君の知らない時間(04)
---2012/05/04 02:11 (2)
飛び起きた時、部屋は真っ暗だった。デジタル時計の表示を確認するとまだ深夜で、ほとんど寝ていなかったらしい。
寝汗が、べっとりとまとわりついて、気持ち悪い。
「……」
口の中がカラカラだった。水でも飲もうと思って、台所に降りた。
コップにぬるい水を汲み、一気に飲み干す。それでも、気分の悪さは消えない。冷蔵庫にビールがあったかもしれない。何でもいいから飲めば、眠れるかもしれない。俺は冷蔵庫を開けたが、生憎ビールは冷やされてなかった。
「……隼人、何してるんだ」
声をかけられて、振り向くと、父さんが立っていた。
「……父さんこそ、何してるんだよ」
「物音がしたから、起きただけだ」
「……別に」
俺は、部屋へ戻ろうとしたが、呼び止められた。
「隼人」
「……何だよ」
「……大切な人を亡くした悲しみは、そう簡単に治まるものじゃない。けど、千紘さんは、今のお前を見て喜ばないと思うぞ」
「……」
ありきたりな説教なんて、何の足しにもならない。俺は黙って背を向けた。
「せっかくの休みなんだ。どこか出かけてみたらどうだ? バイクもずっと乗ってないみたいだし」
「……もういらねえよ、あんなもん」
俺はそれだけ言って、二階に上がった。だが、部屋に戻っても、眠ることなんか、できそうになかった。机の引き出しを開け、そこに入っている千紘の時計を取り出した。文字盤の割れた、小さな腕時計は、止まったままだ。
千紘が死んで、一年以上経つ。
あれから俺は、ずっと後悔している。
千紘の写真は、学校の卒業アルバムのそれしか、持っていないことに気付いた。何度も会っていたはずなのに、一緒に遠出したことは、実は数えるほどしかなくて、そこで写真なんて、今更残したこともなくて――。
そして、千紘の言葉は、俺をずっと縛り続けている。
当然、あれからバイクに乗ることはなかった。乗れるはずがない。それどころか――千紘が死んだのは、自分がバイクに乗ったせいじゃないかという疑問が、ずっと頭から離れない。
(バイクか……)
買って以来、ちゃんと走ったことがないし、もう乗ることなんかないだろう。車検ももう切れているだろうし、処分してしまった方がいいだろう。
馬鹿みてえ。俺はベッドに突っ伏した。眠るというより、意識を失うように、俺は沈んで行った。
---2012/05/06 11:35 (2)
バイク買取業者に連絡したら、素早くやってきた。家で査定してくれるとのことで、さっさと作業を進めていく。
「今はやっぱり売るにはいい時期ですよ。春から夏は、バイクの買取のお値段も上がりますし」
「はあ……」
そんなことはどうでもよかった。業者の担当者は、バイクの事故歴などを聞いていく。中古で買って以来、まったく乗っていないことを伝えると、はあ、と担当者は言う。
「まあ、車検が切れていても問題はありませんので」
そう言って、バイクの様子をチェックするという。しばらくかかりそうなので、俺は家の中で一旦待つことにした。
バイクを見ていることが、できなかった。
「――お申込みいただいたバイクなんですが、確か、中古で、一年前にご購入されたということなんですけど」
担当者は、言いにくそうに俺に言った。
「あまり乗っていらっしゃらなかったとのことで、ボディの状態はきれいなんですが、ブレーキの整備不良がありまして、これがお買取りの額に影響します」
「整備不良……?」
俺が意外そうな顔で答えたのを見て、担当者は頷いた。
「中古のバイクでは、たまにある話なんですよ。ひどいお店だと、中が錆びついてたりするようなこともあるんです」
「……」
見積はこのようになりますが、如何いたしますか? と言って示された金額は、中古ということを差し置いても、かなり安いものだった。
「――いえ、もう処分しようと思っていたので、構わないんですが――」
ブレーキに整備不良だって?
「そうですね。正直申し上げて、お客様のバイクは、買い替えをお勧めいたします」
「あの、もしですけど」
握りしめた手が震えてくるのを、俺は感じた。
「あれ、もし高速とか乗ってたとしたら、どうでした」
バイク整備の業者は、もう一度俺のバイクを見て、控えめに言った。
「何とも言えませんが、もしかしたら、危なかったかもしれませんね」
---2012/05/07 00:45 (2)
目が冴えて、眠れなかった。
バイクの整備不良――乗っていたら、危なかった?
(お願いだからバイクに乗らないで。約束して)
そう言った声は、泣いていた。そして、必死で、俺を止めようと走ってきた千紘。
千紘は、このことを知っていたのか?
だが、そんなはずはない。俺は千紘にバイクを買ったことも伝えていなかったし、第一、千紘がそう言いだしたのは、バイクを買うよりずっと前だ。
だとすれば、やはり千紘は、バイクは危ないだろうというイメージからそう言っていたのか? それも腑に落ちない。あの必死な様子は――明らかに俺がバイク事故に遭う危険を、確信していたように見える。
でも――それが分かっていたとしたら、そのバイクにはブレーキ不良があるって、そう言えばいいだけの話じゃないのか。
何もかも分からない。
「くそ……!」
後悔で、吐きそうだった。
どうして、千紘に向き合わなかった。その理由を聞かなかった。こうして思い返せば、俺は何一つ千紘のことを分かっていなかったんじゃないのか。幼馴染だから、ずっと知っていたと思い込んで。
目の前が回った。耐えられなくて目を閉じたのに、それでも回り続けているような気持ち悪さがあった。
---
(隼人)
千紘の声が遠くから聞こえた。
ああ、夢だと思った。
(後悔していたから、私はここにいるんだ)
前にそんなこと言っていたな。あれも――どういう意味だったんだ?
(……隼人は理系だから、こういう授業って取れないんだっけ? 結構面白いよ、哲学も)
笑いながら言った、千紘の声が遠く響く。
いつだっけ。大学帰りに、お互いどんな授業を受けているのか、話したことがあった。
真っ白な場所だった。
千紘とよく行った、大学近くのカフェに似ている。
俺の目にそこは見えていない。けれど、そんなような気がする。
俺は――興味ないな、哲学なんか。
(『我思う、故に我あり』って、聞いたことない? デカルトの言葉なんだけど、世界の全てが嘘だとしても、そうやって考えている、世界は嘘ではないかって考えている自分だけは本当にあるんだっていう、そういう意味なんだって)
世界の全てが嘘?
(でも、確かに私も考えたことあるんだ。こうやって見ている世界って、自分の頭の中だけにしかないのかなって。見たり触ったりしているから、そこに、世界があるって分かるけれど、もし誰もそれを見なかったら、そこに世界はないのと同じになるんじゃないのかなあって)
そんなわけないだろ。俺はあの時、千紘にそう言った。
……じゃあ、俺が見ている世界と、千紘の見ている世界は、同じじゃないってことか?
(どうなんだろうね。でも、もしかしたら、そこに世界があるから見えているんじゃなくて、見ているから、そこに世界ができるのかもしれないね)
声は、俺を包むように、柔らかく響く。
(だから、目を開けて、隼人)
え?
(強く望めば、世界が見える。そして、その世界は存在するんだよ)
---2008/09/19 17:19 (3)
ざわざわ、という音が聞こえた。俺の目の前にあったのは、ノートパソコンと、プロジェクターだった。
自分がどこにいるのか、まったく理解できなかった。
「暗幕そっち押さえて」
「ガムテープ足りないよー」
そんな声が聞こえて、俺は周りを見渡した。景色、音、匂い、何もかもが猛烈な勢いで迫ってくる。
ここは、学校の教室だと理解した。その上、そこにいるのは、高校時代のクラスメイトたちだった。
みんな何でここに? そう訊きそうになるが、全員が、高校の制服を着て、そして、さっきからずっと、忙しく作業を続けている。
俺はノートパソコンに目を落とした。見覚えのある、青い地球の映像。ノートパソコンの隅に表示されている日時を見て、俺は息を飲んだ。
2008年9月19日。
高校最後の文化祭の前日。プラネタリウムを作って、そして帰り道、千紘に告白したあの日だ。




