下
毛布に潜り、体を丸める。
いつもなら心地いいベッドも、まるで気持ちよくなかった。外からは雨の音が聞こえてくる。
雨足が強くなってゆく。
部屋の電気はつけたまま。
私の頭の中では、アルマのことだけがぐるぐるしていた。考えているのは彼のことばかり。
今まで一緒に過ごしてきた記憶が鮮明に甦ってくる。その途中で先ほどの惨状が、修羅場が邪魔をしてくる。
最後にアルマが哀しいような、誰も信じられない……そんな表情を見せて、記憶はまた最初からループする。
そんな状態がずっと続いていた。
彼をあんな顔をさせたのは、私のせいなのだろう。彼がこんな世界を知らなければ、あの時私が連れ出したりなんてしなければ──実はもっと幸せな生活を送れていたのかもしれない。
心を蝕む罪悪感、後悔、絶望。
私が彼を不幸にさせた張本人なのかもしれない。幼い頃の自分を憎んだ。
世界はこんなにも醜いのに、偽りの幸せを見せて期待させてしまった。
「……」
謝って済む話ではないのかもしれないけど、せめて謝ろう。
私は立ち上がって扉を開けた。
その先には、フェルトが立っていた。
「こんばんわ、お嬢様」
「……あ、うん」
どうやら、私が変な行動を取らないか見張ってたらしい。多分、父の命令だろう。
蝋がなくなりかけている蝋燭を持って立っていた所を見ると、かなり長い間ここ居たことが窺える。
「単刀直入に質問しますが、お嬢様はこれからアルマのところへ行くのでしょうか?」
彼女は聞いてきた。
静かな声で。
それに対して「うん」と短く、私は答えた。
誤魔化せることではなかったし、誤魔化したら私の決意が揺らいで見えてしまうから。
「そうですか」
「もしかして、私がアルマの所に行かないように見張ってろってお父さんから言われてるの?」
「ええ、言われたました」
「……じゃあ止めるの、私を」
「いいえ。貴方のお母様はアルマさんを忌避していますが、残念ながら私はそうではありません」
「私はこの仕事に就く前、旅人をやっていました。その関係で魔族の友人を持っております。だから知っているのです」
「魔族でも良い人はいて、人間でも悪い人はいると」
「そしてアルマとは、お嬢様があの時この屋敷に連れてきてからというもの長年……お世話してしましたから」
「彼が良い人であることを、私は知っているのです。だから」
「止めません。貴方がアルマの所へ行くことは、止めません。……お嬢様は明日大人になるのです、自分の将来は自分で決めるべきです」
想像とは違ったフェルトの言葉に、私は背中を押された気がした。
彼女の一言一言はとても温かった。
「……フェルト、ありがとう」
「どういたしまして」
「行ってくるね」
「───ひとつアドバイスを差し上げます。正面からアルマの部屋に行くとベェイクが立ち塞がっているでしょうから、窓から入るのが良いと思われます」
そう言えばアルマが少し大きくなってから、窓なしの物置部屋に住むのは流石に可哀想だということでフェルトと私で窓を取り付けたんだっけか。
物置部屋は屋敷の一階にある。
「分かった、ありがとう」
◇◇◇
コンコンという音が部屋に響いた。
アルマはそれをノック音だと勘違いし、無視した。──どうせ無視したところで、もう扱いは変わらないだろうから。
ショックを受けた彼はベッドでふて寝する……訳ではなく、ベッドの上で壁に寄りかかる形で座っていた。
人間だと思っていた自分は化け物だった。
ミラも怯えていた。
長く付き添ってくれていた彼女でもあんな表情をするのだから、自分は間違いなく正真正銘の化け物なのだろう。
そんなことを考えていると、
コンコンコン、と再びノックされた。
いや……ノックではなかった。
音が聞こえた方角に彼は顔を向ける。それは窓だった。カーテンを閉めているので外は見えない。目を瞑って思い出すのは過去の記憶。
そういえば、この窓は自分のことを想ってフェルトさんとミラが付けてくれたんだよな。
あの頃の暖かい世界は一体どこに行ってしまったのか。
コンコンコンコン。
感傷に浸る自分を現実へ引き返す……音がまた鳴った。なんなのだろうか。
疑問に思ったアルマはついに音が聞こえる窓へ近づいた。
カーテンに手を掛け、開けた。
「って! なんで、そこにミラがいるの!?」
「ちょ……あ、開けて……!」
急いで窓を開けて彼女を部屋に入れる。
外は大雨だった。雨具を何もつけてない彼女は、そのせいでびしょ濡れになっていた。
髪も服も、全部ずぶ濡れ。
「な、何してるのミラ!」
「貴方に会いにきたんだよっ、アルマ……っ!」
窓を開けた途端、彼女はアルマに軽く抱きついた。
「会いに来た? 俺に? な、なんで。俺は化け物なんだよ」
「……違うよ、そうじゃないよ、アルマ。私は貴方に謝らなきゃいけないの」
「どういうこと?」
彼女は少し離れてから、落ち着いて(とても冷静でいられるような状況ではないけれども)、話をする。
このままだとミラが風邪を引いてしまうので、取り敢えず自分の毛布を彼女の体に巻いた。
「謝るってのは……コッチがでしょ。俺が謝らなきゃダメじゃないの、迷惑かけたんだから」
「───違うよ、アルマは何にも悪くない。アルマはとっても良い子なんだから。わざわざ嫌がる貴方を連れ出して、人間社会に無理やり溶け込むようにした私が悪いの、私が……。だからこんな事になってしまった」
「だから謝りに来たの」
ミラの瞳はどこまでも真摯だ。
だからこそ、アルマはそれを否定する。
「その時のミラは小さかったし、俺が魔族だなんて分からなかったんだから、君はただ優しいだけの可愛い少女なんだよ。だから君は何も悪くない」
「でも今の俺は化け物だ。ミラだって、俺のツノを見て驚いたじゃん」
「……ちょっと驚いただけだよ」
「でも驚いた。俺は人間社会に馴染めない化け物なんだよ、だから、もう死ななきゃ。だからミラは謝る必要なんてない。ミラは悪くない。俺に幸せを教えてくれた。俺が化け物として生まれてきたのが全ていけなかったんだ。俺はこの世界じゃ邪魔者なんだし──、元々君に拾われなきゃ、もっと早くに死んでたんだから、死ぬべきなんだ──」
なんでそんなことを言うの、
ミラは彼の言葉を遮るように。
「そんなことない!」
と、言った。
そして続けた。
「アルマは魔族だし、人間じゃないのかもしれない。それは確かに貴方のツノが証明してる」
「でもだからって死ぬなんて変だよ」
「貴方は化け物なんかじゃない。普通だよ。お願いだから、死ななきゃなんて……言わないで」
「確かにあなたはあのままだと死んじゃっていたかもしれない。でも、それは『もしも』の話だよ? 今実際に起こってるのは、アルマが生きているって事実なんだよ」
「死ぬべき存在なんかじゃない」
「死ぬべき存在なわけがない」
「死んでほしくない」
「貴方がたとえどんな存在だろうと、小さい頃から姉弟みたいに成長しあったかけがえのない存在」
「そんな関係、魔族だから人だからなんてくだらない理由で水を差されるなんて──いけないよ」
「一緒に成長してきたし、一緒にお風呂だって入ったじゃん、ご飯も一緒、勉強も。互いに補い合った、生きてきたじゃん」
「だから死なないでよ───アルマ」
ミラ・クローバーの本音。
そうか。この気持ちの正体が分かった。
私は一緒に成長してきた彼のことが、すっかり……。
「アルマはかけがえの存在。消えちゃ嫌な存在、化け物なんかじゃないし、魔族だろうて関係ない──、人と魔族は分かち合えないとか、違う種族とか関係ないっ! それぐらいには気持ちがある」
「だから、ごめんなさい。これはワガママ。たとえこの世界がどれだけ汚くて醜いと知ってしまっても」
「たとえ貴方が『化け物』だとしても……、私は貴方のことが好きだからっ……、死なないで、死なないでよっ!」
私は一緒に成長してきた彼のことが、すっかり好きになってたみたい。
そこまで言い切って溢れた。
彼女の感情はオーバーヒートし、頭はこんがらがって、もう訳が分からなくなって。
頬から水滴が一滴垂れた。
それが雨によるものなのか、瞳由来の物なのか。
この際そんな事はどうでも良かった。
「…………ミラ」
アルマは答える。応える。
彼も動揺していたがしっかりと彼女の想い咀嚼して。今度はこちらから。手を差し伸べる訳ではないが、深く抱きしめた。
「──」
「ありがとう」
「あはは……謝るはずが、告白しちゃったよ」
「ミラ」
「……ん」
「今日もまた君のおかげで生きていける」
命を助けられるのはこれで二度目だな、と彼は思った。
「待ってて。渡しそびれた物があるから」
そう言って彼は少し大きめの紙袋を持ってきた。もしかしてこれは……と、彼女は思う。
「これって」
「安物だけどね……ミラに似合う服を、自分でこっそりバイトしてて貯めたお金で買ったんだ」
紙袋の中から出てきたのは、ブランド物の真っ白なドレスだった。誕生日パーティーどころか、結婚式や色々なおめでたい式などで使えそうな質の良いものである。
安物───それは絶対に嘘だった。
普通のバイトでこれを買うお金を稼ぐには、数年掛かるのではと思うぐらい。
「どう、気に入ってくれた?」
「うん、もちろんだよ! ありがとう!」
「早速だけど着替えて欲しい……、ミラに見せたいモノがある」
「ま、まだプレゼントがあるの?」
「そう、着替えて」
「……分かった」
カーテンに隠れる形で私は濡れた服を脱ぎ、純白のドレスに着替える。サイズは少し大きかったが、これはこれで味があって良い感じだった。
でも似合ってるか不安で恥ずかしい。
「とても似合ってるよミラ、綺麗だ」
「ははは、本当? あんま柄じゃないのだけどね、こういう服は」
「誰がなんと言おうと似合ってる」
「ありがとう」
「じゃ、行こうか」
「……え?」
何処に、と言おうとした瞬間であった。
彼の背中から大きな黒い翼が生えてきて、
「わっ! 翼!?」
「──ツノと翼が生える事は、魔族における成人らしいよ」
「え、そうなの? じゃあ弟みたいだと思ってたけど、アルマって私より一日年上だったんだ……って、うぇ!? な、何するの!?」
アルマは軽々しくドレスを着た彼女を、お姫様抱っこした。そして雨の降る窓から一気に飛び立つ。
不思議と彼女は雨に濡れなかった。
彼は急上昇する。
「さっきさ、ミラが世界は汚くて醜くって言ってたけど……」
「うん」
「訂正させて。ミラが教えてくれた世界は、汚くなんかなくて、とっても綺麗で美しいんだって」
「──あ」
雲を抜けて、上へ飛び出た。
雨は降っていなかった。
当然だった。
だって雨を降らす雲は自分たちよりはるか下にいるのだから。
「ミラ、俺にこんな美しい世界を教えてくれてありがとう。月が綺麗だ」
「アルマ……っ」
「改めてコチラから言わせてくれ。僕も本当に君が好きだ。君に美しい世界を教えてもらった分、俺も君に幸せな事を沢山教えてあげたい──だから、」
彼は言う。
「オレと付き合ってください」
上を見渡すと果てしない幾千もの星々が、空というキャンパスに綺麗な夜空を描いていた。
一点、美しく純白な白い月が浮かんでいた。
今夜は風が心地よかった。
「……これから、よろしくお願いします」
屈託のない笑顔をミラ・クローバーは浮かべる。
その日、ミラは少し早めの成人式を迎えた。
◇◇◇
私が話すと自慢話になってしまうようなエピローグであるが、自分の事なのだから、自分で語ることにしましょう。
次の日、私はアルマを連れて父に話をした。
成人式パーティーの日の早朝。
『私たちは付き合うことになったから、家を出ていく、身勝手でごめんなさい』と。
父が許したかと言えば微妙だった。
母は私と絶交すると言ったし、二度と顔も見たくないなんて言われたし。
でも父は家を出る時に。
彼は言った。
「うちの娘はちゃんと育てたつもりだ。だから変な男に靡くなどありえない、お前が妖術などを使っていない限りな」
「……娘が決めた事には余程のことがない限り口出ししないと決めた。もうミラも大人なのだからな、結婚して家を出るのは、そういう決定をしたミラの自由だ」
「───そして俺はお前も最低限遠くから見てきたつもりだ。だがその上で聞く。アルマ、お前は娘を預けるに足る男だろうな」
その言葉に、アルマは真摯に応える。
「当然です。俺は彼女に幸せを教えてあげると約束しましたから」
そうしてまだまだ子供だった私たちの物語は終わる。大人となって、新たなるステージへ踏み出していく。
父に認められたアルマは今日の誕生日パーティーに出席する事になった。
これがこの屋敷で行う私の最後の晴れ舞台。
決意も込めて、私は散髪した。長かった髪を切り、短く整えた。
乾杯の挨拶。
私のお父さんは、集まった貴族らみんなに告げた。
「では我が愛娘ミラ・クローバーの成長を祝い、"ミラ・パニーニと"娘婿となるアルマ・パニーニ。二人の将来の幸せが末長く続く事を祈って。乾杯」
「えっ?」
数年の付き合いのうち、私たちの関係はその言葉通りの結果に成就するのであった。
宜しければ評価をよろしくお願いします。