。

 きっとこれからもない。

 ただ、変わるだけ。


「ありがとう」


 自然と感謝の言葉を述べていた。

 柳端と萱愛。

 酷く頼りない水月 年季が、今こうして答えを決めたのも、彼らあってこそだ。


「オレはいくよ」


 岩尾の家に入り、二階へあがっていく。

 何故だかさっぱりわからないが、岩尾のものと思われる激しい口論が聞こえてきたからだ。

 彼女がここまで感情をあらげたのは今まで見たことがない。

 部屋に入ると、彼女と口論していたらしき女性がぱっと振り返る。


「ヒヒッ」


 不気味な笑い声をあげ、これまたなぜか掴んでいた岩尾の胸倉を話す。

 水月を一瞥し、まるで何も起こっていないかのようにすれ違って部屋を出ていく。


「ちょっとあなた」

「貴方たちの行く末を見たくないといったら嘘になりますが、萱愛氏が最善を尽くしたのにしゃしゃりでるのも難でしょう」

「は、はあ」


 よくわからないけれど。もう萱愛の人脈にも驚かない。

 改めて岩尾に向き直る。

 彼女はいつになく身だしなみが乱れ、肩で荒く息をしていた。


「待たせてごめん」

「いいの、好きでしたことだもの」

「そうか。それじゃあ……僕は君を、殺す」


 その日、水月 年季という人間は、死んだ。


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