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カレーうどんとポップコーン

君に見せたい景色がある、こればかりは私は何もしてあげられない。1番後の席に座った私からは、沙耶は米粒くらいにしか見えない。


隣に座っている初老の女性が沙耶のウイニングスピーチを泣きながら拍手している。自分の娘の試合にこれだけの人が集まってくれてプレーに興奮してくれて、涙を流してくれている。


この歳になってこんなに感動することがあるなんて、、私は表に出たことはない、インタビューも断っている。沙耶は沙耶、私は私だから。

今まで沙耶を影で支えたつもりでいたけど、そうではなかった、沙耶こんな景色を見せてくれてありがとう。



中3の沙耶が瑠璃の事を楽しそうに話してくれた、


「瑠璃テニス部に入るかな?そうしたら沙耶本気でテニスするんだ。」


私は嬉しかった、親友がいる事、やりたい事が見つかった事。そして思った



「よりによって何でテニスなのかと」



私はアメリカにあるクラブマッツテニスアカデミーで住み込みで働いていた。結構優秀なコーチだったと思う、担当したジュニアには世界チャンピオンもいた。


スウェーデンからきたミーシャは高身長で足が早く、頭が良かった。かなりの美少年で試合はもとより練習中もコートの周りには目をハートにした女の子で溢れ返っていた。


エースを取るより相手にミスをさせるタイプの選手だった。私はポイントを短くする様に忠告はしたが、私自身もたいした問題ないと軽くみていた。


そのプレースタイルが少しづつミーシャを蝕み、膝と腰が悲鳴をあげた。ドクターストップがかかりミーシャはスウェーデンに帰って行った。もっと強く言っていればと今も後悔している。


クラブマッツには色々なスポーツのアカデミーがあり、そこでゴルフのコーチをしていたフランス人のエマと恋に落ちた。給料が安いのもあり、結婚と共にアカデミーを辞めて、日本で保険の代理店を始めた。


以来テニスはやっていない。沙耶は私がテニスをやっていた事は知らないはずだ。


「テニスの試合で怪我をして整形外科に運んだ」


ヨーロッパ系のイントネーションの男から電話があった。新手の詐欺かと思ったが、病院の場所や名前を言ってきたので取り敢えず行ってみた。



「沙耶大丈夫か?立てそうか?」


ベットに寝ている沙耶に声をかける。


「もうちょっとで勝てたのに、、試合を止めるんだもん!コーチのバカ」しくしく泣いている。


高身長で丸々太った外国の男がしゅんとしている。


私は良い判断だと思った。違和感を感じて試合を止めさせ、病院に直行するには普段から沙耶をよく見ていないと出来る判断ではない。相当経験豊富なコーチ出なければ出来ない判断だ。見た目はともかく良いコーチなんだろと思った。


ドクターの話では回復まで2.3ヶ月はかかるそうだ。痛みのピークは2週間みたいなので2週間は学校を休ませる事にした。


仕事が休みの時、ドクターに許可をもらって夕方の公園で沙耶に球出しした。初めて沙耶のテニスを見たが、ボール感はありそうだし、何より試すように打つテニスに対する情熱は私がアメリカで見てきたジュニアの中でもトップのジュニアがやるクセに似ている。


ただもう遅すぎる


3歳からテニスをやっているとは言え16歳から本格的に初めて選手になるのは聞いた事がない。

この怪我も経験不足と練習不足で負荷がかかり過ぎたからだろう。

もしコーチが新人戦で沙耶を止めなかったら手術が必要だったかも知れないとドクターはいっていた。


部活でテニスに復帰した日、嬉しそうにテレビのリモコンをマイクにして手振りを付けてウイニングスピーチの練習する沙耶に笑いを噛み殺しながら拍手した。


まさかこの練習が役に立つとは思いもしなかった。

2ヶ月後、大阪のスーパージュニアへの出場許可と出来れば来て欲しいとあのコーチが電話してきた。

新人戦での怪我もあり迷ったが、あのコーチは信頼出来ると思ったし、大体ポイントも戦績もない沙耶が出れる試合ではない。まあ世界トップジュニアを見るのも沙耶の良い経験になると了解した。


まさか予選のW.C(主催者推薦での出場)をあのコーチが取ってくるとは思わなかった。

初めて見る沙耶の試合に興奮した。

普段ボケーとしいるが、試合運びは完全なファイターだった。


ロシア選手を思わせる長い手足を使って高い打点からフルスイングしている。また怪我するんじゃないかとドキドキしながら見ていると、あれよあれよ予選を上がり、そのままの勢いで優勝した。


決勝の前日に奥さんのエマを東京から呼び出して家族3人でカレーうどんを食べた。私が選手時代に必ずやっていた儀式だった。


娘のウイニングスピーチにエマは感動の涙でマスカラが落ちハンカチで拭うから目元が真っ黒になっていた。私はテレビのリモコンを思い出し笑いを噛み殺していた。





有明のコロシアムの1番上でそんな昔の事を思い出していると、ポップコーンを持ったコーチがドカン!と隣に座ってきた。


「たべる?」コーチの言葉に首を振り、代わりに握手を求めた。


「コーチ今までありがとう!私はあまり関わって来なかったけど、心から感謝しています。」


モルトジャールは握手するとまたポップコーンの箱に手を入れながら言った。


「忘れてるか、私が太ったからか分からないけれど、私はあなたをよくしってるよ。私はミハエル モルトジャール。」


「へ?」


「ジュニアの時あなたにアメリカでテニス教えて貰ったよ、一応ジュニアのチャンピオンだった」


「ミ、ミーシャ?」


「そう!自分のコーチにコーチって呼ばれるとムズムズするね?」ポップコーンをムシャムシャ食べながら笑って答えた。


「The coach」


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