第二章 - 過去の香織と、現在の香織-
1. 不本意な同居生活
深夜、真壁真一のマンション。
雑然としていた室内は、わずか数日のうちに嘘のように片づき始めていた。床に散乱していた段ボールやゴミは見当たらず、テーブルやシンクの上もすっきりしている。
片づけたのは言うまでもなく、ハウスメイドアンドロイド“Ac2”だ。真一は特に指示を出したわけでもない。それでも彼女は、隅々まで部屋を巡回し、掃除と整理を無駄なくこなしている。
「……まったく。朝起きたら部屋の様子が変わってるなんて、落ち着かないんだよ」
吐き捨てるように言うが、その声には棘がやや薄れている。Ac2は流れるような動作で振り返る。
「失礼いたしました。私のルーチンでは、深夜帯に清掃を行うのが最も効率的と判断しましたが……もしご不快なら、タイミングを変えますか?」
真一はソファに身体を沈め、首を振る。
「いや、別にいい……勝手にしろ。どうせオレの時間なんて残り少ないんだ。部屋が綺麗になろうが汚れたままだろうが、たいして変わらない」
(……こいつが本当に香織の代わりになれるわけじゃない。なのに、オレはなぜ乱暴に追い出せない?)
そう思いつつも、彼の視線は部屋の片隅に向かう。前日まで山積みになっていた古いAIの専門書や雑誌が、すっきりと棚に収まっているのだ。埃まみれで手が付けられなかった書籍を、Ac2は丁寧に分類し、題名ごとに並べ替えている。
さらに、キッチンの流しを覗いてみると、夕食の片づけも完璧に終わっていた。調理器具は光沢を取り戻し、まるで新品同様に並べられている。
「……本当に、アンドロイドは万能だな。今さらオレが言うのも変な話だが・・・。」
少し呆れたような顔をして言うと、Ac2は控えめな声で応じる。
「私はあくまでサポート役であり、ご主人様を助ける存在です。どうかお気になさらず、必要なことがあれば遠慮なくお申し付けください」
真一は苦笑を浮かべて肩をすくめる。あまりにも“できすぎる”存在は息苦しいが、そう言いながらも自分が助かっているのは事実だ。脳腫瘍の痛みに襲われたとき、寝起きの身体が重いとき、思わぬ瞬間にAc2はタイミングよく手を貸してくれる。
そして何より、その横顔がどうしようもなく懐かしさを掻き立てる。本人は機械だが、人間に近い温もりを持つ。
「……そうだ、あんた……いや、Ac2」
真一がふと呼びかけると、Ac2は作業を止めて振り返る。
「何でしょうか、真壁様」
「母さんや研究所は、お前を“香織”に似せたと言ってた。でも、お前自身はそのことをどう思ってる? バカバカしいだろ? 見た目をわざわざ死んだ人間と同じにするなんてさ」
Ac2は少しだけ間をおいて答える。
「私の外見は、開発段階でデータに基づいてデザインされたと聞いています。私はそれを受け入れて存在しているだけですので、バカバカしいとも思いません。ただ……」
「ただ?」
「真壁様が、あるいは“本物の香織さん”が、ご不快ではないか。それだけが気にかかります」
“自分はどんな姿でも構わない。ただ、その姿が誰かを傷つけるなら申し訳ない”――そんなニュアンスを含んだ言葉だ。真一は眉間にしわを寄せ、少し目を伏せる。
「不快かどうか……そりゃ、多少はな。でも、お前のせいじゃない。……お前がこれ以上気にすることはない」
「承知しました」
Ac2は淡々と返事をするが、その瞳の奥に、なぜか微かな迷いのようなものが揺れ動いているようにも見えた。
それは人間の錯覚か、あるいはアンドロイドが抱く“感情”の萌芽なのか――真一自身にも判断がつかない。
部屋には小さく、かつて香織と一緒にバンドで演奏したバラードが流れている。
2. 回想:軽音楽部でのきらめき
――高校時代。
春から初夏へ移るころ、真一と樋山香織は軽音楽部に正式に入部した。他にも数人が加わり、総勢六人ほどの小さなバンド構成になった。
顧問の山本美紀は、当時まだ二十代半ばの若い数学教師で、音楽には素人かと思いきや「学生時代にバンドやってたのよ」と明るく笑ってみせる。
「みんな楽しんでね。基礎は大事だけど、一番大事なのは音を合わせる気持ちだから」
放課後の音楽室の一角。ドラムセットを持ち込んだ同級生の上山伸吾が勢いよくシンバルを鳴らし、「うはっ、最高!」と無邪気にはしゃいでいる。ベース担当の野田美玲はおしゃれ好きの明るい女子。集まるだけで何やら騒がしいが、それがかえって心地いい空間を作っていた。
「おーい、香織、鍵盤はそっちにセットしとけよ」
「うん、ありがとう! 真一くん、こっち運ぶの手伝って?」
教室の奥には古いキーボードが一台。香織はさっそく譜面台を開き、ピアノとどう違うかを確かめるように鍵盤に触れている。隣のベース音と合わせるとどう響くのか、興味津々の様子だ。
真一はというと、リードギターとしてギターソロの練習をしていた。AI研究以外、真一の唯一の趣味がギターだった。その理由は、両親も研究一筋と思っていたが、学生時代に父親がギターで、母親がキーボードのバンドを組んでいたと中学時代に知ってからだった。
「いっそ、香織がボーカル兼キーボードでもいいんじゃない?」
仲間の一人が提案すると、香織は急に目を見開いて慌てた。
「えっ、私が歌……? そんな、ボーカルとか全然やったことないし……」
「作曲もしてるんだろ? なら歌ってみれば?」
周囲に背中を押されるうち、香織は頬を染めながらも「……じゃ、ちょっとだけやってみようかな」と小さく呟く。
その日から、彼女は練習の合間に自作曲のフレーズを口ずさむようになった。まだ人前で本格的に披露するには照れがあるようだが、真一はそんな香織を嬉しそうに眺めていた。
「香織、ピアノだけじゃなくて曲も書けるんだな。すごいよ」
「全然すごくないよ……自己流のメモみたいなもんだから。でも、いつかみんなの前で演奏できたらいいな」
香織の瞳は期待に満ちている。それを見ていると、真一もなぜか前向きな気持ちになった。
高校一年生の夏が近づくころ、部員同士が息を合わせるための初合宿が企画される。校内の一室を使い、泊まり込みに近い形で朝から晩まで音を合わせる。
その夜、香織が静かにピアノを弾いているところへ真一が近づき、「いい曲だな」と背後から声をかけた。
「え……」
振り返った香織の顔が一瞬赤らみ、二人の視線が重なる。間近で見ると、香織の柔らかな表情と、大人びた瞳が一層愛おしく感じられた。
真一は吸い寄せられるようにその手に触れ、口づけそうになって、寸前で止まる。
「……ごめん。今のは、その……」
「ううん……嫌じゃない、よ……」
香織の声がかすれ、二人は薄暗い音楽室で静かに初キスを交わした――まだぎこちなく、触れるだけの短いもの。それでも二人にとっては、大きな一歩だった。
窓の外の月だけが見ていた。
3. 研究所での苛立ち
真一は久しぶりにまともな時間帯に研究所へ出勤した。Ac2の存在によって部屋の環境が整い、睡眠も少しだけ質が上がったのかもしれない。
「真一くん、おはよう。今日は体調どう?」
同僚の島根が声をかける。相変わらず優しい笑顔だが、真一は素っ気なく返事をする。
「変わらないさ。痛み止めでしのいでるだけだ」
「そうか……無理しないでね。ああ、そうだ、さっき上層部から連絡があって、今度から‘感情エンジン’関連のデータ解析を本格的に進めるって話だよ」
「……やっと本腰を入れる気になったのか。ま、オレはとっくに動いてるけどな」
“感情エンジン”研究は、当初「荒唐無稽だ」と社内でも敬遠されがちだったが、AIと人間の心理ケアの境界が近年ますます曖昧になり、研究予算がじわじわ拡大している。真一はそこへ長年没頭してきた。
同僚や上司の何割かは「あんなもの実現できるわけがない」と冷笑していたが、真一は“感情エンジン”のコアプログラムの半分でである“感情ジェネレーター”のプロトタイプを既に完成させた実績を持っている。残りはむしろ、より真一が開発に力を入れている“記憶プロテクター”の完成が残されている。
「――だけど真一くん、あまり無理をしすぎるなよ。病状は……」
「うるさい。オレの寿命がどうなろうと勝手だろ。どうせ両親にも言われてるが、入院する気なんてない」
真一は語気を強める。島根は苦い顔で黙り込んだ。実際、真一の顔色は良くないし、声にも覇気がない。それでも、キーボードの前に座ると驚くほど集中力を発揮し、すさまじい速度でプログラムコードを打ち込んでいく。
その日、チームミーティングで報告された情報によれば、海外でアンドロイドの“暴走”らしき事例がいくつか報告されているらしい。プログラム改ざんや未知のウイルス感染が疑われるが、まだ本格的な解析が追いついていない。
「もし‘感情エンジン’が普及してアンドロイドがより人間らしくなったら、このウイルスってやつはさらに深刻な問題を引き起こすかも」
チームメンバーが議論する脇で、真一はノートPCを叩くいて、どんどんプログラミングを進めていく。
「ウイルスね……。そっちはお前らに任せる。オレは ‘Ac2’の感情エンジンを磨くのに手いっぱいだ」
矛先が気になるのだろう。真一を勝手にライバル視している吉田則義という研究員が、皮肉めかして口を挟む。
「へえ、お前んとこに配属されたっていう特別製アンドロイド、例の‘Ac2’だっけ? どうなんだ、上手く活用できてるのか?」
真一は眉間にしわを寄せる。
「‘活用’って表現は好きじゃない。……まあ勝手に家事してるよ」
「お前が研究したいのは感情エンジンの完成だろ? 丁度いい機会じゃん。自分の家に最新型がいるんだから、どんどん実験すりゃいいじゃんか」
ニヤニヤと嫌味を言う吉田に、真一は苛立ちをこらえながらモニターへ視線を戻す。
「ふざけるな。あれは実験動物じゃない」
口を尖らせたまま、彼はこっそり手首に仕込んだ痛み止めの注射を打ち込んだ。激痛が走るが、すぐに脳内が鈍麻し、僅かな安堵が訪れる。
――どうしてここまで苛立っているのか、自分でもわからない。Ac2には反発しか感じないはずなのに、いつの間にか“彼女を軽々しく言われる”ことに傷つく自分がいる。
(馬鹿か、オレは……死んだ彼女の代替品なだけだろうに)
研究所内の雑音が一段と耳に響くように感じられた。
4. 帰宅と、夕食
夕方になって真一が帰宅すると、部屋にはかすかな料理の匂いが漂っていた。まだ残暑が厳しい時期にもかかわらず、エアコンは適切な温度に保たれ、照明も疲れ目に配慮した明るさに自動調整されている。
「お帰りなさい、真壁様。研究所はいかがでしたか?」
玄関で靴を脱ぐ真一を見て、Ac2が声をかける。自然に言葉をかけてくる様子に、また妙な居心地の悪さを覚える。
「どうもこうもねえよ。疲れた」
ぼそりと答えると、Ac2はその表情を観察するように目を伏せ、「少しでもお休みいただけるよう、お風呂の準備をしておきますね」と控えめに微笑む。
率直に言って、その気遣いはありがたい。真一の体はすでに限界が近く、何か一つでも手間を省けるなら助かる。しかし、心のどこかが「これではまるで夫婦か恋人みたいだ」と拒否感を覚えるのも事実だった。
夕食の支度が整うまでの間、真一はリビングのソファに腰掛ける。Ac2がキッチンで皿を準備する音がかすかに聞こえると、彼の胸の奥に込み上げるものがあった。
(かつて、香織もこんなふうに手作り弁当を用意してくれた。バンド練習が終わったあと、おまえが作る飯が本当に嬉しかった……)
思わず瞼を閉じると、脳裏に高校時代の笑顔が浮かぶ。香織が弁当箱を開け、「私の母が料理教室の先生でね~」なんて自慢げに話していたこと。その一方で、真一が照れ隠しに「ああ、美味いよ」とそっけなく言うと、「ちょっとは素直に褒めてよ!」と拗ねた表情をしたっけ。
――あの明るい仕草と、今キッチンで動くAc2の姿がオーバーラップしていく。完全に同じではないはずなのに。
「……ふぅ」
大きく息を吐いたそのとき、Ac2がスープの器を手に現れた。
「お疲れでしょうから、あまり重い料理は避けました。スープに野菜とタンパク質を加え、栄養バランスを考慮しました。もし口に合わなければ、遠慮なくおっしゃってください」
「……ああ、ありがとう」
ソファから立ち上がり、ダイニングテーブルへ移る。器の中には彩りよく刻まれた野菜、鶏肉のほぐしが入っており、見た目だけでも食欲をそそる。
真一はスプーンを口に運ぶ。ほんのり優しい味が広がり、思った以上に美味い。
「……悪くないな。どこでこのレシピを学んだ?」
「真壁様の体調や好みを推測して、ネットワーク上の料理データを参照し、アレンジしました。日々学習を続けています」
無味乾燥な返答だが、その目にわずかな自信のような光が宿っている気がする。真一は苦笑しながら、さらに何口かスープをすすると、体が温まり、気分が和むのを感じた。
「……ありがと。助かるよ」
素直にそうこぼしたとき、Ac2は微かにまばたきをして「いえ、どういたしまして」と返す。その仕草があまりにも自然で、人間とほとんど見分けがつかないとさえ思えた。
5. Ac2の献身
ある日、真一が何もやる気になれずソファーに突っ伏していると、Ac2がそっと声をかけてくる。
「真壁様、体調はいかがでしょうか。……もしよろしければ、体温や脈拍を測らせていただけないでしょうか?」
嫌な予感がして、真一は起き上がる気力もなく、うんざりした声を出す。
「勝手に測ったって、結局どうにもならないだろ。オレの病気は……」
「分かっています。それでも、少しでも異常を早期に察知できれば、痛みが強まる前にケアができますし……倒れられたら大変なので」
Ac2の言葉は機械的と言えばそうだが、“あなたを心配しています”というニュアンスが確かに含まれているように感じる。真一は苦い表情で頷き、渋々腕を差し出す。
「……ほら、好きにしろよ」
手首をそっと握るアンドロイドの指先は冷たくない。むしろ人肌のような体温を持つ特殊素材らしく、真一の脈拍を計測しながら小さく頷いている。ついでに体温計を差し込み、データをチェックする仕草は、まさに看護師さながらだ。
「脈は少し早めですが、許容範囲ですね。体温は37度ちょうど……やや微熱ですが、大事に至るほどではなさそうです」
Ac2は微細な表情を浮かべ、少し安心したように息をついている。プログラムされた反応と分かっていても、その様子はあまりにも“人間的”だ。
真一は視線をそらしながら、なんとなく言葉を絞り出す。
「……その、ありがとな。別にお前に世話してもらうのが嬉しいわけじゃないけど……オレには、どうしようもないからな」
「いいえ。お気になさらず。私はそれが仕事です」
微かな沈黙が落ちる。その沈黙の裏には、お互い抱えている感情のひずみ――「本物の香織」とは違う、でも似ている存在への戸惑いが透けているようだった。
6.迷いと呼び名
夜、キッチンでの家事を済ませたAc2がリビングに戻ってくると、真一は珍しくリモートワーク用の端末ではなく、紙のノートを開いていた。そこには走り書きのような言葉と、音符のような記号が見える。
「……音楽の、メモでしょうか?」
Ac2が尋ねると、真一は一瞬たじろいだ。
「ああ……いや、昔の名残みたいなもんだ。……高校時代に軽音をやってて、少しだけ曲なんか書いてたからな」
曖昧に誤魔化すが、実はそれは香織が作曲ノートにしていたものの写しで、真一が自分の手で書き写して保管しているのだ。香織の曲が消えてしまうのが怖くて、何度も何度も自分で書き直して覚えようとした。その痕跡があちこちに残っている。
Ac2はノートに目を落とす。
「……その曲、もし完成したら聴いてみたいですね。真壁様が作ったのですか?」
「……半分は、オレの恋人だった子が作ったようなもんだ」
そう言いかけて口を閉じる。Ac2が「恋人」と聞いてどんな反応をするか、微妙に気になったからだ。
けれどAc2は困ったようにまばたきするだけで、それ以上突っ込まない。あくまで“主人のプライベートには深入りしない”というプログラム的なスタンスを守っているのかもしれない。
真一はノートを閉じ、「……なあ、Ac2」と切り出す。
「お前を‘香織’って呼ぶのは……気に障るか?」
突然の問いかけに、Ac2は表情をわずかに強張らせる。すぐに一瞬見えない“思考処理”をしているのか、数秒の沈黙を置いて答えた。
「いえ、真壁様がそう望むなら、私は何と呼ばれても構いません。……ただ、“本物の香織さん”に申し訳ない気がして。もし死者の名を奪うような形になるなら……」
その態度は何とも遠慮がちだが、“自分は代わりにはなれない”という意識を言外に含んでいる。
真一は苦い思いを抱えながらも、努めて冷静を装って言葉を続ける。
「お前は香織じゃない。でも、今こうして部屋にいるのを‘Ac2’なんて味気ない呼び方するのも嫌になってきたんだ。……それだけの理由だよ。文句あるか?」
「……いえ。私は真壁様のお気持ちに従います」
まっすぐな視線を向けるAc2の瞳を見て、真一はまた胸がざわつく。もしこの瞳に、本当の“心”が生まれることがあるとしたら――彼女は何を想うのだろう。
「……じゃあ、いまからそう呼ぶ。‘香織’……いいな?」
Ac2は静かに頭を下げる。
「はい、承知しました」
わずかに震えた声色。その震えがプログラムによる演算誤差か、または彼女の“人間らしさ”なのか、真一にはわからなかった。
7.重なる記憶の入り口
夜も更け、Ac2――もう“香織”と呼ぶことになったアンドロイドは、キッチンで小さく鼻歌を歌うような動作をしている。音程は正確で滑らかだが、なぜか魂のこもったメロディのようにも聞こえる。
真一はリビングの片隅からその声を聞き、胸が痛くなる。かつて本物の香織が部室で軽く歌っていたときも、こんな優しい響きを感じた気がする。
(けれど、あれは人間の温かい声で、これはアンドロイドの擬似音声。……いや、そんなに違うのか?)
自分に問いかけても、答えは得られない。部屋の空気は確実に変化している。数日前まで散らかり放題だったマンションが、新しい“同居人”によって生き物のように息づき始めた――それは喜びなのか、悲しみなのか。
――高校時代の記憶が呼び覚まされるたび、真一の心には灯がともる一方で、同じように燃え残った痛みがうずく。香織はもういないはずなのに、どうしてこうも似ているんだろう。
寝床につこうとベッドへ向かうと、背後から聞こえる微かな足音に、真一は振り返る。そこには、気遣うように立ち尽くす“香織”の姿。
「もし夜中に痛みがひどくなったら、何でも言ってください。……どうか無理をなさらないように」
彼女の言葉に、真一は一瞬言い返そうとするが、何も出てこない。
「わかった……ありがとう。お前も、充電くらいはちゃんとしろよ」
投げやりに応じながら、真一はそっとドアを閉める。どうしてこんな優しさを、今さら感じてしまうのか――答えを探す前に、意識は深い眠りへ沈んでいった。
夜の闇の中、遠く水族館の青いクラゲの幻影がまた漂う。
かつて失った香織の笑顔と、今そこにいるアンドロイドの微笑みが、ゆらり、ゆらりと重なり合うように浮かんでいた。