貴方の知らない時間(07)
---2011/03/05 09:54 (3)
「じゃあ、千紘。よろしくね」
「はーい」
少し風は冷たいが、良い天気だった。
私は買い物用のエコバックを持って、家を出る。
家を出てすぐのところで、海人くんとすれ違った。
「あ、こんにちは」
「千紘さん? あ、こんにちは」
海人くんとは、すっかり顔馴染みになった。
「えっと……あの、隼人兄がお世話になってます」
「どうも、こちらこそ」
今更どうしたのかなとも思う、海人くんの挨拶に、私は内心首を傾げた。
「買い物ですか?」
「うん。海人くんは?」
「僕も、あの、買い物です」
今日は土曜日で、近所のスーパーの特売日だった。それで母は朝早くから、私に買い物を頼んだのだけど、もしかしたら一緒かもしれない。
「そういえば、千紘さん」
「何?」
「今日、隼人兄、友達とバイクでツーリングって言ってました」
「え、え、千紘さん?」
海人くんが慌てる声が聞こえたが、なりふり構っていられなかった。走って、隼人の家に向かう。家に戻って携帯で連絡するより、ここからなら直接行った方が早い。
もう家を出てしまっているだろうか。何としても止めなくてはならない。
(何で?)
走りながら、疑問が湧いてくる。
隼人はそんなこと一言も言ってなかった。
それに、バイクだって持っていないはずだ。隼人の家には何度も遊びに行っているから、持っていれば気付くはずだし――第一、隼人が免許を取ったなんて話さえ聞いたことがない。
何で、どうして。
甘かった。絶対にバイクにだけは一生乗らないよう、ちゃんと言っておけばよかった。理由を怪しまれようが、とにかく言い聞かせればよかった。
とにかく、今は隼人を止めなくては。
誰かに話しかけられたが、なりふり構わず全力で走って、隼人の家が見えた。
隼人の家の玄関前、そこに、一台のバイクが停まっていた。そのバイクの横に、いつものジャケットを着て、ヘルメットを被った隼人が立っていた。
急がなければ、行ってしまう!
「駄目! 隼人!」
叫んで飛び出した瞬間、けたたましいクラクションが、耳を刺した。トラックが、迫ってきていた。
ああ、そうか、と思った。
もしかしたら――巻き戻った時間というのは、例え変えようとしても、同じように繰り返すものなのかもしれない。
変わったとしても、その代わりが、何か。
「千紘!」
隼人の叫ぶ声が、聞こえた。
---2011/03/05 09:58 (2)
今から出れば、待ち合わせの時間には余裕だろう。風は少し冷たいけれど、天気もいいし、今日は走るにはもってこいだ。
俺はバイクにキーを差し、エンジンを入れた。ヘルメットを被り、バイクに跨ろうとしたその瞬間――
「駄目! 隼人!」
ほとんど絶叫のような声が聞こえた。耳慣れた声、千紘の声だ。振り向けば、血相を変えて、こちらに走ってくる。
「千紘? どうし――」
その先は言葉にならなかった。
角から現れたトラックが、千紘の体を吹き飛ばした。
「千紘!」
そう、叫んだと思う。
千紘に駆け寄った俺の後ろで、バイクが音を立てて倒れた音がした。
「おい、千紘、何で、なん……」
悲鳴があがった。違う、こいつがいきなり飛び出してきたんだ、と男が喚く声、そんなことより救急車、と誰かが叫ぶ声。それらが、自分の血管が波打つ音と一緒に、妙にはっきりと聞こえた。
血まみれで倒れた千紘を見て、頭が真っ白になった。
「……はや、と?」
千紘の唇が、少しだけ開いた。だけど目は、柔らかく閉じたままだ。
「千紘!」
名前を呼ぶことしかできなかった。何も、考えられない。
「おね……が……い……」
段々、声が小さくなっていく。小さく咽せて、血を吐いた。
「だめだ、千紘!」
それでも千紘は、何かを言おうとした。そして、最後に、ふ、と微かに笑った――。俺はそれを聞いて、体中の力が抜けた。
誰かが、俺の体を引っ張った。真っ赤になった千紘が、担架に乗せられ、救急車に運び込まれていく。
---2011/03/08 14:58 (2)
千紘のお父さんは、俺に時計を渡してくれた。俺がクリスマスに千紘に渡した、白い腕時計だ。文字盤が割れて、十時前で止まっている。
「これは、隼人くんが千紘にあげたものだそうだね。……千紘、いつも付けていたよ」
知っている。事故の日も、そうだった。
「良かったら……形見に持っていてくれ。……千紘のこと、ありがとう」
「……ありがとうございます」
病院に運ばれた千紘は、手遅れだった。トラックに撥ねられ、ほとんど即死だったという。
だから、俺の聞いたあの言葉が、千紘の最期の言葉だったのだ。
葬儀場のロビーで、いつまでも座っていた俺に、海人が声をかけた。
「隼人兄……俺たちはそろそろ帰ろう」
「……」
俺は首を振った。先に帰ってくれ、と言ったつもりだったが、海人は、俺の隣に座った。
「……隼人兄」
「……なんだ」
「千紘さんが亡くなったの、僕のせいかもしれない」
「……何でだ」
海人は、頭を抱えた。
「僕、あの日、千紘さんに会ったんだ。それで……僕、ちょっと話して……隼人兄がツーリングに行くけど、一緒じゃなかったんですかって言ったら……急に走り出していったんだ」
「……」
「僕、訳分からなかった……何で……僕が何か変なこと言ったせいで、千紘さんが……」
「違う」
千紘が死んだのは。
俺のせいだ。




