貴方の知らない時間(05)
---2010/10/13 18:15 (1)
大学の講堂には、そこそこ人が集まってきていた。不景気で就活が厳しいというのは、もはや常識なのだと思う。
『エントリーシート作成・自己PRのポイント』といったセミナーだ。私はサークルで得たものは特にないから、バイトや、大学の自己啓発セミナーに参加したような内容を中心にまとめていく方がいいだろう。もちろん、いずれ卒論ゼミにも入ることになるだろうから、その内容を一番にアピールしなくてはいけないだろうけど。
就活サイトのキャリアカウンセラーの講義が終わり、あとは相談の時間となった。
キャリアカウンセラーの女の人は、私の書いた履歴書を見て、ん、と言った。
「……熊谷さんは、まだ二年生なの?」
「はい」
「今日の講義は、どちらかというと、三年、これから就活をスタートする人向けなんだけど……」
「もう、準備は始めておこうかと思うんです。家の都合で、就職浪人とか、留年とかになってしまうのは厳しいので」
「意識が高いのはいいんだけれど、まだ大学の勉強だって、半分もしていないよね。……ちょっと厳しい言い方になるけれど、就職のアピールのために色々勉強しているような印象を受けるかな」
「……」
事実、その通りだ。
だけど、大学ってそもそもそういう場所じゃないのだろうか。ただ学生として遊ぶ時間を伸ばしたいがために大学に通っているわけじゃないと、そう言いたかった。
「あとは……今は、特に業界は絞ってないのかな」
「出版関係を中心に、色々見ています」
「何ができる、というようなことはすごくたくさん書いてあって、とても一生懸命勉強していらっしゃることはよく分かるけど、あとは、熊谷さん自身が何をしたい、ということをもう少し掘り下げた方がいいかもしれないね」
「……ありがとうございます。志望動機の部分は、これから企業研究をしていきながら、よく考えていきます」
今すぐに企業にエントリーするわけじゃないし、自分はまだ二年目なので、駄目出しされるのは予想のうちだった。
カウンセラーに相談するために並んでいる列が長くなっていたので、遠慮して、相談はこれくらいにして席を立った。三年目の人の方が多いようだし、自分より切羽詰まっている人に申し訳ないと思った。
講堂を出て、家に帰る。
このまま、大学卒業後も実家には戻らず、東京で就職するつもりだった。地元就職というのも意外といい企業があると聞くけど、それはどうしても東京で就職できなかった時の最後の手段にしたかった。
大学一年の冬、年末年始に帰省した時、両親から、何とも言えないよそよそしさを感じた。自分の家がこうも居心地悪いものかと思って、あとは帰っていない。
進学の費用のことについては、最初に約束した通り、授業料は奨学金で払っているし、生活費も仕送りをもらっているとはいえ、基本はバイトでやりくりしている。だから親にとってのわだかまりは、費用のことではなくて、自分たちが反対したのに、私が自分の意見を押し通して上京したことそのものなのだと思う。
だからといって、家に今更帰ったところで、和解できるとも思えない。東京で就職したいのは、とにかく家から離れたいという気持ちが強くなっていた。
(大体、上京したかったから家から離れることになったのに、変なの)
いつの間にか日が落ちるのが早くなっていたけれど、東京の街は真っ暗にはならない。私はバイト先に向かった。
---2009/11/14 17:21 (3)
ソファでゴロゴロしながら、スマホで撮っていた写真を、一つずつスクロールして眺める。
特に写真にプリントしてはいなくて撮りっぱなしだったけど、こうして改めて見返してみると、随分たくさん写真がたまっていた。
「千紘、何してるの」
「別にー」
リビングでくつろいでいたところに、お母さんが話し掛けてくる。
「それ、この前、お寺に紅葉見に行った時の写真?」
「違うよ、これは夏の。お寺の写真もあるけど」
後ろから覗かれたので、さりげなく写真を小さくして隠す。
「隼人くんと撮ったのないの?」
「……え? 隼人?」
内心、母の言葉に驚きながら、何でもない風を装った。だけど、母は笑って続ける。
「だって竹村さんから聞いた時びっくりしたわよ。うちの隼人がいつもお世話になってるって言われた時、何のことか分からなかったんだから。千紘、友達と行ってるとしか言ってなかったから」
「……」
隼人のお母さんに口止めしたくてもできない以上、隼人と付き合っていることは、いずればれるかもしれないとは思っていた。ただ、意識的にこのことを隠していたのは事実だ。
「隠さなくて良かったのに」
「……反対されると思ったから」
「何で?」
私が松本学院大に進学する時には、両親は反対しなかった。地元の大学に通うことは、親の希望通りだったからだ。
けれど、私の行きたかった葵大に進学すると決めた時の、両親の反対の仕方を知っていた。だから、もし仮に彼氏ができたことを反対されたら、隼人とは付き合いにくくなる――隼人のことを守りにくくなる。
「千紘って、何でも自分一人で決めるから、親の出る幕なんかないわね」
「え?」
「まあ、ボーイフレンドのことは親なんかに相談しないだろうけど……。大学の学費だって、何の相談もしないで、奨学金を申し込んで、自分で払ったじゃない」
「……それは」
私としてはやむを得ない選択だったとはいえ、私学に行くことになって、高い授業料になってしまったことが、申し訳なかったのだ。
「これが普通なのかな。どうしても千紘は一人娘だから、過保護になっちゃうのかも」
そういう母は、どこか、寂しそうだった。何だか居心地が悪い。この感じは何と言ったらいいのだろう。何だか覚えがある。
「……心配、いらないよ」
「千紘は本当にしっかりしてるわね」
母は、苦笑にも見えるような、笑顔を浮かべた。
---2010/04/04 18:31 (3)
「俺アイスティー」
「はーい」
荷物は任せて、ファミレスのドリンクバーを取りに行く。
今日は隼人と久しぶりのデートだった。何でも、学部の友達のいる演劇サークルの合宿の手伝いに行ったとかで、しばらく会っていなかった。
「それにしても、演劇サークルの合宿の手伝いなんか、全然演劇やってない人でもできるものなの?」
「まあ、力仕事のバイトみたいなもん?」
隼人はちょっと肩を竦めた。結局隼人はどこのサークルにも入らなかったので、ちょくちょく暇な時に手伝いを頼まれているらしい。
「演劇サークル入れば良かったのに」
「俺には恥ずかしくて無理」
ちょっと笑った。私はジュースを飲んでいると、隼人はアイスティーに口も付けずに、黙っていた。
「……どうしたの?」
「や、何でもないよ」
そう言って、隼人は一気にアイスティーを飲み干した。
「そうだ、美香からメール来たんだけどさ、今度の夏、高校のクラスで同窓会やるんだって」
「行きたいな、それ。……けど俺、まだその時には二十歳になってないんだよな……」
隼人の誕生日は、十月だ。
「あ、お酒飲めないんだ」
「千紘は七月生まれだからギリギリいけるか」
「え? あ、そうだね」
私は、今度の夏、また二十歳になるのか、とぼんやり思う。
自分の年齢は、今いくつなのか、よく分からなくなってきていた。二十五歳の時に時間が巻き戻って、それから二年とすれば、そろそろ二十七歳になるということなのだろうけれど、学生として生きている自分が、もはや二十五歳としての感覚をもっているとは言い難いような気がする。
自分が体験したことのはずなのに、少しずつ、遠い記憶になりかけている、かつての人生。誰かの、他人の記憶を映像で見せられたのを思い出すようにしか、思い出せなくなっている。
そのことを焦る自分がいるが、そんな焦りさえも消えていってしまう気がする。
「……千紘? どうしたんだよ、ぼーっとして」
「え? 何でもないよ」
注文した料理が運ばれてきて、私は考えるのを止める。
今の時間は、隼人が死ぬのを防ぐため、自分で選んだことだ。そしてそれさえ忘れなければ、それでいいのだ。




