ひまわりは夜明けに咲く
星の煌めく紺青の空。満月が沈もうとしている。
辺りは雪溶け、ちらりと覗く緑がその生命力を輝かせている。
夜明けが訪れ、まだ仄暗い空のもと家々の灯りがすこしずつ灯されていく中、1人の少女が外を眺めていた。
その表情には鬱々とした暗さが滲む。
***
地方都市にある大きい建物。制服に身を包んだ人々がそこに吸い込まれていく。
「紺藍高校」
県内屈指の進学校には真面目な風貌の学生が集まっている。
そこに通うポニーテールの少女。彼女はかつて自然と周りに人が集まる、穏やかで笑顔が太陽のような学生であった。
「あの子、まだいたんだね…。あんなことがあったのに」
「すごく居づらいだろうに…」
そんな憐憫の情が入り交じった言葉が飛び交っている。
凛とした表情で知性がその目に宿っているが、その周りにはぽっかりと空間が空いている。
彼女は橘夏菜。学年1の成績を修め、リーダーシップ気質ではないものの静かに周りを支える、そんな性格の彼女。
2ヶ月前から周りから人がいなくなってしまった。
夏菜が挨拶をしても、周りは軽く会釈したり小声で返事をしてきたり。
休み時間は誰も話しかけてこない。お弁当も1人。
笑顔は自分を守る鎧と信じて、ずっとずっと微笑みを絶やさなかった。
しかし、1人で図書館で過ごすとき、1人でトイレにいるとき、1人で家で過ごしているとき。意識しなくても涙が流れるようになっていた。
遡ること2ヶ月。
雪の舞う目の前が白く霞むような朝だった。
彼女はいつも通り友人3人と話しながら高校に向けて歩いていた。
「今日って小テストあるんだっけ?」
「あー、そうだった!何も勉強してない!」
「昨日の課題そのままっぽいから大丈夫じゃない?」
そんな会話の最中、突然叫び声が聞こえてきた。
「娘に何やってるの!あんたたちはグルになってこの世界を陥れようとしているのね!」
支離滅裂な誰も理解できないような言葉が飛び込んできた。
「お母さん!?」
夏菜はその叫びと共に何が起こったか察した。
彼女の母は病気を患っており、数年に1度症状が出現してしまうのだ。
今まではそんな母の妄想に満ちた話も家の中で完結していた。だけども、普段は優しい母が症状出現時に別人のように振る舞うのに耐えられず、高校入学と共に一人暮らしを始めたのだが…。
「よかった、夏菜無事だったのね…!」
週末に実家に帰った時にはいつもと変わりはなかったのに。また妄想が現れてしまったのか…。
しかも外に出て周りに迷惑がかかる形になってしまうなんて。
夏菜はそんな考えがぐるぐるしていた。
周りにいた友人も、校門に立っていた教師も、全員が離れて遠巻きに眺めていた。
誰かが通報したのか、その場には警察がきて暴れる夏菜の母を連れていった。
この出来事のあとから周りから人がいなくなってしまった。
腐っても進学校。彼女の家庭に事情があり彼女自身に非がないのは理解していたが、未知の出来事から誰も近づかなくなってしまった。
そこから2ヶ月。ひたすら孤独な時を過ごしていた。
いじめはなく、悪意も向けられず、無視もされないが、腫れ物のように扱われていた。
そんな日々に限界が近づいていた。
***
アパートに戻り寝られず、一晩中外を眺めていた。
気がついたら満月は夜という海を東から西へと渡り、今にも沈もうとしている。
誰も悪くないのに…。もういやだな…。
そんな考えが頭をよぎったとき、彼女の目の前に突然手のひらが現れた。
「ゆ、幽霊!?」
脳内パニックになる。ここ、3階なのに!?
「え、俺のこと見えるの?」
彼女の目の前に現れたのは有名な高校の制服に身を包んだ金髪の少年。
きょとんとした顔で手を振っている。
「やっぱり幽霊!?」
窓の外に少年がいるのだ。浮いているのだ。
「やっぱ俺のこと見えてるよね!ちょっと落ち着いて〜。はい、深呼吸!」
そうこうしているうちに落ち着いた。
日本人の性質なのか、お互いに自己紹介が始まった。
「橘夏菜です。紺藍高校2年生です」
「名前は不明です、多分どこかの高校生?かな?
なんか気づいたらこの姿になっていてしばらく彷徨っていたんだよね。誰も俺のこと見えてなかったけど、諦めきれなくていろんなアパートの窓に手を振っていたんだ。
いやー、努力が報われてよかったよー」
なんで幽霊の姿になったのか不思議に思った。
それが表情に現れていたのか、
「死んでこの姿になったのかね〜?経緯は全く覚えていないし、自分も誰かわからないなぁ。制服を着ているから高校の時に死んじゃったのかな?」
そう言って苦笑いを浮かべる。
「幽霊の俺よりも死にそうな顔をしてる君は何かあったんかい?」
やっぱりひどい顔してたんだ。それはそうだよね。取り繕っていた仮面がはがれたように感じた。
学校ではなんとか頑張って変わらない姿にしようと努力しているけど、一人きりの部屋では取り繕う余裕などなかったのだ。
そう考えながら、一瞬言葉に詰まったものの、見知らぬ相手でおまけに幽霊だから話してもいいかなと思ってしまった。
「つまらない話なんだけど…」
学校での出来事を話した。母が病気の症状で周りに迷惑をかけてしまったこと、そこから夏菜が奇異の目で見られて周りから人がいなくなってしまったこと…。
「そっか。お疲れ様」
淡々と言われた。
もっと労うような言葉がくると構えていたため拍子抜けしてしまった。
「誰も悪くないのが難しいね。お母さんも悪気ないのは分かるし、周りも見知らぬものには距離をとるものだし、ましてや橘さんにいたってはその日々がしんどくなっているんだね」
拙い説明で的確に理解してくれた。誰も悪くないと思うからこそ苦しいんだ。
「でもそこから2ヶ月だよねー。時間が解決してくれるものではないのかぁ」
腕を組み目を瞑って考えてる。
他人のことなのに一緒に悩んでくれるのはなんで?
そんな疑問が夏菜の胸に沸き上がる。
「みんな真面目だから普通じゃない出来事への耐性がないのかなぁ。だから最初は少し距離をとってしまった。そこから時間が経ってどう話しかければわからなくて、話しかけづらくなってしまったとかか…?」
ぶつぶつ呟いている。
すると徐ろに顔を上げてこちらを見てきた。
「最近は周りに声かけたりしている?」
「いや……腫れ物扱いで声をかけても無視されたら悲しいから」
もともと社交的ではない夏菜にとって、声をかけるハードルは高すぎた。
「じゃあ、次機会があれば話しかけてみよ!グループワークとかどう?」
そう言われて目を丸くした。全く考えてなかった。
「いまさらだよ…むりだよ…」
ネガティブな方向に考えが進む。
「確かにいい反応の人ばかりじゃない可能性もある。でも、いつも通り話してみればうまくいくかもよ?」
そんなものなんだろうか。まだいたんだ、と陰口を言われた記憶が、どうしても頭から離れなかった。
「悪口言ってる奴なんているのか。よくよく思い出してみて。その声はいつも同じ人だった?」
考えてみるといつも同じ女の子の声かも…?最初こそ噂になっていたからこそこそ言われてたのは気付いていたけど、最近はないかもしれない。
「よくよく考えると、最近は特定の人しか言ってないかも…。」
「そっか!それなら勝機あるよ!」
言ってる意味がわからず聞き返してしまう。
「話しかけてみたら状況が変わるかもよ!おそらくだけど、悪口言ってくる人は橘さんのことが嫌いなんじゃないかな?だからいつまでたっても変わらない。けど、他の人たちは話しかけるタイミングを失ってるだけな気がする」
直接的に嫌いなんてワードを聞いて反射的に涙がでてきてしまった。
「いまさら話しかけられないよ…」
いろんな想いがでてきて涙が止まらなくなってしまった。
「えっ、あっ、ごめん。ハンカチ…は幽霊だからないんだった。えっと」
制服のポケットを叩きながら慌てふためく様子に笑ってしまった。
「ごめんね。2ヶ月全然泣けてなかったから今泣けてちょっとすっきりしたよ」
そう言っていつもの笑顔が自然と浮かんだ。
息を呑む音が聞こえる。
「君、そんなふうに笑えるんだね。すてきな笑顔!もったいないよ、もっと見たい!」
そういえばよくいつもにこにこしているね、と褒められていたことを思い出す。
「最近笑えてなかったからあなたのおかげだよ。ありがとう」
「笑顔が魅力の君が無表情になっていたらそれこそ話しかけづらくなってたかもよ?話しかけるハードルが高いのは確かだと思うから、明日はまず表情柔らかくいこう!」
そう言われ朝までひたすら笑顔の練習をしてた。時に笑わせてきたり、なんで記憶のない彼が覚えているのか分からないけど些細な雑学披露されたり、なんだかおかしくなってきた。
そんなこんなで朝を迎える。
笑顔で幽霊の彼に手を振った。
「いってくるね!」
***
次の日。何の因果かちょうどグループワークがある日だった。
「私たちのグループは花をテーマに詩を作りましょう、だって。じゃあ花から何を連想するか考えてみよっか」
そう話す知花。彼女は成績は万年2位の快活な女の子。
昨日幽霊の彼と話していたときに思いだしたのだが、悪口を言っていた声が彼女じゃないのかなと思う。が、直接的に尋ねることはできないし嫌われているのならなおさら。
「あの…。ひまわりはよく太陽に向かって咲くという話があると思うんですが、実はどのお花にも太陽に向かって咲く性質があるみたいなんです。なので、どんな花、ひいてはどんな人でも輝けるというものはどうでしょうか」
夏菜は思いきって声を出してみた。ちょうど昨日彼から雑学として聞いていたのだ。
「へぇ、そんな話があるんだ」
「確かに詩として伝えたいメッセージとしてもいいかもしれないね」
そうグループがまとまりかけたが。
「ふーん、そうやってまた知識をひけらかすんだ。じゃあ今まで全然グループワークでも発言しなかったんだから、今回は一人でやってよ」
知花は攻撃的な態度で応戦してきた。
一瞬、辺りは静かになる。
やっぱり自分は嫌われているんだ、こんな発言なんてするんじゃなかった…と後悔しそうになったとき、
「ちょっとそれは言い過ぎじゃない?」
グループの一人がそうかばってくれたのだ。涙が浮かびそうになった。
「今までの空気感も悪かっただろうし仕方なくない?これを機にまたたくさん発言してよ!ムードメーカーの夏菜さん!」
和気あいあいとした雰囲気になり、夏菜もすごくうれしくなり以前のように笑顔をたたえていた。その笑顔はまるでひまわりのよう。
知花の顔を見ると、ぎょっとした。今までの強気な表情とは打って変わって、なんと泣き出しそうな顔だったのだ。
「ううう、ごめんなさい。あなたの成績に今まで嫉妬していて、いい機会だって思って腫れ物になってしまえって思っていたの。うちも母からの圧力が強くて成績のことをずっと言われていて。だから、お母さんに恵まれないっていう意味では仲間だと思ったんだけど…。ごめんなさい」
「いいんですよ。それに私は母に恵まれなかったとは思っていません。あんなことはありましたが、私にとっては素敵な母なんです」
あの校門での出来事があってからはじめてそう明言した。少し声が震えた。
「だから、あなたの仲間意識には応えられないのかもしれないけど…。でも成績を競う仲間としてともに勉強しませんか?」
「うん!」
そうして切磋琢磨する仲間ができ、それでも夏菜は1番という順位は落とさなかった。
病気の母親がいても、教室の空気が悪くても、彼女は自分という芯を折らずに乗りきった。そして、難関大学に合格し、進学することとなった。
***
「ここが大学かぁ。緊張するけど笑顔で行こう!」
ひまわりのような笑顔を浮かべる夏菜。
「君、すてきな笑顔だね!もっと見たい!」
そんなナンパなセリフで語りかけてくる彼は…。
素敵な大学生活の予感がした。舞い上がった桜の花びらが、ふたりの間を通り抜けていった。




