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金色の妃に恋した、寡黙な領主

作者: 雨日
掲載日:2025/09/03

ワスト領・レーク城。


結婚して六日目の夜。


グユウは緊張を押し隠しながら、寝室の扉にそっと手をかけた。


闇に沈む室内には、窓辺に立つ妻の気配が鮮やかに漂っている。


こんな辺境の領主である自分には不釣り合いなほどの美しさ――

強大なミンスタ領から嫁いできた姫、シリ。


月明かりに照らされた金の髪は柔らかく揺れ、

意思の強さを宿す青い瞳は、灯火のように淡く揺らめいている。


肌を重ねたのは、まだ二度きり。


振り返ったシリが微笑んだ瞬間、胸が詰まる。


――緊張する。いったい、何を口にすればよいのだろうか。


妻とは結婚して六日目。


出逢って七日目。


口下手なグユウは、シリと会話すらおぼつかない。


ーー言葉が見つからない。


ただ彼女の視線に射抜かれ、胸の奥が強く鳴った。


シリは、それを知ってか知らずか、静かに微笑む。

夜の静けさが、いっそう濃くなる。


――分かっている。


彼女は領のために嫁いできたのだ。


望んで自分を選んだわけではない。


それでも、その微笑みに心を奪われてしまう。


踏み出すことを、許されるのだろうか。


頭の中で、思考がいくつも浮かんでは消えていく。


昨日、肌を重ねたばかりなのに――今夜も求めてよいのか。


口づけをしたい。


だが、口づけというものは一日に何度もしてよいのだろうか。


嫌がられはしないだろう。


黙って見つめることしかできない。


そんなオレを、シリはまっすぐに見返してくる。


まるで心の奥を覗き込むように。


「・・・グユウさん」

少し甘えた声音とともに、裾をそっと引かれた。


――可愛い。


ただ、見つめるしかできなかった。


表情は淡々と無表情を装っていても、

胸の内は荒れ狂う嵐の夜のように騒いでいた。


互いに言葉もなく、ただ見つめ合う。


窓の外では半月が静かに輝き、室内を淡く照らしていた。


勇気を振り絞り、グユウは声を発する。


「・・・その・・・口づけをしても、いいか?」


たどたどしい問いかけに、シリはわずかに頬を染め、囁くように答えた。


「・・・いいですよ」


――本当に、いいのだろうか。


グユウは恐る恐る彼女の顎に手を添え、ゆっくりと顔を近づける。


唇が触れ合った瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


口づけをすれば、その先を求めたくなる――それが男というものだ。


だが、昨日も抱いたばかりだ。


今、ここで衝動に任せるべきではない。


結婚は二度目でも、経験など両手で数えられるほどしかない。


だからこそ、乱してはならないと思う。


彼女を抱きしめたい気持ちを必死で押さえ込み、

そっとシリから手を離した。



彼女から手を離した瞬間、シリの青い瞳が揺れた。


そして、オレの顔をじっと見つめる。


「・・・グユウさん」


囁くような声とともに、シリの方から一歩近づいてきた。


月明かりに照らされた髪が肩に触れる。


――近い。


これは、何のサインなのだろうか。


本当に、良いのだろうか。


甘えるように胸へと擦り寄る彼女の顔を見た瞬間、動悸が止まらなくなる。


「・・・その、今夜も・・・」

掠れた声で呟いたが、そこから先の言葉が出てこない。


嫌われてしまうのでは、と喉が詰まった。


シリは少し拗ねたように顔を上げる。


ゴクリ、と唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。


「・・・いいか?」

絞り出すような問いかけに、彼女は目を逸らしながら硬い声で答える。


「・・・いいですよ」


その瞬間、抑えていたものがほどけていく。


思わず彼女を抱き上げ、寝台へと運んだ。


腕の中でシリの頬は真っ赤に染まり、愛らしいほどに熱を帯びていた。


やがて行為が終わったあと、ふわりとオレに微笑みかける。


少し上気したその顔は、美しいというよりも――可愛らしい。


――好きだ。


出会ってまだ七日目。


彼女のことが、日ごとに好きになっていく。


分かっている。


これは政略のための結婚だ。


彼女は領のために嫁いできたのであって、望んでオレを選んだわけではない。


彼女の微笑みを見るたびに、身体を重ねるごとに、短い会話をするごとに、何度も自分に言い聞かせる。


それでも。


微笑むシリを抱きしめたいと思う、この気持ちは抑えられなかった。



結婚してからのシリは、不思議とこの領の暮らしに馴染んでいた。


領務の合間、城のあちこちで彼女の姿を見かける。


ある時は子供部屋で――


前妻との子、赤子のシンを抱き、優しくあやしていた。


ある時は父の館の裏庭で――


手籠を片手に、花ではなく草を摘んでいる。


ーー何をしている?


怪訝に思ったオレの視線に気づいたのか、

シリは振り返り、柔らかく微笑む。


「この草は血止めに効くのですよ」


ある時は馬小屋で――

裾をたくし上げ、馬にブラシを当てていた。


「また・・・あの妃は」

重臣のオーエンが顔を顰める。


妃は部屋で大人しく刺繍をしたり、花を愛でたりするのが理想――


そういう価値観が、この城には根強くあった。


怪訝な顔を向けるオーエンにだけ、短く告げた。


『・・・良いのだ』


シリは、とても一般的な妃に収まる器ではない。


もし男に生まれていたなら――立派な領主として領民を率いていただろう。


もしオレのもとへ嫁がなければ――社交界で誰よりも華やかな花形となっていたはずだ。


だからこそ、せめてこの城でくらいは、彼女の好きなように生きさせてやりたい。


そう願うほどに、日ごと彼女の表情は輝きを増し、

その眩しさが、まっすぐにオレの心へ迫ってきた。


そんなシリが眩しすぎて、彼女の前に立つたび、思わず背筋を伸ばし、つま先立つような気持ちになる。


口づけを交わすたびに。


抱きしめるたびに。


身体を重ねるたびに――オレは、必ず問いかけてしまう。


「・・・本当に、触れてもいいのか」

「・・・苦しくはないか」

「・・・いたしても、よいのか」


そのたびにシリは、少し拗ねたような顔をしながら返事をくれる。


そして終えた後は、いつも満たされたように微笑んでいた。


――ひょっとして、彼女はオレのことを好いてくれているのだろうか。


そんな浮かれた想いが胸に灯る。


だがすぐに、己に言い聞かせる。


これは政略のための結婚なのだ、と。


結婚して十日目のことだった。


シリがふいに、「一緒に乗馬をして、りんごの木を見たい」と言い出した。


「・・・もう、りんごの花は散っているぞ?」

そう問うと、彼女は首を振り、柔らかな笑みを浮かべる。


「良いのです。乗馬がしたいのです」


その笑顔に押されるように、オレは机に広げた書類を無理やり片づけた。


そして、昼下がりの穏やかな光の下で――彼女と並んで馬を駆る時間を作ったのだった。


「一緒に乗馬をしたい」――そんなふうに誘ってくれるのは、夢のような話だった。


口下手なオレと過ごすことを楽しいと思ってくれる。


それだけで、夢のように思える。


何一つ、気の利いた言葉をかけられない。


それでも、そんなオレを認めてくれる。


――有り難くて、嬉しくて、胸が熱くなる。


オレの妻は、やはり型破りな女性だ。


女性が乗馬を嗜むこと自体が珍しいのに、彼女は平然と男装の乗馬服を纏う。


だが、その凛々しい姿は、彼女が着れば不思議と美しく映った。


ーー結局のところ、惚れた方が負けなのだ。


どんな装いであっても、シリは美しい。


そう口にできればいいのに――結局は言えない。


ただ、紺色の乗馬服に身を包んだシリを見つめて、

「・・・似合う」


それが、オレの精一杯だった。


すると、彼女はじっとオレの顔を見つめ、ふっと微笑む。


「ありがとうございます」

その声が嬉しそうで、また胸の奥が強く鳴った。


オレとシリの後ろには、重臣のジムと家来のカツイが馬を連ねていた。


夫婦とはいえ、護衛もなく領主と妃が外に出ることは許されない。


城下町に入ると、領民たちは馬上のシリを目にして思わず目を見張る。


その度に、シリは柔らかく微笑み、手を振った。


慌てて頭を下げる領民たちの頬が、わずかに赤らんでいるのが見える。


――人を惹きつける魅力は、どうやらオレよりも彼女の方にあるらしい。


「金色の妃様だ!」

無邪気な声が城下町に響いた。


振り返ると、小さな子供が目を輝かせてこちらを見上げている。


「お母さん、私も乗馬したい!」

別の少女が母親の袖を引き、ねだる姿も目に入った。


シリはそんな声に気づくと、また優しく微笑み、手を振った。


その仕草ひとつで、子供たちの頬が紅潮する。


――憧れ。


オレがどれほど努力しても得られないものを、彼女は自然に持っている。


たどり着いたりんごの木は、すでに花を落とし、青々とした葉だけを揺らしていた。


春の華やぎは去り、そこにあるのは静かな初夏の気配。


「・・・散ってしまったな」

思わず口にしたオレの言葉に、シリは首を振って笑った。


「いいのです。今の姿も、私は好きですよ」


風に揺れる枝葉のざわめきが、彼女の声を包み込むように響いた。


「これが・・・どうやって、りんごの実になるのか、想像もできないわ」

シリは首を傾げながら、葉の揺れる枝を見上げた。


「あぁ」


「グユウさん・・・わかります?」


「・・・秋になれば、わかる」

そう答えたが、心の中でそっと付け加える。


――その時に、一緒に見よう。


だが、そんな言葉はとても口にできず、黙り込んでしまった。


それでも、彼女はじっとオレを見つめている。


シリはよく、こうしてオレの顔を見つめる。


その美しい瞳に射抜かれると、思わず目を伏せてしまう。


だが、視線は離れない。


「・・・わかりました」


そう言ったシリの声に顔を上げると、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。


――なぜ、そんな顔をするのだろうか。


取り立て、際立った言葉は言ってない。


その後、りんごの木の下に並んで腰を下ろすと、シリは無邪気に話し始めた。


オレの子――シンが、どれほど可愛いか。

歯が生えそうだということ。


一頭の馬の調子が悪いから、餌に薬草を混ぜたいこと。


次から次へと、言葉は尽きることなく溢れていく。


それに対するオレの返答は、ただ一言。


「・・・そうか」

「・・・あぁ」


それだけだ。


けれど、無口なオレにとっては、それで十分だった。


言葉を交わさずとも、彼女の声を聞いているだけで楽しいのだから。


普通の女性なら、こんな対話は退屈に感じるはずだ。


だがシリは、じっとオレの顔を見つめて――楽しそうに微笑んでいた。


唐突に、シリが口を開いた。


「・・・グユウさん。私のこと、好きですか?」


思いも寄らぬ問いに、全身が固まる。


――好いている。


ただ、その五文字が口にできない。


好いている。


出逢ったばかりだとしても。


政略結婚だとしても。


オレは、シリを好いている。


けれど・・・オレのような者が、そんな想いを抱いてよいのだろうか。


もし伝えたら、彼女はどう思うのだろうか。


何も言えずに黙り込むオレに、シリはもう一度問いかけた。



「・・・グユウさん。私のことを好いていますか?」


その瞳は、真剣だった。


「あぁ・・・」

絞り出すように口にしたのは、たった二文字。


――どうすれば、もっと言葉にできるのだろう。


オレはただ、美しい彼女の顔を見つめるだけで、声が続かなかった。


好いている。その想いを。


せめて視線に乗せて伝えるしかできない。


シリはしばらくじっとオレの顔を見つめ――ふっと笑う。


「それなら、良いです」


満足そうに微笑むその顔に、胸が大きく揺さぶられる。


――本当に、それだけでいいのか?


戸惑うように彼女を見返したとき、シリが小さく呟いた。



「グユウさんの顔を見れば・・・わかりますから」


次の瞬間、気づけば彼女の肩を掴み、唇を寄せていた。


許しを得ずに口づけをしたのは、これが初めてだった。


ふっと目を開けると、青い瞳が驚きに見開かれている。


そして、ゆっくりと長い睫毛が伏せられた。


唇を重ねるだけの口づけ――それだけで胸が震えていた。


だが、衝動に抗えず、そっと彼女の口の奥へと触れる。


シリの身体が一瞬強張り、驚いたように息を呑む。


それでも拒むことなく、静かに受け入れてくれた。


甘い熱が溶け合い、世界の音が遠のいていく。


互いの吐息だけが重なり合い、時がゆるやかに流れていった。


パキッ――。

小枝の折れる乾いた音が、静寂を裂いた。


シリの肩が小さく震える。


オレも思わず唇を離し、音のした方へと視線を向けた。


昼下がりの林は、風のざわめきしかなかったはずだ。


だが今、確かに何者かの気配が混じっている。


――ジムか。カツイか。


家臣たちに見られてしまったのではないか、その気まずさに胸がざわつく。


「・・・すまない」

思わず、腕の中のシリに謝っていた。


「・・・どうしてですか?」

熱を帯びた瞳で、シリはまっすぐに見つめ返してくる。


「急に・・・断りもなく・・・すまなかった」

顔を伏せるオレに、シリの指先が触れる。


額に落ちた髪をそっと撫でながら、彼女は微笑んだ。


「口づけは・・・嬉しいです」


その口元に視線を奪われ、また触れたくなる。


必死に衝動を押さえ込みながら、戸惑いの声を洩らした。


「・・・良いのか」


シリはじっとオレを見つめ、頬を赤らめながら囁く。


「グユウさん。私たちは・・・夫婦なのですよ」


その言葉が、胸に深く染み込んでいった。


そう囁くシリに、堪えきれず再び唇を重ねた。


今度は彼女も、目を閉じて静かに受け入れてくれる。


胸の奥に温かなものが広がっていく、そのとき――


「・・・あの、グユウ様」


間の抜けた声が響き、二人は弾かれるように顔を離した。


振り返ると、木の陰からカツイが気まずそうに姿を現す。


頭をかきながら、気を遣うでもなく呆けた顔で立ち尽くしていた。


「馬が・・・その、草を食べ過ぎてしまって・・・」


間の悪さに、シリの頬は赤く染まり、オレはただ咳払いで誤魔化すしかなかった。


風に揺れる葉音の中、どこか場違いなカツイの声がやけに大きく響いていた。


これは、結婚十日目の小さな一幕にすぎない。


政略で結ばれた夫婦が、本当の夫婦になるまで――物語は、まだ始まったばかりだ。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


この短編は『秘密を抱えた政略結婚』本編のスピンオフで、

無愛想な夫・グユウを描いた4作目のお話です。


短編だけでも楽しめますが、本編を読むと二人のすれ違いや政略の背景がより深く伝わると思います。


本編はこちら

→ 『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』

(Nコード:N2799Jo)

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/



この短編を気に入ってくださった方へ。

短編をまとめた連載版『<短編集>無口な領主と気丈な姫の婚姻録』も公開中です。


1週間後、短編集にまとめる予定です。

https://ncode.syosetu.com/N9978KZ/


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