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二度失う愛の、その先へ~青の残響~  作者: 銀 護力(しろがね もりよし)
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Prologue ―遠い青の呼び声―

「また失うのか、それでも愛を求めるのか」


近未来。

愛した人を二度失う苦しみを抱える青年が、機械仕掛けの“彼女”と出会う。

命のきらめきと再生を巡る旅路に、切なくも希望の光が差し込む。

青い残響が照らす先とは――。

 薄暮の水族館。

 照明を落とした館内を、青白い光の水槽がほのかに照らしている。そこにはクラゲが無数に浮遊していた。触手を揺らし、淡い輪郭を透かし、静かにふわり、ふわりと揺らめく。あたかも深海の暗闇の中、あるいは宇宙空間のようにも見える光景だ。

 どこからともなく、小さな子どものはしゃぎ声が響くが、その声もすぐに闇へ溶けていく。代わりに漂ってくるのは、水の底から伝わるような静寂と、ガラス越しの幻想的な青い光。

 ――その光の前に、一人の青年が立っている。

 黒っぽいコートを羽織り、うつむきがちで身じろぎもしない。遠く見つめる先には、クラゲの小さな群れ。手を伸ばせば届きそうで、けれど触れられない。その儚い距離感が、まるで彼の心を象徴するかのようだった。

 「……ずっと、こうしていられたらいいのに」

 男がぽつりと呟く。その声は震えているようにも聞こえる。

 クラゲは何の答えも返さない。ただ、ゆらゆらと揺れながら、また一つ消えては、別の個体がゆるやかに現れる。生を繰り返す者もいれば、あっという間に一生を終える儚い種もいると聞く。

 彼はその姿に、何を見ているのか。永遠に続くようで続かない、脆く頼りない命の輝き。あるいは「もしも生まれ変われたら」という、少年のような淡い願い。

 青年の背後に、誰かの気配が近づいてきた。

 ヒールの音はなく、規則的な足音。だが、妙に人間らしさを帯びた雰囲気をまとっている。影は立ち止まると、静かに青年を呼んだ。

 「真一、さん……?」

 青年――真壁真一は、その声に応えることなく、ガラス面へと視線を向け続ける。まるで、その水槽こそが彼の世界のすべてになっているかのように。

 視界に、クラゲの青い残響だけが残る。

 かつて愛した人の面影。そしてもう一人、愛してしまった誰かの姿――そこに重なるのは、記憶の中の苦しみか、未来に差す微かな光か。

 「もう、二度と失いたくないんだ……」

 掠れた声がそう呟いたとき、水面がきらりと光を返す。

 そこから先の場面は、まるで暗転するようにかき消えた。

 ――そう、この物語は、喪失を抱えた男と、早逝した少女と、そして機械仕掛けのもう一人の女が紡ぐ旅路のはじまり。

 青い光の深淵へ導かれるように、幾度もの喪失を経ても、それでもなお人は愛を求める。まるで短命のクラゲが海を漂い、また新たな命を繰り返すように。

 水底から上がってきた泡のように、未来が浮かんでは消えていく。その一瞬の輝きをすくいとりたいと願ったとき、真一の運命は大きく動き始める。

________________________________________


 十数年前、2050年3月、冬の寒さがようやく和らぎ、遅い春の気配が感じられ始めたころ。病室の薄いカーテン越しに光がこぼれる午後、真壁真一はまだ十代の少年だった。腰かけている椅子の冷たさを忘れるほど、彼は目の前の少女――樋山香織だけに意識を向けていた。

 ベッドに横たわる香織は病衣の襟元をきちんと揃え、弱々しい微笑みを浮かべる。かつて肩まであった豊かな黒髪は投薬と放射線治療で、秋に木の葉が散るように見る見る抜け落ち、今では頭をニット帽でスッポリ隠している。そのニット帽がずれるのを気にして整えようと伸ばされた両手は細く痩せ、肌も荒れて爪もボロボロになっている。その手に向けられた視線に気付き、はっとした表情で慌てて腕を布団の中に隠す。そして「こんな姿を見せて、私、真一に嫌われたくないな……」と涙をにじませる。その姿に真一胸を突かれたような痛みを感じながらも、やさしく「大丈夫、どんな姿になったとしても香織はオレの大好きな香織だよ。嫌いになんてならないよ。ずっとずっと愛してる」と、香織に微笑みかける。香織は悪性の脳腫瘍を患っているのだった。

病魔は明るく朗らかに笑う少女の姿を変えてしまっただけではない。「ねえ、真一……。私が作って一緒にコンサートで演奏した曲、どんな歌……どんなだっけ……」「料理のレシピがほとんど思い出せないの……。もう、真一にお弁当作ってあげられない……」、腫瘍の影響で、香織は少しずつ記憶を無くしていったのだ。

 やがて、記憶の大半を無くし「ねえ、真一……。あれ……どうしてたっけ……」

何を問うているのか分からない問いを発し、遠い目で何かを手繰り寄せるように天井を見上げることが多くなった。

「大丈夫だよ、思い出さなくてもいいから。オレが全部覚えてるからさ」

「そっか……ありがとう……」

 香織の手が、探るように真一の手を探す。それを包み込むように握り返し、真一はどうにか笑顔を作ってみせる。だが、その胸にはどうしようもない孤独感が巣食っていた。もし、香織がオレのことをすっかり忘れてしまったら……。

 そして数カ月後、「シンイチ?……あなた、誰?」……香織は真一の存在を完全に思い出せなくなり、そしてほどなく命の灯が消えた。残された真一は二重の悲しみ、すなわち「恋人の記憶の中で自分の存在が消失した」ということと、「恋人の死」という二重の苦痛を背負うことになる。

 その日を境に、明るく外交的だった真一は、人付き合いを煩わしく思うようになった。やがて、彼は自分の世界に閉じこもるようにAIエンジニアの道を突き進んでいくことになる。両親が共に高名なAIの研究者だった真一は幼い頃からその背中を追うようにしてその道を志していた。また、多忙な両親の代わりにほとんどが育児アンドロイドに育てられ、アンドロイドAIの専門書を幼い頃から絵本代わりに読んで過ごした真一にとっては自然なことと思われた。しかし、香織を失った瞬間から真一の研究テーマが確定した。そこには記憶と感情さえプログラム化して整理保護するという、ある意味で歪んだ救いがあったのだ。


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