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二度失う愛の、その先へ~青の残響~  作者: 銀 護力(しろがね もりよし)
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第一章 - アンドロイド“Ac2”との出会い -

1. 荒んだ日常

  2065年、日本は、もはやかつての豊かさや活気を保てなくなりつつあった。予測をはるかに上回る速度で人口が減少し、少子高齢化は危機的な水準にまで達している。都心を見渡しても、かつてのような人混みはめっきり減り、代わりに増えたのは無機質に働く数多のアンドロイドたちだった。

官民が総力を挙げて進めたアンドロイド技術は、一次産業から介護、接客、教育まで社会のあらゆる分野に浸透している。そのなかでも人間と直接ふれあい、言葉を交わす業務に就くアンドロイドたちには「感情プログラム」が搭載され、まるで人間のようなリアクションを示すことが珍しくなくなった。

東京郊外にそびえ立つ最新鋭のタワーマンション。エントランスにはセキュリティカメラや二重の自動ドアロックが備わり、各戸の要介護者世帯には公的補助が出てアンドロイドが派遣されている、というのが珍しくなくない。とはいえ、まだまだ全世帯に一体というほどは普及していない。

このマンションの高層階――いつも分厚いブラインドが下ろされ、昼だか夜だかわからない部屋がある。そこが真壁真一の暮らす家だ。

 床には段ボール箱、空きカップ麺の容器、読み散らかしのAI関連雑誌などが無造作に放置され、足の踏み場を探すだけでも一苦労。空調の微かな稼働音だけが部屋に低く響く。人間の暮らしというよりは、廃墟に近い雑然さを感じさせる。

 ソファの上で浅く眠っていた真一は、むしばむような頭痛に目を覚ます。いつもの痛み止めが切れたのだろう。今にも脳を釘で刺されるような衝撃が断続的に襲ってくる。

 「……くそ、いつも通りか」

 呻きながら体を起こす。テーブルの隅に散乱した薬の袋を探し当て、痛み止めを無造作に口へ放り込む。コップすら見当たらないから、そのまま唾液で無理やり流し込んだ。

 しばしじっと息を止め、痛みが軽くなるのを待つ。何度も繰り返した馴染みの光景だ。

 真一は32歳になってる。AI関連企業「アルファメカトロニクス」の開発研究員にして、“感情エンジン”研究のキーマンと期待されていた――少なくとも、かつては。

 つい三年前までは、彼もここまで崩れた生活を送ってはいなかった。だが、今の彼は余命を宣告された身。手術が難しい部位の脳腫瘍に冒され、放射線治療や新薬にも限界があった。本人は“どうせ治らない”と突き放しており、病院通いも緩和ケア程度。部屋にこもるようになったのだ。

 「今日こそ研究所に行かなきゃ……」

 頭痛を宥めながら独り言を呟く。だが、歯を食いしばるように立ち上がると、膝が震え足元が揺らぐ。壁に手をついてなんとか踏みとどまり、乱れた髪を乱暴にかき上げた。

あちこちに積まれた雑誌や空き缶が視界に入るたび、むしろ自分の荒んだ心象を映されているようで胸が重くなる。


2. 両親と研究所の通告

 それでも正午過ぎには何とか外出し、自動運転タクシーを呼び、真一はアルファメカトロニクス本社ビルへ向かう。窓の外には、街のあちこちで人型アンドロイドが働く姿が見える。介護ロボが車椅子を押している光景や、コンビニで笑顔を振りまきながら客を迎えるアンドロイドの姿も当たり前になった。

(あいつらがこんなに普及して……それでもオレの病気を治せるわけでもないのに)

憂鬱を抱えながらビルのエントランスを通り、エレベーターで研究所フロアへ上がる。

 「やあ、真一くん。昨日も来なかったけど、大丈夫なのかい?」

 研究所のフロアで声をかけてきたのは、同僚の島根藤次。四十歳、穏やかな性格で、妻子持ちで料理好き、何かと真一を気にかけてくれる“いい人”だ。

 「大丈夫じゃないさ。いつものことだろ」

 真一は自嘲気味に返すが、島根は慣れた様子で笑ってみせた。

 「そっか。……でも、今日は大事な話があるみたいだよ。管理部屋に行くといい」

 案内された先の会議室には、母・耀子と父・一馬の姿があった。二人ともこの研究所で要職に就くAI技術者で、真一の研究仲間でもある。

 「来たわね、真一」

 耀子が声を掛ける。白髪が目立ち始めたが、研究者としての気迫は衰えていない。父の一馬は黙したまま、モニターに視線を落としている。

 「大事な話? 何だよ、またオレの研究に口出しか。放っておいてくれ」

 真一が投げやりに言うと、母はため息まじりに切り出した。

 「確かにあなたの研究テーマの“感情エンジン”の完成は望む所よ。“感情エンジン”は、従来の“感情プログラムがパッシブ……人間の反応に応じて感情行動を生成するのに対して、アクティブ……アンドロイドが自律的に感情を生成するという画期的な”感情ジェネレーター“と、アンドロイドの記憶とその時の感情を保存し強固に守る”記憶プロテクター“で構成されているわね。”ジェネレーター“はプロトタイプが提出されているから、それをアンドロイドにテスト実装させてもらったわ」。

 「勝手なことを……。だが一度提出したものをどう使おうが、あんたらの勝手だ。好きにしたらいい」と真一は毒づく。

 「いいえ、要件はそれだけじゃない。……あなたの体が限界なのは知ってるわ。だからこそ、少しでもあなたの生活を支援するために、特別なアンドロイドをあてがうことにしたの」

 「特別なアンドロイド?」

 「最新型ハウスメイドよ。最上級モデルのA2型をベースにカスタムしたモデルよ。プロセッサーは最新モデルを増設。さらに記憶容量も既製品の10倍搭載しているわ。そして、あなたの“感情ジェネレーター”をAIに組み込んでいるわ」

 「実験体をオレに押しつけようってワケか。自分のプログラムがどう稼働するのかを見届けるって理屈だろう」真一はなおも毒づく。

「A2型のカスタムモデル、Ac2のカスタムはそれだけじゃないの……あなたがかつて愛した“樋山香織さん”に外見を似せて作ってもらったわ」

 瞬間、真一の表情が凍りつく。

 「は……? 冗談だろう。死者を冒涜して楽しいか、母さん」

 「楽しいわけないでしょ。でも、あなたは放っておくと死ぬまで部屋にこもって、ろくに食事もしないまま朽ちていく。それなら、せめて……あなたが必要とする‘姿’のアンドロイドに寄り添わせるしかないと思ったのよ」

 激しい嫌悪が胸を突き上げる。何より“亡き恋人”に似せたと聞き、怒りと悲しみが入り混じった感情がこみ上げる。

 「勝手な真似を……オレはそんなものいらない!」

 真一は声を荒げたが、父・一馬が冷静に言葉を重ねる。

 「もう決まったことだ。研究予算も使ったし、今日か明日にはお前のマンションに届く。……拒否するなら廃棄するしかないが、それはあまりにも無駄が大きい。……お前だって、一人では生活すら危ういだろう」

 息子を案じる親心と、研究者としての合理的判断――二人の瞳からは両方の意図が見え隠れする。真一は歯噛みしながら拳を握り、喉元の怒りを必死に抑えた。

 「最低だな……。香織が、どんな思いで死んだか、あんたらはわかってんのか?」

 耀子は目を伏せるが、言葉を選んで続ける。

 「私だって、あの子のことは忘れてないわ。でも、今のあなたを救える方法は、これしか思いつかなかった。……許してほしいとは言わない。ただ、受け止めなさい」

真一は言葉を失う。両親の意図は分からないではない――しかし、香織という名が彼の心の奥底にある痛みを最も刺激するワードだ。

結局何も言い返せず、怒りとも悲しみともつかない感情を抱えながら、研究所を出るしかなかった。


3. “Ac2”の到着

 その翌日。

 真一は家のソファで頭痛と憤りに耐えながら、緩慢に時間を潰していた。もはや廃棄してくれと怒鳴っても始まらない。両親と研究所の段取りは周到で、どうにもならない。

 午後になり、玄関モニターが呼び出し音を告げる。

 「ハウスメイドアンドロイド“Ac2”をお届けに参りました」

 配送業者の淡々とした声。真一は重い足取りで扉を開け、書類にサインをする。すると、控えめに礼をして去っていった業者の後ろに――“彼女”が立っていた。

 グレーの上品なワンピース、肩までの明るめの黒髪。肌は白く、瞳は鳶色。まるで香織がもし大人になっていたら、こうなっていたかもしれない……という容姿を思わせる。

 「真壁様、初めまして。ハウスメイドAc2です。本日よりご自宅を担当させていただきます」

柔らかく微笑むその表情を見た瞬間、真一の脳裏に、高校時代の香織の笑顔がフラッシュバックする。太陽のように明るい彼女が「真一、おはよう!」と教室で声をかけてきたあの日々。

 ――違う、あれはもう死んだんだ。こんなのただの代用品に過ぎない。

 「来たな、香織の偽物。だがオレに拒否権はないんだ……入ればいいだろ? さっさとしろ!」

 突き放すように言い捨てると、Ac2は小さく頭を下げて室内に入り、淡々と荷物を片づけ始めた。部屋には小さな音で、かつて香織と一緒に演奏したことのあるバンドの曲が流れていた。


4. 回想:高校時代の出会い

 ――十数年前。

 春の風が吹く校庭で、真新しい制服を着た真一は、校舎の廊下を一人歩いていた。クラス掲示を見やって、教室へと向かう途中だった。

 そこで、テキパキと掲示物を貼り出す少女を見かける。ちょっと背伸びしながら、両面テープを上手く扱っている。

 「……手、届かないんじゃないか?」

 思わず声を掛けると、少女は振り向いて笑った。

 「うわ、びっくりした……! ありがとう、でももうすぐ貼れるの!」

 彼女は明るい目をしていた。

 「同じクラス……かな? あ、私、樋山香織って言うんだ。あなたは?」

 「真壁真一。多分同じクラスだな」

 そう言って、真一はそっと彼女が手を伸ばし高い場所に掲示物を貼り付けてあげる。すると香織は、にこっと笑って頭を下げた。

 「ありがと! 助かったよ。……あ、ところで真壁くん、部活とか決めた?」

 「まだ。……少し迷っていて」

 「ええー、そっかあ。でも、あなたなんだか、音楽とか得意そうな雰囲気あるね。えっと……なんとなく、だけど」

 根拠もないのにそう言い切る彼女に、真一は面食らう。だが、その天真爛漫さにどこか惹かれていた。

 クラスで自己紹介があり、香織が「ピアノが好きで、でもクラシックよりはポップスとか自作曲に興味がある」と話したのを聞き、真一は不思議と心が弾んだ。

 「……お前、ピアノ弾けるなら軽音楽部に入らないか? お前がキーボードをやるなら、オレはギターをやるから」

 休み時間、難しそうな科学雑誌を読んでいた真一が顔を上げ、ふと隣の席の香織に声を掛けた。

 「軽音楽部……!? キーボードで入れるかな?」

 「大歓迎だろ。……ま、適当に顔出してみればいいじゃん」

 香織はキラキラと目を輝かせ、「うんっ!」と頷く。

校庭の花壇では、だいぶ背丈の伸びた菜の花満開になって、モンシロチョウがその花の周りを飛び交ってる。二人の高校生活も、一気に近づいていった。


5. 戻る現在、始まる違和感

 「真壁様、こちらの書類は……?」

 Ac2が部屋の一角でダンボールを開き、散乱した資料を整理しようとしている。真一はソファに腰を落とし、いらつきを覚えながらAc2の姿を眺めていた。

 「それは研究データだ。勝手に触るな!……食事の準備とか、好きにしていいけが、他には干渉するな」

 「承知しました。まずは部屋の清掃と、夕食の材料を買ってきますね」

 淡々と答えるAc2。確かに口調や声音は人間そっくりに作られているが、真一には微妙な冷たさを感じ取ってしまう。

 ――けれど、香織の似姿に対する抵抗感は拭えないが、その後ろ姿を見たとき、一瞬だけ香織の面影が浮かんでしまい、胸が締めつけられる。

 「……いらないはずだったのに。何で心が乱れるんだ」

 そう呟きながら、彼はPCを起動し、自分が進めている“感情エンジン”のコードを眺めた。

 そこには“AIに人の愛情や痛みをどこまでシミュレートして、強固に記憶できるか”という問いが浮き彫りにされている。香織を亡くして以来、ずっと追い求めてきたテーマだ。

 「バカバカしい。……でも、止められないんだよな」

 天井を見上げ、乱雑に伸びきった髪をかき上げる。彼の脳裏には、また香織の笑顔がよぎる――高校時代、軽音楽部に誘ったときの嬉しそうな表情、ピアノを弾いて微笑む姿。

 「もし、このAc2に……本当に彼女の面影が宿ったら?」

 そんな自問を打ち消すように、真一はPCの画面へと意識を戻した。


6. 重なる姿

 夕暮れが近づくころ、Ac2は買い物を終えて戻ってきた。カチャリと玄関が開き、彼女はエプロン姿でキッチンへ向かい、調理を始める。

 フライパンがじゅうっと音を立て、やがて香ばしい匂いが部屋を満たす。真一の部屋がこんなに“人の生活感”を漂わせたのは何年ぶりだろうか。いや、初めてかもしれない。

「真壁様、夕食がもう少しでできます。……食欲は終日ないかもしれませんが、何口かでも召し上がっていただけると助かります。薬も飲みやすくなるでしょうし」

アンドロイドらしからぬ柔らかな声音に、真一は少しだけ眉をひそめる。

「いちいち世話を焼くなよ……。まあ、腹が減ってないわけじゃないから、用意できたなら食うけどさ」

Ac2は控えめに会釈し、手際よく調理を進める。フライパンから漂う香ばしい匂いが部屋を満たすと、真一の胃がわずかに刺激される。久しぶりに食欲らしいものを感じ、ソファから重い腰を上げてダイニングテーブルへと移動した。

夕食は、栄養バランスを考慮したスープや柔らかな肉料理、蒸し野菜が少量ずつ盛り付けられている。派手さはないが、むしろ病人向けとしては優しいメニューだ。

「……思ったより普通の飯だな。どこで覚えたんだ?」

スプーンでスープをすすりながら、真一は不審そうに尋ねる。Ac2は作業を止めて答える。

「私の基本データとして高度な家事スキルが搭載されています。さらにネットワーク上のレシピデータや管理栄養士のガイドラインを参照し、真壁様の体調に合うよう調整してみました」

「ふん……便利なもんだ」

真一は素っ気なく言うが、その味わいは想像していたよりも美味しかった。妙に複雑な気分になる。アンドロイドに作ってもらった食事が、こんなにも“人間的”だとは……。

(もし香織が生きてたら、またこういう食事を作ってくれただろうか……)

そんな思考にふと囚われ、胸の奥がチクリと疼く。今、このアンドロイドは香織の姿によく似ている。だが、所詮は“偽物”――とも思ってしまう自分が嫌になる。 そう呟きつつ、脳裏では淡い青い光――クラゲの幻影がゆらゆらと揺れていた。

外ではビル街のネオンが静かに瞬き、部屋の中は水音と食器を拭く布巾のこすれる音だけがかすかに響く。


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