君の知らない時間(06)
---2011/03/05 09:58 (3)
「千紘!」
トラックに轢かれる、と思った瞬間、私の体は強い力で後ろに引っ張られた。
目の前を、ぶん、とトラックが通り過ぎていく。風圧で、私の前髪が、ふわりと浮かんだ。
耳元でした隼人の声に振り向くこともできないまま、私は強く抱きしめられたまま、後ろに倒れ込んだ。
「……っ」
体を起こした私は、ぜえぜえと息の上がっている隼人を、見下ろした。私も息があがっていた。
「は……早えよ、千紘」
「……え?」
「あんな足早かったか……本当、ギリギリ、だったじゃねえか」
「ちょっと待って、なんで、隼人がここに……」
私は、隼人の家の方を見た。そこに立っていたのは、高校の同級生の、藤代くんだった。ヘルメットを小脇に抱えたまま、こっちに来る。
「……おいタケ、大丈夫なのか? 今の何だったんだ?」
「悪い。そのうち訳は話すから」
「はあ……」
藤代くんは、着ていたジャケットを脱いで、隼人に投げた。
「俺さ、二輪の免許ないんだぜ? この兄貴のバイク、家まで押して帰らないといけないんだぜ?」
「何でも奢ってやるから」
藤代くんは二度目の溜息をついて、歩いて行った。
「……じゃあな、熊谷。タケをよろしく」
「ねえ、隼人、これどういう……」
私の言葉は、走ってきた海人くんに遮られた。
「隼人兄! 千紘さん何かすごい勢いで走って……千紘さん大丈夫ですか?」
「海人くん……?」
さっき、買い物に行くといっていた海人くんが、私を追い掛けてきていた。手に、私が投げ捨てた手提げを持っている。
「すみません、千紘さん、何か隼人兄が言えって言ったんですよ、僕は」
「海人、悪いけど理由はそのうち話すから、とりあえず今は、何も聞かないでくれないか。千紘と、話さないといけないから」
そう言って隼人は、立ち上がって、私を真っ直ぐ見た。
---2011/03/05 10:07 (3)
私と隼人は、ジャングル公園のベンチに座っていた。天気がいいので、近所の子供たちが走り回っている。
「……どこから話したらいいのかな」
隼人はそう言った。私も、何から聞けばいいのか分からない。
「俺は――この時間をやり直すのは2回目だけど、それは俺にとってであって――千紘にとっては、何回目なのかな」
「……っ!」
意味が分からなかった。いや、隼人の言っている言葉の意味が分かり過ぎて――何故そんなことを、隼人が言うのか。
そんな、それは、まさか。
「……私にとっては? え……何回目……って……」
ここは私にとって、2回目の時間だ。でもそれは、私にとってだけではないのか?
「千紘の知っている1回目で、俺は、死んだのか?」
その言葉の持つ意味がまだ完全に分からないまま、私は頷く。
「やっぱりそうか……」
そう言って、顔を抑える隼人に、尋ねる私の声は震えていた。
「……どういうことなの」
「俺と千紘の間で、時間は3回繰り返したんだ」
「え? そんな、どういうこと……」
「分からないか? 時間が戻った時、周りの皆にはその自覚がなかった。時間が戻ったことを認識していたのは自分だけで、皆はそれを唯一だと――思っていたわけで――そういう意味で、1回目の記憶は失われる。1回目のことを知っているのは、自分だけだ。だから、俺の知らない1回目の記憶が千紘にはあるし――千紘の知らない、つまり2回目の記憶が俺にはあって――今は、俺たちにとっては、3回目なんだよ」
---2009/08/30 19:46 (3)
地元の花火大会に、俺は千紘と来ていた。地元だからと侮っていると、いい場所が取れないことは、経験済みだ。
バイトの都合をつけて昼から場所を取った甲斐があって、間近で迫力ある花火が見れる。赤や青、様々な光が、打ちあがる度に千紘の顔を照らすのを、俺は寝ころびながら見ていた。
ふと、千紘が呟いた。
「久しぶりだなあ、花火……」
「……。」
俺にとっても、花火は久しぶりかもしれない。千紘が死んで、俺は、二人で一緒に行ったこの場所へ、花火なんか見に行くことができなかったから。
けれど、本来の時間軸であれば、2008年の夏、つまり去年の夏、俺も千紘も、高校のクラス全員で、花火を見に行っている。
それは――千紘にとっての時間が、空いているからだ。俺と同じように。または、俺はひょっとしたら、千紘を花火にも連れて行かなかったのかもしれない。
「……そっか。……悪い」
「なんで、隼人が謝るの?」
「や?」
俺は起き上がって、別に、というつもりで肩を竦めてみせた。
時間が繰り返して以来、俺は高校生から大学生の時間をやり直しながら――ずっと、考えていた。
この世界で、過去へ戻ってきたのは、俺の意識だけだ。だから、家族も、クラスメイトも、千紘も、俺の知っていた時間とまったく同じような時間をなぞって、進んでいった。
だから千紘はこのままいけば――あと一年半後、2011年3月5日の午前10時前に、事故で死ぬことになる。俺はそれを知っているから、それを防ごうと、そう思った。
千紘はその俺と、同じことをしたのだ。だから、俺がバイク事故に遭う可能性を知っていた。千紘も俺と同じように、俺が死んだ時間をやり直した。
馬鹿げた推論かもしれない。だけど、それを言うなら、俺がこうして過去に戻ったことさえ、馬鹿げた話だ。
俺にとって1回目の――死んでしまった千紘の時間は、間違いなく、一度巻き戻っていた。俺自身の時間が巻き戻らなければ、とてもこんなこと思いつかなかっただろうが、そうと気付けば、千紘の行動は納得がいく。
俺がバイク事故に遭うことを知っていたから、あれほど必死に俺をバイクから遠ざけようとした。
そして、今俺の横にいる千紘もまた――時間が遡行した状態の千紘であることは間違いない。忘れ物をしたという小さな失敗から、何気ない会話まで、まるでテープの再生みたいに、俺が知っているのと、まったく同じ行動を繰り返すのだ。
そのささいな言動に、記憶がダブって、千紘を失った時の後悔も交ざって、俺は本当は泣きそうになる。
千紘を守るために、俺は、できる限り千紘を見守ろうと、何とか必死で同じ大学に入った。そして、同じように、記憶を辿って、時間をやり直している。
その一方で、俺は、過去の時間を変えられないか、常に小さな実験を試している。今日の花火の場所取りもそうだが、かつて自分のした失敗を、思い出せる限りで回避している。
千紘の事故を確実に回避するために、俺はどうしたらいいのか探るためだが――かつて、千紘のことを大切にできなかった、後悔を取り戻すためでもある。
「来年も来ようぜ」
来年だけじゃない。再来年も、その先も。
今度こそ、後悔しないように。
---2010/04/04 18:32 (3)
千紘が、ファミレスのドリンクバーで取ってきたアイスティーを、俺に渡してくれた。メールで連絡を取っていたとはいえ、会うのは久しぶりだ。
「それにしても、演劇サークルの合宿の手伝いなんか、全然演劇やってない人でもできるものなの?」
「まあ、力仕事のバイトみたいなもん?」
俺はそう言ったが、これは嘘だ。
本当は、合宿免許で、車の免許を取りにいったのだ。時間が巻き戻る前、二輪の免許を取っていたから、普通免許を取るのはまあまあ楽だった。
千紘を不安にさせないため、免許を取ったことは隠していた。二輪免許と普通免許は違うとはいえ、普通免許でも原付には乗れるわけだし。とはいえ、時間のある学生のうちに免許くらいは取っておきたいので、演劇サークルの合宿の手伝いという、若干苦しい嘘をつくことになった。
「演劇サークル入れば良かったのに」
千紘が笑いながら言う。この様子では疑ってないらしい。
「俺には恥ずかしくて無理」
フォーミュラのサークルには入らなかった。バイク雑誌やポスターのコレクションも、千紘の目に触れないよう、すべて押入れの奥にしまい込んだ。
怖かった。俺がバイクに乗ろうとするのを見て、必死に走ってきた。そして目の前で、トラックに撥ね飛ばされた。
あの光景は、今でも忘れることができない。
怖くて、怖くて、隠している。
千紘に、時間が巻き戻っていることを伝えようかとも思った。自分が千紘の死ぬ未来を知っていること、恐らく俺がバイク事故に遭う未来も予想がついていること、全てを話せば、千紘を助けられるとも考えた。
だが、それを話して、また千紘がどういう行動に出るかも予想が付かない。その結果、千紘が必死になることがあって、結果、同じように時間が繰り返したら――。
「……どうしたの?」
気付けば、千紘がこっちを不思議そうに見ていた。
「や、何でもないよ」
そう答えた口の中がカラカラになっていて、アイスティーを一気に飲み干した。
時間を変えなくちゃいけないのに、知らない時間を変えるのが――たまらなく怖い。




