1-1 公歴140年 ガルスの戦いまで
私の名はクリス=ガンフォール。
小さな出版社ブリステンの記者である。
ドナルド=キース社長兼編集長の下、風俗、事件、観光といった様々なジャンルの記事を書いてきた。
文章や語彙は拙いものだったが、キース編集長は構わず会社が発行していた雑誌『グリケット』に載せてくれた。
会社の名前であるブリステンとは、ランヴァルディア共和国の昔の言葉で「公平」という意味らしい。
社名の通り、公平中立な立場から様々な記事を書いてきた。時に批判を受けたこともあったが、キース編集長はそんなのお構いなしといった態度でその信念を貫いてきた。
そんなこんなで、キース編集長と1年を共にした公歴129年。
隣国アーレント帝国との戦争が始まった。
世に名高い『ルクセント戦役』である。
戦域は瞬く間に拡大していき、たった1年で周辺諸国をも巻き込んだl大戦へとその姿を変えてしまった。
連日の報道で、共和国側陣営が有利であることが伝えられていたが、キース編集長はそれを疑問に感じていた。
ある日、私に戦地の取材に行くよう命じた。
「戦地のありのままを伝えるんだ。それが我々の義務だ」
編集長の思いに心打たれ、私は即日国を発った。
真実を国民に伝えること。その実は戦争の早期終決にあることを感じ取った私はそれに則って取材をした。
現地の惨状を写真に収め、感じたものそのままに記事を書き、それらを編集長ものとへ送った。
数日後には雑誌に掲載され世間に発信された。
ところがある時、戦地にいる私のもとに記者仲間のリンディ=ホープマンからのメールが送信されてきた。
その内容は、「国に不利益になる記事を差し止める」との政府からの通告に関するものだった。
彼女によれば、この通達にキース編集長を始め出版各社は政府に対し猛抗議したが、政府は聞く耳持たずという態度で彼らを追い返した。
それどころか、今回の通達に抗議した多くの記者達を「国家反逆罪」という罪のもと投獄したという。
私は衝撃を受けた。そんな罪、今まで聞いたことない。まして、今の今まで何も咎めがなかったのに、何を今更という感じだった。ふざけるなと思った。
加えて、どういったわけか知らないが、私も投獄の対象となっていて追っ手が差し向かれたとメールにはあった。
メールを読み終え一息ついていると、果たして東の方から砂煙が上っているのが見えた。
私は逃げる準備を始めた。こんなところで捕まるわけには行かない。ここで捕まれば、私は使命を果たせなくなる。
その時は気づかなかったが、私に隣にはある人が立っていた。そして小声で「じっとしてなさい」と言ってくれた。
何のことか分からず、私ははっと振り返った。あっと唸った私の口をその人は慌てて塞いだ。
果たして。追っ手が私を捕まえようとした時、その人が私を捕まえようとした手を掴んだ。
「何か勘違いしてないかな? 彼女はアイリス=カーニバルといって、私の部下だよ」
声の主は、共和国第三遠征軍のユェンヂー=ピィェンガン中将だった。
彼を見て驚いた彼らだったが、隊長格らしき人が中将に意見しようとした。
「し、しかし中将。この女は間違いなく―――」
「何だい? まさか君は私が嘘をついているとでも言うのかい」
「い、いえ・・・・・・失礼しました」
中将にそう言われると、私を捕らえに来た兵士の彼は何も言えなかった。黙ってその場を引き上げた。
私は以後、中将と行動を共にすることになった。
中将は共和国内で国王を始めとした共和国の首脳陣に絶大な信頼を寄せられている人である。
詳しい経緯は知らないが、以前は東の果ての国で傭兵をしていたそうだ。
5年くらい前にこの国に流れてきたようで、軍に入って以来、メキメキと頭角を現して今ではこの国になくてはならない存在となっていた。
加えて中将は国王や王女の覚えがめでたい。故に、他の人達はいつの頃からか「中将に意見することは陛下に意見することと同じである」という認識を持っていた。
最も、中将自身はそんな事微塵にも思っていないのだが。
そんな中将の率いる第三遠征軍は、他の遠征軍とだいぶ違った様相を呈していた。
何故なら、第三遠征軍の構成員で共和国の人間は一人しかいないのだ。それ以外全員が異国出身者で構成されているとのだ。
又、彼らは皆違う出身なのに、どういったわけか、どんな事態にも動じることなく見事な連携で乗り切ってきた。
「たとえどんなに蔑まれようとも悪言を言われようとも自分達の国の為にやるべきことをなす」
と中将はいつも口にしていた。
こんな稀有な人、私は今まで見たことなかった。
◆
私は第三遠征軍お付の従軍ジャーナリストとして各地を転戦とし、戦場での出来事を事細かにノートに書き記してきた。
銃弾・魔法弾、ありとあらゆる攻撃が飛び交う戦場の最前線に私はその身を置いていた。
護身術程度の武術は身につけていたが、如何せん私には魔法が使えない。はっきり言って足でまといの何者でもないが、それでも、この戦争のありのままを伝えることが私の使命だ。
そう中将に申し出た。
「分かった。ただ、貴方に死なれては大恩あるキースさんに申し訳が立たないから、護衛をつけさせてもらうよ」
中将はそう言ってある若者を紹介してくれた。
名前はアインス=シュバルツ、階級は曹長。若干18歳。
彼はこの軍唯一の共和国人で、魔法防御力に長けていると評判の少年だ。
彼の助けを借りて、私は戦場となった村や黒煙が上る廃墟街を取材した。奮戦し力尽きた兵士、肩身を寄せ合い震える住民達、怪我をした者達・・・・・・。
この光景を目の当たりにして、私は無力感に襲われた。
何もできないことに苛立ちを覚えた。
その時、私はふと、自分が握っていたペンを見た。
それは父の形見のペンだった。長年使っていたので所々に父の手垢が染み付いている。
「ガンフォールさん。書いてください。書いて、世界にこのことを知らせるんですよ。ジャーナリストでしょ、貴方」
ジッとペンを見つめている私を見て、シュバルツ君は私にこういってくれた。
彼の言葉で私は吹っ切れた。
私は頬を思いっきり殴った。
「分かったわ。私は、私のできることをするわ」
私に出来ることは、真実を世界に知らせること。ならば徹底的にやってやると心に誓った。
時には、敵陣地近くまで乗り込み、敵国の様子も書き記すことにした。
その理由として、共和国のことを帝国は全体どう思っているのかずっと気になっていたのだ。
これまで、私は中立的な立場を撮りつつも、共和国側の人間として帝国側を見てきた。
しかし、帝国の人が自分達をどう見ているのかを考えたことはなかった。
「ガンフォールくん。たまには、相手側の視点で記事を書いてご覧? 違う何かが見えてくるからさ」
と、以前キース編集長が言っていたのを思い出した。
◆
共和国内では、帝国は残虐非道の極悪人の集まりというのが常識だった。
それでは帝国側はどう思っていたのだろうか。
そんなことを考えながら、私は敵陣地に着いた。
「共和国の連中なんか、俺らにかかりゃどうってことないよな」
「けどよ、連中、卑怯で卑劣で性根の腐った奴らの集まりなんだろ? 正義の大義を掲げた俺達に敵うはずねぇな」
こんな会話が私の耳に入ってきた。ある程度予測していたとはいえ、正直ショックを受けた。
「・・・・・・ひどい言われようですね」
「仕方ないわ。私達の国だって、同じよ」
敵を悪くいい、それを討ち世界に平和をもたらす自分達に正義があると自国の国民に告げる。
戦争する上ではこの上ない宣伝である。
言い知れぬ怒りが私達の中に生まれていた。しかしそれを口にすることはなかった。我々の国も、帝国と同じことをしているのだ。私に彼らのことをとやかく言う資格はない。
正義と悪は紙一重、と誰かが言っていた。ある人には正義だが、見方を変えればそれは悪になる。
今日でそれが良く分かった気がする。キース編集長の言葉も同じだ。
「行きましょう。これ以上はいれないわ」
私達はそこを後にした。
◆
公歴130年の秋の頃。
アーレント帝国のアリス=べノン大佐率いる帝国第十五軍団とピィェンガン中将の第三遠征軍が帝国と共和国の国境にあるウィンダルティン平原で激突した。
ウィンダルティンの戦いである。
結果から言えば、戦闘は帝国軍の圧勝に終わった。
帝国のべノン大佐は、女性でありながら世界で五本の指に入る力の持ち主で、いかに中将が共和国内で強くても、それは天地ほどの差があった。
攻撃力・魔法力、そのどれもが中将を圧倒していた。
私は近くでその戦いを見ていたが、途中で見ているのが辛くなってしまった。
一騎打ちが進むうちに徐々に中将が押され始めた。
「ピィェンガンもたいしたことないな!!」
べノン大佐の咆哮を聞いた私は、すぐにシュバルツ君と共にこの場から離れた。
「撤退だ! 全軍撤退!!」
敗北を悟った中将自らが殿を務め、すぐに退却を開始した。
「逃がすか!! 追えっ!!」
中将も後から追いつき、第三軍は一路味方のいるホアスネイティアまで退くことになった。
ホアスネイティアには、中将の同期であるディアン=クレイス大佐が駐屯している。そこまで逃げれれば何とかなると思った。
しかし、中将の敗北を知った帝国に味方する連中が昼夜問わずゲリラ戦を仕掛けてきたのである。
おかげで、軍は四散し私とシュバルツ君も軍からはぐれてしまった。
土地勘もない地に放り込まれた私達は、ひとまず人里を目指すことにした。
「ここに近いところだと・・・・・・フェンですね」
シュバルツ君が呟いたフェンという単語を聞いた瞬間、私は憂鬱になった。
フェンは私の故郷であり、帝国に奪われた街でもある。
風の噂では、領民達は帝国軍の兵士達に奴隷同然の扱いを受け過酷な生活を強いられているという。
「・・・・・・」
私が無言でいると、シュバルツ君は怪訝そうな顔で私を見つめていた。
「何でもないわ。行きましょう」
私達はフェンに侵入することにした。
フェンを実行支配しているのは、べノン大佐の配下でネアン=シンレイ少佐。性格は残忍非道の極みで気に食わないものは容赦なく切り伏せる奴だ。
茂みの中からフェンの街並みを見た私はその悲惨な光景に絶句した。
シンレイ少佐の兵はフェンの住民を虫けら同然のように扱っており、殴る・蹴る・略奪・陵辱・・・・・・。私は我が眼を疑った。
「何よ、これ」
私の両手がわなわなと震えていた。戦争に勝ったら、何をしても許されるのか。
言い知れぬ怒りが私の全身を駆け巡っていた。その時私は気づいていなかったが、ノートに思いの丈をペンに乗せて走らせていたらしい。
「ガンフォールさん。落ち着いてください。貴方が怒ってどうするんですか」
シュバルツ君に言われて私は我に返った。確かに無力な私がここで怒っても何も始まらない。
私は彼らの行為を写真に収めた。いつかこの写真を世に放ち、帝国の非を説くと決めた。
と同時に、公平中立の眼を忘れないことを改めて誓った。
共和国側にも非があれば私はそれを追求し、世間に発表するし、抗議もする。
自分が見たもの、感じたものをありのまま世間に公表する。嘘偽りを書くくらいならジャーナリストなんてクソくらえだ。
誰かを騙すことなんて私の性格上できることではなかった。立場が上の人間に媚びへつらうことは以ての外・・・・・・。
「が、ガンフォールさん、ちょっと!」
「え?」
私は色々考えながら歩いていたようで、茂みから出ていることに気づかなかった。
「誰だてめぇは!?」
しかも運が悪いことにそこにはシンレイ少佐がいたのだ。
「まずい! 凍てつく煙幕」
絶対零度の霧の煙幕で彼らの視界を遮断したシュバルツ君は、私の手を取り森へ走った。
「敵だ逃がすな! 追えぇっ!!」
後ろから少佐の声が轟き無数の足音が聞こえたがそんなことに構うことなく私達は走り続けた。捕まれば殺されると私の心が叫んでいた。
シュバルツ君は時折防御魔法を展開しながら敵の攻撃から私を守ってくれていた。しかし敵の攻撃魔法も強力であり、シュバルツ君も疲れが見え始めていた。その為彼の防御魔法がブレ始めた。
「ぐっ・・・・・・」
シュバルツ君の身体がグラリと揺れ地面に倒れた。私は慌てて声を上げて彼のもとへ駆け寄った。見れば彼の腹部から血がトクトクと流れていた。
「手こずらせやがって」
シンレイ少佐が気味の悪い笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。捉えた獲物をじっくり嬲り殺すがごとく不愉快で寒気がする。全身から嫌な汗が流れているのがよく分かる。
「何だァ女。こいつをかばっているのか?」
彼に言われて私は初めてシュバルツ君を前に両手を広げて立っていた。
「に、逃げて・・・・・・」
後ろからシュバルツ君の弱った声が耳に入った。この時シンレイ少佐やら彼の部下が何か『戯言』を口にしていたようだが、そんなものは私の耳に入ってこなかった。私は彼の方を向き、苦痛に歪む彼の顔を見てニッと笑った。
「貴方を見殺しにするくらいなら、ここで死んだほうがマシよ」
その時のシュバルツ君の顔は「貴方は馬鹿だ」と告げているようだった。それから、何となくだが彼が己の不甲斐なさを恥じているようだった。
「なら望み通りにしてやるよ!!」
シンレイの凶刃が私の眼前に振り下ろされようとした。死ぬ恐怖はなくすっと瞼を閉じて自分の終焉を待った。
次に私の耳に入ってきたのは、肉と骨を断つ音ではなく、金属と金属がぶつかり合う音だった。
「民間人に刃を向けるとは、軍人のすることじゃねぇな」
閉じた瞼をゆっくり開くと、私の眼の前に知らない男の人が立っていた。
その人は白い上着のようなものと青いズボンのようなものを履き右手には片刃の剣を持っていて、シンレイの凶刃を片手で受け止めていた。
「無事かい? お二人さん」
それが、私とあの方の最初の出会いだった。
◆
私はあの方を最初に見て不思議な方だなと感じた。
穏やかな感じとは別に何かとてつもない力を秘めているような、そんな感じだ。
ただいるだけで自然と安心感が生まれている。その理由は今になっても分からないが、あの方は生き神様のような気がしてならなかった。
「誰だてめぇ」
シンレイ少佐が獲物を仕留めそこねて不機嫌な表情で尋ねるも彼は
「お前ごとき犬畜生に名乗る名はねぇよ」
とシンレイ少佐を挑発した。その言葉に激昂した少佐は怒りに任せて剣を振るうも彼は見事にいなし、隙を突いて強烈な蹴りを入れて少佐を吹っ飛ばした。
それを見ていた少佐の部下達は傷ついたシュバルツ君を手にかけようと襲いかかろうとした。
「殺らせるかよ」
私は一瞬、何が起こったのか全く分からなかった。
あの方はいつの間にか私の前からその姿を消した。
「えっ???」
直後、私の後ろから無数の断末魔が私の耳に入ってきた。
振り返ると、シュバルツ君に襲いかかった者達全員が彼の一閃によって首を宙に飛ばされ、胴を両断され、鮮血を周りに撒き散らしていた。
彼らはついに知ることもできなかっただろう。あんなに遠くにいたのに、いつの間にか自分たちの眼の前に現れて、理由の分からないうちに彼らの意識はブラックアウトしたのだから。
如何に残虐非道なシンレイ少佐の部下とは言え、あのべノン大佐が鍛え上げた精鋭中の精鋭である。そんじゃそこらの兵士達とは質が違うのである。
重い斬撃や一撃必殺級魔法攻撃、硬い防御魔法や装備を習得している彼らと戦えばこちらが不利になる。それが私達の常識だった
事実、同じジャーナリスト仲間からメールで各戦地の状況が送られてくるのだが、べノン大佐の軍と戦った隊はいずれも大敗しているのだ。
その兵士達を、あの方は一閃で剣の錆にしてしまったのだ。彼は剣の血を払うと、懐に持っていた紙のようなものを取り出し剣についた血を拭っていた。
私は呆気にとられていると、彼は私に近寄り腕をぐいっと引っ張った。なぜ引っ張られたのか全く分からなかったが、その直後に真紅の光線が迫ってきたのを見て気づいた。
彼はその握っていた剣で光線を斬った。
「ほう、俺の真紅の輝きを防ぐ奴は初めてだ」
強い獲物を見つけたシンレイ少佐は好奇心に満ちたように自身の獲物である大剣・エルグランドを頭上でぶん回している。
エルグランドは炎を具現化することができる武器の中で一番強力な破壊力を持った剣だ。これを扱うにはある条件が備わっていることであるが、残念ながら条件は現在でも不明である。
「逃げてください! いくら貴方でも無理です!!」
私はとっさに叫ばずにはいられなかった。どんなに強かろうと、あの武器には万物の理が通じないのだ。いかなるものもその灼熱の業火によって一瞬で消し炭にしてしまうその大剣でこれまでに数多の戦士が挑み、路傍の露と消えていった。
しかし、あの方は動じることなく私の頭に手をおいた。
「ま、見てな」
それだけ言うと、あの方はゆっくりと前に出た。
「アンタ、人を殺すのに躊躇いはないのか?」
優しい、しかしどこか怒りに満ちた語気で、あの方は片刃剣の切っ先をシンレイ少佐に向けていた。視線は見ていないが、恐らく相当憤怒の眼差しを向けていたのだろう。
「何当たり前のこと言ってんだお前?」
不気味に笑い出したシンレイ少佐のそれはもはや狂気に近かった。
「クズ共の命乞いをする顔! 恐怖に歪む顔! 泣き叫ぶ顔!! そいつらが血の塊に変わる瞬間のあの絶望した顔!! たまらんねぇ!! 俺より弱い奴は、俺の実験台として殺されることにありがたみを感じて欲しいねぇ!!」
私は恐怖した。如何にべノン大佐の配下とは言え、ここまで性根の腐った奴とは思わなかった。
「そうか」
あの方は静かに言った。
「死ね!」
シンレイ少佐が大剣を振り下ろした。降ろされた大剣から灼熱の業火が私達目掛けて襲いかかってくる。数多の英霊の命を喰らい尽くした死神だ。
確か、その技の名前は『地獄の業火の死神』
私が恐怖に震えていると、あの方は自信に満ちた声でこう言った。
「俺の後ろから出てくるなよ」
それから彼は片刃剣の切っ先をちょうど左下に向けて、ゆっくりと腰を下ろした。
彼の身体から清く涼しい風が流れた気がした。
「むん!」
直撃する瞬間、眼に見えぬ疾さで振り抜かれた一閃は死神を両断した。
万物を燃やし尽くすそれを、ただの鉄の剣が斬ったのだ。
驚愕するシンレイ少佐と、唖然とする私とシュバルツ君、そして、不敵な笑みを向ける彼。
「ば、馬鹿な・・・・・・」
「何か、不思議なことでもあったかな?」
彼は再び私の前から姿を消したかと思うと、いつの間にか、シンレイ少佐の前に現れ、その首は宙に打ち上がっていた。
「お前の遺伝子はこの世には不要だ」
あの方はそう言って片刃剣の血を拭い鞘に収めた。
◆
「怪我はないか?」
「あ、はい。でも彼が」
私が答えると、そうかと言って歩き始めた。そしてシュバルツ君の傍に膝を折ると、傷口をジロジロと見ていた。シュバルツ君は苦痛の表情で全身から脂汗が滲み出ていた。
「ふむ、これはまずいな」
そして彼はシュバルツ君の傷口に手をかざすと何か口にしていたようだが、私には聞き取れなかった。その瞬間、彼のかざした手から淡い光が現れ傷口を包んだ。
慈愛に満ちたその光に包まれたシュバルツ君の顔から苦痛が消えていくのが見ていて分かった。
治療が終わったのか、彼は立ち上がり、シュバルツ君はスヤスヤと眠っていた。
「自己紹介が遅れたな。俺はロンイェン=ジンロン」
「あ、えっと、クリス=ガンフォールです。あそこにいるのが、ランバルディア共和国第三遠征軍所属のアーバン=シュバルツ曹長です」
差し出された手を握り返した私は、ジンロンさんに改めて感謝の意を表した。気にするなと手をヒラヒラさせてこう尋ねた。
「それで、なんでお前らは襲われていたんだ?」
ジンロンさんにそう言われて、私はこれまでの経緯を簡単に彼に話した。それを聞いたジンロンさんは、「それは大変だったな」と私の頭をポンポンと優しく叩いた。
「ところで、第三遠征軍の司令は誰なんだ?」
彼はいきなりこんなことを聞いてきた。どういうことだろうかと疑問に思いながらも私はピィェンガン中将の名前を告げるとジンロンさんの眼がカッと開かれた。
「そうか。アイツもようやく一軍を統べる将になったか」
その時の顔を、私は忘れることができない。
彼はその事がとても嬉しかったらしく、しきりに「そうか、そうか」と呟いていた。我が子の成長を喜ぶ親のように。
ジンレイさんは、その後で森の中を見たり、空を見上げたり奇妙な行動をとっていた。私が何をしているのかと問うと、少し黙っていてくれと強い口調で言われてしまった。
私は彼の気が済むまで沈黙を守った。
「クリス。奴の居場所が分かった」
そう言って彼は眠っているシュバルツ君をおんぶして、「こっちだ」と茂みの中を突き進んでいった。私は慌てて追いかけた。
土地勘も分からぬ獣道を、ジンレイさんはズンズンと何の躊躇もなく進んでいく。一体何を持って中将の居場所がわかるのか道中尋ねたことがあったが、「企業秘密だ」と言ってついに分からなかった。
私自身も不思議に思ったのだが、彼が前を進んでいると何故か安心した。彼の背中を見ているととても大きくどっしりとしていて、この人についていけばどんな事があろうとも不思議と怖くなかった。
不思議なことはもう一つあった。私達が突き進んでいた森は、反共和国に属するゲリラ集団の巣窟でもあり、普通であればいつ襲いかかられてもおかしくはなかった。
実際、フェンに行く前にも何度も襲撃を受けていた。その時はシュバルツ君の魔法で難を逃れたが、今回に関しては襲われるということがなかった。
その理由はだいぶ経ってから知ることになるのだが、とかく私は彼を信じてついていった。
時折彼は私を気遣ってか小休止を挟んでくれた。適度に水分を補給し体力回復を促してくれた。
「こんな鬱蒼と生い茂る森だ。無闇に進んだら死ぬからな。適度に休憩を取るのが一番さ」
休憩中に彼はこんなことを言って、持っていた水筒の中身をクイッと飲んだ。
たわいのない雑談で時を過ごし、体力を回復させつつ私達は森を進んでいった。
「もうすぐだ」
ジンレイさんが進行方向を指差した。その先には微かに光が見えた。心なしか誰かの声が聞こえているように思えた。
私達は一気に森を駆け抜けた。
森から抜けると、そこには第三遠征軍がちょうど休息をとっているところだった。
「中将! クリスさんが帰ってきました!!」
誰かが叫んだ。その声で中将が駆け寄ってきた。
「無事だったか! ガンフォール君!」
彼は抱きついてその喜びを表した。何度も私の名前を呼んでくれた。嬉しくなって私の双眸から涙が溢れていた。
「よぉ、元気そうだなユンヂェー」
その声にハッとした中将が声の方に顔を向けた。そして「あっ」と唸った。
更に驚いていたのは第三遠征軍の全員だ。それこそもう二度度会えぬ死人に会ってしまったような、そんな表情だった。
「何シケた面してやがる。一軍を統べる将ならもっと堂々としてろよな」
中将の肩をバシバシと叩くと、ジンロンさんは他の人達を見ていちいち名前を呼んでは肩を叩いて回った。
ちなみに、シュバルツ君は近くにいたウィン=カエウネ少尉に預けていた。
次の瞬間、第三遠征軍は歓喜に包まれた。誰も彼も、ジンロンさんを囲んで万歳三唱やら中には涙を流す者もいた。
そのくらい、このジンロンさんという人は慕われているということだろうか。
歓喜の渦に包まれている中、私は中将に彼のことについて尋ねた。
中将の話によれば。
ジンロンさんは、中将と同じく東の果てにある国で彼らの剣の手解きを教えていた所謂師匠さんであるそうだ。彼は東ではなかなか有名な教授であったらしく、各国から教練を請われていて毎日忙しかったらしい。
彼の下から巣立ってからは音信不通だったそうだが、それでもジンロンさんが如何に中将を始めとした者達に慕われているかが知れた。
そこに、斥候が戻ってきて息も絶え絶えに叫んだ。
「東の方角よりべノン大佐の軍1万接近! 距離2km!!」
彼の言葉に、私達は現実に引き戻された。大敵べノン大佐から逃げられなければ私達に明日の朝日はない。
「退却の準備、急げ!!」
慌てて逃げる準備を始める私達を見て、ジンロンさんは私に尋ねてきた。
「クリス。べノン大佐について教えてくれ」
逃走中に私は中将の軍が現在どういった状況にあるのかを伝えたがべノン大佐の軍や彼女のことは言っていなかった。
私はべノン大佐について実際に会った事はない。が、ジャーナリスト仲間からの情報では、彼女は闊達豪放。それでいて礼節を重んじており、たとえ部下であろうが、戦場の礼儀をわきまえない者には容赦なく制裁を加えるとして、帝国内でも評判の人物だ。義将でも名が知られており、滅多やたらに人を殺すことをしない。
そのことを伝えると、ジンロンさんはもう一回中将の軍をじっと見て
「ユェンヂー。俺が奴らを追っ払ってやる。殿をやらせろ」
それを聞いた中将はびっくりして反論した。いくら師匠でも、そんな危険なことはやらせられない。第一、師匠を死なせては色々な人に合わせる顔がないと訴えた。
それを聞いたジンロンさんは馬鹿と額をデコピンした。
「久々にお前らと会えたんだ。師匠面させろ」と言って、続けて
「お前らに俺の戦を見せてやんよ」と片刃剣を抜いて告げた。
この時の私はこの人は馬鹿なのかと思った。如何に強い人だろうが、シンレイ少佐とベノン大佐とではその実力に雲泥の差がある。それに彼女の武器は伝説の大龍ヴァハムートの尾から作られたという神剣『ヴァルムンク』である。炎と雷を操る剣で凡そ斬れぬものはないという世界最強に部類する代物だ。
そんな化物にただの鉄の剣で挑もうとするこの人はどうかしている。
これにはさすがの第三遠征軍の人達も呆れ果てるだろうと思っていた。
しかし、彼らは私の予想に反して歓喜の声を上げた。その誰も彼もがジンロンさんの戦いを見れることに嬉しさを感じていた。
これを見ていた唯一の反対者であった中将はため息をついて、ジェノム軍曹にある物を持ってくるように命じた。
暫くして戻ってきた軍曹が手に持っていたものを見たジンロンさんが思わず声を上げた。
「いつか貴方に会えると信じて作っておいたんです」
それは軍服のような服と白い戦袍であった。後に知ったことだが、この服は彼を彼たらしめる一種の象徴であった。
そして更に彼の顔に花が咲くことが起きた。
それは、別の軍曹が連れてきた馬を見てのことだ。
「竜胆じゃないか。どうしてここに?」
「理由は後で。とにかくこれで揃いましたよね?」
「・・・・・・ふん」
ジンロンさんはさっと着替えると竜胆と言う馬に跨った。
茶褐色の軍服と同色の軍帽と紅い十字の槍とそれを囲む龍の姿が描かれた白き戦袍姿のジンロンさんはある伝記に書かれていた軍神の姿にそっくりであった。
「行くぞ、竜胆」
竜胆は大きく前足を蹴り上げて嘶き駆けていった。
私は咄嗟にバックの中を漁りある道具を取り出した。
「行って」というと、それは小さな羽を広げて彼の後を追いかけていった。
取り出した道具というのは、以前キース編集長から頂いたもので遠方を取材する小型の映像記録媒体だ。
持っていたリモコンのスイッチを押すと宙に映像が現れた。それを見つけた軍人達が一斉に群がってきた。余程彼の戦いを見たかったらしい。
ワイワイガヤガヤとする後ろを無視して、私は映像に集中した。媒体はジンロンさんの後ろにぴったりとついて映像を送っている。
「俺も久々に師匠の戦いを見るとしよう」
いつの間にか私の隣に陣取った中将はそう呟いて眼を輝かせていた。
逃げなくていいのだろうか、という疑問が湧いたが捨て置いた。どうせ、言っても聞き入れないだろう。とはいえ、私自身も彼の戦いには興味があった。シンレイ少佐の時の戦いの時に違和感を感じていた。彼は何かを隠しているみたいだった。
その秘しているものの正体を知りたくなった。どこか惹かれる存在、それがジンロンさんだった。
◆
「ふむ、あれか」
ジンロンさんが呟いた。映像に眼を向ければ、彼の前方から砂煙が上がっているのが確認できた。その距離、凡そ1キロ。
「肩慣らしといくか、竜胆」
彼が竜胆に語りかけると、その意を理解したように駆け出した。
片手で綱を掴み、空いているもう片方で片刃剣を握っていた彼は、無言でどんどんその距離を詰めていく。
やがてそれに気づいたベノン隊の兵士が砲撃魔法による攻撃を開始した。彼は巧みな手綱捌きで攻撃を交わし徐々に彼らに迫ってきた。
いよいよ眼と鼻の先に迫ったかと思うや、竜胆は大きく跳躍した。その跳躍力は普通の馬では有り得ない程高く、べノン隊兵士が唖然と眺めていたのが見えた。
竜胆は周りの兵士数名を踏みつぶして着地した。その一連の動きがあまりにも優雅だった為、ついつい見とれてしまったようで、数十秒経った後で彼が眼の前に現れたことに初めて気づくほどだった。
闖入者の出現に気づいたベノン隊はすぐさま彼に攻撃を開始した。ジンロンさんはそれらを川の和流のごとく交わしては敵兵士を斬っていく。
不思議に思ったのが、彼が刃ではなく剣の背中の部分(後で聞いたことだが、その部分を峰というらしい)で斬っていたことだ。通常であれば斬った瞬間その身体からは血飛沫を巻き上げ大地の鬼と化すのだが、彼の去った後に残っていたのは痛みにのたうち回る兵士達の姿だった。
「師匠は無闇に殺生をしないんだよ」
ある少尉がそう言った。
その人にも家族がいる。家族を悲しませるような戦は無くなったほうがいいというのがジンロンさんの口癖だったそうだ。
ジンロンさんが敵と衝突してから約10分で、ベノン隊は大佐一人を残して全員が戦闘不能に陥った。
「―――誰だ、お前」
眼の前の悲惨な状況に怒りを顕にするベノン大佐を前に、ジンロンさんは竜胆から降りた。
「ユェンヂー=ピィェンガンの師匠だ」
「師匠、だと?」
ベノン大佐が怪訝な表情になった。大佐の前に敗れた中将の師匠と名乗る眼前の男。彼女が率いてきた精鋭1万が彼の前に成すすべもなく地に伏している。
これが、あのピィェンガン中将の師匠とは到底信じられないといった表情だった。
「弟子の仇を取らせてもらおうか」
ジンロンさんがゆっくりと片刃剣の切っ先をベノン大佐に向けた。
それを見たベノン大佐は怒りより眼の前の強敵と戦えることに喜びを感じたらしい。
「返り討ちにしてやるよ」
私は媒体を戦闘に巻き込まれないように遠ざけ、ズーム機能で彼らの一騎打ちの模様を視聴することにした。
ベノン大佐の武器である神剣『ヴァルムンク』は他の剣よりはるかに軽い素材で出来ているが、その軽さを生かした高速の剣戟と、素材に見合わない重厚な一撃、更には伝説の大龍ヴァハムートの炎と雷の力を秘めているという。
「噂の神剣『ヴァルムンク』の力を拝みたいねぇ」
彼らの一騎打ち。その一撃一撃が相手の急所を的確についていたが二人はそれを見事な剣捌きでいなした。達人の域に達したその戦闘を見ていた私達は終始無言だった。
ジンロンさんの片刃剣は何の変哲もないただの鉄の剣だ。それが『ヴァルムンク』と互角に渡り合うという事実によって、私の常識は覆された。
達人たちの一騎打ちは、決着がつかず業を煮やしたべノン大佐が炎と雷の魔法攻撃でジンロンさんを攻撃し始めたが、あの人はまるで子供と遊ぶように軽々と避けてみせた。
「流石は、世界で五本の指に入る傑物。強いねぇ」
余裕の表情で彼女の攻撃を避けるジンロンさんはいつの間にか握っていた片刃剣を鞘に収めていた。それが、彼女の神経を逆なでたのだろう。
「貴様ァ!!」
『ヴァルムンク』が炎と雷に包まれたのが見えた。激昂した彼女に呼応するようにその刀身が赤く燃え上がっていた。
私はまずいと思った。噂通りなら、今から彼女が繰り出す技は、絶対防御不可能技と言われている代物だ。如何にあの人といえど斬れるものではない。
私は慌てて後ろを振り返った。
この映像を見ていた第三遠征軍の誰もあの人を心配している人はいなかった。むしろ、ジンロンさんの勝利を確信しているかのような表情だった。
何でこんなにも冷静でいられるのかこの時の私には分からなかった。確かにシン大佐の一件があったが、その時はたまたまそういったことが起きたのだろうと納得していた私は隣にいるであろうシュバルツ君を見た。
彼も私同様、この状況に戸惑っているようだ。
「灰塵と化せ! 炎雷龍の裁き!!」
我々が困惑している間に彼女から繰り出された最強の技は、最初は一筋の光線であったがやがてそれはだんだんと形を変え一匹の炎の龍となりその身体を雷が纏う。そして標的に近づくにつれ、龍の口が開き標的を食い尽くすように直撃し爆発四散する。そんな技だった。
龍の口が開き、いよいよジンロンさんに直撃するところまで近づいたが、あの人は全く避けようとしなかった。
「えっ・・・・・・?」
ジンロンさんの口元がニッとつり上がった。そして、彼の腰にあった片刃剣が振り抜かれた。
その瞬間。私の概念は簡単に打ち砕かれた。というか、あの人のこの世界の概念という存在が全く通用しないということが判明した。
ジンロンさんが振り抜いた一閃は、彼女最強の技を両断し、その攻撃はそのまま彼女に襲いかかった。べノン大佐はひょいと避けるが、その顔は驚愕に歪んでいた。
「ば、馬鹿な・・・・・・!?」
彼女の気持ちは分からないでもない。決して破られることのない最強の技が、どこの誰とも知らない男に完全に打ち破られたのだ。驚かないほうがおかしいだろう。
対して遠征軍サイトは、私とシュバルツ君を除いて当然の結果と言わんばかりに頷いている者や、あの人の御技を初めて見て興奮している者など十人十色の反応を示していた。
「驚くのは、まだ早いよガンフォール君」
「えっ?」
ピィェンガン中将が意味深な笑みを浮かべていると「そういえば」とあの人がつぶやく声が耳に入っていた。
「アンタのさっきの技は、確かこんなのだったか、な!」
私の目尻は避けんばかりに見開いた。あの人が繰り出した技は、間違いなくべノン大佐最強の技『炎雷龍の裁き』そのものであった。
それを見たべノン大佐の驚きは言葉に言い表せない。驚きが勝り避ける素振りを全く見せないでいた彼女は、そのまま自身の技に喰われた。
「く・・・・・・そ・・・・・・」
爆炎が消え去ると、ボロボロになりつつも大地に両足をついて立っていたべノン大佐がいた。なんというタフさだろうか。これも、世界トップ5の実力というのだろうか。
「勝負は決した。それでも、武人の意地でもみせるか?」
ジンロンさんが片刃剣を突き出して問う。それに対し、べノン大佐は首を横に振る。
「止めて・・・・・・おく。今のあたしじゃ、貴方に、勝てそう、に、ない」
その言葉に力はない。肉体はとうに限界を超えていて、精神だけで何とかもっているだけのように見えた。
「おい、ユェンヂー。どっかで見てんだろうが、さっさと衛生兵をこっちへ寄越せ」
はいはいと言わんばかりにピィェンガン中将が実に手際よく衛生兵を現場に向かわせ、自身も現場指揮の為去っていった。残った者達も手際よく負傷者達を迎える準備を始めていた。
映像は、ジンロンさんがべノン大佐に肩を貸すように彼女の身体を支えていた。
私は言葉を失っていた。他人の技を、寸分の狂いもなく完璧にコピーして繰り出す人間がこの世にいたことが信じられなかった。
ピィェンガー中将にこんな規格外の師匠がいた事を初めて知ったと同時に、私はこの人に惹かれていた。
この人のことをもっと知りたいという欲求が生まれたのだ。
「ガンフォールさん。あの人って一体・・・・・・?」
シュバルツ君も、私と同じように彼に興味を持ったようで顔が不思議に満ちていた。
私達があの人のことで話し合っていると、ピィェンガン中将たちが戻ってきた。実に手際よく中将は配下の将兵に負傷者の手当を指示する。
そんな中、ジンロンさんはキョロキョロと辺りを見回しつつ、負傷したべノン大佐になにか話しかけていた。私はこっそりあの人の傍によって話を聞いてみることにした。
「アンタの部隊のまとめ役は誰だ?」
「何だ、いきなり。藪から、棒に」
「アンタの部隊はよく統率が取れていた。アンタの他に部隊をまとめていた奴がいたと思ったんでな」
「何だ、そんなこと、か」
べノン大佐は力のない笑顔を浮かべて、あの人の意図を探りながら答えた。
「ジュンイチ=クサノ少佐だ。変わった名前ながら、彼は人の扱い方をよく知っている」
その人の名前を聞いたジンロンさんはさもありなんといった表情で頷いた。
「何だ? クサノを、知って、いるのか?」
「あぁ。奴を鍛えたのは、この俺だからな」
あぁ、とべノン大佐は得心したように顔を力なく綻ばせながら
「貴方でしたか。 クサノがよく口にしていた、『閣下』は」
『閣下』という単語に私は多少なりとも引っかかりを覚えた。恐らくジンロンさんが言わせたわけではないのだろうが、たかが指導しただけで『閣下』なんて仰々しい呼び方をするだろうか。
私の考えを他所に、ふふんとジンロンさんは微笑み負傷した帝国軍将兵の中で比較的軽傷だったある人に何かを手渡して釈放した。
私はゆっくりとべノン大佐に近づくと、彼女も私に気づいたようで満身創痍の身体を起こそうとした。
「あっ、寝ててください! お体に障りますから」
私が言うと、べノン大佐は「ありがとう」と言ってお越した身体をまた地面に寝かせた。
「すまないな。こんなみっともない姿で」
とんでもないと逆に私は恐縮してしまった。
しかし、間近で見たべノン大佐はなんとも美しかった。どんなに勇猛果敢な将軍であっても、やはり彼女は女性だった。
「キースの知り合いか?」
彼女の口から編集長の名前が出て私は驚いた。編集長は顔が広いとよく聞いていたが、帝国にも知り合いがいたことに編集長のネットワークは全体どんなふうに構築されているのか非常に気になった。
そもそも、何故私が編集長の知り合いとわかったのだろうか。
「『弟』から、よく聴かされて、いたからな。若いが、筋がよくて、大成する女記者が、いるってな」
『弟』という単語が気になった。それは一体どういった意味か尋ねると、べノン大佐はふふっと笑って
「アイツは私の弟だ」
衝撃が走った、というか、初めて知った。第一苗字が違うではないか。
「色々と事情があるんだよ」
それしか答えてくれなかったが、彼女は悪い人ではないようだ。
帝国の人間は畜生以下の極悪人という噂が共和国内で上がっていたが、人は見た目では分からない、ということか。
「あの、もしよければ、少しインタビューでも」
「ははは。それは、まぁ、今は勘弁してくれ。このざまじゃ、満足に答えられん」
「・・・・・・そうですね。では少しだけお話を」
そういうことになり、私はべノン大佐と世間話を少々した。
◆
「1週間、この地に滞在する」
中将の一言で、第三遠征軍は合流地ホアスネイティアまで約5キロの地点にあるクラスバルクという地に駐屯することになった。
無論、べノン隊が敗走の報は既に帝国軍に届いていて追ってを向けられている可能性が高い。
その為、中将は軍を3編成に組織し直し、3交代制で見張ることになった。
負傷兵の治療は引き続き中将の治療班が担当していた。能力の高い彼らのおかげでべノン隊の治りが早かった。
そして、完治した人達はジンロンさんが面倒を見てくれていた。正確には、武術や戦術といった戦争に関するものや道徳的なものといった様々な面で指導していた。
「ふむ、そうか。ならアイツに伝えてくれ。4日後、この地で交換だと」
「承知しました。確かに伝えます」
「それともう一つ言伝を頼む」
「なんでしょう?」
「今度一杯交わそう」
「はっ」
そんなやりとりが私の耳に入ってきた。恐らくクサノ少佐とのやり取りであろう。そのやりとりも数分で終わり、あの人は将兵の鍛錬に戻っていった。
私は今、ジンロンさんによる訓練を見学していた。質の高い訓練で、短い期間だったが能力が上がっているように見えた。
「なんとも不思議な人だな。ロイエン=ジンロンという男は」
不意に声をかけられて私はビクンと身体を跳ね上がらせた。振り返るとそこには完治したべノン大佐がいた。
「そんなに驚くこともなかろう」
「すみません。つい」
私の慌てぶりが面白かったのだろう、大佐はクスクス笑って私の横によっこらしょっと腰を下ろした。
「あの男は何者だ? と君に聞いても分からないだろうな」
「私も、あの方のことはよく分からないのです」
だろうな、と大佐は私と同じようにジンロンさんの訓練を見学する。
「共和国の人間は、極悪非道の畜生だって聞いていたが実際見るとやはり違うものだな」
「そうですね。私も、帝国の人は畜生以下の人達の集まりだと」
「中将を見てつくづく思ったよ。噂なんてものはアテにならんと」
大佐はそれでも一つだけ噂は当たっていたと微笑んだ。それは、第三遠征軍は噂通り人情と義を重んじる軍であること。
「アタシは、別に共和国自体になーんの感情も抱いちゃいないよ」
「そうなんですか? どうして?」
「争っているのは国の頭でっかち共だろ。末端のアタシ達はそいつらの命令で戦っているだけで、恨みとかは抱いちゃいない」
それとこれはアタシの師匠の受け売りなんだがなと前置きしてからこう言った。
「戦闘が終われば隣人」
大佐の言った意味を理解できず、私は首を傾げた。
「『戦争自体は長い。が、その中の戦闘は長期間の戦争に比べれば一瞬だ。その一瞬がすぎれば助け合うのが道理なんじゃないか?』って。敵であってもこちらを恨んでいるとは限らない」
「ふむ」
「それにな。アタシはこの戦争自体気に入らない」
一国の軍隊を預かる将としてあるまじき発言でなないだろうか。私は大佐がその様に言う理由を問うた。
「何かどす黒い陰謀が渦めいている。私はそう見ている」
彼女はそう言った。詳しくは語らなかったが、その言葉だけで十分だった。
編集長が投獄されてからそう感じていた私はなおのことこの戦争の真意を探りたくなってきた。陛下と王女殿下の信任厚い中将の隊は最適だ。
大佐は話をクサノ少佐の話に戻すと前置きして、彼の今はジンロンさんが作ったのだなと笑っていた。
「あの男は、教え子に人として大切なことを教えているんだな。アタシにはできないな」
「そういうもんですか?」
「敵味方分け隔てなく負傷した者は全て助けろ。なんて普通の人じゃ言えないわよ」
「あぁ・・・・・・」と、私は言われて初めて気づいた。普通の人なら戦時中に敵が負傷していれば容赦なくとどめを刺す。敵が助けを求めていても黙殺して処分するだろう。
ジンロンさんはそんな彼らに手を差し伸べるというのだ。それは、彼の教え子である少佐や中将の心に深く深く刻まれていることだ。
それを裏付けるような強さをあの人は備えている。シンレイ少佐の魔法と大佐最強の技を斬り伏せ、瞬時に間合いを詰めたり、果ては大佐の技を完全にコピーして繰り出す。
「とんだ規格外な男だな」
「そうですね」
気がついた時には、私達二人は周りを憚ることなく笑っていた。
◆
それから4日が経った。今日は約束の日である。
この4日間、大佐はジンロンさんと一緒に両軍の将兵を相当に鍛えた。そのお陰か彼らの質は格段に向上したように思える。
太陽はちょうど南中の位置にある。ジンロンさん曰く、この時間が約束の時刻らしい。
果たして東の方角から砂煙を上げてこちらに向かってくる一軍が見えた。約束通りならこちらに向かってくるのは、大佐達を迎えに来たクサノ少佐の一軍だ。
「ふむ。こうして見ると、君達と別れるのは名残惜しいな」
「ふふん。いつかまた逢えるさ。戦場でないことを祈るがな」
「アタシも、そう願いたいね」
そうして、彼らは固い握手を交わしていた。私は思わず写真を撮っていた。そしてメモ帳をとって日付と『帝国と共和国の歩み寄り』という仮題を書き記した。
「大佐! ご無事ですか!!」
駆けつけたクサノ少佐は大佐が元気な姿でいることに安心したようでほっと胸をなで下ろした。
「すまない。ピィェンガン。迷惑をかけた」
「気にするなよ。それよりも」と、中将は道を開けてある人と少佐を対面させた。
「ジュンイチ。元気そうでなによりだ」
クサノ少佐はジンロンさんの姿を見て、感激のあまり涙を流していた。
「まさか、生きて再び『閣下』にお会いできるとは・・・・・・。このクサノ、感激しております」
「固い奴だな。まぁ、俺もお前に会えて良かったよ」
そう言って、ジンロンさんは少佐の肩をポンポンと叩いた。
「べノン大佐以下1万の将兵はこの通りお前に託す」
そのことを確認した少佐は畏まって頭を下げ、その対価を我々に支払った。
「ジョン=マクベス少尉以下、帝国軍捕虜30名をお返しします」
その対価とは、これまでの戦争で捕虜となっていた仲間の解放であった。
戦時中に捕虜となった者は生命の保証に加え一切の危害を加えられないのが暗黙の了解となっている。
少佐の部下がジョン=マクベス少尉達を連れてきた。確認した中将は確かにと頷いて彼らを引き取った。
マクベス少尉は涙ながらに己の愚行を詫びるが「気にするな」と中将は彼らを労った。
「ホアスネイティアに5万の軍団が向かっているそうだ。急がないと手遅れになるぞ」
「いいのか? そんな情報、敵に漏らして」
別れ際、少佐は私達に、合流地ホアスネイティアに帝国軍が迫っていることをさらりと言ってのけた。普通なら処罰ものだが、恐らくべノン大佐を助けてもらったお礼のつもりだろうと私は解釈した。
「戦友に独り言を言っただけだが?」
なんて少佐はとぼけて見せるし
「独り言なら、アタシは咎めるわけにはいかないわ」
大佐は大佐でクスクス笑って知らん顔を決めていた。彼女は中将達とこれ以上事を運ぶ気は毛頭ないようだ。戦いたくないという表現の方が正しいか。
「急いだほうがいいな。防衛戦は準備で全て決まる」
ジンロンさんの意見をきっかけに両軍それぞれ旅路に出た。べノン軍は体制をたてなおす為、第三遠征軍は次の戦場へ。
「あ、あの! 『閣下』!!」
クサノ少佐がジンロンさんに突然駆け寄ってきた。何だと振り返ったジンロンさんに、クサノ少佐は自身の思いをあの人にぶつけた。
「俺は今帝国の軍人ですが・・・・・・俺が成すべきことを済ませましたら、また『閣下』の元に戻ってきてもよろしいですか?」
それは、切実な願いだった。赤の他人である私が見ていてもそれは容易に分かるほどに。
その双眸には涙が決壊寸前まで溜まっており、一つ何かあればたちまち溢れてしまうだろう。
少佐の願いを、ジンロンさんはどう受け止めたのだろう。かつての愛弟子の申し出を無下に断るはずはないと同時に、少佐は今や一軍を統べる実力を持った将に成長していたことを踏まえると、あの人は首を縦にふらないのではないかと私はその時思った。
「そうだな・・・・・・。お前がお前の仕える国でやるべきことを全て終え、三軍を統べる将となった時に来い」
そう言って、あの人は自身の片刃剣を鞘に入れたまま少佐の前に突き出した。それを見た少佐は感激し、自分の腰に履いていた同じ片刃剣をあの人のそれにコツンと当てた。
「待っているぞ」
「はい!!」
少佐は子供のような笑顔となって戻っていった。
「うかうかしていると、奴に抜かれるぞユェンヂー」
「なら、アイツに負けないように精進しなければ」
それから、中将の号令の下に遠征軍は一路ホアスネイティアに急行した。