第八章 南から来た少年、東から来た少女 第八話
トランセリアとしては破格の大盤振る舞いと言える豪華な晩餐会も滞り無く終え、メニューもおおむね好評とあって料理人達はほっと肩の荷を下ろす。残るイベントは舞踏会だけとなり、宮廷の人々にもいくらか余裕が見え始めていた。逆にドレスに着替えた女性スタッフ達には別の緊張感が高まる。
メインの会場である大広間以外にも、中庭や小広間などあちこちに酒と料理を配したテーブルが用意され、美しく着飾った来賓達や礼装を身に纏う騎士が足早に通り抜ける。普段とはがらりと雰囲気の変った王宮に、皆浮き浮きとした表情を抑えきれぬようであった。
大広間に各国の賓客が次々と姿を見せ、高名な王族や貴族を中心にいくつもの歓談の輪が出来上がる。特に大国プロタリアの新たな女帝エリザベートの周囲には、若き皇帝と面識を得ようと多くの人々が詰め掛けていた。幾人もの閣僚を引き連れ現れたエリザベートは、皇女時代とは打って変ったシンプルで大人びたドレスを身に着け、彼女なりに一国を率いる王としての格を意識している事が伺えた。
隣国グローリンドの王子レオンは二歳上の姉クリスをエスコートして登場する。黒髪を高々と結い上げ、見事なスタイルと脚線美を強調するドレス姿のクリスに若い男性は色めき立ち、片やレオンもさして目立つ服装で無いにも関わらず、いつも通り女性客の人気を独り占めにしていた。
同盟国リグノリアのクレア王女は、壁際に用意された椅子に夫ウォルフ将軍と仲良く並んで腰を下ろしたまま広間に歩み出ようとはせず、噂好きの淑女達の間には御懐妊ではとの憶測が瞬く間に飛び交う。そして今回の式典にはイグナートの使節も少数ではあるが出席していた。国王派と王弟派とが権力争いを繰り広げる国内にあって、数少ない中立派の伯爵と、外務長官ヴィンセントは密かにコンタクトを取っていた。結婚式の来賓と言う名目での訪問は絶好のパイプ作りの機会になると、アルフリート以下の閣僚達は考えていた。
壇上には宮廷楽士達も揃い、ひらひらと幾重にもフリルの重なる愛らしいドレスを身に着けたカリンも最前列に並ぶ。彼女はすっかり元老院の老人達に気に入られたらしく、役目を終えてリラックスしたドワイトや遊牧民の古老になにやら話し掛けられては笑顔を見せていた。
娘のその様子にメルヴィング王国のデラルク侯爵が複雑な心境で視線を向けるのだが、彼と言えど公式の使節としての役目があり、そうそうカリンにばかり気を取られてはおられず、王族に付き従っては各国の来賓の応対に追われていた。
やがて国王アルフリートと王妃シルヴァの登場が触れ係の声により告げられ、満場の視線が壇上に集中する。
現れた新たな国王夫妻に大きな拍手が沸き起こり、壇上に居並ぶ閣僚の前に静かに立つ二人は、鳴り止まぬ拍手をにこやかに受け止めた。
穏やかな表情を崩さぬ宰相ユースト・リーベンバーグ、満面の笑みの外務長官ヴィンセント・ペルジーニ、緊張気味に笑顔を浮かべる内務長官フランク・ハーバート、筆頭将軍ローレンス・シュバルカは今日何度目かの涙を堪えて肩を震わせ、将軍オーランド・メレディスとクレイグ・ディクスンは誇らしげに胸を張る。
フランクを除けば皆一様に大陸に名を馳せる高名な重鎮達に並び、優雅な立ち居振る舞いを見せる盲目の剣士アイリーン・クレメントが、かちこちに固くなった夫シン=ロウと共に立つ。さらにその両側に文官、武官それぞれの閣僚がずらりと揃う。
大広間の来賓達に見せつけるかのような、デモンストレーションとも取れるこの登場に、各国の使節団もトランセリアが大陸の主要な国家の一員となる、新たな時代の幕開けが訪れた事を否応なく実感させられるのであった。
拍手の収まった大広間に、アルフリートの良く通る声が響く。
「このような場で長い挨拶など不粋なだけでしょう。…皆様どうぞ時間を忘れてお楽しみ下さい!舞踏会の開催をここに宣言致します!」
相も変らぬ型破りな国王の挨拶から、ほとんど間を置かずに宮廷楽士達の演奏が始まり、待ちかねた人々が広間の中央へと進み出る。紳士淑女達の作る色取り取りの輪がいくつも花開き、華麗なステップで花弁の一つ一つがくるくると回る。
顔見せを無事終えたフランクはほっとした表情で持ち場へと走り、彼以外の閣僚達は外交の場へと散って行った。壇上には国王と新たな王妃へ祝福の挨拶をする人々が長い列を作り、来賓の対応に不安のあるシルヴァの後ろには、ドワイトがぴったりとサポートに貼り付いている。
ユーストとヴィンセントはそれぞれの副官と共に、精力的に各国の王族とコンタクトを取り、アイリーンもシンを連れ独自に動いていた。貴族の居ないトランセリアは常に外交官が不足しており、元王族のアイリーンは格好の逸材であった。三人の将軍達も知己のある軍人の来賓と情報交換に忙しく、外務庁のスタッフ達はここが正念場と広間を駆け抜けて行く。
流れる楽曲と人々のさんざめく声。あちらこちらから乾杯の掛け声が響き、談笑とひそひそ話と恋の駆け引きが繰り広げられる。
若者や踊りに自信のある者達が次々とダンスの輪を作り、やがてその中の一際大きな一つから、拍手と喝采が沸き起こる。グローリンドのレオンとクリスが見事な踊りを披露したからである。十六歳の王子と十八歳の王女は、共に独身であり評判の美男美女と言う事もあってか、周囲は若い男女で取り囲まれ、その中にはちゃっかりとトランセリアの宮廷スタッフまでもが紛れ込んで、二人に熱い視線を送っているのである。
壇上でひっきりなしに訪れる来賓と挨拶を繰り返すアルフリートも、ちらりとそちらに目をやった。面識のあるレオンもさる事ながら、次女クリスもなかなかの才覚を持った女性であると言う噂を耳にしていた彼は、一度彼女と言葉を交わす機会を得たいと考えていた。その動機の何割かは、評判の美貌を間近で見てみたいと言う気持ちがある事を、否定はできないようではあったが。
カインも妻エリス王女に半ば強引に手を引かれ、ダンスの輪に加わる。兄譲りの巧みなステップで軽やかに踊る小柄な少女の、豊かに波打つブロンドが輝き、鮮やかな色彩のドレスが翻る。今だ大人の女性にはほど遠い十四歳のエリスは、しかし夫婦の間では完全に主導権を握っているようであり、カインは真っ赤な顔をしながらも、恐らく今日の為に練習をしてきたのであろうダンスを危なっかしく繰り返す。
彼は数曲を踊っただけで、なおも物足りなそうな顔つきのエリスをレオンの手に預け、クリスの誘いをひたすら頭を下げて断ると、ほうほうの体で談笑する外交官たちのテーブルへと逃げ帰って来た。居合わせたヴィンセントが人の悪い笑顔を浮かべて声を掛ける。
「奥方様を置いてきてしまって宜しいのですか?カイン様」
「いやもう勘弁して下さいヴィンセント様。…私は本当にこういう場は苦手なんですから」
「後が怖いのではございませんか。…いやこれは失礼」
「………おっしゃる通りですが、致し方ありません。……国政の難題を突き付けられた方が百倍はマシです。まだ足が震えていますよ」
カインの性格を良く知る周囲の外交官達は、皆肩を震わせて笑っている。カインは給仕からジュースのグラスを(彼は酒にも弱い)受け取って一息に飲み干すと、声を押さえて言った。
「…デラルク侯爵家の御令嬢が亡命したとの噂を耳にしましたが、いったいどういった訳がありましたので?」
ヴィンセントは悪戯っぽくにやりと唇を歪めると、微妙に答えをずらして反応する。
「さすがに情報がお早い。我が国の地獄耳宰相以上ではございませんか」
「じ……。先程お父上の侯爵をお見掛け致しましたよ。メルヴィングは承知の上の行為なんですか?…まだ十歳でいらっしゃると聞き及びましたが……。ヴィンセント様、少しは教えて下さっても宜しいでしょう」
「いやいや、私にもまさに晴天の霹靂でございまして。一体全体どうなっておるのやら詳しい事はさっぱり…」
すっとぼける赤毛の色男に食い下がるカインであったが、百戦錬磨の外交官であるヴィンセント相手では幾分歩が悪い様だ。そもそも彼は問い掛ける相手を間違っている。内務大臣であるカインと外務長官のヴィンセントは立場上は同格であるから、あしらわれたとしても文句を言う訳にはいかない。カリンの亡命は既に噂として人々の耳に入っているのだから、例えば内務庁の局長あたりをつかまえて、王位継承権者としての格と、内務大臣の地位を利用してプレッシャーを掛けでもすれば良かったのである。酒の席でもあり『ここだけの話』をいくらでも入手する事が出来たであろう。しかし、『上から物を言う』こともカインの苦手とする事であり、そもそも情報収集など彼のするべき仕事では無い。集まった情報を吟味し、政策を立案、決定するのがカインの職務であった。
これがカリン単独の行動であるなら、グローリンドとしてはさほど気を揉む事態では無い。問題となるのは、トランセリアとメルヴィングが新たに親密な関係になる第一歩としての動きであった場合である。
既にリグノリアと同盟国になったトランセリアが、さらにメルヴィングとも強い結び付きを得たならば、大陸の半分を南北に分断するラインが出来上がってしまう。グローリンドの動きを大きく制限する事も可能な三国の位置関係は、事実であるならば十歳の子供の所行と言えど無視出来ない物であった。そしてカインこそ、幼い少女の行動力がどれ程大人の予想を上回るかと言う事を、身に滲みて知っている男だった。
彼にそれを体験させた人物が小走りで駆け寄って来るのを見つけ、グラス片手のヴィンセントが囁く。
「……奥方様がいらっしゃいましたよ」
先年カインの妻となったばかりのグローリンド第三王女、エリス・クローヴィス・ラザフォードが、ダンスの輪を離れて夫の元へと走り寄る。カインの傍らに立つ顔見知りのトランセリア外務長官に気付くと、優雅な仕種で一礼をし、挨拶を切り出した。
「こんばんはペルジーニ閣下、大変に素敵な舞踏会ですこと」
「お誉めを頂き恐縮でございます王女殿下。エリス様は一日毎にお美しくおなりで、私なぞまぶしくて目が眩みそうでございますよ。カイン様は大陸一の幸せ者でございますね」
「うふふ、閣下はいつもお口がお上手」
そう言ってくすくすと笑うエリスは、各国の淑女達を見慣れているヴィンセントが無理をして褒め言葉を探す必要も無い程、十分に美しい女性だった。
ダンスの後でうっすらと汗を掻き、上気した頬と大きな瞳で彼を見上げる少女は、全身から若々しい生気を溢れさせ、暗闇でも輝いて見えるのではないかと思える程生き生きとしていた。同じ王族の姫君とはいえ、リグノリアのクレア女王のような柔らかで優しげな物腰とも、アイリーンのようなしっとりとした艶やかさとも違う、野生動物のようなエネルギッシュな雰囲気を持っていた。しいて言えば同じ末っ子であるエリザベートに一番共通点を見出せるかもしれない。
次の客へと歩き出したヴィンセントを見送り、カインの差し出すグラスを受け取りながら、エリスは唇を尖らせて言った。
「んもぉ、カインったらすぐいなくなっちゃうんだもん。レオン兄様と踊りたいって女の子はたぁーくさんいるんですからね、視線が痛いったら……何のお話だったの?」
「私がダンスが大の苦手だって事は知ってるでしょう、……大人のお話ですよエリス。レオン様とクリス様はまだ踊っていらっしゃいますので?」
カインは話題の内容を告げなかった。突っ込まれて聞かれても成果が皆無だったのだから答え様も無いのである。ジュースで喉を潤しながらエリスは答える。
「あの二人がこれっぽっちのダンスで満足するわけないじゃない。もう次から次へと相手をとっかえひっかえ入れ食いなんだから」
「……エリス、またそんな言葉使いを。ここは他国の王宮なんですからね、もっとお姫様らしい上品な振る舞いを…」
「はぁーい。……あ、ねぇねぇ。アイリーン様いらっしゃった?ぜったいお話聞きたいの。シルヴァ様にも久し振りにお会いしたいし…」
生まれついての王族であるエリスはこういった場での緊張など無縁である。はしゃいで辺りをきょろきょろと見回し、カインの袖を引っ張って走り出そうとする。
「エリス、人が大勢居るんですから慌ててはいけませんよ。ほら手を繋いで、迷子になりますよ」
子供扱いされて不満げに頬を膨らませるエリスだったが、すぐに機嫌を直し、夫の腕に手を絡ませて仲良く歩き出した。会場のあちこちに目をやってはカインに話し掛け、朗らかに笑う。
「あ、レオン兄様」
エリスの指差す方向を見たカインはぎょっとして思わず立ち止まる。ダンスの輪の外れで、今まさにレオンがプロタリア皇帝エリザベートにダンスの申し込みをする所であった。カインは心の中で真剣に願った。
(断わってくれ……)
彼の意に反し、エリザベートはレオンの手をとった。広間の中程に進み出た二人を、歓声と拍手と、そして声を潜めた囁きとが迎える。大国プロタリアの若き女帝エリザベートと、グローリンドの次期国王レオン王子は共に独り身であり、格好の噂のネタになる。さしものエリスも幾分音量を押さえ気味にカインに告げる。
「あれ…エリザベート様よね、兄様ったらホントに入れ食い。この場に居る独身女性全員と踊る気かしら…」
それならその方がまだマシだとカインは思っていた。レオンがエリザベートに対して興味以上の感情を抱いている事は、朴念仁なカインが感付いてしまうほどのあからさまな態度から明白であり、それはグローリンド閣僚としてははなはだまずい事態であった。
エリザベートは父親である先帝ハウザーの遺言により、在位中の結婚を禁じられているが、交際まではその範疇には含まれていない。片やレオンは幾つも寄せられる縁談話に全く食指を動かさず、浮いた話一つも無かった。カインは何か理由をこじつけてレオンをダンスの輪の中から連れ出そうかとも考えたが、そんな不粋な真似をする訳にもいかず、エリスのお守りもしなければならない。ましてや男女の恋愛の綾などカインの最も不得手な分野であり、成り行きを見守るより他は無かった。クリスに一言言い添えておくべきだったとカインは後悔していた。
レオンは少年の頃から生真面目な性格で、父王と違って線の細い自分を随分と気に病み、積極的に剣術や馬術の訓練を受けていた。すぐ上の姉クリスが明朗快活で社交的な面を持ち、また学問にも極めて秀でていた事もあり、ただ一人の王子として姉に劣らぬ様にと、痛々しいほどの研鑽を積み、現在に至っていた。その反面、宮廷内でのサロンや舞踏会など、いわゆる『遊び』の部分に疎く、若い女性に対して表面的な対応しか出来なかった。
三人の姉妹の内最も仲の良かったエリスが早々にカインの元へ嫁ぎ、レオンとそういったくだけた恋愛談義などする事もなく人妻となってしまった事情もあり、尚一層彼の意識の偏りに拍車を掛けていた。妹のエリスが夫カインを遥かに上回る知識量で、十二歳年長の彼を難無く手玉に取り、妻の座に収まったのとは対照的に、大陸で一番人気のアイドルとも言えるレオンは、華麗な外見とは裏腹な純真で不器用な内面を心に秘めていた。
壇上へ向かう途中にも幾人かが二人に声を掛ける。国王夫妻への挨拶の列に並ぼうとすると、気付いたトランセリアの外交官がすっ飛んで来る。隣国の王族であるカインとエリスを待たせる訳にはいかないからだ。周囲の人間も進んで順番を譲るのだが、カインは先程からレオンとエリザベートの事が気になって仕方なく、ちらちらと視線を送ってはすっかり上の空である。
話し掛けられても反応の鈍い夫にエリスは小さく肘鉄を食らわせ、やっと状況に気付いたカインが、いつもの笑顔を取り戻してアルフリートの前へと歩み出た。
「お久し振りでございます陛下。本日は誠にお目出度うございます」
型通りの挨拶を交わすとシルヴァは親しげにエリスに語り掛ける。
「エリス様はもうすっかり大人の女性におなりね。以前にお会いした時よりも何倍も美しくなられて、とてもお幸せそう」
シルヴァはエリスとは面識があった。亡父と共にグローリンドの式典に列席した事があるからだ。社交の苦手な彼女ではあったが、少しでも経験を積んでおこうと頻繁に父の供として様々な式典に同行していた。
まだ十にもなっていなかったエリスと、既に士官になっていた十代のシルヴァとでは、友情が芽生える所まではいかなかったが、エリスは当時から物おじなどせず、武人であるシルヴァとも会話を弾ませていた。
「シルヴァ様もものすごくステキです。キレイでかっこよくって、あこがれちゃいます」
エリスのあまりにも率直な褒め言葉に、シルヴァの頬が薄く染まる。後方に少し離れて控えるシルヴァ付きの侍女達は、それを耳にして心の中で力強くガッツポーズを取った。今日のこの日の、今この瞬間の為に、彼女達はプロジェクトチームを組んで、自分達の王妃を如何に他国の姫君達に引けを取らぬよう、美しく仕立て上げるか試行錯誤を繰り返して来たのだ。今迄の様々な行事では無く、最もシルヴァが間近で品定めされる舞踏会で、美貌で評判のグローリンド第三王女から手放しで褒められた事を、彼女達は生涯忘れぬであろう。
「ああ、エリスもう一度結婚式したくなっちゃう」
カインに向けてそんな事までも言い出すエリス。照れくさそうに微笑み、少女を嗜めながらも、カインは先程からの発言もエリスが本心でそう言っている事を分かっていた。彼の愛した少女はこういった社交の場でも嘘をつかない。それでいて周りの人々を和やかで明るい雰囲気にする事が出来る天分を持っていた。
グローリンドのルーク国王は子育てには成功をおさめたと言えよう。彼の四人の子供達は、それぞれの長所を活かして国に貢献し、王を支えている。男子が一人しか産まれなかった事も、王位争いが避けられたと考えれば利点になった。
天真爛漫なエリスの発言で、人々の間にいっそう笑顔が広がる中、アルフリートは声を潜めてカインに囁いた。
「…レオンの事が気になって仕方がないみたいだね、カインは」
その言葉にカインは一気に現実へと引き戻される。切れ者のトランセリア国王は、カインの落ち着かぬ様子を見逃してなどいなかった。一瞬言葉を失い、カインは小さなため息と共に答えた。
「……おっしゃる通りです。陛下には何も隠せません」
振り返った彼の視線の先では、レオンとエリザベートのダンスがまだ続いていた。
(……いったい何曲踊る気なんだ)
国王に向き直ったカインのすがりつくような情けない表情に、アルフリートは肩をすくめて見せ、苦笑混じりに言った。
「取り敢えず様子を見るしか無いんじゃないかなぁ…。下手に突つくと火に油を注ぐ結果になるかもしれないし」
いずれにせよカインにどうこう出来る問題でも無かった。楽しげに引き上げるエリスとは対照的に、とぼとぼと去って行くカインの後ろ姿を、アルフリートは笑いを堪えて見送ったが、彼としても笑ってばかりはいられない状況でもあったのである。
外交官としての役目を果たす為に、閣僚達は会場のあちこちで積極的に各国の重鎮とコンタクトを取っていた。祝いの席でもあり、外交問題などの胃の痛くなるような話題も今日は控えられ、新たな国王夫妻の誕生を祝福する言葉が会う人ごとに交わされている。ただそれでも、広間の隅などでは実際の現場を仕切る外交官らが、眉間に皺を寄せてなにやらひそひそと話し込んでいたりはするのであるが。
シュバルカとディクスンはそれぞれの連れ合いと共に、主に面識のある騎士らと挨拶を交わしていた。シュバルカは嬉しそうに愛娘フランソワを抱きかかえ、見せびらかす様に知人に紹介する。舞踏会に赤ん坊を連れて来るなどいささか非常識ではあるのだが、彼と同格の軍人と言えば孫もいるような世代がほとんどであり、愛らしい幼児にどの人物も目尻を下げていた。
やもめ暮しの独身であるメレディスはといえば、なかなかの美女である第三軍の女性騎士を抜け目なくエスコートして現れた。副官のタウンゼントらはまさか自分達が随伴する訳にも行かないだろうと気を揉んでいたのだが、どう話を付けたのか、それとも彼女が今現在のメレディスの恋人であるのか、伴ったドレス姿も艶やかな彼女もまんざらでもなさそうな笑顔を絶やさずにいる。洒落者の将軍のプライベートは、まだまだ秘密が多そうであった。
宰相ユーストを中心にダンスの輪が出来上がる。周りを取り囲んでいるのは若い女性ばかりであり、輪の外からそれを眺める二人の副官、ディアナとエレノアの内心は如何ばかりかといった所であろう。王族リーベンバーグ家の直系であり、建国王の孫であるプロフィールに加え、すらりとした長身に涼やかで整った顔立ちと洗練された優雅な物腰、ダンスも楽器も嫌味なほど達者な上、話題も豊富で弁説も巧みと来ては、例え独身で無かったとしても淑女達が放っておく訳は無かった。
先代からの宰相として、国王の片腕以上の存在であるユーストが一度として国外に赴かない理由を、その頭脳が他国に流出するのを怖れた国王により固く禁じられているのだと各国の閣僚は推測するのであるが、もちろんアルフリートはそんな事など欠片も考えておらず、(ユーストが王室外交の一部を受け持ってくれたらどんなにか楽だろう)と思っているのである。王立工匠に『酔わない揺れない馬車』の開発を依頼しようとしては、無理難題だとにべも無く断わられるのであった。
女性関係はともかく、ユーストは文官の長であるから踊ってばかりなどいられない筈であるし、現に彼と面識を得たいと考える高官も多く存在したのであるが、何故か彼はさほど気にしていない様子であった。それは、トランセリア王宮に新たに現れた強力な外交官、アイリーンの存在に因った。
既にトランセリア王宮に、夫と共にすっかりと溶け込んだ盲目の淑女は、外務省の外交官達から国王の代理を務める役目に駆り出されることもしばしばだった。主に国を訪れた外国の王族や貴族たちに同行する、彼らの夫人の相手を任されることが多かった。多忙な国王アルフリートや、外交をやや苦手とする王の婚約者兼軍務長官に代わり、あまり政治には踏み込まない話題を主とする彼女達の応対を担当していた。
そのご夫人達も、政治の話などする気は毛頭なく、アイリーン自身の逃避行のエピソードや夫との馴れ初め、王宮での暮らし振りなどを尋ね、時には妊娠中の彼女に出産の苦労話などを語り出す女性もあった。かつてのアイリーンはイグナート国王の第三夫人の娘であり、王位継承権も持たない存在ではあったのだが、まぎれもない王族直系の血筋であることは確かで、それは貴族達にかなりのステータスであると受け取られていたのだろう。
政治的な話が上った時の対応策として、アイリーンは外交官らと予め会話の想定問答集まで作成し、シンに読み聞かせてもらうなどして予行を重ねていたのだが、実際の場でその練習が役立つことはあまり無かった。クレイマン侍従長に頼み込んでのマナーチェックまで受けていたのにも関わらず、いずれの会合も、世間話に終止することがほとんどだった。
離宮での暮らしが長かったアイリーンは世事に疎く、話題に飢えている有閑貴婦人達のトークを、穏やかな態度と柔らかなほほ笑みで素直に受け答える、いつもの日常そのままの態度で接した。そしてそれはなぜか貴族達に非常に好意的に受け止められた。彼女が盲目であるということによる神秘性が加わった為もあるのか、美しく、淑やかで上品と、アイリーンの評判は高まる一方だった。
それまでは国王アルフリートと宰相ユーストのリーベンバーグ一族に、外務長官のヴィンセント、加えて少しではあるが婚約者となったシルヴァが、それぞれ王族外交の職務をこなしていたが、その一部をアイリーンが受け持つことにより、かなりの効果が上がることとなった。外務省スタッフはこれ幸いと、アイリーンに王室付き顧問に加えて外務補佐官という新たな役職を兼務してもらい、彼女の日常は日増しに忙しいものとなっていった。しかし、それでもアイリーンの給金は平官僚と同じような額ではあったのだが。
舞台上ではカリンが客演としてのバイオリン演奏を披露していた。可愛らしいドレスに身を包んだ少女の奏でた音色は、多くの喝采を受け、演奏を終えた後は来賓達に取り囲まれる騒ぎとなる。カリンの実家であるメルヴィング家との接触を避けるために、外交官たちが少女のガードに駆けまわる一幕もあった。
ようやく質問攻めから解放され、無事に役目を果たし終えたカリンに、ディクスンの一人娘のフィーナが駆け寄る。彼女は少女の手を取ってせわしなく歩き出しながら言った。
「お疲れ様カリン。とーっても素敵に弾けていたわよ」
「あ、ありがとうフィーナ、…ってどこに行くの?」
「いいからいいから」
有無を言わせずホールを突っ切って中庭に出たフィーナは、くるりと振り返ってカリンに向き直ると、にっこりと微笑んで告げた。ドレスの裾が空中に綺麗な円を描く。
「はい、お待たせ。王子様のご登場です」
大袈裟な仕草で片手を挙げ、片手を少女の肩に添えるフィーナ。カリンがその手に押し出されてそのまま二、三歩進むと、目の前に一人の人物が居た。
「…あ?ハルトっ!?…え?うわっ!全然分かんなかった」
カリンが眼鏡を掛けていなかった上に、ハルトの服装がタキシードであった為か、眼前にするまで少女は彼の存在に気づいていなかった。
「…お、おう」
着慣れない服装と初めて出席する大きな舞踏会に緊張しているのか、ハルトはぎくしゃくと手を上げて挨拶をする。
舞踏会への招待状は、王宮からハルトへも届けられていた。エミリは早速少年の為に末息子のトーマの礼服を直して身支度を整えてやり、興行を終えたハルトと弟とを伴ってフィーナは王宮に赴いたのである。
「フィーナ、ありが…、んん?」
振り返ってそう告げようとしたカリンは、ぼんやりとした視界にピントを合わせようと眼を細め、続いてドレスに合わせたフリル付きのポーチから眼鏡を取り出すと、周囲の光景を確認する。
次の瞬間、ハルトに向き直ったカリンは彼の手を取って走り出した。どう見ても逃げ出している少女に手を引かれ、ハルトが叫ぶ。
「おいっ!何だよいきなり。靴が合ってねえんだからそんなに速く…、おいって!」
にこにこと微笑みながら手を振るフィーナ。傍らには弟のトーマがニヤニヤと笑って二人を見送っている。その背後にどこから嗅ぎつけたのかヴィンセントとリサが興味津々といった表情で並んで居り、さらに女性騎士を伴ったメレディス将軍がグラス片手にこの光景を眺めている。少し離れてはいたがアイリーンまでもが広間の隅で耳をそばだて、事態を知らないはずのカインとエリスが野次馬根性で覗き込んでいる有様だった。
確認出来ただけでもそれだけの数の人物が自分たち二人に注目していることに気づいたカリンは、一体どんな噂になっているのか内心で震え上がりながら走り続けた。やっと人気の無い東屋に落ち着くと、少女は言った。
「ああもう、物見高いったら…。ごめんねハルト、眼鏡掛けてなくって、気づかなくて…」
「いやそれはいいんだけど、服も靴もぜんぶ借り物だから動きづらくってよ。…なんか飲むもんでも持ってくるか?」
息を弾ませて手の平で自分を扇ぐカリンの姿を見て、ハルトは気を利かせてそう尋ねた。
「ああ、ありがとう。……いや待って、今動くのはまずいわ。まずいのよ。そうなのよ…」
「何言ってんだか分かんねぇけど、そうか」
「……聴いててくれた?」
やっと少し落ち着いたのか、カリンは上気した頬でそうハルトに尋ねた。
「ああ、すごかったじゃねぇか。どれぐらい上手いのかは、俺にはちょっとよく分かんなかったけど、みんなすっげえ拍手してたし…」
「えへへ、…ありがと。…今日は結構うまく出来たと思ったのよね」
「そうなのか、良かったな」
「うん」
会話が途切れ、大広間からの音楽が耳に届く。時折歓声も混じるその音に、舞踏会がまだまだ盛り上がっていることが察せられた。
しばらくの沈黙の後、カリンはつっと一歩、ハルトに近づいた。
「いや、待て」
勘のいいハルトは素早くカリンの意図を察し、続けて言った。
「俺にダンスを期待するな」
「えー」
「ちゃんとした踊りなんかできるかよ」
「大丈夫よぉ、教えるし」
「いやいやいや」
「ほら、手」
観念したハルトが、カリンの差し出した両手をしぶしぶと取る。
「…どうすりゃいいんだよ」
「あたしの真似して。こう、1・2・3で、…そうそう、そんな感じ。…足踏まないでね」
おっかなびっくりといった感じで両足を動かすハルトであったが、コツを覚えたのかすぐにカリンのステップに合わせ始める。
「上手いじゃない、そうそう。…ターンするわよ」
そう言ってくるりと互いの位置を入れ替えるカリン。流れてくる音楽のリズムに合わせステップを踏む。最初は足ばかり見ていたハルトも、余裕が出来たのか顔を上げて少女に視線を合わせた。
少しだけはにかんだ笑顔を見せるカリンを見つめ、ハルトはこれ迄のことを思い出していた。ホームシックになってめそめそと涙を流していたり、旅の途中でぎゃあぎゃあと文句を言い募る少女の、ころころと変わる表情を脳裏に浮かべ、(ちゃんとしてりゃ結構可愛い所もあるのになぁ…)と、内心で考える。カリンは少年のその些細な変化に気付いて言った。
「…何がおかしいのよ」
「なんでもねぇよ。…これでいいのか?ダンスってのは」
「…そうねぇ。こうかなっ!」
いきなり片手を離してくるっと一回転してみせたカリンにハルトは慌てたが、軽業師らしい素早い反射神経で少女の動きに合わせてみせた。スカートの裾が見事な真円を形作り、カリンは喜んではしゃぐ。
「うまいうまい!すごいじゃないハルト!」
「そうか?どんなもんだ」
「あははっ」
流れてくる陽気な音楽に合わせ、二人きりのダンスは続いていく。
◆
早朝、街のあちこちにまだ昨日の喧騒の残り香が漂っている中、人々は祭りの片付けに動き出していた。
約束の広場で待つ馬車に向かい、旅支度を整えたハルトが歩を進める。少し離れてカリンとフィーナがその後姿を追って歩いて行く。
昨夜、王宮から帰る馬車の中で、ハルトは明日の朝旅立つことを告げた。式典の期間中に、セリアノートで共に興行を打った一座と次の目的地へ向かうのだと言う。
急な出発ですまないと謝る少年に、カリンは暫くの間言葉の出ない様子で、身じろぎもせず沈黙していた。
その夜の少女は時には陽気にハルトを励ましたり、エミリやフィーナの手伝いを申し出たりと、いつもよりも饒舌にせわしなく行動していた。けれど時折ふと黙りこくり、宙を見つめて立ち止まっているカリンの様子を、フィーナは痛々しく思いながらも何も言ってやることが出来ずにいた。
一座の馬車を目にしたハルトは立ち止まって振り返り、頭を下げてフィーナに礼を言った。ディクスン家を出る際には、将軍と夫人からも見送りを受けていた。
「本当にお世話になりました、必ずまた戻ってきてお礼をします」
既に何度も聞いた少年のその言葉に、フィーナは小さく頷き、隣に佇むカリンに視線を移す。ハルトが声を掛けた。
「…お前も頑張れよ、カリン。大陸一の音楽家になるんだろ」
「……あんたもね。世界中を見てやる、って言ってたの、忘れてないわよ」
そう答える少女の顔に浮かぶ不器用な微笑みに、フィーナは胸を締め付けられ、二人から目を逸らした。もう見ていることが出来なかった。
「……じゃあ、行ってきます」
別れの言葉を告げるハルトに、カリンはやっとの思いで答えた。
「着いたら手紙、…書いてよね」
「おう」
踵を返し、歩き出した少年の背中に、カリンの声が届く。溢れ出してしまった涙に阻まれ、かすれた短いその一言が、少女の別れの言葉となった。
「…ハルト、……ありがとう」
一瞬だけ振り向き、小さく手を上げてその言葉に応えると、ハルトは馬車へと走った。待ち受けるその荷台に飛び乗り、もう一度こちらに手を振る。
その姿にカリンも小さく手を振り返す。動き出した馬車に引きずられるように、一歩二歩と進んでは手を振る。その手を伸ばして、さらに強く大きく振る。遠ざかっていく馬車に、小さくなっていく少年の姿に、精一杯大きく、ちぎれるほど強く、カリンはいつまでも手を振り続ける。
東へと向かう馬車が、朝日の中に飲み込まれ、見えなくなっていくまで、少女は手を振り続けた。
どれぐらい時間が経っただろうか、じっとカリンを待っていたフィーナが、声を掛けようかと思った矢先に、少女は勢い良く振り返って歩き出した。
肩を怒らせて早足に歩く少女に並び、フィーナは何も言わずその肩を抱いた。やがてことりと頭をもたらせたカリンに寄り添い、涙で頬を濡らしたまま、二人は黙って屋敷へと続く道を歩いていく。
セリアノートは新たな春を迎えようとしていた。




