貴方の知らない時間(02)
---2008/09/19 20:28 (1)
下校時刻を過ぎて、私たちは学校を出た。
「準備、間に合わなかったね」
「明日、七時に学校集合!」
結局、プロジェクターは、借りてきた化学室の先生も呼んで、どうにか直ったものの、そのトラブルのせいで準備がなかなか進まず、最後の飾り付けまで終わらなかった。
すっかり外は暗くなっていたけれど、帰るのが勿体ないような、学校にいたいような気がした。こんな遅くまで学校に残ること自体が、もうお祭りみたいで、楽しい。
由美と美香は電車で通っているので、途中までお喋りして校門まで一緒に行ってから、私は自転車置場に行った。
「あれ、千紘じゃん」
暗い中で声をかけられて、驚いて振り向くと、そこにいたのは隼人だった。隼人も私と同じで家が近いので、自転車通学している。
「何だ、隼人か……まだいたの?」
「何で」
「だって、男子はとっくに教室出てたから」
「……そう?」
隼人はちょっと肩を竦めて、自転車を押した。そのまま乗らないで、ゆっくり自転車を押していく。私も仕方なく、自転車を押した。確かに、校内では自転車には乗らないで、門まで押すルールになっているけど、今は人も少ないからぶつかる心配もないし、いいと思うのだけれど……。
「……そういえばさ、千紘、どこの大学行く?」
「うん……隼人は?」
「俺は、松本学院大のつもり」
地元の私立大だ。ここからなら、家から通える。
「ふーん……」
「千紘は、決めてないわけ?」
門を出ても、私たちは自転車を押したまま歩いた。
「一応、決めてる。けど」
「けど何」
「葵大、目指してるんだけど。けど、家出ることになるから、親は反対してて」
「……東京行くんだ」
「うん、やっぱ就職するなら、早いうちに東京出た方がいいと思うんだ」
そう言っても、親は納得しなかった。具体的な就職先を決めているのでもないし、ただ何となく理由で東京に出てもやっていけない。はっきりとは言わないが、費用の問題ももちろんあるのだとは思う。
「まあ……千紘のお母さんとお父さん、心配なんだろうな」
「……女だから?」
「俺は男兄弟だから、よく分かんないけど、そうなんじゃん」
隼人は弟と二人兄弟で、私は一人っ子だった。
「……絶対、私東京行きたい」
はっきり口に出して言うのは、初めてだった。
「そっか……」
隼人は、黙った。そのまま、歩き続けて、隼人の家と私の家の分かれ道になる曲がり角に来た。
「あ、じゃあ」
「……遅いし、家まで送るよ」
「別にいいよ」
「すぐそこだろ」
だからこそ意味が分からないでいると、隼人は立ち止まったまま、ちょっと肩を竦めた。そして、押していた自転車の、スタンドを立てる。
「……俺さ」
「……え?」
どこか煮え切らない、おかしな態度。自転車置場で私に声をかけた時と、同じの。
「え、待って、何」
「千紘が好きだ」
私の焦った声と、隼人の声が重なった。顔を見ることができなくて、下を向いた。電灯に照らされた電柱の影が、私のスニーカーの上に乗っているのが、くっきり目に入った。
なんで。
それがどこか怖くて、聞けなかった。
「……何、言って」
足元の影を見たまま、私は言った。
「……だって。隼人は、……隼人は」
どうして、そんなことを言うんだろう。
どう言えば傷つかずに済ませられるだろう。
恋愛なんて、告白なんかされたことがなくて、どうしていいのか、ただ分からなかった。
「……そっか。……悪い」
謝る必要なんかないよ、と言おうと思ったのに、何も言葉が出てこなかった。
ガタン、と自転車のスタンドを倒す音がした。隼人は自転車に乗って、離れて行った。顔を上げた時には、隼人の背中は、暗闇に見えなくなっていた。
---2008/09/19 19:58 (3)
「じゃあ、明日は頑張ろうね」
私は、校門で美香と由美に手を振った。二人を見送ってから、私は、ぼんやりと考える。
プラネタリウムの準備に追われて、自分の状態をあまりゆっくり考える暇はなかった。これから、どうしたらいいのだろう。
私は確かに、二十五歳だったはずだ。なのに今、十八歳の高校生の時間を過ごしている。
(……じゃあ、家に帰ると、ちょっと若いお父さんとお母さんがいて、私を迎えるんだ……)
時間が戻ったことに気付いているのは、自分だけらしい。そうでなければ、周りはパニックになっているはずだから。
だから、時間が戻ったなんて言っても、私がおかしいと思われるだけだろう。私が今まで過ごしていたはずの時間を証明するものは、何もない。私の記憶以外には。
私は溜息をついた。
とりあえず、高校生の自分がそうしたように、今は家に帰るしかない。私は自転車置場に向かった。さすがに三年通っていた高校なので、久しぶりに中を歩いてみても、迷うことはない。
ただ、自転車置場に来て、私は気が付く。自転車置場の場所を忘れてはいなかったけれど、どの辺に自転車を停めていたかは思い出せない。
私は自転車通学だったから、多分私の自転車はここのどこかにあるはずなのだけれど。
仕方なく自分の自転車を探していると、そこに自転車を押した隼人が来た。
「……大丈夫か?」
「え?」
「自転車、探しているみたいだったから……」
見ていたの、と聞こうとして止める。今にして思えば、あの時、隼人は私をここで待っていたのだ。
「うん、まあ……」
「どういう自転車だっけ」
「赤いのなんだけど」
昼間なら目立つのだけれど、暗いからなかなか分からない。結局隼人も手伝ってくれて、数分かけて見つけ出した。
「……ありがとう」
「送ってくよ」
ああやっぱり、と思った。
この後、隼人は私に告白する。ということは――やはり、私は、私に起こる未来のことを知っている。やはり私の意識は未来から来ていて、私の中にある未来の記憶は、高校生の私の、妄想なんかじゃないのだ。
「なあ、千紘、どこの大学に行く?」
「……。」
私は葵大を目指して、結果として、合格した。半ば強引に親を説得し、家を飛び出すようにして、東京に行ったのだが。
「はっきりとは、決めてないかな。隼人は?」
「松本学院大を目指してる」
「ふーん……」
そんなことを言っていた。隼人が松本学院大に受かったかどうか、覚えていない。それよりも多分、自分の上京の準備で忙しかったし、あれ以来、私が隼人と話すことはなかったから。
「……」
門を出ても、私たちは自転車を押したまま歩いた。
懐かしい風景だった。なくなってしまったラーメン屋が、まだそこにあって、明かりがついていた。コンビニに変わってしまった古い病院が、まだあった。
不思議な気分だった。久しぶりに帰省した街が変わっていたのを見るのとは、まったく逆の感覚。何となく言葉が出ないまま、私は街を見て歩いた。
隣を歩く隼人も、黙っていた。
住宅地に入って、私と隼人の家の分かれ道に差し掛かった。
「じゃあ……」
「待って、千紘」
隼人が私を呼びとめた。
「……なに?」
聞きながら、次に何を言われるか、分かっている。
「俺、……千紘のこと、好きだよ」
そう言った隼人の目は、まっすぐ私を見ていた。
(隼人は――いつから私を好きだったんだろう)
タイムスリップなんて、どういう理屈かは分からない。
だけど、隼人がこうして私に告白したということは、間違いなく、この先、同じ未来が繰り返されるということ。
だったら、隼人は、近い未来――事故で死ぬことになる。
そう思った瞬間、考えるより先に言葉が出た。
「……あ……ありがとう」
「……千紘」
「……驚いたけど……気持ちは嬉しい……よ」
「じゃあ、俺と、……付き合って、くれる?」
一言一言、確かめるように隼人が聞く。
ここで断れば、私と隼人は、この先、会うことはほとんどなくなる。隼人の未来を知っているのは私だけで、その私が隼人に助言すれば、もしかしたら、隼人の未来が変わる可能性があるかもしれない。
こんな理由で告白に応えるのは酷かもしれないと、少し迷った。だけど、隼人の命がかかっているかも、しれないのだ。
「……いいよ。まあ、」
最初は友達としてなら。そう続けようとした。その言葉は、隼人の声にかき消された。
「千紘! ……良かった……ありがとう」
「ちょ、ちょっと」
時間が遅いから住宅街は結構静かで、隼人の声が響いた。
「俺、絶対に千紘のこと、一生守るから! 約束する!」
「……はい?」
思わず間の抜けた声が出た。まるで、プロポーズのような言葉で、どう反応していいものか分からない。
(隼人って、こんなんだったっけ? ……本当、全然気付かなかったな……)
大学生の時付き合っていた彼氏にさえ、そんなこと言われたことなんてない。しかもあまりに真剣な顔で言うのだから、私はつい笑ってしまった。隼人も笑う。
一生かどうかは分からないけど、隼人のことを守ってあげようと、そう思った。




